第29話「オンパレジス」
ガンゼオルクが姿を現した瞬間、部屋の空気が一変した。
メイランテは立ち上がろうとしたが、ガンゼオルクが片手を上げて制した。
「気にせず座っていろ、蒼閃長」
その声音は低く、温度を帯びていた、粗野に見える動作も無駄がなかった。
ガンゼオルクはフィナの横へと腰を下ろす。
「さて、依頼の話をしようじゃないか」
ガンゼオルクの声は獰猛な響きを帯びていた、表情には、すでに依頼を受ける気満々の気配が漂っている。
リディカとアベルの表情が一気に強張る、アベルは剣の柄に手を置いたまま、ガンゼオルクを睨みつける。
銀髪の下の瞳は鋭く、迷いと焦りが混じっていた、リディカは唇を噛み、視線を逸らす、その肩はわずかに震えていた。
フィナはそんな二人を見ながら、首を傾げた。
「……どうして、そんなに緊張してるの?」
恐れを知らない、素直な問いかけに、リディカは言葉を失い。
後ろに控えるアベルの喉からも、生唾が鳴る音が室内に響く。
だが、ガンゼオルクが豪快に笑い声を上げた。
「フィナ、覚えておけ。この状況で緊張するということは、当然、何か隠しているということだ。俺はそういう匂いに敏感だ」
その物言いに、真横のメイランテが不快そうに眉をひそめ、冷たい静かな言葉を挟み、釘を刺した。
「ガンゼオルク様、脅すような真似はやめてください。ここは協会の部屋です」
しかし、ガンゼオルクはそんな蒼閃長の抗議に対しても、分厚い肩を軽くすくめてせせら笑うだけだった。
「お前と変わらんと思うが、脅しているわけではない。真実を引きずり出すだけだ。その方がいい、お互いのためにもな」
リディカとアベルは視線を交わす、互いに何かを確認するように。
だが、言葉はまだ出てこない。
そんな二人の葛藤を察したのか、フィナは机の上の依頼書を自らの小さな手で引き寄せると、真っ直ぐな瞳で、リディカたちの顔を真剣に見つめた。
「ん、教えて。危ないなら、ちゃんと知りたい」
その瞳には、恐れも迷いもない、ただ、真っ直ぐな意志だけが宿っていた。
リディカは深く息を吸い、胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すように口を開いた。
「……分かりました。この依頼には、確かに裏があります。けれど、それを話すと皆さんを巻き込むかもしれません」
アベルも低く続ける。
「俺たちが語れば、もう後戻りはできない」
二人の決意を前にしても、ガンゼオルクの獰猛な笑みは、消えるどころかさらに深く、愉悦に満ちたものへと広がっていった。
「依頼した時点で巻き込むことは承知の上だろう?だがまあ、いいじゃないか。後戻りできない道ほど、面白いものはない。冒険とはそういうものだ」
室内の空気は、緊張と期待が入り混じり、さらに濃くなっていった。
リディカは深く息を吸い、胸の奥に溜め込んでいたものを吐き出すように、口を開いた。
「……私たちの目的は、とある組織の企みの阻止です」
その曖昧な言葉に対し、ガンゼオルクは笑みを消し去り、問い詰めた。
「“とある”……なんだ?」
リディカは一瞬躊躇した、唇が震え、視線が揺れる。
だが、やがて諦めたように瞳を閉じ、静かに告げた。
「オンパレジス──と呼ばれている組織です」
その瞬間、室内の空気が変わった。
それまで冷静を保っていたメイランテの眉が、不快そうに深く中央へと寄せられ、ガンゼオルクの口元からも、笑みが消え失せた。
この二人の表情が、嫌悪によって同時に大きく揺らいた。
ただ一人、世界の歴史も闇も知らないフィナだけが、ちょこんと椅子に座ったまま、不思議そうに小さな頭を傾げていた。
「……おんぱれじす?」
ガンゼオルクが、冗談の通じない、冷徹な声音でフィナに答えた。
「様々な事件を起こしている集団だ、正体も何も分からん連中、帝国ですらお手上げ状態の組織だ……そいつらの企みを知っているってことは、お前たちもただ者ではないということだな」
リディカは真剣な眼差しで頷いた。
「はい。ですが……ごめんなさい。私たちの正体については言うことができません。命を懸けても。それでも──私たちがあなた方の敵でないことは断言できます」
そこまで一気に語り終えると、リディカは自らの誇りをすべて捨て去るように、机に頭がつくほど深く頭を下げた。
隣に立つアベルもまた、その覚悟に付き従うように、無言のまま深くその銀髪の頭を垂れた。
フィナはその様子を見て、素直に問いかけた。
