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『最果を探す冒険譚』  作者: 灰那
第1章「この理想を、世界が許すまで」・ミオルタ編

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第20話「外野のざわめき」

 洞窟から吹き出す、湿った空気には戦いの余熱がこもり、血と泥土の匂いが今も薄く漂っている。

 生還した冒険者たちは、肩で息をしながらも、死地を脱した安堵と確かな達成感を滲ませていた。


 封鎖された複数の出入り口には、見張りが立ち、網に掛かった盗賊たちが次々と縄で縛り上げられていく。

 怒号と鉄鎖の軋む音が混じり合い、先刻までの血戦とは質の異なる戦後処理の喧騒が、周囲に広がっていた。


 その中でも、ひときわ異常な厳重さで扱われている翼蛇の頭領は、全身に何重もの鉄鎖を巻き付けられ、四人がかりの屈強な冒険者に引きずられている。

 その肉体には魔力を強制的に遮断する魔道具が隙間なく付けられている。


 男は、泥に塗れ、意識を失ってなお異様な威圧感を放ち、皮膚の下で黒く脈打つ筋肉は、いまだに微かに震えていた。


「おい、こいつ……本当に人間かよ」


魔戒メーヴァスの力に手を染めてたらしい」


「……これの相手をして、よく五体満足で生きてたな」


「例の超新星だよ」


 遠巻きに男を運ぶ冒険者たちの間に、驚嘆と畏怖の混じった囁きが伝播していく。


 一方、洞窟の入り口ではアレクとアリエナが率いる救助班が、最後の人質たちを外の光の中へと連れ出していた。

 地獄から生還した人々の中には、涙を流しながらアレクの腕にしがみつく者もいる。

 アレクは温かい声をかけ、その隣でアリエナは傷や衰弱の度合いを丁寧に確認していった。


「……本当によく耐えたわね。もう怖がることはないわ」


 アリエナの言葉には、救い出せたことへの安堵が滲んでいた。

 歩行もままならない者を肩で支えながら、アレクは大きく息を吐き出す。


「これで全員だな……全員、無事だ」


「ええ。フィナちゃんたちが突破してくれたおかげね……」


 視界を塞いでいた岩肌が途切れ、眩い外の光が二人の視界を優しく照らした。


 出口の広場には、すでに戦闘を終えたフィナとオリティスが佇んでいた。

 フィナは未だに周囲の気配を少し警戒しており、オリティスは淡々とした様子で、周囲の喧騒を見渡している。

 アレクは大きく手を振り、声を張り上げた。


「二人とも、無事だったか!」


 オリティスが気づいて軽く手を振り返す。

 アレクは笑みを崩さないまま、二人の元へと歩み寄った。


「いやぁ……お前らが奥で派手に大暴れしてくれたおかげで、こっちは楽させてもらったぜ」


「ん。アレク達も、がんばった」


 フィナの裏表のない素直な労いに、アレクは照れくさそうに頭をかいた。

 彼らの会話を遮るように、広場の中央から、オルトーの声が響き渡った。


「──総員、聞け!」


 雑然としていた冒険者たちの視線が一斉に一箇所へと集中する。


「翼蛇は一網打尽、全員の身柄を拘束し、囚われていた人質も全員救出!今回の報酬分配は街へ帰還した後に執り行う! 各員、本日の戦果を誇りに思うがいい!」


 その宣言に、広場を埋める冒険者たちから安堵と達成感の入り混じった、歓声が上がった。

 オルトーは間髪入れずに次の指示を飛ばしていく。


「感傷に浸る時間は短めにしろ! 捕らえた賊は荷台へ詰め込み、頭領は魔力封じの拘束を二重にして厳重に移送しろ!救助班は引き続き人質の容態を見ておけ!馬車の準備が整い次第、即座に出発する!」


