第25話「恐怖を抱き刃と化せ」
オリティスとアリエナの激闘が終わった後も、闘技場の空気は冷めていなかった。
観客席にはまだ震えが残り、誰もが胸の奥に火を抱えたまま、次なる戦いを待っていた。
「……次は、あの新人の番か」
「いや、もう新人じゃねぇだろ。嵐狼を倒して、盗賊の頭領も捕まえたんだぜ」
「はっ、だが相手はアレクだぞ? やり合えるわけがねぇ……」
ざわめきは期待と興奮で膨れ上がり、まるで闘技場そのものが脈打っている。
その中心へ向かって、フィナとアレクは静かに歩み出た。
中央に並び立った二人。前を見据えたまま、アレクが深く息を吸い込む。
「なぁフィナ、この熱、感じるか?」
「ん……」
フィナは小さく、しかし確かに頷いた。
それを見たアレクが笑う。獰猛で、どこまでも不敵な笑みだった。
「この熱のまま……俺たちの番だ。俺から言うことは1つだけ」
観客席の視線が、ゆっくりと中央の一点へ集まっていく。
アレクは剣を上段に構え、言い放つ。
「全力で来い!」
すかさず、オルトーが声を張り上げた。
「第二回戦——フィナ対アレク!!」
観客席が再び大きく揺れ、フィナは銀灰の柄を両手で握り締め、低く構えた。
アレクの瞳には鋭い光が宿り、闘気が立ち上る。
「ルールは先ほどと同じだ。双方、準備はいいな?」
「ん!」
「いつでもいい!」
オルトーが腕を振り上げ、高らかに宣言した。
「では、開始!!」
観客席のざわめきが、合図と同時に爆発した。
空気が極限まで張り詰め、誰もが息を呑む。
フィナが駆け出した瞬間、地面の砂埃が激しく舞い上がり、石床を蹴る鋭い音が響いた。
その踏み込みには一切の迷いがない。ただ勝つためだけに研ぎ澄まされた突撃。
アレクはその気配を真っ向から受け止め、不敵に口角を上げた。
(……来たな。これだよ、これを待ってた!)
胸の奥で、戦士としての本能が歓喜の声を上げる。
銀灰とアレクの剣が正面から激突した瞬間、強烈な金属音が響き渡り、火花が散って空間を裂いた。
だが、アレクの体は微動だにしない。
(……固い!)
「速いな! いいぞ、良い勢いだ! さあ、楽しもうか最後まで!」
アレクの目に宿るのは驚愕ではなく、純粋な喜びだった。
フィナの地力に、心底から興奮していた。
しかし、フィナの猛攻はここからだった。
(私の武器は、全力の連撃。——オリティスがそう言ってた)
下からの鋭い切り上げ。アレクはそれを剣身で受け流すが、フィナは止まらず、1回転から斜め下からの振り上げ、返す刀で横を切り、間髪入れずに上へ斬り上げる。
すべてを防がれ、弾かれる、だが、刃が交わるたびにアレクの剣は鈍く震え、その腕へと痺れが蓄積していく。
(マジかよ……腕が痺れてきやがった。これほど本気の一撃を、ここまで繋げてくるか! 良いな、良いぞフィナ、もっと見せろ。世界に届くその刃を!)
フィナの連撃が空気を切り裂くたび、真空の軌跡が走り、砂塵が舞う。
アレクは防戦に回りながらも、内心で深く舌を巻いていた。
(盗賊どもと戦った時とは違う。剣筋が変わってる……二日の間に、剣を理解したな!)
受け止めるたびに衝撃が骨に響く。だが、その痛みが最高に心地よかった。
「もっと来いよ、フィナ!」
アレクの叫びに、フィナの澄んだ瞳が一段と鋭さを増す。
(……負けない!)
潜り込んでからの銀灰が斜め下から跳ね上がり、一瞬だけアレクの視界から消失する。
アレクは直感で剣を持ち上げるが、フィナの姿はすでに別の角度へと滑り込んでいた。
「ちっ……!」
アレクの額に冷や汗が滲む。
それでも、彼の笑みは消えない。
(だが、これほど全力を連打してりゃ、先に息切れするのはそっちだ!)
アレクが防御から攻撃へと転じ一歩を踏み出し。フィナの手から銀灰を絡み取り、宙へと跳ね上がった。
「腕が疲れたか?」
「まだまだ!」
アレクが武器を失くしたフィナの胴体を斬り裂こうと踏み込んだ瞬間——フィナはアレクの剣の刀身を足の裏で思い切り蹴り、一気に後方へと大きく距離を取る。
「ほう!」
着地と同時に銀灰を回収しながら、フィナの魔力が解放され、空間に無数の魔術陣が展開される。
空間そのものが軋むような独特の駆動音が響き渡り、赤、青、白、緑——色とりどりの魔力がフィナの周囲を埋め尽くされる。
(……おいおい、全部同時かよ。ってことは!)
