第12話「選び取る剣」
第12話「選び取る剣」
瑞々しい木漏れ日が落ちる静寂の中で、微かな刃の音だけが規則正しく響いていた。
フィナは小さくしゃがみ、討ち取った醜精の死体と真剣な眼差しで向き合っていた。
そのすぐ隣にはオリティスが、腕を組みながら、淡々と、丁寧に指導を続けていた。
「これは風の属性を変質させた斬属性だ。基本4属性の応用にあたる。大きさや切り味を自由に調節できる刃を形成する。魔物の解体にはこれが一番都合がいい」
オリティスがしなやかな細い手をすっと振るうと、空中に浮かぶ微細な風の刃が醜精の皮を滑らかに裂き、正確無比な手際で解体が進んでいく。
「……うまく、切れる」
フィナは目を丸くしながらも、自身の指先に魔力を集中させる。
教えられた通りに風の刃を形作った。
「これで……いい?」
「悪くない。魔物の解体は、必要な素材を壊さずに切り分けるのが基本だ。力任せでは肉を傷つけ、骨を砕いて価値を落としてしまう」
オリティスは淀みのない所作で、革と骨を綺麗に分離していく。
個体の構造、骨の流れ、筋の走り方に至るまで、すべてが計算され尽くした動きだった。
「こればかりは経験がものを言う。そして──解手の腕が上がれば上がるほど、その素材の価値も上がる」
オリティスの手元に、一冊の分厚い本が現れた。
「この本は、かつて私の弟子がまとめたものだ。解体が趣味の1つでな。ここには、現存するほとんどの基本魔物の部位、剥ぎ取りの価値、そして最適な処理方法が網羅されている」
「ん! ありがと」
フィナは両手で本を受け取った、ページの端々からは、実際に現場の血で汚れたような古い痕跡が見て取れる。
それが、この知識が積み上げてきた歴史と重みを物語っていた、本の絵に書いてある通りに解体すると、あっという間に終わった。
解体を終えたあと、オリティスは指先を軽く弾いた。
──空間が、割れる。
フィナの目の前に、ぽっかりと歪な穴が開いた、それは光すら吸い込むような、空間だった。
見えない部屋への入り口のようでいて、葵群の森の景色の中に、そこだけ抜け落ちたかのような異質さを放っている。
オリティスは解体された醜精の部位を、その黒い穴に次々と入れていった。
討ち取った11体分、すべての素材が跡形もなくその中に吸い込まれていく。
「それ……なに?」
フィナは瞳をきらきらと輝かせて尋ねた。
「これは“時空属性”だ。魔術という枠組みではない、魔術というよりは、属性を操る表現の方がしっくりくる。これは、時の流れを止めた領域に物を格納する使い方だ」
「時空……」
「上級属性は、才能が無ければ、後天的に届くことはない。生まれ持った魂の器の形──魔脈の心臓に当たる部分の資質に左右される。通常は“魔臓”と呼ばれる器官だが、稀に“存炉”と呼ばれる特殊な核を持って生まれる者がいる。その上で時空の特性を宿して、初めて挑戦できる高みだ」
その言葉に、フィナは少しだけ肩を落とし、小さな声を絞り出す。
「……私、使える?」
その問いに、オリティスはすぐに包み込むような声音で答えた。
「正直に言えば、私にもまだお前の存炉がなんなのかはわからない……だが」
そう言って、オリティスは腰を落とし、フィナの顔を覗き込むようにして視線を合わせた。
「存炉を持つ者は等しく、例外なく世界を揺るがす強大な力を得ている。それがたとえ時空属性ではなかったとしてもな。フィナ、お前には時空属性すら超える、何か別の何かがあるかもしれない──お前だけの、唯一無二の属性が」
「私だけの……」
「そして、私が確信を持って言えることは、フィナ──お前の中に存炉が存在するという事実だ。そしてそれが、いずれ世界に迫る強大な脅威に対抗し得る力になると、私は確信している」
静かに告げながら、オリティスはフィナの柔らかい頬に優しく触れた。
「過酷な物語を紡ぐ者は等しく世界に見守られている。……たとえ世界が、お前を見ていなかったとしても大丈夫だ。私が、お前を見ている」
