第14話「帰還」
第14話「帰還」
森を抜け、陽の差す小道を歩く六人の影。
先頭にはフィナが静かに歩き、その背後をオリティスと四人の冒険者たちが続いていた。
風が枝葉を揺らし、小鳥のさえずりが、ようやく戻った平穏を告げている。
嵐狼との死闘の余韻はまだ身体に残っていたが、空気はどこか柔らかかった。
嵐狼の雷が残した微かな痺れが、まだ指先に疼いていた。
フィナは歩くたびに脇腹へ鈍い痛みが走るのを感じたが、表情には出さない。その様子を、横からオリティスが静かに見守っていた。
その横で、オリティスが視線を向ける。
「回復魔術も万全じゃない。傷や破損部位は治せるが、攻撃の影響をなくすことはできない。それはお前の耐久力次第だ」
フィナは小さく「ん」と頷き、歩調を乱さず前を向いた、その様子を、後ろを歩く冒険者たちがそっと見守っていた。
彼らの表情には、安堵と、どこか信じられないという色が混じっている。
嵐狼を倒した少女が、痛みに顔ひとつ歪めず歩いている、その事実が、彼らの胸に静かな敬意を芽生えさせていた。
そんな空気の中、ヴァンが歩調を早め、二人の横へと並んだ。
「ミオルタまで護衛していただいて……本当にありがとうございます!」
ヴァンが深く頭を下げる、その隣で、アンナに支えられミナが痛む足をかばいながらも、しっかりと歩いていた。
「負傷者がいる以上、当然のことだ」
オリティスはさらりと答える、その声音には、恩着せがましさも誇張もない。
ヴァンたち三人は、その姿に自然と微笑んでいた。
「ところで、お前たちは、ミオルタ出身か?」
オリティスの問いに、ヴァンが頷く。
「はい。俺とミナは、生まれも育ちもミオルタです。親も昔、冒険者協会で働いていて……自然と、この道に」
「私は違うわ、私はここから北西にあるリーフ王国の首都フィビリアから来たの。戦術魔術を学びたくて、ミオルタに来て二年になるわ」
「俺はどこにでもあるような村の出身さ。帝国の騎士もいない、寂れた場所だった」
レイクが軽い調子で言いながら、ちらりとオリティスの横顔を伺う。
「……いろんな出会いがあるんだな」
オリティスの言葉は柔らかかったが、その奥にある“観察”の鋭さは隠しきれなかった。
レイクはその視線に、ほんのわずか肩を強張らせ、逆に質問を投げた。
「二人は?どこから来たんだ?」
レイクの問いに、オリティスはまっすぐ前を向いたまま答えた。
「私たちは旅人だ。故郷を持たない、どこにも属さず、ただ世界を渡り歩く。ミオルタでの冒険者登録もつい最近だ」
「……そうなんですね」
ヴァンが驚いたような顔をしてつぶやく。
「てっきり……帝都から来た有名な冒険者かと。あれほどの実力……それにどこかで名前を聞いた覚えがあるような、ないような……」
「ふふ、気のせいだろう」
オリティスは微笑む。
「それに──フィナの成長は、これからが本番だ」
フィナが少し振り返り、「ん!」とだけ返す。
けれど、どこか誇らしげで、自信の光を帯びたその瞳は、冒険者としての自覚を携えていた。
そして一同の背後、いつの間にか空を覆い始めた雲の下で──木々の奥に何者かの視線が潜んでいることに、フィナとオリティスだけが気づいていた。
フィナは歩みを止めず、オリティスに視線を向ける。
オリティスは静かに、小さく首を横に振り、フィナは頷きそのまま前を向いた。
石畳の道を進み、六人がミオルタの東門へとたどり着いたその瞬間──。
「──おお!お二人ともお帰り!それにヴァン、ミナまで!」
門番のハルドが大きな声で迎え、ヴァンは苦笑しながら頭をかいた。
「ははは……ちょっとまずい状況になって、危ないところを助けてもらったってわけさ」
ハルドは驚きつつも、「無事なら良かったよ」と深く息をついた。
オリティスとフィナはアルとの短い会話を済ませると、冒険者協会に歩みを進める。
