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「最果の物語」  作者: 灰那
第1章・中央大陸編「この理想を、世界が許すまで」

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第11話「残酷と美の裏表」

 森の入口に近づくにつれ、空気がゆっくりと変わっていくのが分かった。


 葵群あおいぐれの森──その名を象徴するように、木々の葉はどれも青と緑の中間色を帯びていた。

 陽光を受ける角度によって、翡翠のように透き通ったり、深海のように沈んだ色に見えたりする。

 まるで森そのものが呼吸し、色を変えているかのようだった。


 幹は細くしなやかで、どれも同じ方向へと緩やかに傾いている。

 風の流れに合わせて揺れるその姿は、まるで巨大な生き物の毛並みが波打っているようにも見えた。


 地面には厚く積もった落ち葉が広がり、踏みしめるたびに柔らかく沈む。

 葉の裏側には淡い青の筋が走り、光を受けると微かに光を返す。

 その光が森の奥へと吸い込まれていく様子は、“道案内”のようでもあった。


 風が吹くと、葉が擦れ合い、普通の森とは違う音を奏でる。

 乾いた音ではなく、どこか湿り気を帯びた、低く柔らかい音。

 耳に心地よいのに、同時に背筋がひやりとするような、不思議な響きだった。


 森の奥は薄暗い。

 だが、完全な闇ではない。

 木々の間から差し込む光が、青緑の葉に反射して淡い光の粒となり、漂っている。

 その光は霧のように揺れ、森の中に小さな星々が浮かんでいるかのようだった。


 フィナは思わず息を呑む。


「……綺麗」


 その一言は、森の静けさに吸い込まれるように消えていった。


 落ち葉がカサリと鳴るたびに、静けさが跳ね、風が肌を撫でる。

 しばらく進むと、オリティスが地面に目を留める。


「……足跡だな、新しい、醜精コバロイのものだ、爪の深さと体重のかかり方……この歩数、複数いるな」


 フィナはしゃがみ込んで足跡を見つめる。


「追う?」


「あぁ、戦闘は任せる。私が出ると、一瞬で終わるからな」


「ん!」


 オリティスは足跡の周囲を一瞥し、静かに口を開いた。


「……魔物や動物、森に生きる存在が通った道には、必ず“痕跡”が残る」


 指先で草の葉先を示す。

 そこはほんのり青白く変色していた。


「例えば、この植物は魔物の体表から落ちる魔素が植物に触れると一時的に色を変える。毒ではないが……森の魔力は他所の魔力に敏感だ、だから、こうして淡く光る」


 フィナは小さく頷き、次に折れた小枝へ視線を移す。


醜精コバロイは見た目に反して、案外知力を持っている、この噛み痕は“味見”だ。醜精コバロイは食べられるかどうか、まず齧って確かめる、その跡から樹液が滲み、虫が集まる……森の循環の一部を利用し自分達の食料を確保している」


 さらに、地面に散らばる小石を指差す。


「石が同じ方向に転がっているのが見えるか? 醜精コバロイは食べ物を探すとき、手癖のように石を器用に弾き“道標”みたいな跡を作る、知力はあるが記憶力はないからな」


 フィナは息を呑んだ。


醜精コバロイが残したあらゆる痕跡が、彼らに繋がる道に見えてくる」


「……綺麗」


 オリティスは微笑む。


「そうだ。醜精コバロイは確かに人間からすれば害獣だ。群れれば危険だし、商隊を襲うこともある、だが──それだけじゃない、世界で、もう1つの役割を持つ」


 青緑の光に照らされた森を見渡しながら、静かに続けた。


醜精コバロイは森の掃除屋だ。落ちた実を食べ、腐った木を崩し、弱った獣を狩る、残酷に見える行動も、この森の生態系を回す“役割”の1つ」


 風が吹き、青緑の葉が揺れる。


「人から見れば脅威でも、自然から見れば必要な存在……残酷さの中に潜む、美しい自然の一部だ」


 フィナはしばらく醜精コバロイの痕跡を眺めていたが、ふと横目でオリティスを見上げた。


「……なんで、そんなに詳しいの?」


 短い問いだった。

 だが、その声音には純粋な驚きと、少しの尊敬が混ざっていた。


 オリティスは足跡から視線を外し、静かに微笑む。


「私は剣士じゃない。狩人だ」


「……狩人?」


「そうだ、私は剣も魔術も使うが、私の専門は“戦い”ではない、戦闘は得意だ──だが、本職じゃない」


 風が青緑の葉を揺らし、光が二人の間を通り抜ける。


「私が好きなのは、自然だ。森も、獣も、魔物も……そして、人も、存在の生態を知ることが、私にとっては戦いよりずっと大事だ」


 フィナは瞬きをした。


「……人も?」


「人も自然の一部だ。魔物と同じように、環境に影響され、変わり、群れ、争い、守り合う、だから私は、人を見るのも好きだ。特にお前のことはな」


 フィナは少しだけ頬を赤くし、視線をそらした。


「……ん」


 その返事は短いが、どこか嬉しそうだった。


 オリティスは続ける。


醜精コバロイも人間も、あらゆる生き物は皆、残酷さと美しさを両方抱えている……それを知り本質を理解することが、狩人の仕事だ、お前も理解できるようになれば、残酷さの裏に潜む美しさも、美しさの裏に潜む残酷さが分かるようになるだろう」


