第15話「新たな嵐の訪れ」
ミオルタ冒険者協会の蒼閃長メイランテは席から立ち上がり、穏やかな微笑みを浮かべて二人を迎えた。
だが、その胸の奥では、警鐘のように心臓が大きく跳ねていた。
「ようこそ、オリティスさん、そして……フィナさん。ご活躍については、すでに報告を受けております」
オリティスは短く、意味深に微笑んだ。
「……どうやら、誤解は解けたようだな」
「……ええ。どうぞ、そちらへお掛けください」
促され、二人がソファに腰を下ろす。
(オリティスに、決して敵意を向けてはいけない。扱いを一歩誤れば──ミオルタが滅ぶ)
メイランテは悟られないよう息を吸い込み、身の席へと腰掛けた。
先ほどまでの張り詰めた警戒の糸を解き、対話の空気を作る。
「……まず最初に。若い冒険者たちを救っていただき、本当にありがとうございました」
その言葉にオリティスは静かに頷き、隣のフィナは背筋を少し伸ばして、誇らしげに「ん!」と胸を張った。
その年相応の仕草に、メイランテは張り詰めていた口元を思わず緩める。
(この子が、フィナ……)
だが、すぐに表情を引き締め、手元の書類に視線を落とした。
「そして、門番のアルからも聞いています。あなたたちの話にあったレイクという人物、そして、盗賊の件、間違いありませんね?」
視線が二人に向けられる。
オリティスが肯くと、フィナもまた短く「ん!」と頷いた。
だが、今度のその顔には先ほどの無邪気さはなく、確かな戦士の真剣みが宿っていた。
「……なるほど」
メイランテは納得したように頷き、ペンを取って記録を始めた。
その静寂を縫うように、オリティスが淡々とした声で尋ねる。
「それで、冒険者協会は今後どう動くつもりだ?」
「まずは、レイクに尋問を行います。背後の盗賊団を確認……必要とあらば、帝国の治安取締部隊に引き渡す手筈も整えます」
オリティスの目が細くなった。
「……私達の言葉を疑わないのか?」
試すような声音。メイランテは一度だけ深く息を吸い、静かに言葉を紡いだ。
「盗賊問題は、辺境の都市にはつきものです。ですが──このミオルタ周辺の盗賊問題は、少し事情が複雑なのです。昔、盗賊達はもっと無秩序に動いていました。街道の襲撃も多く、我々が討伐隊を出して捕らえる機会も多かった。しかし……ある時期を境に、ぱったりと表舞台から動きが消えました」
「……結託か」
「はい。間違いなく、大規模な組織が進んでいました」
メイランテは書類を閉じ、指先で机の上の地図を軽く叩いた。
そこには、ミオルタ周辺の森や街道に、不自然なほど規則的に配置された赤い印がいくつもつけられている。
「ですが、その不審な動きに対して、街の騎士や兵士を大規模な探索に出すわけにはいかないのです」
話を聞いていたフィナが、不思議そうに首を傾げた。
「なんで?」
メイランテは苦笑し、小さな恩人へ向けて丁寧に説明を続けた。
「今でこそ、このミオルタは元前線基地という位置づけに落ち着いていますが、本質は何も変わっていません。喪失に対する防衛線としての役割は、今も続いているのです」
オリティスが静かに頷く。
「……定かではない脅威に対し、兵力を削ぐわけにはいかないか」
「その通りです。それに加えて──大竜帝国と狼簒国の国境での睨み合いも続いています。その緊張は、いつ切られてもおかしくない。そんな一触即発の状況下で、見えない盗賊団の探索に兵士を動かしてくれと領主や軍に要求するのは難しい」
メイランテは肩を落とし、疲労の色が濃い苦い表情を浮かべた。
「だからこそ、我々協会が依頼を出し、探索と治安維持を主体として任せていました」
「だが、下の掲示板にはなかったぞ」
「はい。その依頼はすべて、取り下げました」
「依頼を出したことで、動いた冒険者に被害が集中したか」
オリティスの鋭い指摘に、メイランテの表情が一段と険しくなる。
「はい。盗賊の動きを探る依頼を受けた者ばかりが、襲撃されました……本来なら、もっと早く動くべきでした。ですが、冒険者の被害が増えるたび、協会内部の空気も荒れていきましてね」
オリティスが静かに問う。「内部の空気?」
「ええ。協会の上層部は何をしている、街の兵士を動かせと、冒険者たちからの不満が爆発寸前まで膨れ上がりました。しかし、彼らの言う通りに兵士を動かせば、今度は街の防衛そのものが薄くなる、それはミオルタの滅亡に直結する隙となります……板挟みでした。冒険者を守りたい、街も守りたい。でも、どちらかを優先すれば、必ずどちらかが犠牲になる」