「……ん!」
「ふふ、ついでだ。魔脈の循環を──」
その温かな時間を切り裂くように、その瞬間だった。
「──きゃあぁぁぁぁッ!!」
森の奥から少女の悲鳴が響き渡った、フィナとオリティスは、一言も交わさなかった。
互いに視線を交わした次の瞬間には、二人の身体はすでに駆け出していた、生い茂る草むらをかき分け、地面を蹴り、悲鳴の響いた方角へと一直線に駆ける。
奥へ進むにつれ、森の色がゆっくりと変化していくのが分かった。
葵群の森は、深部へ行くほどその色彩が鮮やかに反転する。その奇妙な中間域に差し掛かった。
葉の持つ青緑は徐々に淡く退色し、代わりに裏側の、白みがかった色彩が強く浮き上がってくる。
葵群の森を大きく震わせるような重々しい足音と、狂暴な咆哮が木々の間に響き渡る中、四人の冒険者が必死の形相で逃げ惑っていた。
「クソッ……しっかりしろ! ミナ!」
先頭を走る青年が、血に染まった少女を背中に背負い、声を張り上げていた、少女の肩から腕にかけて、獣の鋭い爪で深く抉り取られたような凄惨な裂傷がある。
少女の意識はすでに朦朧としており、弱々しく浅い呼吸を繰り返す。
「レイク! こっちの道で本当に合ってるんだろうな!?」
男は叫ぶように、必死で背後を走る軽装の男に問いかける。
レイクと呼ばれた男は、自身の息を切らしながらも、恐怖を覆い隠すように歪な笑みを浮かべていた。
「ああ! 俺の勘が言ってる! こっちが絶対の正解だ!」
「また勘って!ふざけないでよ!」
鋭く声を荒げたのは、後方を必死に走る女性だった。
尖った耳を小刻みに震わせ、弓を握りしめながら、細い眉を吊り上げる。
「私たち、今まさに死にかけてるって自覚あるの!?」
女性が声を荒げた、まさにその瞬間──背後から凄まじい風の刃が四人の背中に迫った。
空間を斜めに走る、銀色の一閃。
衝撃波と共に風が弾け、すぐ傍にあった巨木が、あっけなく真っ二つに裂けた。
「っ──来たぞ!」
レイクが振り返りざまに、構えた短剣で辛うじて身を守る。
その間髪入れず、鬱蒼とした茂みの奥からそれらは姿を現した。
青白い体毛をまとった獣。──疾狼。
しかも、ただの通常個体の群れではない。
その群れの中心に君臨する一匹は、両目が不気味な紅に染まり、全身の毛並みから激しい雷を帯びて逆立てていた。
「おいおい、マジかよ……進化個体じゃねえか……!」
四人の呼吸は乱れ、恐怖によって足がもつれそうになっていた。
背後から迫る咆哮が、すぐ近くで耳元で囁かれる死の声のように聞こえる。
その時、少し離れた茂みの中に、オリティスとフィナが到着した。
「面倒な状況になっているな」
オリティスの声音は、戦場の喧騒を容易く撥ね退けるほどに、冷徹なまでに静かだった。
フィナたちが木陰から静かに姿を現すと、フィナの瞳が群れの中心に向かった。
「……あいつら、追ってるの……何、あれ?」
「疾狼の群れだな。中心にいるのは進化個体──“嵐狼”だ。中位階級の一歩手前に位置するフェルス、今のお前の実力からすれば、脅威となる相手だ」
その言葉を聞いた瞬間、フィナの心が激しく沸き立った。
──強者だ。
──戦える。
ただ怯えて逃げるのではない、己の力で戦って、乗り越えるべき相手。
虚大穴の時に味わった、あの無力な逃避ではない、これこそが、自らの意志で選び取る戦いだ。
オリティスは、そんなフィナの瞳に宿った炎を読み取った。
「いい目だ。強者を喰らってこそ、お前はさらなる強者になれる──窮地になったら私を呼べ」
「ん!」
フィナは背負った銀灰を躊躇なく抜き放ち、弾かれるように前方へと飛び出した。
オリティスがその後を追うように腰の刀に手をかけた瞬間、オリティスの後ろから空間を割りながら黒炎が噴き出す。
『久々の喰だ!我が渇いた喉を潤せ!』
巨大化したアジスイデアの禍々しい黒炎が、逃げ惑う冒険者たちの背に食らいかかろうとしていた三匹の疾狼を一瞬にして丸ごと飲み込んだ。
