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「最果の物語」  作者: 灰那
第1章・中央大陸編「この理想を、世界が許すまで」

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第15話「新たな嵐の訪れ」

 静かな足音と共に──重厚な執務室の扉が開かれた。


 姿を現したのは、女オリティスと、その後ろにピタリと付き従う小柄な少女フィナ。

 ミオルタ冒険者協会の長であるメイランテは、立ち上がり、努めて穏やかな微笑みを浮かべて二人を迎えた。

 だが、その胸の奥では、警鐘のように心臓が大きくひとつ跳ねていた。


「ようこそ、オリティスさん、そして……フィナさん。先ほどの活躍については報告を受けております。ミオルタを代表し、心より感謝いたします」

 

 オリティスは短く微笑んだ。


「……どうやら、誤解は解けたようだな」

 

「……はい。どうぞ、お掛けください」


 促され、二人が客用のソファに腰を下ろす。

 その瞬間、部屋の空気がわずかに、だが確実に変わった。重力が一段階増したかのような、圧倒的な存在感。


(この人物に、決して敵意を向けてはいけない。扱いを誤れば──ミオルタが滅ぶ)

 

 メイランテは悟られないように深く息を吸い込み、覚悟を固めて自身の席へと深く腰掛けた。先ほどまでの張り詰めた警戒の糸は解き、誠実な対話の空気を作る。


「……まず最初に。ミオルタの冒険者たちを救っていただき、本当にありがとうございます」


 その言葉に、オリティスは静かに頷き、隣のフィナは背筋を少し伸ばして、誇らしげに「ん!」と胸を張った。

 その年相応の可愛らしい仕草に、メイランテは張り詰めていた口元を思わず緩めた。


(この子が、フィナさん……)


 だが、すぐに表情を引き締め、手元の書類に視線を落とす。


「そして、門番のアルからも報告を受けています。あなたたちの話にあった“レイク”という人物──彼が関わっていたという盗賊の件、間違いありませんね?」


 視線が二人に向けられる。

 オリティスは頷き、フィナもまた短く「ん!」と頷いた。だが、今度のその顔には、先ほどの無邪気さはなく、確かな戦士の真剣さが宿っていた。

 嘘ではない。揺らぎのない澄んだ瞳が、それを何よりも物語っている。


「……なるほど」

 

 メイランテは納得したように頷き、ペンを取って記録を始めた。


 その静寂を縫うように、オリティスが淡々とした声で尋ねる。


「それで、冒険者協会は今後どう動くつもりだ?」

 

「まずは、捕らえたレイク本人に厳密な事情聴取を行います。背後関係と所属組織の確認。……必要とあらば、帝国の取締部隊に引き渡す手筈も整えます」

 

 オリティスの目が細くなる。


「……疑わないのか?」

 

 試すような声音。メイランテは一度だけ深く息を吸い、静かに言葉を紡いだ。


「盗賊問題は、辺境の都市や街、村にはつきものです。ですが──このミオルタ周辺の盗賊問題は、少し事情が複雑なのです」


 オリティスが眉をわずかに上げる。


「昔は、盗賊たちはもっと活発に、かつ無秩序に動いていました。街道の襲撃も多く、我々が討伐隊を出して捕らえる機会も多かった。しかし……ある時期を境に、ぱったりと表舞台から姿を消したのです。まるで、高度な統制を敷かれたかのように」

 

「……結託か」

 

「はい。間違いなく」


 メイランテは書類を閉じ、指先で机の上の地図を軽く叩いた。

 そこには、ミオルタ周辺の森や街道に、不自然なほど規則的に配置された赤い印がいくつもつけられている。


「ですが、その不審な動きに対して、街の騎士や兵士を探索に出すわけにもいかないのです」


 話を聞いていたフィナが、不思議そうに首を傾げる。

 

「なんで?」


 メイランテは苦笑し、小さな恩人へ向けて丁寧に説明を続けた。


「今でこそ、このミオルタは“元前線基地”という位置づけに落ち着いていますが、本質は何も変わっていません。未知の脅威である喪失メメントモリに対する防衛線としての役割は、今も続いているのです」

