第26話「熱狂の果て」
模擬戦が終わってなお、闘技場の熱は冷めることを知らなかった。
夜風を浴びながらも興奮を抑えきれない冒険者たちは、帰路につく足取りさえ軽く弾ませている。
「……見たかよ、あの黒い斬撃」
「いやいや、俺はアレクの紅蓮艦のほうが鳥肌立ったぞ!」
「どっちも化け物だろ……あれ、本当に模擬戦だったのか?」
「フィナって子、あれでまだ新人だろ? 信じられねぇ……」
石畳の道を歩く彼らの声は、酒場のように賑やかだった、誰もが今日の戦いを語らずにはいられない。
ある者は興奮で声を張り上げ、ある者は震える手を押さえ、ある者は仲間と肩を組んで笑い合う。
誰もが胸の奥に火を灯されていた。
今日の戦いは、ただの催しではない。冒険者としての誇りを揺さぶり、自分ももっと強くなりたいと願わせる。
闘技場の外壁には、いまだ熱気が残っているかのように白い蒸気が揺らめいている、夕暮れの空は赤く染まり、熱狂の果てのようでもあった。
興奮冷めやらぬ観客の視線の先で、激闘を繰り広げた四人はゆっくりと中央へ歩み寄っていた。
「にしても、俺の紅蓮艦を参考にして新しい魔術を編み出すとは……驚かされた」
アレクの声には、敗北の悔しさよりも、同じ戦士としての純粋な喜びが滲んでいた。
フィナはいまだ肩で荒い息を繰り返しながら、その言葉をどう受け取ればいいのか分からず、ただ「ん」と短く返す。
そこへ、オリティスとアリエナが歩み寄ってきた。オリティスはフィナの前に立つと、戦いの最中とは打って変わった、柔らかい眼差しで見つめた。
「よく頑張った」
その一言に、フィナの胸がじんわりと熱くなる。
戦いの緊張がようやく解け、頬が自然と緩んだ。
「んっ!」
「にしても、そうだろうとは思っていたけれど……オリティス、とんでもない強さね」
アリエナが、心の底から呆れたように息を吐く。
「正直、二度と戦いたくないわ。勝てる気がしないもの。次元が違うわよ」
その率直な評価に、オリティスは悪戯っぽく微笑んだ。
「嬉しい言葉だ」
そこへ、重い足音を響かせてオルトーが現れた。
「お前たち、お疲れ。今日の模擬戦は成功だ。もう解散して構わん。ただし――」
その声には、冒険者たちの未来を見守る者としての温かさが混じっていた。
オルト―は視線をオリティスとフィナに向ける。
「オリティス、フィナ。二人は冒険証の更新が必要だ。受付に寄ってくれ」
「ん!」
元気よく返事をするフィナを見て、オルトーは満足そうに頷き、一足先に闘技場を後にした。
受付へと歩く道すがら、オリティスがふと思い出したように口を開く。
「フィナの試合の途中で、あの波を止めた魔術師――誰だ?」
アリエナがすぐに記憶をたどって答えた。
「ああ、いたわね。貴賓席から強力な魔術の反応があったわ。あそこは確かミオルタの領主席よ。今回の模擬戦に興味を持って観戦していたらしいわ」
フィナが「領主?」と小さく首を傾げる。
「そうよ。元々は冒険者だったのよ、ここの領主さん」
今度はアレクが説明を引き継いだ。
「かつて四人パーティのリーダーだったらしい。今じゃ残りの三人が、そのまま領主の専属護衛を務めてる。領主たちはこの街じゃ英雄扱いさ。なんせ冒険者時代、喪失獣を最前線で食い止め、このミオルタに勝利をもたらした張本人だからな」
「……ほう」
オリティスがわずかに、しかし確実にその瞳に昏い関心を宿す。
フィナは政治的な話はよく分かっていない様子だったが、「強い?」とだけ尋ねた。
アレクは苦笑しながら、だが真剣な目で頷く。
「間違いなく、俺より強い」
話しているうちに、四人は協会の受付へと到着した。
受付では、受付嬢のミルフィが満面の笑みで手ぐすね引いて待っていた。
「お二人とも、お待ちしておりました! では、冒険者証をお預かりします!」