メイランテは自嘲気味に笑ったが、その瞳の奥には決して折れない為政者の炎が宿っていた。
「だからこそ、今回レイクという組織の端々を捕らえられた功績は、計り知れません。私としても、ようやく掴んだこの糸を手放すわけにはいかない。多少荒い手段を使ってでも……情報は必ず引き出します。このミオルタの安全と、散っていった者たちのためにも」
オリティスは静かに目を閉じ、ゆっくりと頷いた。
「……そうか。それなら、安心して任せられる」
フィナも師匠に倣うように、「ん」と力強く頷いた。
やるべき対話は終わった。メイランテは少し姿勢を正して問いかける。
「では、お二人は──このあとは?」
「醜精討伐分の報告を終わらせる。それが終われば、来るであろう、討伐依頼を受けるつもりだ」
メイランテは安堵の表情で深く頷いた。立ち上がったオリティスとフィナが扉へ向かい、静かに退室していく。
扉が閉まったのを見届けると、メイランテは椅子の背に深くもたれかかり、長く、深い吐息を漏らした。
「……さあ、仕事、ね」
冷や汗がまた一筋、頬を伝う。
(彼女たちが“味方”でいてくれること。それだけで、今は救われる)
階下からは、相変わらず活気ある冒険者協会の喧騒が響いていた。
受付嬢ミルフィの元気な声すら、ここまで届いてくる、だが、メイランテの思考は既に次の一手へと向かっていた。
二階の執務室から続く静かな階段を降りる途中、フィナがぽつりと呟いた。
「……メイランテ、強い」
オリティスは歩みを止めず、横目でフィナを見る。
「あぁ、強いな。あの若さで蒼閃長を任されているだけのことはある。ただ……フィナ。強さにもいろいろあるのだぞ」
「いろいろ?」
「剣を振るう強さ、魔術を操る強さ。だが、それだけじゃない。心の強さ。どんな重圧にも耐え、天秤を保ち続ける精神力。だからこそ、彼女は誰よりもあの街を守れる」
フィナはしばらく考え込み、やがて小さく笑った。
「……私も、もっと強くなる」
フィナは階段を降りながら、胸の奥に残る微かなざわつきを感じていた。
嵐狼との戦いの余韻でも、脇腹の痛みでもない。
(……街を守るって、大変)
メイランテの言葉が、胸の中で静かに響いていた。
オリティスがふと横目でフィナを見る。「考え事か?」
「……ん、生きることは、ただ戦って敵を倒すだけじゃない」
「そうだな。政治がまさにそれだ。王様が豪華な玉座にふんぞり返って座っているのにも、それなりの理由がある」
フィナは小さく息を吸い、こくりと頷いた、階段を降りきる頃には、フィナの瞳には新しい光が宿っていた。
一階に戻ったオリティスとフィナは、そのまま受付へと向かった。
「あ! オリティスさん、フィナちゃん! おかえりなさい!」
ミルフィの明るい声が、酒場の喧騒に混じって響く。オリティスは小さく頷いて、静かに要件を伝えた。
「依頼の報告の続きだ。醜精の討伐に加え、森で色々と面倒なものに絡まれた。それらもついでに持ってきた」
ミルフィはにっこり笑って帳簿を開くと、受付に手を差し出す。
「では、こちらに倒した魔物をお出しください。買取しますね!」
オリティスが異空間に手を差し入れ、次々と現れる魔物の死体。
醜精が11体、疾狼が10体、そして──嵐狼が1体。
重量感のある音が響くたびに、冒険者協会内の空気が目に見えて変わっていく。
「……こ、これは……!?」
ミルフィが思わず息を呑んだ。
魔物の死体がずらりと並ぶたび、周囲の冒険者たちがざわめき始めた。
「おい……あれ、嵐狼じゃねぇか?」
「疾狼の数もおかしいだろ……群れを丸々相手にしたのか。何人で出たんだ?」
「いや、二人だってよ。しかも……女と子供?」
視線がフィナへと集中する。フィナは少しだけ肩をすくめた。
(……すごく見られてる)
オリティスはそんなフィナの肩を軽く叩いた。
「気にするな、胸を張れ。視線に晒されるのには今のうちに慣れておけ。才を持つ者の定めのようなものだ」
ミルフィは慌てて帳簿をめくりながら、何度もフィナと遺体を見比べていた。
「え、えっと……本当に……フィナちゃんが……?」
「ん」
短い返事だが、揺らぎはない。
「嵐狼まで!? 討伐階位で言えば、フェルス相当ですよ! いえ、オリティスさんが手助けに入れば驚くことじゃないのかもしれないけど……」