「私たちはこのまま、冒険者協会に向かうつもりだ。お前たちは?」
ヴァンが一歩前に出て、丁寧に頷いた。
「僕たちも同行させてもらいます。依頼の報告も必要ですし、森での出来事もきちんと伝えなければ」
「そうか……それなら、行くぞ」
オリティスの一言で、一行は再び歩み始めた。
フィナはいつものように串焼きを手に、食べ歩いていた。
「……よく飽きないな」
オリティスが、少し呆れたような口調で言う。
「毎回違う味、おいしい」
「なるほど、店の工夫も無駄ではないと言う事か」
その何気ない会話が、戦闘の緊張から離れた日常をほんの少しだけ戻してくれる。
その背後、ヴァンたちは小声でささやき合っていた。
「なあ、アンナ……あの子、本当に子供か?ほら、森翠族みたいに長寿の種族だったり」
「そうかもしれないけど……長老たちのような雰囲気はないわね。幼い上にあの実力だと思うわ。オリティスさんの方も……あの人、ただの旅人じゃないよ。まるで金錬赤の二人ね」
二人の会話が耳に入ったのか、フィナがぴょこんと振り返った。
「……森翠族?」
アンナが少し驚いたように目を瞬かせる。
「森翠族っていうのはね──魔力の適性が高く、森の中で生きることに特化した種族よ。自然の流れと魔力の循環を読むのが得意で、森の中では人間よりずっと強いの。まあ、フィナちゃんやオリティスさんと比べると多分衰えるけどね」
アンナが自分の長い耳を軽く触れながら笑う。
「耳が長いのはね、森の音や風の流れを敏感に感じるためよ。獣の足音、枝の揺れ、魔物の気配……全部、森の中では生き残るために必要なものなの」
フィナはじっとアンナの耳を見つめ、こくりと頷いた。
「……すごい。風の音、聞こえる耳」
「ふふ、まあね。でも私はまだまだ未熟よ。森翠族の長老たちは、風だけで敵の位置を当てるって言われてるし」
フィナは興味深そうに目を輝かせた。
その様子に、アンナは思わず頬を緩めた。
「ほんと、かわいい子ね……でも戦い方は全然かわいくないけど」
ヴァンが苦笑し、レイクだけが、沈黙していた、ただ、時折、振り返るフィナと目が合うたびに──視線をそらした。
腕の袖口には、今はしっかりと包帯が巻かれていた、そして、その奥にある入れ墨を、オリティスがすでに見抜いていることなど、彼自身、察している。
(……バレてる。だが、今は動けん、どうすれば)
焦燥と警戒が、心の中で交錯していた、だが、誰もそのことを言葉に出すことはなかった。
今はただ、冒険者協会へ。報告の義務を果たす。
冒険者協会が近づくにつれ、五人の歩調は緩やかになっていった。
フィナは串焼きを食べ終え、満足そうに口元を拭った、脇腹の痛みはまだ残っていたが、歩みは乱れない。
冒険者協会の大きな建物が視界に入ると、三人が息をついた、協会の扉を押し開けると、昼下がりの喧騒が一気に押し寄せた。
冒険者たちの笑い声、依頼票をめくる音、酒場から漂う香り。
ミルフィが受付から顔を上げ、ぱっと笑顔を咲かせた。
「フィナちゃん、オリティスさん!無事でよかったです!それにヴァンさんたちもお帰りなさい!」
ヴァンが胸を張って答える。
「うん……本当に、オリティスさんとフィナちゃんのおかげでね」
ミナも深く頭を下げた。
「命を救っていただきました。ありがとうございました」
アンナも続く。
「また会えたら……その時は、ちゃんと依頼で一緒に戦いたいわ」
フィナは少しだけ目を丸くし、照れたように「ん」と返した、レイクは一歩後ろで黙ったまま、視線を合わせようとしない。
ミルフィはそんな空気を察しつつも、明るく言った。
「お疲れさまでした!では、フィナちゃんとオリティスさんの報告は私が受け取りますね!」
ヴァンたち四人は別の受付へ向かい、報告を始めた、ミルフィが帳簿を閉じ、フィナとオリティスへ向き直った。