フィナの魔力は、荒々しく暴走することなど一切なかった、アレクの背筋に、本能的な戦慄が走る、観客席の魔術師たちも色めき立った。
アレクは、一瞬でも気を抜けば一撃で致命傷を負いかねないことを悟る。
「前も思ったが……お前のそれ、魔術じゃなくて魔力操作だよな!受けるのにも限界がある!」
距離を取られたままでは、あの無数の魔術の砲火に一方的に磨り潰される。
「距離を取られたら、こっちがまずいんだよ!!」
大地を爆らせて突進するアレク、フィナは弾いた銀灰を構え直し、正面からそれを迎え撃つ。
「叩きのめす」
「ハハハ! 来い!!」
フィナが小さく跳び、空中で体をひねり、全身の筋力を銀灰の刃へと限界まで集約していく。
振り下ろされる一撃は、現在のフィナが放ち得る最大最高の全開全力。
だが、アレクはそれを真正面から受け止めた。
「いい一撃だ! だが、まだ足りねぇ!!」
「くっ……!」
アレクの防御は破れない。ぐらつきさえしない。
(これが……ギルア階位の実力。違う、アレクの実力……!)
フィナの瞳の奥で、静かな火花が散る。
(ちょっと、本気出す……)
アレクもまた、剣を押し返しながら静かに応じた。
「……まだまだ、これからだな!」
激突の反動で再び距離を取ったフィナに対し、アレクはさらなる魔術の追撃を警戒し、身構えた。
だが次の瞬間、フィナが放ったのは魔術ではなく、飛斬だった、切っ先から放たれた衝撃の風圧が、闘技場の石床を裂きながら迫る。
「飛斬か!」
アレクが叫び、それを剣で叩き割りながら強引に前へ出る、そこへすかさず振り下ろされる、フィナの魔力を一点に収束させ一撃。
だが——アレクは魔力視で魔力を見つけ、防御ではなく、咄嗟に身体をひねって回避を選んだ。
彼が先ほどまでいた地面が爆砕する。
見れば、銀灰の刃には、青白い光が揺らめいていた。
「魔力剣!直接纏わせやがったか! 殺す気かお前!」
「アレクなら、死なない」
フィナは小さく、悪戯っぽく微笑んで言った。
「……ハッ、高評価どうも!少し、本気を出すぜ!」
アレクは大きく息を吐き出し、力強く地面を踏み鳴らした。
刹那、アレクの全身から激しい劫火が噴き出した。
観客席で、その様子をじっと見つめていたアリエナがぽつりと呟く。
「私たちはギルア階位のパーティ、金錬赤……アレクはその中でも特別なのよ」
アリエナの瞳は、真っ直ぐに相棒の背中を見つめていた。
「だってアレクは——“2つ名”持ちなんだから」
闘技場に、鼓膜を破らんばかりの雄叫びが轟いた。アレクの瞳が灼熱の赤へと染まる。
「全てを燃やし、全てを覆え! 業火の艦隊の如く!——紅蓮艦!!」
爆発的な炎の鎧がアレクの巨躯を包み込み、彼の剣が紅蓮の輝きを放ち始める。
炎が爆ぜた瞬間、闘技場全体の温度が一気に跳ね上がった。
観客席の前列に座っていた冒険者たちが、あまりの熱波に思わず顔を覆い、後ずさる。
アレクの背後には、陽炎のように巨大な軍艦が揺らめいていた。紅蓮の海を進む、砲台を携える要塞の様な艦隊。
その中心に立つ彼は、まさにその二つ名にふさわしい威容を誇っていた。
攻防の均衡は、一瞬にして逆転する。
アレクの炎が闘技場を真っ赤に染め上げたその瞬間——フィナの胸の奥で、何かが音を立てて割れた。
(……熱い……苦しい……なるほど)
銀灰を握る手が震える。炎の圧力が、まるで皮膚を直接焼き焦がすかのように襲いかかってくる。
だが、フィナの心にあるのは恐怖ではなかった。フィナはむしろ、歓喜に瞳を輝かせて前へ出た。
「そういう、景色も、あるんだ」
恍惚とした笑みを浮かべるフィナを見て、アレクの背筋に言い知れぬ悪寒が走る。
次の瞬間、フィナの視界からすべての“色”が消失した。
赤も、青も、光も、影も。すべてが薄い膜の向こう側へと遠ざかり、ただ一つ、フィナの胸の奥深く、最も暗い場所に沈んでいた黒だけが鮮明に浮かび上がる。