悲鳴を上げる間もなく、疾狼たちは一瞬で炭化し、塵となって消え失せる。
一人の冒険者が目の前の光景に言葉を失って驚愕していると、オリティスが怒り交じりの声をかけた。
「呆けるな、目の前の生存に集中しろ! こっちだ」
オリティスが手を振り、四人の冒険者を安全な方向へと誘導する。
先頭の青年が、驚きと安堵の混ざった声を上げた。
「なっ……あ、ああ! 感謝する……!」
「な、なんだ……一体、何が起きてるんだ……!」
オリティスは手際よく四人の冒険者を連れ、彼らを安全地帯へと速やかに避難させていった。
戦場の中央には、フィナだけが一人残された。
「君も、逃げ──」
去り際、青年が必死に声をかけようとしたその瞬間、オリティスが首を横に振った。
「気にするな、あの子は強い。お前たちが足手まといとして居座れば、あの子の集中が乱れるだけだ」
強引に移動を促され、男たちは恐怖を覚えながらも、そのまま森の奥へと連れ去られていく。
──戦場に、残されたのはフィナ一人。
目の前には、牙を剥いて猛り狂う疾狼の群れ。
そして、その中心で冷酷にこちらを凝視する嵐狼。
銀灰を構え、フィナは小さく、不敵に呟いた。
「来い、がうがう」
挑発にも近いその小さな声に、群れが一斉に咆哮を上げた。
森を鋭く引き裂く疾風の音と共に三匹の疾狼が、牙を剥きながらフィナに向けて同時に襲いかかる。
だが──。
「……遅い」
フィナは身体をひねり、迫り来る爪を紙一重でかわしながら、すれ違いざまに、銀灰を真横へと振り抜いた。
重厚な刃が疾狼の首元を骨ごと断ち切り、一体目が物言わぬ肉塊となって地面へと激しく沈む。
仲間が一瞬で沈められた光景に、残る二匹の狼の動きがわずかに硬直した。
「隙、丸出し」
フィナはその一瞬の硬直を見逃さず、銀灰を前方へ投げ放った。
大剣とは思えないほどの鋭利な風切り音と速度。
放たれた鋼の塊は、逃げ遅れた一匹の胴体を易々と真っ2つに両断し、しかし、最後の個体は辛うじて後方へ下がりながら、木陰へとその身を隠す。
そのまま背後にあった大樹の幹へと深く突き刺さった。
フィナの武器は今、手元にない。
その隙を見逃さず、さらに後方の茂みから七匹の疾狼が、波のように援護として走り込んできた。
(多い……)
けれど、フィナの胸に恐怖の感情は一切なかった。
代わりに心臓が激しく早鐘を打ち、全身の血液が沸騰するような心地よい熱を帯びていく。
「……大きいの、まだ動かない」
武器を持たず、フィナは木陰に隠れた一匹に向かって、突進した。
予想外の行動に、疾狼が驚く。フィナは迷わず跳躍し、首元へ膝蹴りを叩き込み、体勢を崩した疾狼の喉元へ、瞬時に鋭い魔力を編み上げた。
実体を持たない、青白い光の刃──魔力剣。
「……反省。ちょっと、投げすぎた」
独り言と共に、魔力剣が疾狼の首を綺麗に切断した。
フィナは着地と同時に、大樹に突き刺さったままの銀灰へと向かって疾走し、むき出しの柄を掴み、力任せに引き抜いた。
その引き抜いた勢いのまま、背後へと旋回。体内の魔脈が、フィナの脚部へと魔力を一気に送り込んだ。
筋肉が限界まで膨張し、意識するよりも先に身体が前方へと弾け飛ぶ。
迫り来る二匹を、一息に真横へと薙ぎ払い、そのまま体を両断した。
猛烈な斬撃の軌道に美しい光の粒が舞い、森の重い空気が激しく震える。
「次」
残るは五匹。土を激しく蹴る足音が、重なり合って迫る。
そのうち三匹の影が、地面を滑るような動きで左右から挟み撃ちを仕掛けてきた。
フィナは重心を低く保ち、敵の懐へと鋭く潜り込む。
胸の奥で魔脈が脈打つたびに、フィナの視界の輪郭はより鮮明に、より研ぎ澄まされていく。
疾狼が肩を深く沈め、噛みつきへと移行するその凶暴な予備動作が、今のフィナには遅く見えた。
鋭い牙をかわし、下門から斜め上方へと銀灰を切り上げる、鮮血の飛沫が綺麗な弧を描き、敵が力なく崩れ落ちる。
フィナはその勢いを殺さずに、そのまま、頭上から一気に振り下ろした銀灰が、もう一匹の頭蓋を粉砕した。
