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『最果を探す冒険譚』  作者: 灰那
第1章「この理想を、世界が許すまで」・ミオルタ編

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第22話「理想の背中」

 朝の空気は、刃のように澄み切っていた。

 森の奥深くまで、鳥たちのさえずりが透き通るように響き渡る。

 湿った土の匂いと、夜露を含んだ葉の香りが混ざり合い、歩くたびに靴底から柔らかな感触が返ってくる。


 フィナはその光景を見ながら、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた、翼蛇との戦いの余韻は未だに身体に残っているが、足取りは軽い。

 むしろ――早く剣を振りたい、そんな衝動が、身体の奥から湧き上がってくる。


 フィナとオリティスは、ミオルタから離れ、近くの森に来ていた、枝葉の間からこぼれる光が、二人の足元に揺れる模様を描く。

 オリティスが立ち止まりフィナの方に向くと、フィナは迷いなく口を開いた。


「剣の修行がしたい」


 オリティスはくすりと笑った。


 流れるような動作で、その腰から鍔のない黒刀が引き抜かれる。

 白昼の森に鋭い金属音が響き渡り、周囲の空気が一瞬にして張り詰めた。


「さあ、どこからでもかかってこい」


「んっ!」


 フィナも即座に応じ、銀灰を抜き放って構えを取る。


 まずは観察、呼吸を整え、視界の端まで意識を広げる。


(構えてない……?でも、隙が……ない)


 オリティスは剣の切っ先を地面に向け、自然体で佇んでいる。

 だが、その重心は微塵も揺るがない。静止しているにもかかわらず、あらゆる動の気配を内包していると、フィナの直感が告げていた。


 ──あの自然体こそが、あらゆる無駄を削ぎ落とした完成された型。


「考えても、始まらない……っ!」


 フィナは一歩激しく踏み込み、間合いを詰めると、銀灰を上段から一気に振り下ろした。


 だが──。


「狙いはいい。筋力がない者の体勢を崩しにいくには、正解の初手だ」


 銀灰が振り下ろされる瞬間、空気が裂けた。

 刃が風を切る音が、耳の奥で鋭く跳ねる。


 オリティスは、落ちてきた木の枝を拾うかのように黒刀を持ち上げた。

 金属同士が激突する硬い轟音が森の静寂を吹き飛ばし、驚いた鳥の群れが一斉に羽ばたいていく。

 激突の衝撃は、刃から柄へ、そしてフィナの手首、腕、肩へと容赦なく駆け抜け、容赦なく弾き飛ばした。


「くっ……!」


 ただ受け止められただけだというのに、銀灰の刀身が悲鳴を上げるように細かく震えている。

 対するオリティスの黒刀は、微動だにしていなかった。


 フィナは銀灰を地面に突き刺すことで何とかその凄まじい推進力を受け止める。


 しかし──。


「ん……っ!」


 休む間もなく、即座に真横へと跳躍した。


 直後、先ほどまでフィナが立っていた地面を、鋭い斬撃が駆け抜けた。

 凄まじい衝撃音と共に土が派手に裂け、無惨に断裂した木の根が露出する。


「……これは飛斬だ。基本中の基本の武技。放つ者の魔力と筋力に純粋に依存する、汎用性の塊だ。会得しておいて損はない」


 オリティスは淡々と語りながら、さらに容赦なく追撃の飛斬を放ち始める。

 空を裂いて襲い来る真空の刃を斜めに、水平に、そして垂直に──。


「見て、学べ」


「ッ──!」


 フィナは疾る。跳ね、地面を滑り込み、空中で身を捻る。

 次々と繰り出される斬撃の間隙を縫うようにして、迫る刃を鋭く弾き返した。


 フィナの視線が鋭くなる。


(見える……いや、感じる?)


 オリティスの動きは速すぎて視認できない。

 だが、空気の流れ、地面の震え、魔力の揺らぎ――それらが、まるで一本の線のように繋がって見えた。


(これ……昨日よりも、ずっと……)


 銀灰を握る手に自然と力が入る、身体が軽い。

 魔力の流れが、魔脈の中を滑らかに通っていく。


 オリティスの斬撃を避けるたび、フィナの中で何かが“形”になっていく感覚があった。


(もっと速く……なれる……ッ!?)