 号令とともに、冒険者たちが一斉に動き出す、鉄鎖の擦れ合う硬い音、荷台の軋み、人質を気遣う声。

 その喧騒から少し離れた木陰で、オリティスたちは待機していた。


 フィナはふと、生い茂る木々の隙間から空を見上げた。

 青かった空は、いつの間にか燃えるような夕暮れの色に染まり始めている。

 戦いの高揚と熱気が引いていくにつれ、肌を撫でる冷たい夜風が、ようやくフィナの身体に日常の感覚を思い出させていた。


「……オリティス」


「なんだ?」


 フィナは少し首を傾げ、引っかかっていた言葉をぽつりと口にした。


魔戒メーヴァスって……なに?」


 オリティスは静かに息を吐き、淡々と説明を始めた。


魔戒メーヴァスは、一時的に“魔脈の回転率”を限界を超えて底上げする薬物だ。体内の魔力の流れを、強制的に暴走、加速させる」


「……お薬?」


「そうだ。だが、お前が想像するような治療薬ではない」


 オリティスは、鉄鎖でがんじがらめにされた頭領の巨体へ、冷徹な一瞥をくれる。


「材料は、魔物の魔核から抽出される魔素。魔物の階位にもよるが……1つを生成するのに、醜精コバロイの魔核なら数百体分の魔核が必要となる」


 フィナの大きな瞳が、驚きで丸くなった。


「数百……?」


「ああ。大型組織や、国家規模でなければ製造すらできない。盗賊団如きが持ってるのは気がかりだが、何より、あれは本来“人間が使うもの”ではない」


「……誰が、使うの?」


魔戒メーヴァスは、魔族で使われている。重い荷物の運搬の為、彼らが飼い慣らした魔物や家畜に与えて肉体を駆動させる。動物に使用する場合は、あっちでは“魔贈メーフル”と呼ばれている」


 背後でその会話を聞いていたアレクとアリエナが、驚愕に目を見開いた。


「魔族の技術……? おいおい、そんな話、協会の資料でも見たことがないぞ……」


「魔族が誤解されるからな」


「でも、納得だわ。魔族の領地に棲むような魔物や動物に使う薬を、人間がそのまま扱えるわけがないもの」


 フィナは小さな頭を働かせ、さらに疑問を口にする。


「……人間が、それを使うと?」


 オリティスの声音が、わずかに温度を下げた。


「魔脈が自壊する。一度でも手を出せば、薬の効力が切れた後は、その薬の刺激なしには二度と魔脈が機能しなくなる」


 フィナは小さく息を呑んだ。


「……壊れるの?」


「魔脈とは本来、器の魔力の流れに合わせて、自然に律動し、回転しているものだ。それを外部の薬で無理やり回転させれば、当然、肉体に歪みが生まれる。元が魔物用の薬だ、人間が使えば壊れるのも明白だろう」


 フィナはもう一度、遠くの荷台へと運ばれていく頭領を見つめた。

 鎖に縛られたその巨体は、黒く澱んだ魔力の残滓をまとっている。


「……だから、あんなに、変に強かった」


「強かった、か。それはどうだろうな」


 オリティスはわずかに目を細め、冷ややかに首を振った。


「そもそも魔戒メーヴァスは“魔脈の回転を速める”だけだ。魔力制御を助けてくれるわけではない。どれだけ魔力の回転が速くなろうとも、人間の脳の処理速度が追いつかなければ意味がない」