「相手は悪者?」
リディカは顔を上げ、真剣に答える。
「はい」
「危険?」
「はい、とても」
フィナは一瞬だけ考え、そして真っ直ぐな瞳でリディカを見つめた。
「分かった。受ける」
リディカは目を見開いた。
「はい……え!?いいのですか?」
フィナは揺るぎない声で答える。
「悪は駄目。だから、倒す」
その言葉に、ガンゼオルクが豪快に笑い声を上げた。
「ははは!そうだな、悪はほっとけん!俺も出る!」
メイランテは困ったように眉を寄せ、ため息を漏らす。
「領主が行くなら……私も出ないといけませんね」
リディカは驚いた、だが、思わず笑みが浮かぶ。
心の奥にあった孤独が、少しだけ和らぐような感覚だった。
ガンゼオルクとメイランテが、同時に深く息を吐いた。
まるで、ようやく腑に落ちたと言わんばかりに。
ガンゼオルクが腕を組み、低く唸るように言った。
「……だがまあ、ここまで隠していた理由、ようやく納得できた」
メイランテも静かに頷く。
「ええ。あなたたちが依頼者名を伏せ、協会の部屋を勝手に使い、情報を一切出さなかった理由……全部、説明がつくわ」
フィナは首を傾げた。
「……どういうこと?」
ガンゼオルクがフィナの方へ向き直り、真剣な眼差しで言葉を紡ぐ。
「オンパレジスは世界で数少ない、“全世界”で明確に敵と断定されている組織だ、大竜帝国だけじゃない全大陸で……どの国も、奴らを敵と認めている」
メイランテがその言葉の背景を補足するように、冷徹な事実を語り継ぐ。
「歴史上、国が滅んだ事件の裏にオンパレジスが関わっていた例もあるわ、表向きは事故や災害とされているけれど……実際は違う」
「……国ごと?」
「そうだ。地図から名前が消えた国がある、表向きは“災害”とされたが……実際は違う」
フィナは瞬きをした。
「……そんなに悪いなら、なんで、皆で倒さないの?」
その素朴な疑問に、リディカとアベルが同時に息を呑んだ。
リディカは震える声で答える。
「……それは、その国が滅びた理由にあります」
フィナはさらに首を傾げる。
「どういうこと?」
アベルが静かに口を開いた。
「オンパレジスは……“自分たちの計画が表に出た瞬間”、その情報を持つ者を徹底的に全勢力を持って排除する。例外なく」
メイランテが補足するように言う。
「その国がオンパレジスの存在を確認、討伐軍を編成した、結果──その国は滅んだ、軍も、王族も、民も、国自体が跡形もなく消え滅んだ、情報はこれだけ」
フィナの目が大きく見開かれる。
「……全部?」
「全部よ」
リディカは唇を噛みしめ、震える声で続けた。
「だから、私たちは依頼者名を伏せ、協会の部屋を借り、一切の情報を出せなかったのです。オンパレジスは……“気づかれた”と判断した瞬間、計画を知る者を消しに来る」
アベルが低く付け加える。
「俺たちが隠していたのは、疑っていたからではない。巻き込みたくなかったからだ。だが……もう隠せない」
フィナはしばらく黙っていた。
その沈黙に、リディカは不安そうに揺れる瞳でフィナを見つめる。
「……怖いでしょう? だから、断っても──」
「ん」
フィナは静かに言った。
「悪いなら、倒す。国を滅ぼすなら、もっと」
「当たり前だよな、ここは我ら大竜帝国の領地だ、オンパレジスだろうが何だろうが、ぶっ潰すだけだ!逆に全滅させりゃ、こっちの情報は漏れねぇ」
「ありがとうございます……では、早速、今回の目的地は、この森です」
リディカが地図を広げると、メイランテがすぐに反応した。
「コウザンダス山脈の下の森ね。過去に喪失獣の襲来で崩壊してしまった街の跡地があり、現在では未調査区域になっている」
リディカは頷く。
「はい。オンパレジスがここで何を企んでいるかは分かりません。ですが、彼らがこの地に来るという情報がありました」
ガンゼオルクが立ち上がり、獰猛な笑みを浮かべる。
「目的地が分かれば出発だ。考えるのは道中でいい」
その声に、室内の空気が再び動き出す。
五人が部屋を出ると、廊下に差し込む昼の光が彼らの影を長く伸ばした。
先頭を歩くガンゼオルクが、ふと振り返りながら言葉を投げる。
「フィナ、オリティスに何も言わなくていいのか?」
その問いに、フィナは一瞬だけ足を止めた。
少し考えるように目を伏せる。
「……平気。危なくなっても、来る」
オリティスの名を口にした瞬間、リディカとアベルの足が止まった。