「えっと……まずは、醜精の討伐、お疲れ様でした!」
フィナが「ん」と頷く、ミルフィは書類を整えながら、ふっと表情を緩めた。
「……それと、ヴァンさんたちの件、助けてくれて本当にありがとうございました」
オリティスは軽く肩をすくめる。
「偶然だ、森で遭遇しただけで、見捨てる理由もなかった」
「それでも、命を救ったのは事実です。協会として、心から感謝します」
ミルフィは深く頭を下げた、オリティスの表情がわずかに引き締まる。
「ミルフィ、蒼閃長に報告がある。私たちの独断では扱えない内容だから、面会をしたい」
ミルフィはこくりと頷いた。
「それでは、一度、買い取りは後回しにさせてもらいますね。蒼閃長からは、オリティスさんが面会を希望された場合は最優先で通すようにと言われておりますので」
「助かる」
二人は受付を離れ、静かな階段へと向かった。
一階の喧騒が遠ざかるにつれ、空気は徐々に重く、冷たく変わっていく。
冒険者協会──その三階の一番奥。
古い地図と書物に囲まれたその部屋の中で、冒険者協会蒼閃長メイランテ・ヴァローナは一枚の手紙を手にし、机に突っ伏すように身を沈めていた。
紫色の髪が肩から垂れ、手紙の端に震えた指が触れている。
「……これは、どういうこと……なの」
メイランテの視線が、手紙の一文に再び落ちた。
『貴殿の言う“オリティス”という者の詳細について、冒険者協会総括本部は一切の情報を開示いたしかねます。これは、大竜帝国ユーレンバンス皇帝、ユーゼント陛下直々、そして冒険者総括本部大総督アーヴェルト・メイフラストの二名による最高機密申請であり、いかなる立場の者であろうと、例外は一切認められません』
そこまで読むと、メイランテの眉がさらに寄った。
(帝国を統べる皇帝陛下と、世界全土の冒険者を束ねる大総督が、直々に隠蔽申請を出している……!?)
だが、メイランテの背筋を氷のように凍らせたのは、その公文書の下に、非公式として添えられていたもう一文の追記だった。
『ただひとつ、ミオルタの蒼閃長である貴殿に伝えられるのならば──オリティスという存在は決して、世界の敵に在らず。しかし、彼女の行く道を愚かにも妨げようとする者は、その瞬間をもって世界の敵として認識されることになるだろう』
さらに、その末尾に記されていた、差出人の名前。
メイランテはその名前を、呪文でも唱えるかのように、恐る恐る震える口から漏らした。
「……元ヴァルシス階位冒険者、アイゼン・ガルク・オートライ……冒険者協会統括副総督の……直筆……」
この世界で、その名を知らぬ冒険者など存在するはずがない。
かつて滅亡の淵に立たされた人類の暗黒期を最前線で生き抜き、現在の冒険者協会の土台を築き上げた伝説の創立者の一人。
そして、今の平和な黄金期を作り上げた偉人である。
(この名たちが、彼女の味方として名を連ねている……?)
メイランテは震えた。
冒険者協会蒼閃長として、数々の英雄と対話してきた。
だが、今感じているこの震えは、畏怖と警鐘の入り混じったものだった。
(世界の敵と認識される……?つまり、彼女に危害を加えれば、その瞬間、帝国どころか世界規模で……)
メイランテはこめかみに浮かんだ冷や汗を手でぬぐおうとした。
そのときだった。
「──蒼閃長、オリティスさんが面会を希望されています」
扉越しにミルフィの明るい声が届く。
「ッ……!」
肩がぴくりと跳ね、メイランテは一瞬、言葉を返せず、机に手をついて深呼吸をした。何度も。
(落ち着け、メイランテ。冷静に。彼女は“敵”ではない。“味方”なのよ)
表情を無理やり作り直し、顔を上げた表情は、冒険者を束ねる蒼閃長としての威厳を保っていた。
だが、その額には、拭いきれなかった一筋の冷や汗が、未だに光を反射して残っていた。
「……ええ、通してちょうだい。ミルフィ」