(……あの時の……)
思い出すのは、あの虚大穴の景色。そして、ルシフェルと邂逅した景色、死の気配がじっと肌を撫でた、あの絶対的な冷たさ。
普通なら目を逸らしたくなるその絶望を、フィナは逃げずに見つめ、その恐怖ごと自身の胸に強く抱きとめた。
(恐怖を——刃に)
底冷えするような感覚が、今、フィナの全身を支配していく。
突如として、闘技場の空気が凍りついた、観客席の冒険者たちが、一斉に身をすくめる。
アレクの紅蓮の炎が猛烈に燃え盛っているはずの空間で、なぜか全員の口から白い息が立ち上るという、異常極まる光景。
フィナの足元から、禍々しい黒い氷が音もなく広がっていった。
それは氷ではない。通常の魔力でもない。もっと根源的な、純粋な死の概念に近い冷気。
世界に、フィナがかつて見たあの絶望の情景が侵食し始めていた。
フィナの銀髪がふわりと浮き上がり、黒い霜がまとわりつく、銀灰の刀身を、黒い氷の結晶がゆっくりと這い上がっていく。
次の瞬間——黒い氷が爆ぜた。
フィナの身体に、深い闇を編み上げたような黒衣が顕現する、布でも、氷でも、ただの魔力の揺らぎでもない。
フィナの精神が具現化した、異形の衣装だった。
「おいおいマジかよ……一目で術理を理解して、真似やがったのか!?いや、理解したから、物に出来たのか」
炎と氷、紅と黒が、正面から激突する。
アレクの炎がさらに激しく爆ぜ、熱気が蒸気となって白く視界を遮る。
しかし、フィナは一歩も引かない。黒い氷が空間そのものを凍らせ、炎と衝突するたびに凄まじい爆発が巻き起こる。
熱気と冷気が狂ったように入り混じる視界の中で、アレクは一瞬、フィナの姿を見失いかけた。
(……どこだ!?)
直後、背後から心臓が凍るような冷気が迫る。
「っ……!」
アレクが反射的に振り返ると、不意を突いた構えを取る黒衣のフィナがいた。
アレクは剣を振り切り銀灰をを弾き、銀灰が宙を舞う中、アレクは辛うじて距離を取る。
(どういうことだ……開始直後からあれだけ全力で動いてたはずなのに、なんでまだ速度が上がってやがる!?)
戦慄するアレクの足元に、突如として巨大な影が差した。
「波!?」
闘技場全体を飲み込むほどの、巨大な氷の津波が巻き起こった。
その時、観客席でフードの魔術師が魔術障壁を張っていた。
「舐めるなァ!」
アレクはその津波を、自身の紅蓮艦の熱量で一瞬にして蒸発させた、だが、アレクはもうそれ以上、言葉を発することができなかった。
蒸発した水蒸気を引き裂いて、フィナがすでに目の前にいた、その両手には、黒氷の双剣。
左右から同時に迫る、逃げ場のない高速の斬撃、周囲の地面はすべて黒氷に覆われ、アレクの足場すらも凍りついて自由を奪っていた。
(決めにきたか……!)
アレクが双剣を叩き割る為、剣を振るうが、フィナの攻撃はそのさらに先を読んでいた。
斬撃がアレクの剣に届くその直前——フィナ双剣を、躊躇なくアレクの足元へと投げ捨てた。
「何っ!?」
投げられた双剣はアレクの防御をすり抜け、彼の足元の凍った地面をさらに爆破し、アレクの体制を大きく崩す。
そして——その隙を見逃さず、銀灰がすでに振り下ろされた後だった。
銀灰の鋭い一閃が、アレクの胸元を正確に捉え、直撃する、だが、アレクの炎はまだ消えなかった。
「っ……! 俺はまだ倒れねぇ……まだ燃えてるんだよ!!」
アレクの魂の咆哮と共に、闘技場を覆っていた黒い氷が一斉に溶け、蒸発し始める。
ここへ来てアレクの動きが変わった。守りを一切捨て、攻めへの一点特化。アレクの剣速が飛躍的に跳ね上がる。
フィナが銀灰で応戦するが、炎の大剣と氷を纏う銀灰がぶつかり合うたび、凄まじい衝撃がフィナの身体を打ち据えた。
(黒い氷は駄目……銀灰の良さを捨ててる。どうすれば、勝てる?)
