第16話「喧騒の底に潜む影」
冒険者協会の入り口。
いつの間にか開いていた両開きの扉の前に、二つの影が立っていた。
その通る声に、冒険者協会中の視線が、男から一斉にそちらへと振り返る。
逆光の中に立つのは、一人の紅髪の青年と、その隣で無邪気な笑みを浮かべる魔術師の少女だった。
青年は、燃えるような紅の髪を後ろで無造作に束ね、その奥で獲物を狙う鷹のような鋭い蒼い瞳を光らせている。
均整の取れた強靭な体躯に、上質な革鎧。そして腰には使い込まれた長剣が下げられている。
その隣に立つ少女は、春の陽だまりのように柔らかな金髪を肩口で揺らし、大地の泥のように落ち着いた深い緑の瞳を持っていた。
彼女が纏う深緑のローブには、一目で高位と分かる複雑な魔術陣の地紋が金糸で刺繍され、腰には小さな革ポーチと、魔力を帯びて微かに光る鉱石のお守りがいくつも吊るされている。
ただ立っているだけで、場の空気を支配するような強烈な存在感。
「お、お前らは……!」
冒険者協会の一角、吹き飛ばされた禿頭の男が地べたに這いつくばりながら目を見開いた。
「オリティスさんとフィ……って、あっ!」
その時、ミルフィが報酬の袋を手にして戻ってきた。
ふと顔を上げると、入口の二人に気づいて、ぱあっと表情を輝かせる。
「アレクさん、アリエナちゃん! お帰りなさい!」
アレクとアリエナの姿を見た瞬間、囁きがあちこちから聞こえ、ギルドの空気が一段と賑やかになる。
アレクはその視線すべてを喝采と受け取ったらしく、胸を張って両手を広げた。
「おお、麗しき黄金の声……ミルフィよ!」
紅髪の青年──アレクと呼ばれた男が、両手を広げて一歩進み出ると、薔薇でも舞いそうな優雅な姿勢で名乗ろうとした。
「俺は君の運命を変えるために生まれてきた! この魂は今日、ようやく――」
突如、少女──アリエナが召喚した岩の槌が、アレクの頭に炸裂した。
「長い!キモい!うざい!」
「ははは! 嫉妬か、アリエナ! 君はその胸をもっと誇って――」
今度は岩石が真横から男の顔面にめり込む。
だが、アレクはなぜか涼しい顔で笑っていた。
「新たな愛情表現か。全て受け入れよう……!」
「殺すっっ!!」
その騒がしさの中、オリティスとフィナはすでに彼らを無視し、静かにミルフィの前に到着していた。
「はいっ、こちらが依頼達成の報酬になります!」
ミルフィはそう言って、しっかりと封をされた革袋を2つ差し出した。
それを受け取ったオリティスは、両方そのままフィナに手渡す。
「ん?」と首を傾げたフィナに、オリティスは優しく告げた。
「これは、お前が倒して達成した依頼だ。だから、受け取るのもお前。当然のことだ」
袋を抱えたフィナの目が輝いた。
「んっ!」
「まあ、邪魔になるから、亜空間に入れようか」
嬉しそうに頷くその姿に、ミルフィもほっこりと微笑む。
するとアリエナと呼ばれた少女がこちらに来た。
「……アンタたち、見ない顔ね? 名前ぐらい聞いといてあげ――」
――そのときだった。
アレクはふらりと立ち上がると、オリティスを見た瞬間、瞳孔が開いた。
「……あれは……光……?」
アリエナが眉をひそめる。
「は?なに言ってんのよ、アンタ」
だがアレクは聞いていない。
まるで何かに取り憑かれたように、ふらふらと一歩、また一歩と前へ。
その姿に、周囲の冒険者たちがざわついた。
「おい、アレクがまた始まったぞ」
「今日はいつもより重症じゃねぇか?」
「アリエナちゃん、止めなくていいのか?」
「止められんのか?」
アリエナが額を押さえた瞬間――。
「アアアアァアァァ!!」
アレクは叫びながら全力疾走した。
アレクは止まらない。
燃えるような瞳で一直線に――オリティスの元へ。
そのまま、彼は滑り込みでオリティスの目の前に膝をつき、完璧な跪拝の姿勢で頭を垂れる。
「この瞬間のために、俺は生まれた……ああ、なんという気高き光よ! どうか、どうか、名を聞かせてはくれぬか、僕の姫よ!」
オリティスは一拍の沈黙のあと、くすっと微笑んだ。
「変わった人だな。私はオリティス。そして、こっちがフィナだ」
「オリティス……!」
まるで宝物のようにその名を反芻するアレク。背後でアリエナが頭を抱えていた。
「……き、今日、一段と舞い上がってるわね……」
跪くアレクに、フィナの眉がぴくりと動いた。
胸の奥が、ちくりと痛む。
(……なに、こいつ)
オリティスに向けられる視線が、気に入らなかった。
嫉妬、もっとも原始的な拒絶に近い感情。
アレクがさらに身を乗り出した瞬間――。
「変態!」
声と同時に、フィナの足が地面を蹴った。
一瞬の加速、そして――。
アレクは吹き飛んだ。
冒険者協会の大扉を突き破り、空を舞いながら冒険者協会の外へ消えていく。
「くはっ!!」
誰もが目を見開くなか、フィナはオリティスに抱きつき、ぷいっと膨れた顔で言った。
オリティスはふっと笑みを浮かべ、フィナの頭を優しく撫でた。
「いい子だ」
アリエナは呆然とその光景を見ていた。
「……何この子」
冒険者協会の外に吹き飛ばされたアレクは、まるで何事もなかったかのように、鼻歌交じりで戻ってきた。
「ただいまだ!」
その姿に、フィナはぽかんと目を見開いた。
(本気で蹴ったのに……無傷……?)