 

 オリティスが静かに頷く。

 

「……未知の脅威に対し、常に一定の兵力を割いておかなければならない」

 

「その通りです。それに加えて──大竜帝国と狼簒国の国境での睨み合いも続いています。政治的な緊張は、いつ崩れて火蓋が切られてもおかしくない。そんな一触即発の状況下で、見えない盗賊の探索に兵士を動かしてくれと領主や軍に要求するほうが酷でしょう?」


 メイランテは肩を落とし、疲労の色が濃い苦い表情を浮かべた。


「だからこそ、我々協会が冒険者に依頼を出し、探索と治安維持を主体として任せていました」

 

「依頼……でも、下の掲示板にはなかった」

 

「はい。依頼はすべて取り下げました」

 

「依頼を出したことで、動いた冒険者に被害が集中したんだな」

 

 オリティスの鋭い指摘に、メイランテの表情が一段と険しくなる。


「はい。盗賊の動きを探る依頼を受けた者ばかりが、襲撃されました……本来なら、もっと早く動くべきでした。ですが、冒険者の被害が増えるたび、協会内部の空気も荒れていきましてね」


オリティスが静かに問う。


「内部の空気?」

「ええ、協会の上層部は何をしている、街の兵士を動かせ、と、冒険者たちからの不満が爆発寸前まで膨れ上がりました。しかし、彼らの言う通りに兵士を動かせば、今度は街の防衛そのものが薄くなる。帝国と狼簒国の緊張が続く中で、それはミオルタの滅亡に直結する致命的な隙となります」


 メイランテは痛むこめかみを指で押さえた。


「……板挟みでした。冒険者を守りたい。街も守りたい。でも、どちらかを優先すれば、必ずどちらかが犠牲になる」


 メイランテは自嘲気味に笑ったが、その瞳の奥には決して折れない為政者の炎が宿っていた。


「だからこそ、今回レイクという人物を捕らえられた功績は、計り知れません。私としても、ようやく掴んだこの“糸”を手放すわけにはいかない」

 

 メイランテは机の上で両手を強く組んだ。

 

「多少荒い手段を使ってでも……情報は必ず引き出します。このミオルタの安全と、無念に散っていった者たちのためにも」

 

 オリティスは静かに目を閉じ、ゆっくりと頷いた。


「……そうか。それなら、安心して任せられる」


 フィナも師匠に倣うように、「ん」と力強く頷いた。

 やるべき対話は終わった。メイランテは少し姿勢を正して問いかける。


「では、お二人は──このあとは?」

 

「まずは依頼の報告を済ませる。醜精コバロイ討伐の分だ。それが終われば、しばらくは来るであろう、その大規模依頼を待つつもりだ」


 メイランテは安堵の表情で深く頷いた。

 立ち上がったオリティスとフィナが扉へ向かい、静かに退室していく。

 完全に扉が閉まったのを見届けると、メイランテは椅子の背に深くもたれかかり、長く、深い吐息を漏らした。


「……さあ、仕事、ね」


 冷や汗がまた一筋、頬を伝う。


(彼女たちが“味方”であること。それだけで、今は救われる)


 階下からは、相変わらず活気ある冒険者協会の喧騒が響いていた。

 受付嬢ミルフィの「今日もがんばりましょー!」という元気な声すら、ここまで届いてくる。

 だが、メイランテの思考は既に次の一手へと向かっていた。

 レイクの尋問の準備、内部のネズミの炙り出し、そして各勢力への報告。彼女の戦いは、これからが本番だった。




 二階の執務室から続く階段を降りる途中、フィナがぽつりと呟いた。


「……メイランテ、強い」


 オリティスは歩みを止めず、横目でフィナを見る。


「あぁ、強いな。あの若さで蒼閃長という要職を任されているだけのことはある。ただ……フィナ。強さにもいろいろある」

 