アレクの強烈な一撃に弾き飛ばされたフィナは、大きく距離を取りながら、あえて黒氷と黒衣の能力を解除した。
そして、元の身軽な動きへと戻したその瞬間——フィナの周囲に、今度は先ほどを遥かに凌駕する魔術陣が、闘技場を埋め尽くすように一斉展開された。
「おいおいおい、嘘だろ……!」
アレクの顔が引きつり、フィナは静かに銀灰を構え、告げた。
「本番、行くよ」
アレクは一瞬の呆気の後に、愉快そうに喉を鳴らした。
「ハハハ! 来い!!」
二人が同時に地を蹴った。
両者の剣が正面から激突し、爆発した炎が二人を包み込む
そこからは、観客の目が追いつかないほどの怒涛の連打応酬だった。互いに守りを捨て、攻めだけで相手をねじ伏せるという強烈な気迫。
フィナの速度は、先ほどからさらに三段近く跳ね上がっていた、自身の現在の限界を遥かに超え、勝つためだけにすべてを注ぎ込む。
全方向から容赦なく迫るフィナの斬撃と魔術の嵐、だが、アレクはすべてを弾き返していく。
そして、その熾烈な連撃のわずかな隙間を見逃さず、アレクの剣が銀灰を強烈に弾き飛ばした。
高い音を立てて、銀灰がフィナの手から離れ、遥か上空へと舞い上がる。
「もらった!」
勝負は決した——誰もがそう思った。
だが、フィナの瞳に絶望の色は微塵もなかった。フィナは剣を失ったことも気にせず、まるでまだ右手に剣を握っているかのように、アレクに向かって鋭く腕を振るった。
その瞬間、魔力剣が瞬時に形成される。
「なっ!?」
アレクが咄嗟にそれを防ごうと剣を動かす、しかし、フィナはぶつかる寸前で魔力剣を自ら解除した。
アレクの剣は、存在しないフィナの刃を空振る、そして、通り過ぎた刹那、アレクの首元のすぐ横で、再び魔力剣を顕現させた。
「くっそ!」
アレクもまた極限状態、信じられない反応速度でそれを腕甲で弾くことに成功する。
だが、弾かれる直前、フィナはまたしても魔力剣を解除していた。反動を打ち消し、自身の体勢を崩さないために。
(地味……だが、強力だ!)
フィナの容赦のない連打は止まらない、実体のない剣を消しては生み出し、敵の防御をすり抜け、フェイントを織り交ぜる。
そのどれもが、アレクにとっては一撃で首を飛ばされかねない一撃必殺の制御。
(……魔力剣の制御に慣れてきたか、まずいな、抜け出せない)
アレクは認めざるを得なかった。自分はどこかで、フィナを有望な新人として評価し、同時に侮っていた。
フィナの才能を認めてはいた。だが、フィナは今、自分すらも見たことのない未知の領域へと足を踏み入れていた。
——そしてその時、アレクの意識の死角、背後。
連打と同時にフィナは上空へ弾かれていた銀灰を、目に見えない魔力の糸で結びつけ、自身の元へと引き寄せていた。
アレクは背後からの風切り音に即座に気づき、振り返りざまにそれを叩き落とす。
しかし——その瞬間、アレクの意識は、目の前のフィナから外れた。
ほんの一瞬の、致命的な油断。
気配を消したフィナが、アレクの死角へと滑り込んでいた。
冷たい感覚が、アレクの首筋を撫でる。
気づけば、フィナの手にする魔力剣の切っ先が、アレクの喉元にぴったりと突きつけられていた。
「……。」
会場全体が、水を打ったように静まり返る。
「……降参だ!」
アレクが両手を挙げ、爽やかに笑った。
その声を合図に、オルトーが喉が裂けんばかりの力強さで叫んだ。
「そこまで! 試合終了!!」
オルトーの声が闘技場に響き渡った瞬間——世界が、音を失った。
フィナもアレクも、その場の姿勢のまま動かない、観客席の冒険者たちも、あまりの結末に息を呑んだまま、石のように固まっていた。
宙へ弾かれていた銀灰が、乾いた音を立てて、刃が石床に突き刺さる。
その瞬間——闘技場が、爆発した。
「なんだ今の戦いは!!! 見ただろおい!?」
「ガチの殺し合いじゃねぇか!!」
「あの新人が……あのアレクを、本当に倒しちまったぞ……!!」
割れんばかりの歓声、悲鳴、驚愕、そして興奮、そのすべてが闘技場全体の空気を激しく震わせる。
フィナは激しく肩で息をしながら、地面に突き刺さっていた銀灰をゆっくりと引き抜いた。
その冷徹な刃には、まだ先ほどまでの激闘の熱がじんわりと残っている。
歓声と熱気が渦巻く中、アレクは大きく息を吐き出し、まとっていた炎の鎧を消し去ると、ゆっくりとフィナの方へと歩み寄った。
そして——大きな拳を、真っ直ぐにフィナへと突き出した。
「……最高だったぞ、フィナ」
その声は、戦場を震わせる咆哮とは違い、どこか誇らしげで、どこまでも温かかった。
フィナも少しずつ乱れた呼吸を整えながら、静かに自身の小さな拳を突き出し、応える。
「ん……アレクも、強かった」
軽い音が、二人の間で響く。
闘技場全体が揺れるほどの歓声の中、二人は互いの拳を軽く押し返し合う。