 アリエナが眉をひそめる。


「つまり……実戦じゃ使い物にならないってこと?」


「出力を制御しきれず、結果的にはただの自傷行為だからな」


 アレクが呆れ果てたように吐き捨てた。


「じゃあ、あの頭領の野郎……中身はスカスカのまま、ただ無茶苦茶に暴れてただけかよ」


「そうだ。だが──魔戒メーヴァスを使用している本人は、脳が麻痺し、全能感に満たされる。自分が全く制御できていないことに気づかない」


 周囲の冒険者たちが次々と集結し、捕虜や物資が荷台へと収容されていく。

 まだ戦いの熱い余韻が残る空気のなか、フィナとオリティスは準備を整え、帰還する馬車の列へと向かおうとしていた。


 そのとき、低く、よく通る声が背後から響いた。


「オリティス、フィナ。すまないが、ちょっと来てくれ」


 振り返ると、オルトーが腕を組んで立っていた。


「どうした?」


 オリティスが足を止めると、オルトーは周囲を鋭く一瞥し、低い声で囁いた。


「二人とも、先頭の指揮馬車に乗ってくれ。少し込み入った話がある」


「ん?」


 フィナが不思議そうに首を傾げると、オルトーは苦笑を漏らした。


「悪い話じゃない。むしろ……お前たちにとっては良い報告だ。ただ、ここで大っぴらに話すような内容ではなくてな」


 周囲を見渡せば、戦いを終えた冒険者たちが疲弊した顔で地面に腰を下ろしたり、仲間内で戦果を語り合ったりしている。

 だがその中には、フィナたちの姿を遠巻きに、探るような視線で追っている者たちも少なくなかった。


 オリティスはその無遠慮な視線の意図を察知し、微かに肩をすくめた。


「構わん、行こう」


 フィナも「ん!」と元気よく頷き、二人はオルトーの背を追って歩き出した。


 馬車の列の中でも、最前列に配された指揮馬車はひときわ大きく、重厚な造りをしていた。

 内部は防音と揺れを軽減する特殊な工夫が施されており、外の喧騒が嘘のように遠のいていく。

 オルトーが重い木製の扉を開けた。


「乗ってくれ。移動しながら説明する」


 フィナが軽やかな身のこなしで乗り込み、オリティスがその後に続く。

 扉が閉まると同時に、オルトーが御者へ向けて短く合図を送った。


 馬車がゆっくりと動き出す。


「ん……もう少し、戦いたかった」


 フィナがぽつりと小さく呟くと、隣に座ったオリティスが愛おしそうに目を細め、その柔らかな髪を優しく撫でた。


「あれだけ暴れておいて、まだ物足りないのか」


 心地よさそうに目を細めたフィナは、すっかり毒気を抜かれた様子で「ん」と小さく応じる。


 オルトーは向かいの席に腰掛け、安堵の息を漏らした。


「すまんな、わざわざ呼び立てて。……まずは、三日ぶりだな、フィナ。見ない間に、お前は随分と強くなったな」


「ん!」


 オルトーに褒められ、フィナの表情が照れくさそうに微笑みながらも、その胸はどこか得意げに膨らんでいる。

 馬車の揺れが落ち着いた頃、オルトーは表情を引き締め、二人へと向き直った。


「さて……本題に入ろう」


 その声が、明確な重みを帯びる。


「今回の討伐任務における、お前たち二人の活躍はまさに目を見張るものがあった。盗賊団の頭領を撃破し、捕虜を迅速に救出……同行した金錬赤アティアたちも、お前たちへの評価は高い」


 オルトーは一拍置き、確信に満ちた声で告げた。


「作戦が決行される前に、蒼閃長と相談をしていたことがある、お前たち二人をファールスまで昇格させることだ。これは、協会の裁量だけで一気に引き上げられる上限の階位でもある。正直、お前たちのような怪物をいつまでもファスに留め置いては、周囲の冒険者の実力評価の基準が狂ってしまうからな」


「まあ、そうだろうな」


 オリティスは驚きもせず、涼しい顔で応じる。

 オルトーの声が、わずかに低く沈んだ。


「当然、昇格は、余計な雑音を生む。すでに協会で絡まれているらしいが、疑問や不満を抱く連中も出てくるだろう、そこで、金錬赤アティアとも少し話した……」


「──模擬戦か」


 オリティスが先を先を読み、退屈そうに言葉を挟む。


「その通り、公の場で実力の差を見せつける。それこそが、雑音を最も封じ込める手段だ。それに、お前たちにとっても、金錬赤アティアとの手合わせは得られるものが大きいはずだ……オリティス、お前の相手はアリエナ。フィナ、お前の相手はアレクだ」