「いろいろ?」


「剣を振るう強さ、魔術を操る強さ。だが、それだけじゃない“心”の強さだ。どんな重圧にも耐え、天秤を保ち続ける精神力。だからこそ、彼女は誰よりもあの街を守れる」


 フィナはしばらく考え込み、やがて小さく笑った。


「……私も、強くなる」


 フィナは階段を降りながら、胸の奥に残るざわつきを感じていた。

 嵐狼ライガインとの戦いの余韻でも、痛みでもない。


(……街を守るって、大変)


 メイランテの言葉が、胸の中で静かに響いていた。


 オリティスがふと横目でフィナを見る。


「考え事か?」


「……ん。強いって、ただ戦って敵を倒すだけじゃないんだなって」

 

「そうだな。政治がまさにそれだ。王様が豪華な玉座にふんぞり返って座っているのにも、それなりの理由がある」


 フィナは小さく息を吸い、こくりと頷いた。


 階段を降りきる頃には、フィナの瞳には新しい光が宿っていた。


 一階のホールに戻ったオリティスとフィナは、そのまま換金と報告の受付へと向かった。

 

「あ! オリティスさん、フィナちゃん! おかえりなさい!」

 

 ミルフィの明るい声が、酒場の喧騒に混じって響く。

 オリティスは小さく頷いて、静かに要件を伝えた。


「依頼の報告の続きだ。醜精コバロイの討伐に加え、森で色々と面倒なものに絡まれた。それらもついでに持ってきたんだが」


 ミルフィはにっこり笑って帳簿を開くと、手を差し出す。


「では、こちらに倒した魔物をお出しください、冒険者協会で買取しますね!」


 オリティスが肩のポーチから手を差し入れる。

 空間が歪み、次々と現れる魔物の遺体。


 醜精コバロイが十一体、疾狼ルプスルが十三体、そして――嵐狼ライガイン一体。


 重量感のある音が響くたびに、冒険者協会内の空気が変わっていく。


「……こ、これは……!?」

 

 ミルフィが思わず息を呑んだ。


 魔物の遺体が並ぶたび、周囲の冒険者たちがざわめき始めた。


「おい……あれ、嵐狼ライガインじゃねぇか?」


疾狼ルプスルの数もおかしいだろ……群れを丸々相手にしたのか、何人で出たんだ?」


「いや、二人だってよ。しかも……女と子供?」


 視線がフィナへ集中する。

 フィナは少しだけ肩をすくめた。


(……見られてる)


 オリティスはそんなフィナの肩を軽く叩いた。


「気にするな、胸を張れ、視線に晒されるのを今のうちに慣れておけ、才を持つ者の定めのようなものだ」


 ミルフィは慌てて帳簿をめくりながら、何度もフィナと遺体を見比べていた。


「え、えっと……本当に……フィナちゃんが……?」


「ん」


 短い返事だが、揺らぎはない。

 

嵐狼ライガインまで!?討伐階位で言えば、フェルス相当ですよ!いえ、オリティスさんが手助けに入れば驚くことじゃないのかもしれないけど……」


「私は戦闘に加わっていない、これらは、すべてフィナが一人でやったことだ」


 オリティスがきっぱりと言った。

 隣のフィナが自信たっぷりに「んっ!」と頷いた。


 ミルフィは一瞬、呆然とした。

 この年齢で、これだけの討伐数。

 しかも嵐狼まで。


「すごい……!解体も完璧ですし、これは報酬、相当な額になります!」

 