 しかし、次の瞬間、視界が歪んだ。

 気づけば目の前に、オリティスがいた。


(いつの間に!?)


 フィナは反射的に銀灰を振るい、オリティスはそれを平然と防ぎ、間髪入れずに鋭い反撃を繰り出してきた。

 銀灰と黒刀が再び激しくぶつかり合い、フィナは斬り下がりながら、必死に崩れかける体勢を立て直し、すぐさま地面を強く蹴り、再び間合いへと踏み込む。

 銀灰を即座に横に振るうが、オリティスは黒刀を傾け、刃の腹を使って滑らかにそれを受け流し、続けざまにフィナが突きを放ち。オリティスは半歩だけ後ろに引き、刃先を避けると、すぐさま手首を返して黒刀を打ち下ろした。


 フィナは咄嗟に銀灰を横に構え、その強烈な衝撃を正面から受け止める。


 両腕が激しく痺れ、骨が軋んだ、だが、フィナの心は折れない。

 奥歯を噛み締め、小さな身体で踏ん張る。


(……負けない……!)


 銀灰をずらし攻撃を曲げながら、オリティスの懐へと潜り込んだ。

 刃と刃が擦れ合い、甲高い金属摩擦の音が森に響き渡る。


 その刹那──突如として二人の間の空間が歪んで裂け、轟々とした禍々しい黒炎を撒き散らしながら、アジスイデアがその姿を現した。


『もう我慢ならんぞ!我も混ぜろ!心を割り語り合おうか塵芥!』


「来い」


『その意気、死に急ぐなよ、餌』


 黒炎が、容赦なくフィナの頭上へと降り注ぎ、フィナはそれをじっくりと見極め、回避に転じようと身体を沈めた──。


「戦場ではじっくりできる、機会はないぞ」


 冷酷な言葉と共に、オリティスの鋭い蹴りが真横から繰り出された。

 フィナは銀灰の腹で辛うじて受け止めるが、直後に黒炎の爆発に正面から巻き込まれる。


「うぁ……っ!」


 アジスイデアがフィナの身体を食い潰さんと襲いかかるが、フィナは咄嗟に銀灰を前面に押し出し、全力で止める。


『喰らえなかったか!』


 衝撃波によって、フィナの身体は後方へと大きく吹き飛ばされ、空間に浮遊するアジスイデアが、不満げに尾を揺らした。


『オリティス!手加減はいらんだろう!』


「はあ……いるぞ」


 フィナはその二人のわずかな会話の隙を見逃さず、着地と同時に再び距離を詰め、背後から鋭く飛びかかる。


 今度こそ、その身に一撃を──。


「ふふ、成長が早いな」


 そう言って、オリティスは振り返ることもなく、ただ黒刀をゆっくりと上げ、そして、静かに振り下ろした。


「うぐぅぅっ……!?」


 フィナは銀灰を横に構え、全力でそれを受け止める、しかし、その一撃に込められた力は、先ほどまでの比ではなかった。

 これまで戦ってきた嵐狼や、あの盗賊の頭領の力など、足元にも及ばない。


(お、重い……!斬られるんじゃない……潰される!)