フィナの中に、ほんの少しだけ、戦慄が走る。
自分の全力を受け止め、なお平気な顔で戻ってきたこの男。
強い。そう思わざるを得なかった。
アリエナが近づいてくると、オリティスは一瞬だけ彼女の魔力の流れを観察した。
(……才はフィナと並ぶほどか。こんな帝国の辺境に……いや、辺境だからこそか)
アリエナの周囲の空気は、土の匂いを含んでわずかに重い。
魔力が濃い者特有の圧。
砂粒が自然と浮き上がるのは、魔力が“地脈”と共鳴している。
そこでアリエナが元気よく手を挙げて言った。
「オリティスとフィナね! よろしく!」
アリエナは胸を張り、腰に手を当てながら続けた。
「私はアリエナ・リース! 大地の魔術を扱う魔術師よ」
「そして俺だ!」
アレクは胸に手を当て、まるで舞台の上に立つ役者のように一歩前へ出た。
「アレク・ロウザン! 剣士にして帝国軍騎士団の元訓練生! まあ訓練生と言っても故郷で訓練していた程度だが」
アレクが胸を張って名乗ると、周囲の冒険者たちがまたざわついた。
「帝国騎士団の訓練生だったって話、本当だったのか」
「いや、あいつの言うことは半分くらい盛ってるからな……」
「でも剣の腕は確かだぞ。前にオルトーさんと模擬戦して、三分もったらしい」
「三分だけか?」
「三分はすげぇだろ!」
アレクは胸を張り、誇らしげに言った。
「俺たちは幼馴染で、帝国の同じ村で育った。冒険者登録した日からずっとパーティの名は金錬赤!」
「そうそう。金の魔力と赤い剣閃が混ざって、周りが勝手に呼び始めたのよ、まあ、悪くはないけどね!」
アリエナがにやりと笑う。
アレクはさらに続けようと口を開いた。
「そして俺は、数多の女性を守――」
「黙れ」
アリエナの拳がアレクの後頭部に落ちた。
周囲の冒険者たちがどっと笑い、空気が一気に明るくなる。
アリエナはフィナの前にしゃがみ込み、優しい笑みを向けた。
「ま、こんな感じで騒がしいけど、実力は保証するわ。よろしくね、オリティスさん、フィナちゃん!」
フィナはこくりと頷き、短く返した。
「ん。よろしく」
その一言に、アリエナは胸を押さえて悶絶した。
「かわいい……! なんでこんなにかわいいの……!」
アレクが腕を組み、真剣な顔で言った。
「フィナ、君の名はすでに俺の心に刻まれた。この出会いは運命だ。星々が導いた奇跡だ。俺は――」
「長い!!」
アリエナの拳が容赦なくアレクの腹を撃ち抜いた。
「ぐふっ!今のはいい一撃だった!」
協会中が笑いに包まれた。
自信満々に胸を張るアリエナ。その勢いのまま、ツンツンとフィナに近づく。
「あんた、本当にルキなの?嵐狼を一人で倒したって……どう考えても、おかしいわよ!」
フィナはちょこんと頷いた。
「……ん、まだルキ」
その可愛らしさにアリエナが悶絶する。
「なにこの可愛い生き物!?抱いてもいい?撫でてもいい!?」
許可を得る前に、アリエナはしゃがんでフィナの頭を撫でた。
その様子を見ていたアレクが、腕を組みながら言った。
「確かに、再評価の必要があるな。星々の煌めきすら霞む絶世の少女、銀の刃を操る戦乙女――」
「長いわ!!そろそろ元に戻りなさい!」
アリエナの拳が容赦なくアレクの腹にめり込んだ。
「ぐふっ!」
もはや様式美だった。
だが――ふと、空気が変わった。
笑い声が、ひとつ、またひとつと消えていく。
空気が重く沈み、誰かが唾を飲む音すら響いた。
まるで、見えない巨獣が階段の上に立っているかのような圧。
フィナが振り返るより早く、階段の上から重い足音が響いた。
その音だけで、冒険者たちの背筋が伸びる。
そして――。
「――皆の者、聞けッ!!」
冒険者協会の空気がピリリと張り詰める。