 フィナはその言葉を胸に刻むように、静かに森の奥を見つめた。


「……フィナ、私は世界を見ること、世界がどう動き、どう変わるのかを見るのがどうしよもなく好きだ。戦うよりも、ずっとね」


 そう言ったオリティスの横顔は、どこか遠いものを見ているようだった。


 足跡を辿っていくと、やがて森の空気がわずかに張り詰めた。


 オリティスが手を上げ、フィナに静止を促す。

 前方──木々の隙間から、醜精コバロイの群れが見えた。


 二人は背の高い草むらの影に身を隠した。


「……見えるか、フィナ。あれが今回の獲物だ」


 フィナは息を潜め、そっと目を凝らす。


 醜精コバロイたちはただ散らばっているわけではなかった。

 木の根元で実を拾う個体、周囲を警戒して耳を立てる個体、少し離れた位置で棍棒を構えたまま動かない個体──それぞれが、まるで役割を分担しているように見えた。


 オリティスが小声で囁く。


「前にいる二体は採食役。奥の二体のうち耳の角度が上を向いているのが警戒役だ、耳を使って……風上を見ている、そして、片方──やつが“合図役”だ」


 フィナは驚いたように瞬きをした。


「……合図?」


「群れの中心だ。危険を察知すると、あいつが鳴いて全員を動かす、だから、優先して倒すべきは──あれだ」


 フィナはもう一度群れを見た。

 ただの敵の集まりではなく、ひとつの“仕組み”として動いているのが分かる。


 (……役割がある)


 その気づきが胸の奥で小さく灯る。


 オリティスが横目でフィナを見る。


「観察は戦いの半分だ、見る力があれば、戦う前に勝つための道筋が見える、だが、見える物だけが全てだと思うな」


 フィナは小さく頷いた。


 その瞬間、森の空気がさらに静まった。

 風が止み、葉擦れの音が消える。

 光の粒が漂う速度までゆっくりになったように感じられる。


 醜精コバロイたちの耳がぴくりと動く。

 だが、まだこちらには気づいていない。


 腰を低く落とし、両手で柄を握りしめる。

 すでに魔力が高まり、装備の紋章がほのかに赤く煌めいていた。


「学んだ戦闘の術を活かしてみろ」


 フィナの心臓が、ひとつ強く脈打つ。


(……今だ)


 地を蹴る、狙うは奇襲。


(どうせ気づかれる。なら、一撃で終わらせる)


 銀灰の大剣を振るう。

 地面すれすれ、草を薙ぎ払うその刃は、何の前触れもなく横から現れた。


「ッ──!」


 二匹の醜精コバロイが叫ぶ間もなく、斬り裂かれた。

 片方は胴を真っ二つに、もう片方は首から肩へ深く切り裂かれ、動きを止める、傷跡に焼けた跡もあり、火属性が斬り味を底上げしていた。


 銀灰が振るわれ、森がわずかに震えた。


(前よりも動ける)


 斬撃の風圧で舞い上がった青緑の葉が、光を受けて淡く輝きながら散る。

 軌跡は、フィナの動きをなぞるように空中で揺れ、すぐに地面へと吸い込まれていった。


(あと、奥に──二体)


 瞬時に反転、切り返し。

 滑るように体をひねって踏み込む。


 胸の奥で魔脈がどくりと脈打った。

 血流とは違う、静かで深い流れが足から伝って体全体へと一気に広がり、腕に集中する。

 その流れに押されるように、フィナの体は自然と弾き、最高速に到達する。


 返す刃で肩から腰まで、残りの二匹を斬り裂いた。


(四匹──終わり)


 醜精コバロイの血が土に落ちると、周囲の光の粒が一瞬だけ明滅する。

 森が“異物”を認識したかのように、淡い青の光が波紋のように広がった。


 ザッ──茂みの向こうから物音。

 次の一群が気づいた。

 獣のような唸りとともに、醜く高い声があがる。


「ギィィィィィィ──!」


 合計七体。

 棍棒を握り、猛然と走ってくる。


 フィナは冷静だった。


(全員、一直線に来る……好都合)


 気づかれる前に彼女の体が飛び上がる。


 木の枝の上。


 醜精コバロイたちは気づかずに地を駆ける。


(今)