 その力は真上から、逃れようのない圧力となってフィナの全身にのしかかる。

 足元の地面が陥没し、フィナは片膝を地につけながら必死に耐えた。


 次の瞬間、フィナの背後に展開された無数の魔術陣から、オリティスに向けて魔術が降り注ぐ。

 オリティスは、高く跳躍してフィナから距離を取った。


『オリティス、大げさではないか』


 オリティスは静かにフィナを見つめ直しながら言う。


「現時点では、修行相手は私しかいない。潰しても、生まれるのは“負けても仕方がない”という諦めだけ。希望を失ったまま修行しても、それは成長には繋がらない。」


『無理だろう、力の差がありすぎる、貴様に出来るのは、精々お手本だろう、先生の真似事は貴様の弟子たちの仕事だ』


「ときに正論を言うの、腹立つな。やめろ」


 二人の会話を余所に、フィナの瞳は真っ直ぐに目の前を見据えていた。

 フィナの背後には、いまだ幾重もの緻密な魔術陣が静かに明滅している。


「やはり……弟子の成長というものは、いつの時代に見ても、胸の奥から何かが湧き上がる」


『それは、我で言うところの“破壊衝動”だな』


「……自覚があったのか」


 フィナはゆっくりと構えを取った。

 自然な動きで、周囲の情報が絶え間なく脳に流れ込んでくる。


(なんだろう……体が熱い、でも、すごくスッキリしてる。なんでも、できる気がする)


『再び死線を潜る気か、塵芥』


「アジスイデア、下がれ」


『……今回だけだぞ』


 アジスイデアが退くと、フィナは銀灰の切っ先をオリティスへと向けた。


「行くよ」


「来い」


 瞬間、フィナの背後から網の目のような魔術の弾幕が放たれた、だが、オリティスは一歩も動かず、黒刀を静かに構えたまま。

 フィナもまた迷うことなく、自らが放った弾幕の中へと突撃する。


 それを迎え撃つように、黒刀が先端が煙から現れ、銀灰とぶつかり合い、火花が散る。

 渾身の力で振り下ろしたフィナの一撃は容易く受け流され、すれ違いざまにオリティスの容赦ない蹴りがフィナの横腹へと叩き込まれた。


「うぅぁっ!」


 衝撃に身体が宙へと舞うが、フィナの思考は停止しない。

 空中で強引に魔力操作を維持し、直後、オリティスが立っていた足元の地面を大爆発させた。


 しかし──遅い。オリティスはすでに、別の位置へ移動していた。


「魔力の発生はどうしても見えるものだ。いずれ、不可視にしろ」


 フィナが体勢を立て直す中、冷徹な教えの声が響き、そのまま、銀灰をオリティスへと投げ放った。

 オリティスはそれを軽く弾き飛ばす、だがその瞬間、フィナはすでにオリティスの死角へと回り込んでいた。

 魔力剣を形成し、踏み込みながら確実にその首元へ狙いを定める、しかし、振り返りざまに放たれたオリティスの左足が、フィナの軸足を刈り取り、姿勢を崩した。


 それでも、フィナの闘志は潰えない、弾き飛ばされた銀灰を糸状の魔力で手元へと引き寄せ、再びオリティスの背後を急襲する。

 命中する──そう確信した刹那、オリティスは最初から知っていたかのように、身をかわした。


 フィナはその躱された僅かな隙を逃さず、手元に戻った銀灰をしっかりと掴み、その勢いのまま斜め上から鋭く刃を振り下ろした。


 だが、黒刀はすでにそこにあった。


 銀灰が大きくかち上げられ、フィナの体勢が崩れる。

 その決定的な隙に、オリティスの黒刀が横から滑り込むようにして迫った。


 冷たい刃がフィナの頬をかすめ、鋭い風が肌を切られ、間髪入れずに放たれたオリティスの前蹴りに対し、今度は辛うじて銀灰による防御が間に合った。


 だが、防ぎきったにもかかわらず、衝撃だけでフィナの身体は遥か後方へと吹き飛ばされる。

 銀灰の刃を地面に擦りつけて何とか勢いを殺し、姿勢を立て直そうとした瞬間──オリティスはすでに目の前に迫っていた。


 黒刀がゆっくりと持ち上がる。


 空気が、激しく震える、大地が、悲鳴を上げるように軋んだ。

 森全体の温度が、一瞬にして数度下がったかのような錯覚さえ覚える。


(……重い)


 まだ刃は振り下ろされていないにもかかわらず、手の中の銀灰が恐怖を訴えるように震えている。

 刃と刃がまだ触れ合ってさえいないのに、握る両腕が感覚を失うほどに痺れていた。


「受け止めてみろ」


 その声は、どこまでも静かだった。

 だが、この世界のどこにも逃げ場などない。


(来る──!!)