銀灰を振るうたび、フィナの細い両腕には重い反動が伝わってくる。
だが、フィナの魔脈はその衝撃すらも純粋な力として効率よく吸収し、次の鋭い動きへと瞬時に変換していった。
三匹目の疾狼が、背後から音もなく噛みついてくる気配、フィナは鋭敏に反応し、斬撃の反動に身体をそのまま預けた。
体が前に回転するのと共に、刃は顎下から頭頂へと一直線に駆け抜け、疾狼の巨体を宙へと高く弾き飛ばした。
残るは二匹、フィナは力強い踏み込みの勢いをそのまま利用し、銀灰を前方へと投げ放ち、四匹目の疾狼の胴体を容赦なく貫く。
しかし、最後の五匹目は、間一髪、その身を横へと鋭くかわした。
「……想定内」
銀灰の軌道を追いかけるようにして、フィナは既に駆けていた。
身をかわした五匹目の目の前で、フィナの手が、空中の銀灰の柄へと届く。
全体重を乗せ、引き寄せるようにして銀灰を身体の近くへと引き戻し、そこから全霊の力で振り下ろした。
「やあっ!」
叩き割るように振り下ろされ、周囲の空気が強烈に押しつぶされるような轟音が響き、刃は、五匹目の疾狼を両断した。
激しい風が一瞬だけ止まり、森全体が息を潜めたかのように、しんと静まり返る。
「……ふぅ」
小さく息を吐き、フィナは静かに周囲を見渡した。
すでに──襲いかかってきた十匹の疾狼は、すべてが物言わぬ屍となって地面に転がっていた。
(虚大穴のときと、ぜんぜん、違う)
フィナの胸の奥が、じんわりと心地よい熱を帯びていく。
それは覚えた絶望の恐怖ではない。
自分の力で戦い、生存をもぎ取れるのだという確かな実感だった。
もう、足はすくまない。
深く、呼吸ができる。
身体が、思うように動いてくれる。
自分で戦って、勝った。
──その事実が、またフィナの胸の奥を熱く焦がしていく。
「でも──あと一匹、残ってる」
そう、たった一匹。
だが、ただの疾狼とは比較にならない存在。
嵐狼。
胸の奥で、フィナの魔脈がざわりと本能的な恐怖と興奮で震えた。
強敵が放つ気配に、フィナの身体が勝手に、歓喜するように反応していた。
フィナの瞳に、その青白い毛並みが鮮烈に映り込む。
嵐狼がゆっくりと前に進み出た瞬間、森の色彩がわずかに、しかし明確に反転した。
周囲の青緑の葉が一斉に裏返ったかのように不気味な白光を帯び、空間を漂う淡い光の粒が、獣のまとう雷へと引き寄せられるように激しく震え出す。
森に満ちる魔力そのものが嵐狼へと急速に吸い寄せられ、獣の体表で制御しきれずに暴れ回っている。
その凄まじい力の余波によって空気が歪み、風が逆流し、葉が狂ったようにざわめく。
嵐狼が低く地を這うような声を漏らすと、地面の土が細かく弾け飛び、周囲の巨木たちが一斉に悲鳴を上げるように軋んだ。
フィナは、突き刺さるような威圧感の中で、静かに銀灰を構え直した。
「……後は、お前だけ」
気づけば、フィナの小さな口元は、獰猛な笑みを浮かべるようにして、わずかに吊り上がっていた。
嵐狼は一瞬だけ、すべての動きをぴたりと止めた。
森全体が、嵐の前の静けさのように一瞬だけ沈黙する。
そして──。
「ガアアアアアアアッッッッ!!!」
人間の鼓膜を容赦なく破らんばかりの、咆哮が森を爆音と共に引き裂いた。
その瞬間、嵐狼の巨体を網の目のように纏っていた激しい雷が、限界を迎えたかのように一斉に大爆発を起こした。
白い稲妻が四方八方へと容赦なく弾け飛び、近くにあった木々の幹を一瞬にして炭化させて黒焦げにし、地面に何本もの亀裂を走らせていく。
咆哮の凄まじい余韻が肌を刺す中、フィナの胸の奥、存炉が、生まれて初めて激しく震えた。
体内の魔脈がざわりと音を立てて逆流し、熱湯のような滾る熱さが全身の血管を一気に駆け巡る。
嵐狼が放つ、雷の魔力。
それに呼応するように、フィナの体内に眠る未知の魔力が、持ち主の意志すら置き去りにして、狂ったように熱く脈動し始めていた。
(……これが、強者──)