 ミルフィは感嘆の声を上げながら、小走りで奥の部屋へと駆けていった。

 その瞬間――ギルド内の空気が、明確に悪意を孕んで乱れた。


 驚嘆とざわめきに包まれていた空気が変質し始めたその時。

 フィナの鋭敏な耳が、微かな“嫌な音”を拾い上げた。


 歯ぎしりと共に、乱暴に椅子を蹴り倒す音。

 そして、醜い嫉妬と怒りで荒くなる呼吸音。


 フィナは無表情のまま、銀灰の柄へそっと指先を触れた。

 オリティスもまた、一切振り向くことなく、視線の端だけで状況を完全に把握していた。


「……やれやれ。これもまた、定めだな」


 その直後、男の耳障りな怒声がホール全体を揺らした。


「はあ!? おいおい、今なんて言った!?」


「はあ!? おいおい、今なんて言った!?」


 冒険者協会の片隅から、酒臭い濁声が響く。

 つるりとした頭をした筋骨隆々の中年男が、椅子をがたんと蹴り飛ばしながら立ち上がった。

 その背後には、同じようにガラの悪い四人の仲間がニヤニヤと笑いながら控えている。


「その小せぇガキが全部一人でやっただァ? 嘘も大概にしろや!」


 その場がざわめいた。

 酒場の奥で杯を傾けていた冒険者たちが、面白そうにこちらへ視線を向ける。

「また始まったぞ」「新人潰しか?」と、ひそひそ声が飛び交った。


 オリティスがめんどくさそうに呟く。


「お約束の展開だな」


フィナはその言葉を耳にして、首を傾げる。


「……約束?」


「人間という生き物の中には、どうしても、自分より優れた才ある者を妬み、引き摺り下ろそうとする愚か者がいる。これまで弟子の旅に付き合うたびに見てきた光景だ、ほぼ毎回な」


 オリティスの態度は、絡まれているというのにどこまでも平然としていた。

 自分を完全に無視して会話を続ける二人を見て、男の顔が怒りで赤黒く染まり、遂に血管を浮き立たせて怒鳴り声を上げる。


「おい! 無視してんじゃねぇぞ、聞いてんのかこの嘘吐きどもが!! 他のパーティーの獲物を横取りでもしたか!?」


「嘘ではない。そもそも嘘をつく理由すらない」


「はっ、本当かよ……」


 男の目が、怒りと醜い侮蔑で濁る。

 フィナはその汚い視線に明確な苛立ちを覚え、銀灰の柄を強く握り込んだ。今すぐ抜いて、黙らせてやりたい。

 だが、隣に立つオリティスの泰然自若とした空気に当てられ、なんとか踏みとどまる。


 オリティスは首を傾げ、まるで実験動物でも観察するような冷ややかな目で男を見据え、言葉を紡いだ。

 

「前々から不思議で仕方なかったんだが……どうして貴様らのような輩は、相手との実力差も測れないまま、無闇に強者に絡もうとする? 一体どんな思考回路で生きているんだ? こんな死と隣り合わせの過酷で残酷な世界で、相手の力量も見誤るような危機管理能力では、長生きはできないぞ?」


 オリティスは小馬鹿にするように鼻で笑う。


「……危険を察知して逃げる分、その辺の魔物の方がまだ理にかなっている」

 

 そのあまりにも辛辣で、一切の容赦がない言葉に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。

 

「な、なんだとテメェ……ッ!! ぶっ殺してやる!!」

 

 完全に逆上した男が怒鳴りながら、腰の剣の柄に手をかけ、引き抜こうとした――その瞬間。


「んっ!」


 フィナの短い呼気と共に、小さな足が床を爆発的に蹴り上げた。

 瞬きする間もない。男が剣を半分も引き抜く前に、フィナの身体はすでに男の懐へ潜り込んでいた。


 そのまま、重心を低く落として男の太い両足をすくうように一閃の足払いを放つ。

 宙に浮いた中年の巨体。そこへ、流れるような動作で追撃の蹴りが腹部にめり込んだ。


「ぐっはッッ!!?」

 

 数回バウンドして床を転がる。

 フィナは平然と胸を張って言った。


「正当防衛」


 オリティスは口元に手を当て、ふふっと笑う。


「次からは、ちゃんと武器を抜かれてから反撃するように」


「んっ、反省」


 ざわめきは一気に広がり、周囲の冒険者たちが距離を取りながらも興味深そうに見守っていた。


「嘘だろ……あの子供が?」


「いや、でも……あの蹴り、見たか?人間の動きじゃねぇぞ」


 ひそひそ声が飛び交い、空気は熱を帯びていく。


 呻きながら立ち上がろうとする男。

 怒声を上げようとしたそのとき――。


「ねえ、それでも立ち向かうの?あんたバァッカじゃないの?笑える!」

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