オリティスとフィナが冒険証を差し出すと、ミルフィはそれを慎重に専用の魔導機に通す。
淡い光が走り、やがて小気味よい音が響いた。
「おめでとうございます!」
ミルフィが弾けるような声で祝福する。
「お二人は、正式にフェルス階位の冒険者に昇格されました!」
手渡された新しい冒険者証には、新たな階位に応じた精緻な紋章が刻まれており、先ほどまでのルキ階位とは明らかに違う風格と重みを放っていた。
「やった……」
フィナは両手で大切に冒険証を見つめ、目を輝かせる。
その純粋な様子に、オリティスが愛おしそうに手を伸ばし、フィナの頭を撫でようとした――その時だった。
「待てぇい!!」
静かなロビーを切り裂くような大声。声の主は、散々絡んできたあの禿げた冒険者だった。
「やっぱりおかしいだろ!あんな小娘と、どこの馬の骨とも知れねぇ女がフェルスだと!?八百長に決まってる!裏で協会の頭と手を回したに違いねぇ!」
男の罵声が響いた瞬間、冒険者協会全体の空気が、一瞬にして氷点下へと凍りついた。
アリエナとアレクの顔が一気に青ざめる――オリティスの顔から、すべての表情が消え失せていた。
笑みも、柔らかさも、怒りすらもない、ただの無。
その場にいる全員の首元に、今にも断絶とする見えない刃が押し付けられているような、気配が空間を支配する。
静かに、確実にオリティスが男へと歩みを進める、周囲の冒険者たちが、恐怖のあまり悲鳴すら上げられず、潮が引くように次々と後ずさった。
禿げた冒険者は、最初こそ勢い任せに怒鳴り返そうとしていた、だが、オリティスがさらに一歩、床を踏み鳴らした瞬間、彼の膝は砕けるように折れ、その場に崩れ落ちた。
「ひっ、あ……っ……!」
男の視界に映るオリティスは、もはや人間の形をした何かではなかった。
自分より背が高く、美しいその女は、ずっとコネや容姿だけで得をしてきたのだと信じ込み、嫉妬に狂っていた男の妄執は、その圧倒的な暴力の前に一瞬で消し飛んだ。
フィナだけは、オリティスが庇っているためその圧を直接受けてはいなかった、だが、それでも周囲の空間が放つ異常な気配に凍るのを感じる。
(……オリティス、怒ってる……)
禿げた冒険者は、歯を鳴らしながら、血の気の引いた顔で言葉を絞り出した。
「バ……バケモノ……!」
その言葉が引き金となった。
空間がベきりと裂け、オリティスの背後から、禍々しいアジスイデアが姿を現し、哀れな男を見下ろした。
「階位如きに、騒がしい人間だ、今のうちに消すか?」
『同感だ、オリティス』
紡がれた声は、魂までをも凍てつかせる氷の刃。
『醜い嫉妬に身を任せ、他者の行く末を阻む蛆虫め……喰らう価値も、生かしておく価値すらもない。この場で惨たらしく引き裂いてやろう』
アジスイデアが顎を開き、今にも男を貪り喰らおうとする。オリティスにもそれを止める気は微塵もない。
誰もが息を止め、男の死を確信したその瞬間――。
「――そこまでにしてもらえないだろうか」
低く、重い声が、静まり返ったロビーに響き渡った。
協会の奥、小闘技場へと続く通路から、一人の男が歩いてくる。
堂々とした体躯に、鎧は無数の傷跡が刻まれ、磨き上げられてなお鈍い鈍色の光を放っている。
肩当てには領主の家紋を刻んだ飾り金具が鈍く輝き、短く整えられた灰混じりの黒髪の下から、鋭い鷹のような眼差しが周囲を射抜いていた。
頬を走る一本の古傷が、無言のままでも彼の歩んできた重みを雄弁に語っている、背筋は一分の隙もなく伸び、歩調には一切の揺らぎがない。
アジスイデアの動きが止まる。だが、その殺意が収まったわけではない。
「その者の処罰は、我々に任せてもらいたい」
『我らが貴様を信用する道理がない』
アジスイデアの傲岸な返しと、オリティスの沈黙。
しかし、男は、それを受けてなお不敵な微笑さえ浮かべてみせた。