二人の表情が固まり、互いに視線を交わす、だが、すぐに切り替えるように歩みを再開した。
メイランテが横から問いかける。
「森まではどう行くつもり?」
リディカは少し悩み、言葉を選ぶように答えた。
「走った方が早いかと……森の中での活動になりますし」
その答えに、ガンゼオルクは豪快に笑う。
「いいじゃないか!走るのが一番早い!」
やがて五人は協会のホールへと足を踏み入れた。
瞬間、ざわめきが広がる。
ミオルタの領主と蒼閃長──その2つの存在が同時に姿を現せば、誰だって注目せずにはいられない。
冒険者たちの視線が一斉に集まり、囁きが飛び交う。
「領主様が……」
「蒼閃長まで……」
その声は驚きと期待、そして好奇心に満ちていた。
幾人かの冒険者が質問を投げかける。
「どんな依頼なんです?」
「まさか大規模討伐ですか?」
だが、メイランテもガンゼオルクも、揃って短く依頼だと答えるだけだった。
二人の態度は揺るぎなく、それ以上は語らない。
フィナはその様子を見ながら、胸の奥で小さく呟く。
(……気軽に受けた依頼だったのに)
フィナの心には、ほんの少しの戸惑いがあった。
最初はただの採取依頼、だが、今や領主や蒼閃長までもが動く事態になっている。
ホールを抜け、五人は協会を後にした、外の空気は澄み渡り、街の喧騒が彼らを包む。
領主と蒼閃長、話題の超新星、そして謎めいた二人──その組み合わせは、街の人々にとっても異様に映ったのだろう。
屋台の主人が声を張り上げかけて、途中で言葉を飲み込む、子どもたちが走り寄ろうとして、親に腕を掴まれて止められる。
そんな光景がいくつも続いた、フィナはその様子を見て、少しだけ首を傾げた。
(……なんか、みんな、変)
ガンゼオルクがその様子を面白そうに見下ろしながら、笑って言った。
「そりゃそうだろうよ。領主と蒼閃長が揃って歩いてりゃ、誰だって身構えるわな、だから、動くんだ、杞憂だったぜって笑い飛ばせるようにな」
真横を歩くメイランテが、その発言に小さくため息をつく。
「本来なら、こうして街中を歩くべきではないのだけれど……今回は例外ね。オンパレジスが絡んでいる以上、悠長にはしていられない」
リディカはその言葉に小さく頷いた。
街門へ近づくにつれ、空気が少しずつ変わっていく。
街の喧騒が遠ざかり、代わりに風の音が耳に届くようになった。
ガンゼオルクがふと空を見上げる、晴天ではない、少し雲が蒼穹を隠すが暗いわけではない。
「……天気は悪くねぇな。森に入るなら、これくらいがちょうどいい」
街門が見えてきた、普段は冒険者や商人で賑わう場所だが、今はなぜか妙に静かだった。
門番たちが五人を見て、慌てて姿勢を正す。
「り、領主様!蒼閃長様!そ、その……ご出立ですか!?」
ガンゼオルクが軽く手を上げる。
「気にするな、フィナの実力が気になってな、オリティスに借りてきたぜ」
メイランテも静かに頷く。
「門の管理をお願いします。何かあればすぐに知らせてください」
「は、はいっ!」
門番たちは緊張で顔を強張らせながらも、敬礼した。
フィナはその様子を見て、ぽつりと呟く。
「……みんな大変」
ガンゼオルクが笑う。
「そりゃあ、領主と蒼閃長が揃って出ていくんだ、騎士たちは民たち以上に落ち着かんだろうよ」
メイランテがフィナの肩に手を置く。
「でも、あなたがいるから大丈夫。“超新星”が一緒なんだから」
「良い言い訳になったぜ」
メイランテがふと横目でガンゼオルクを見た。
その視線は呆れと心配が半々に混ざったものだった。
「言い訳と言えば……ガンゼオルク様。護衛はどうしたのです?」
ガンゼオルクは「ん?」とだけ返し、他人事のように首を傾げる、メイランテはため息をつきながら続けた。
「専属の護衛を引き連れているでしょう、まさか……また抜け出したんですか?今ほど、戦力がいる時もないと思いますが」
その問いに、ガンゼオルクは悪びれもせず笑った。
「大丈夫だ。まずい状況になれば勝手に来る、今も、俺の気配を追って探してるだろうしな」
メイランテは額に手を当てる。
「……あなたという人は、護衛たち、また血相変えて探しているでしょうね」
「だろうな」
フィナはその会話を聞きながら、ぽつりと呟いた。
「……強い人って、自由」
ガンゼオルクは我が意を得たりとばかりに豪快に笑い、フィナの小さな頭を大きな手で軽く撫で回した。
「お前もすぐそうなるだろう、正直、お前の師匠ほど自由気ままな人間を俺は知らんぞ──超新星」