階段を下りてきた──オルトーが、広間の中心に立ち、重低音の声を轟かせた。
その一声で、冒険者協会にいた全ての冒険者たちの視線が集まる。
「盗賊団の潜伏場所が特定された!」
ざわっ……と、空気が騒然となる。
「対象は翼蛇の名で知られる盗賊団!違法な奴隷商人との関係の噂もある、極めて危険な相手だ!」
冒険者たちの表情が引き締まる。
「だが、奴らの拠点の場所が割れた以上、我らとしては動かねばならん!依頼を出す!討伐任務だ!」
オルトーはぐるりと周囲を見回し、そして叫ぶ。
「人数制限はなし!階位制限もなし!だが、当然ながら――参加は自己責任だ!!そして、この話はくれぐれも漏らすな!まあ、明日には跡も残ってないだろうがな!」
冒険者協会中がざわめきと熱気に包まれた。
「……早かったな」
オリティスが小さく呟く。
フィナは視線をオルトーに向けたまま、拳を握っていた。
その手には、ほんのりと魔力が灯っている。
その隣でアリエナが笑った。
「ふふ……面白くなってきたわね、私達も参戦しようかしらね?」
「ん!」
力強く頷くフィナに、アレクもウィンクを1つ飛ばす。
「ならば、君と共に戦場を駆けよう!騎士の誓いを、今ここに!」
「長いわ!」
冒険者協会の熱気は一層増していく。
冒険者協会の熱気が高まる中、オルトーの声が再び響いた。
「静まれッ!!」
その一喝で、ざわついていた冒険者たちが一斉に口を閉ざす。
巨体から放たれる圧は、まるで戦場の咆哮のようだった。
「詳細は後ほど作戦会議で伝える!だがまずは――」
オルトーは、ゆっくりと視線を巡らせた。
「今回の敵は、ただの盗賊ではない。奴らは組織化され、武器も資金も潤沢。そして……人さらいの疑いが濃厚だ」
その言葉に、場の空気が一段と重くなる。
「……人さらい?」
フィナが小さく呟いた。
その声は小さかったが、アリエナがすぐに反応する。
「そうよ。翼蛇は昔から噂があったの、帝国でも名前が出るくらいの悪党よ」
アレクが腕を組み、真剣な表情で続けた。
「その尻尾を掴めた。それほど、今回の討伐は重要だ、放置すれば、ミオルタだけじゃなく周辺の村も危険になる」
フィナは拳を握りしめた。
オルトーは続ける。
「参加希望者は、今日中に受付で名前を記入し会議に出席しろ!」
その宣言と同時に、冒険者たちの士気が一気に高まった。
「よっしゃああああ!!」
「盗賊なんざぶっ潰してやる!」
「金になるぞ、これは!」
その時、ミルフィが慌てて駆け寄ってきた。
「オリティスさん、フィナちゃん!さっきの討伐報酬、追加分の査定が終わりました!」
「追加?」
ミルフィは頷き、書類を差し出した。
「はい!嵐狼の素材が想定以上に状態が良くて……特に魔核の純度が高いんです!普通は戦闘で砕けるはずの物なので、とっても珍しいですよ!」
「……ん、運が良かった」
アリエナが即座に突っ込む。
「運じゃないわよ!あんたの実力でしょ!」
アレクも頷く。
「そうだとも。実力を謙遜するのもいいが、己の強さを理解し、自信を持つのも力となる」
ミルフィはフィナに袋を手渡した。
「とにかく、これはフィナちゃんの正当な報酬です。明日の作戦受けるなら、気をつけてくださいね、相手は魔物ではなく、人間ですから」
「ん。ありがとう」
フィナは袋を抱え、嬉しそうに頷いた。
その姿を見て、オリティスが言う。
「さて、会議とやらに出ようか」
「ん!」
フィナは元気よく返事をし、オリティスの後ろにぴょこんとついていく。
その背中を見送りながら、アリエナがぽつりと呟いた。
「……あの人たち、絶対ただ者じゃないわね」
アレクは真剣な眼差しで頷いた。
「間違いない。あの小さな背中……とんでもないる、特にオリティス、戦いたくはないな、絶対ぇに」