「いや、あるはずだ。私は皇帝陛下よりこの地を任された長。陛下に忠誠を誓う者を信用すること……それ自体が、貴殿にとって、道理となるはずだ」
オリティスにだけ向けられた目線と言葉に、オリティスの目が細められる。
アリエナが震えながら、そっと背後から囁いた。
「……その人が、ミオルタの領主様よ……」
張り詰めた沈黙が場を支配する。
やがて、オリティスは無言のまま片手を伸ばすと、アジスイデアの頭を掴み、そのまま空間の裂け目へと力任せに押し戻した。
「どうやら、私は少々冷静さを欠いていたようだな。毎日、雑音の排除を怠っていたのは、私の方の怠慢だ」
オリティスは言い捨てると、振り返ってフィナの元へと戻った。
そして、先優しくその頭を撫でる。
「偉いぞ、フィナ。よく耐えた」
「ん!」
領主が顎で指示を出しながら、協会の奥に去ると、背後に控えていた二人の重装兵が、失禁して気絶している禿げた冒険者を容赦なく拘束し、引きずるようにして連れ去っていった。
彼らが去ると同時に、協会を包んでいた致死の圧力が一気に霧散する。
アリエナたちは緊張の糸が切れたようにその場にへたり込み、周囲の職員や冒険者たちも、ようやくまともな呼吸を取り戻して激しく咳き込んだ。
「……オリティス殿、フィナ殿。領主様がお呼びです。奥の応接室へ」
案内を申し出た職員の声は丁寧だったが、その指先はまだ小刻みに震えていた。
オリティスは軽く頷く。
「行くぞ、フィナ」
「ん」
二人が歩き出すと、周囲の冒険者たちは自然と道をあけた。誰もが先ほどのオリティスの姿が脳裏に焼き付けられており、その視線には畏怖と敬意が混じり合っていた。
冒険者協会の奥へと進むにつれ、喧騒は遠のき、空気はひんやりとした静寂に包まれていく。
フィナは無意識に、ごくりと息を呑んだ。
(……静か)
二人の足音だけが、磨かれた石床に規則正しい音を刻んでいく。
やがて、職員が1つの巨大な木製の扉の前で立ち止まり、深く頭を下げた。
「この先に領主様がお待ちです……」
扉がゆっくりと内側へ開かれる。
中に一歩足を踏み入れた瞬間、肌を刺したのは、戦場に立たされたかのような圧だった。
だが、それは先ほどの男のような汚い敵意ではない。
部屋の中央、大きな机の前に佇んでいた領主は、二人を迎えるとわずかに口元を緩めた。
「来訪に感謝する」
その声は低く、重さがありながらも、不思議と人を惹きつける温かさを孕んでいた。
フィナは無意識に身体を硬くしたが、オリティスは平然と、静かに歩みを進める。
「改めて自己紹介しよう。俺はミオルタの領主、ミオルタ・ヒューゼン・ガンゼオルクだ。よろしく頼む」
ガンゼオルクの発声はよく通り、戦場で鍛え上げられた者の威厳に満ちていた。
「オリティスだ。こっちはフィナ……それで、要件は何だ?」
単刀直入に問うオリティスに対し、ガンゼオルクは笑みを深める、だが、その鷹のような鋭い眼光は一切笑っていなかった。
観察するように、二人の本質を見定めようとしている。
「興味があったのだ。現在、この我が街ミオルタを大いに騒がせている冒険者たちにな、事次第では排除も考えていたが、その必要はない」
その言葉に、フィナは反射的に身構えた、目の前の男は、ただ武力が高いだけではない。
戦場を知り、政治を動かし、人間のあらゆる欲望と泥濘を知り尽くした上で、堂々と頂点に立つ者の気配をしている。
(……私にはない強さを、たくさん持ってる)
オリティスはそんなフィナの緊張を察し、その小さな頭を撫でて落ち着かせた。
「なら、その興味とやらはもう満たされたはずだが」
「まあ、待て。今日はただ顔を拝みに来たわけではない。お前たちに1つ、忠告――いや、助言をしに来たのだ」
ガンゼオルクは静かに窓へと歩み寄り、眼下に広がる街の夜景へと視線を移した。
「――此度の模擬戦、実に素晴らしいものだった。だがな、お前たちは自分達がどれほど常軌を逸した事態を引き起こしたか、少々自覚が足りない」