 車内に一瞬、沈黙が流れた、だが、それを吹き飛ばしたのは、フィナの歓喜の声だった。


「やる! アレクと、戦ってみたい!」


 迷いもない即答には、武への飢えが含まれていた。


 オリティスが愉しげに微笑む。


「……わざわざ確認するまでもなかったな」


「よし、模擬戦の期日は三日後とする。急ぐ必要はない、今日は街に戻ったらぐっすり眠り、備えろ」


 街へ帰還した冒険者たちが広場にずらりと整列し、門兵と冒険者協会の職員たちによる報酬の分配が行われていた。

 戦闘への貢献度、回収した略奪品の価値、そして救出実績の重さに応じて、ずっしりと重い金貨の袋が次々と手渡されていく。

 報酬を手にするたび、冒険者たちの間に生還の喜びが広がっていく。


 ──そして、最も多くの報酬を受け取ったのは、フィナたちだった。


 周囲からは驚嘆や尊敬、あるいは実力を認める納得の視線が送られる一方で、同時に、嫉妬や羨望の眼差しも少なからず混じっていた。


「……おいおい、あのガキが一番多く貰うのかよ」


「文句はないだろ?一番最初に洞窟へ突入して、道を切り開いたのはあいつらだ」


 そんなひそひそ話が漏れ聞こえるなか──。


「おい! 不公平だろ、こんな不条理が許されるのかよ!」


 突如、広場に響き渡る不快な大声。

 声を荒げたのは、出発前の冒険者協会でフィナたちに絡んできた、頭の禿げた中年冒険者。


「どうせ、金錬赤アティアの奴らの後ろに隠れて、安全な場所で甘い汁を吸ってただけだろ!? コネと若さだけで美味い報酬をかっさらいやがって、ふざけんじゃねえぞ!」


 その怒号に、周囲の空気がざわついた。

 事情を知らない一部の冒険者たちが、同調するように小さく頷き始める。


 アレクが額に青筋を立て、凄まじい威圧感を放ちながら一歩前に出ようとした。


「テメェ、いい加減に──」


「待ちなさい、アレク」


 アリエナが腕を伸ばし、アレクを制した。


「ここで私たちが感情的に反撃しても、煽るだけよ。むしろ、フィナちゃんたちの立場をさらに悪くする」


 歯を食いしばるアレクの横で、件の“当事者”たちは。


「ふわぁ……ん……」


 フィナは眠気に耐えかねたように小さな口を開け、呑気に大きなあくびをしていた。


「よく吠えるな」


 オリティスはあくまで冷徹に、無関心を装って呟いた。


「アリエナ、アレク、私たちは一足先に宿へ戻る。この子が限界だからな」


「え、ええ……じゃあ、また後でね!」


「おう、またな!」


 二人が喧騒の冒険者協会を後にしようとしたその瞬間、背後から禿げた中年が再び、負け犬の遠吠えを上げる。


「おい、図星だからって逃げるんじゃねえぞ、コラァ!」


 だが、その見苦しい叫び声に振り返ることはなかった。

 背を向けたまま、フィナとオリティスは静かにその場を立ち去った。


 宿へと続く静かな道すがら──。


「……すぅ……ん……」


 歩きながら深い眠りに落ちてしまったフィナを、オリティスはに背負い、優しくおんぶしていた。

 夕暮れ大量の冒険者の帰還と共に屋台がより一層、忙しくなり、帰り道は騒がしい、しかし、フィナはその中でもぐっすり寝ていた。

 そのまま、縁荘亭へと戻ってくると、店の前で老女の店主が、微笑みで出迎えてくれた。


「おかえり。ずいぶんと大がかりな獲物だったって聞いたよ。お前さんも、その小さなお嬢ちゃんも……本当によく頑張ったね」


 老女はそっと、オリティスの背で眠るフィナの頭を、優しく撫でる。

 老女は夕暮れの空を見上げながら、ぽつりと深い言葉を呟いた。


「……外野の評価なんざ、いちいち気にするんじゃないよ。自分たちの信じた道を真っ直ぐに歩いていきな。そうすれば、そんな安っぽい雑音なんざ、自然とお前さんたちの足音で掻き消えるさね」


 オリティスは美しい微笑を浮かべ、背中の重みを感じながら軽く手を振った。


「……ふふ、そうさせてもらう」


 オリティスが静かに階段を上り、部屋へと向かっていく後ろ姿を見届けた後、老女は小さく肩をすくめて苦笑した。


「まあ……年上に言っても、きっと分かってるだろうけどね」


 静寂が支配する、穏やかな夜。

 部屋に戻ったオリティスは、フィナの小さな身体を壊れ物を扱うように丁寧にベッドへと寝かせ、愛らしい寝息を確認すると、ひとつ息を吐き出した。


「……外野の声、か」


 月明かりが静かに差し込む窓辺に腰掛けながら、オリティスは徐々に表れ始める星々に向けて、こぼす。


「この子には、最初から届いてすらいない……こんなにも広大で美しい世界を旅する少女の耳に、ちっぽけな羽音なんて──届くわけがない」

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