 フィナは、枝から真下に跳び降りた。


「──っ!」


 鋭い一撃。


 先頭を走る醜精コバロイの頭を蹴り飛ばし、その勢いで横にいた一匹に着地しながら、銀灰を斜めに振り下ろす。

 肉と骨が裂ける音が、静かな森にこだまする。


 鈍い音に反応し遠くで鳥が一斉に飛び立つ羽音が響く。


「残り──五匹」


 短く呟く。


 叫ぼうとした一匹の口が開いた、その瞬間、フィナが指先を弾くようにして風を放った。

 空気が、彼の口周りから奪われる。

 声が出ず息もできない、苦しむ醜精コバロイを、フィナは見ることなく、他の敵へ動く。


 棍棒を振り上げた別の醜精コバロイが突っ込んできた。


 フィナは構えず、ただ体を預けるようにして、大剣を横に──振り抜いた。


 銀灰を振り抜くたび、体内の魔脈が刃の軌道に沿って流れるのが分かる。

 剣が先に動き、魔脈がそれを追いかけ、体が最後に続くような感覚だった。


 棍棒もろとも醜精コバロイの腕を斬り裂く、刃はそのまま首筋へ届き絶命する。


 そして、真空状態だった一匹も息が尽きた。


 (あと、三体)


 目を向けたその先、距離をとって弓を構える個体がいた。

 狙いを定め、矢が放たれる寸前──。


「……じゃま」


 足が地を蹴るより早く、魔脈が腕の筋肉へ魔力を送り込む。

 意識する前に体が軽くなり、視界が一瞬だけ鮮明になる。


 フィナは銀灰を投げ放った。


 フィナが銀灰を投げ放った瞬間、風が一度だけ逆流した。

 魔力の奔流に押され、青緑の葉が渦を描くように舞い上がる。


 風を裂く鋼の塊が、一直線に飛び、醜精コバロイの額に突き刺さる。


「──!」


 体が硬直し、崩れる。

 刺さった大剣が、醜精コバロイに突き立ったまま震えていた。


 フィナは走る。


 その剣へ向かって。


 弾むように加速し、剣の柄に飛びつく。


 そのまま剣が絶命した醜精コバロイの体諸共、跳ね上げられる


 重力に引かれた死体を、フィナは二体の醜精コバロイへ向けて──蹴り飛ばした。


「──ッ!」


 死体がぶつかり、醜精コバロイたちは転倒。

 弾かれた拍子に、腹が無防備に晒される。


 フィナは空中から、刃を横に薙ぐ。


「──終わり」


 その一撃は、容赦なく、遠心力に任せた一撃だった。

 二体の醜精コバロイは、断末魔すら許されぬまま絶命する。


 最後の醜精コバロイが倒れた瞬間──。


 森が息を吸い込むように、音が止んだ。


 風も、葉擦れも、鳥の声も、すべてが一拍だけ静止する。


 そして、ゆっくりと静寂が戻る。

 光の粒が再び漂い始め、青緑の葉が柔らかく揺れた。


 森が、戦いの終わりを確認し、再び日常へと戻っていく。


 さっきまで暴れていた風が嘘のように止み、森の奥からゆっくりと鳥の声が戻ってくる。

 青緑の葉がひとつ、またひとつと落ち、血の匂いに混じって湿った土の香りが立ち上った。


 フィナは短く──。


「……ふぅ」


 息を吐き、フィナは銀灰を地面に突き刺したまま、しばらく動けなかった。

 胸が上下し、鼓動が耳の奥でどくどくと響く。

 手のひらは汗で湿り、握っていた柄の感触がまだ残っている。


 風が、葉を揺らす音だけが聞こえる。


 足元の土、草の香り、そして静かに血の匂いが混じる。


(……あのとき、虚大穴アケホラでは、何もできなかった。けど)


 今は違う。


 敵の数、位置、動き……すべてが見えていた。


 体は恐怖に負けず、ちゃんと動いてくれた。


(──私は、強くなった)


 その実感が、じわりと胸に広がる。


 恐怖ではない。


 興奮でもない。


 ただ、静かに──確かに、自分が確かに生きて行ける力を、戦えるという実感。


 足元の醜精コバロイの死体に、森の小さな虫が集まり始めていた。

 魔素に引き寄せられる習性だ、それは残酷な光景のはずなのに、どこか自然の摂理として受け入れられる静けさがあった。


(……これも、森の一部)


 フィナはゆっくりと息を吐いた。

 その吐息に合わせるように、光の粒がふわりと揺れ、森が再び呼吸を始める。


「よくやった、フィナ」


 木陰から現れたオリティスの声は、いつもより少し柔らかかった。

 フィナは振り返り、少しだけ頬を赤くしながらも、しっかりと頷いた。


「んっ」


 オリティスは微笑む。


「よく恐怖に呑まれず、状況を見て判断し、動いた。偉いぞ。」


 その言葉に、フィナの胸が温かくなる。


 森の風が再び吹き、青緑の葉が二人の間を通り抜けた。

 戦いの痕跡を包み込むように、森は静かに、ゆっくりと日常へ戻っていく。


 フィナは銀灰を一度振り、血を弾き、鞘に収めた。


(もっと……強くなれる)


 その小さな決意は、森の光の粒に溶けていくように、静かに胸の奥で灯り続けていた。

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