彼の背中から発せられる声は、穏やかだが確かな警告の重みを帯びていた。
「お前たちはルキの階位でありながら、ギルアに勝利した。しかも相手はただのギルアではない。金錬赤は、あの階位の中でも最上位に位置する手練れだ。それ以外にも、最近のお前たちの動向は少々目立ちすぎている」
そこで言葉を区切り、ガンゼオルクはゆっくりと振り返った。
「特にアレク。奴はすでに、ゾディアに片足を突っ込んでいる。そんな男に勝ったんだ」
フィナが驚いて目を見開く。
「だからこその助言だ――即刻とは言わん。だが、遅くとも次の満天が訪れるまでに、このミオルタの街から離れることを強くお勧めする」
その言葉を聞いた瞬間、オリティスの目がすっと細くなった。
「……?」
意味が分からず首を傾げるフィナに、オリティスが淡々と噛み砕いて説明する。
「フィナが嵐狼や盗賊の頭領を討伐した件、そして今日の模擬戦で金錬赤に勝った件……つまり私たちは、ミオルタの貴族たち、面倒な権力者、他国の勢力の目に留まってしまった」
ガンゼオルクは深く、静かに頷いた。
「そういうことだ。お前たちの実力は本物だ。だがそれ故に、お前たちを利用したい者と、危険視して排除したがる者が必ず現れる。お前たちはすでに、便利に使える“駒”としての段階を通り越し、“脅威”として排除すべきか否かを品定めされる段階に達してしまっている」
静まり返った部屋の空気が、冷えていく。だが、そこに悪意はない。ただの現実の提示。
「情報には感謝する、どのみち、近々この街を出発する予定だった。私たちの行動に大きな変更はない」
「そうか。ならば重畳。追い出すような形になってしまったことは些か心苦しいが、私は強き冒険者をいつでも歓迎する。すべてが片付き、また戻りたくなった時は、気にせずこの街を訪ねるがいい」
最後に、ガンゼオルクは真っ直ぐに二人の眼眸を見つめ、不敵に言い放った。
「生き残れ。そして、いつか世界の“彼方”でまた会おう」
「お前の期待を裏切ることはないだろうな」
オリティスはそう短く告げると、踵を返して部屋を出ようとする。フィナもその後ろを静かに追った。
だが、フィナが重厚な扉をくぐり抜ける直前、背後からガンゼオルクの声が、フィナの足を止めさせた。
「フィナ」
「……?」
「お前には期待している。領主としてではなく、一人の冒険者としてな。実力を高め、己より巨大な壁に臆せず挑むその姿勢、実に勇敢で、実に心地よい。……だが、気を付けろ。この世界には、お前のような真っ直ぐな奴が知り得ない、底無しの暗闇がいくらでもある」
ガンゼオルクは大きな歩幅でフィナへと近づくと、その小さな肩に無骨な手を置き、豪快に笑ってみせた。
「もし、気に入らねぇ奴らが目の前に現れたらな――全員力任せにぶん殴れ。俺は昔からそうしてきた。政治だ思想だの、下らねぇ大人の理屈なんざ、お前のその我儘な力でぶち壊してしまえばいいのさ」
その言葉と豹変した態度に、フィナだけでなく、扉のすぐ外で待っていたオリティスまでもが、わずかに目を見開いて驚きを見せた。
「……お前、そのような顔もできるのか」
オリティスの呆れを含んだ声に、領主は腹を抱えて笑った。
「ガハハハハッ!俺は根っこからの冒険者なのさ!長々と引き留めて悪かったな、さっさと行け。外で友人が首を長くして待っているぞ」
二人が部屋を去り、静かに扉が閉まった。
静寂が戻った空間で、ガンゼオルクは独り、深く、重いため息をついた。
ガンゼオルクは窓の外、すっかり夜の帳が降りた活気ある街並みを見下ろしながら、誰に届くともない声を漏らす。
「フィナ、お前とは……どうにも、また再会する気がしてならんな。――果たしてそれが、このミオルタに災いが降りかかる前兆でなければ良いだがな」