 圧力が大気ごと世界を押し潰し、全身の骨に圧し掛かる。

 フィナは銀灰を斜めに構え、その圧力を必死にいなそうと試みた。


「受け流せるか」


 ──無理だった。どれだけ刃を傾けようとも、その絶対的な力の前には、あらゆる技術が粉砕される。


(考えろ……思いつけ……周りを!)


 瞬間、フィナは銀灰から手を離した。


「ほう」


 予想だにしない奇策。手加減の調整を強要されたことで、オリティスの姿勢がほんのわずかに揺らいだ。

 フィナはその一瞬の隙を見逃さず、両手に魔力剣を再形成し、魂の底から叫んだ。


「うらぁーっ!」


 その瞬間、オリティスは微笑み、フィナを“視た“。

 オリティスの右目が僅かに黒赤く染まる。


 悪寒が走る。


 本能が、恐怖心が、全細胞が叫んでいた――避けろ。


 鳥の声すら、遠くへ押しやられたように感じた。


 フィナの背筋を、氷の刃が撫で、決死の思いで横へ飛ぶ。


 直後、地面が抉り抜かれ、巨大な斬り傷が刻まれていた。


 言葉にならない。

 ただ、圧倒的な“格の差”だけが胸に残った。


 オリティスは静かに口を開いた。


「今のを避けられたのなら、十分だ……今日はここまでだ」


 黒刀を収め、背を向ける。

 フィナは膝をついたまま、荒い息を吐いた。


「い、今のは……?」


「黒銀――不可視の断絶の刃。私の存炉そんろが形作る、殺気の顕現」


 フィナはごくりと唾を飲み込んだ。


『塵芥、運がいいな。貴様、あれを喰らっていたら死んでいたぞ』


「……死んでた?」


『ああ。黒銀は断絶の概念を司る刃。斬れぬものは存在しない。弱点は――あれ自体が殺気の塊である点だ。だからこそ、お前のような未熟者でも、本能で回避できた』


 フィナの背筋に冷たいものが走った。

 オリティスに対して、初めて恐怖という感情を覚える。


 その怯えを察したアジスイデアは不快感を隠そうともせず、フィナの目の前まで顔を近づけると、縦に裂けた眼光でフィナを睨みつけた。


『ふん……努々忘れるな。貴様を喰らうのは、この我だ、貴様が恐怖する対象は、オリティスに在らず、我であるぞ』


 黒炎の竜は地を這うような低い声で唸り、さらに言葉を重ねる。


『オリティスは貴様に期待している。だからこそ、無理難題を押し付けることもあるだろう――貴様がその期待に応えられぬ日が来た時……その時こそ、我は本当に貴様を喰らう』


 フィナは静かに息を呑み、地面に落ちていた銀灰の柄を、力強く握りしめた。

 恐怖を乗り越えたその胸の奥で、小さくも決して消えない不屈の炎が灯る。


「絶対に、喰われない」


『くは、その意気、何時まで続くか見ものだ』


「フィナ、アストのところに寄るぞ、手加減を誤った」


「?」


 不思議に思ったフィナが手元の銀灰の刀身を確認すると──銀色の刃先が、僅かに、だが確実に欠けていた。


「……ッ!」


 呆然としながら、去っていくオリティスを見つめる。


「……オリティス!」


「なんだ?」


「さっきの一撃……どれくらい、本気だった?」


 オリティスは、足を止めずに答える。


「本気?私はわざわざ、赤子を相手にする時に本気を出さん」


 その言葉は、軽く放たれたはずなのに、フィナの胸に深く突き刺さった。

 悔しさでも、悲しさでもない。

 ただ――圧倒的な差を前にしたときにだけ生まれる、奇妙な高揚だった。


(私の……理想)


(どれほど……遠い?)


 銀灰を見つめながら、フィナは自覚する。


 森を吹き抜ける風が、戦いの熱をさらっていく。

 草の間に光る何かを見つめる、銀灰の欠けた刃が、夕陽を受けて淡く光っていた。


(追いつく……絶対に)

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