「私は戦闘に加わっていない。これらは、すべてフィナが一人でやったことだ」
オリティスが言い切った。隣のフィナが自信たっぷりに「んっ!」と頷く。
ミルフィは一瞬、呆然とした。この年齢で、これだけの討伐数。そして、進化個体の嵐狼まで。
「すごい……! 解体も完璧ですし、これは報酬、相当な額になります!」
ミルフィは感嘆の声を上げながら、小走りで奥の部屋へと駆けていった。
その瞬間──協会内の空気が、悪意を孕んで乱れた、驚嘆とざわめきに包まれていた空気が変質し始めたその時。
フィナの鋭敏な耳が、微かな“嫌な音”を拾い上げた。
歯ぎしりと共に、乱暴に椅子を蹴り倒す音。そして、嫉妬と怒りで荒くなる呼吸音。
フィナは無表情のまま、背負った銀灰の柄へそっと指先を触れた、オリティスもまた、振り向くことなく、視線の端だけで状況を把握していた。
「……やれやれ。これもまた、定めだな」
その直後、男の耳障りな怒声がホール全体を揺らした。
「はあ!? おいおい、今なんて言った!?」
冒険者協会の片隅から、酒臭い濁声が響く。
つるりとした頭をした筋骨隆々の中年男、その背後には、同じようにガラのある四人の仲間が笑いながら控えている。
「その小せぇガキが全部一人でやっただァ? 嘘も大概にしろ!」
その場がさらにざわついた、酒場の奥で杯を傾けていた冒険者たちが、面白そうにこちらへ視線を向ける。
「また始まったぞ」「新人潰しか?」と、ひそひそ声が飛び交った。
オリティスがめんどくさそうに呟く。
「お約束の展開だな」
フィナはその言葉を耳にして、首を傾げた。
「……お約束?」
「人間という生き物の中には、どうしても、自分より優れた才ある者を妬み、引き摺り下ろそうとする者がいる。これまで色々な弟子の旅に付き合うたびに見てきた光景だ」
オリティスの態度は、絡まれているというのに平然としていた。
自分を無視して会話を続ける二人を見て、男の顔が怒りで赤黒く染まり、遂に青筋を浮き立たせて怒鳴り声を上げる。
「おい!無視してんじゃねぇぞ、聞いてんのかこの嘘吐きどもが!! 他のパーティーの獲物を横取りでもしたか!?」
「嘘ではない。そもそも嘘をつく理由すらない」
「はっ、本当かよ……」
男の目が、怒りと醜い侮蔑で濁る、フィナはその汚い視線に明確な苛立ちを覚え、銀灰を強く握り込んだ。
今すぐ抜いて、黙らせてやりたい。だが、隣に立つオリティスの空気に当てられ、なんとか踏みとどまる。
オリティスは首を傾げ、動物でも観察するような冷ややかな目で男を見据え、言葉を紡いだ。
「前々から不思議だった……どうしてお前のような輩は、相手との実力差も測れないまま、無闇に絡もうとする? どんな思考で生きている? 死と隣り合わせの過酷で残酷な世界で、相手の力量も見誤るようでは、長生きはできないぞ?」
オリティスは淡々と言葉を続ける、事実を述べるように。
「……危険を察知して即座に逃げる分、その辺の魔物の方がまだ理にかなっている、いや、比べるのは魔物に失礼だな」
辛辣で、容赦がない正論に、周囲の空気が一瞬で凍りついた。
「な、なんだとテメェ……ッ!!ぶっ殺してやる!!」
逆上した男が怒鳴りながら、腰の剣の柄に手をかけ、引き抜こうとした──その瞬間。
「んっ!」
フィナの足が床を蹴り、瞬きする間もなく。男が剣を半分を引き抜く前に、フィナの身体はすでに男の懐へと深く潜り込んでいた。
そのまま、男の両足をすくうように足払いを放ち、宙に浮いた体に蹴りが腹部にめり込んだ。
「ぐっはッッ!!?」
数回跳ね、床を派手に転がる巨漢。
フィナは無感情な瞳で男を見下ろし、小さく告げた。
「……正当防衛」
オリティスは口元に手を当て、ふふっと楽しげに笑う。
「次からは、ちゃんと相手に武器を抜かせてから反撃するように」
「んっ、反省」
ざわめきは一気に広がり、周囲の冒険者たちが距離を取りながらも、驚愕の目で見守っていた。
「嘘だろ……あの子供、本当に一人で……」
「いや、でも……今の蹴り、見たか? 子供の動きじゃねぇぞ」
ひそひそ声が飛び交い、協会内の空気は独特の熱を帯びていく。
呻きながら床で立ち上がろうとする男が、なおも怒声を上げようとしたそのとき。
「ねえ、それでも立ち向かうの? あんたバァッカじゃないの? 笑える!」




