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「最果の物語」  作者: 灰那
第1章・中央大陸編「この理想を、世界が許すまで」

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第10話「旅立ちの鐘」

 ミオルタの石畳を踏みしめながら、フィナは相も変わらず屋台の串を頬張っていた。

 手にはふわふわの肉団子串、絶妙に効いた香りが鼻腔をくすぐる。


「ん、美味しい」


 小さくも力強く、満面の笑みで頷くフィナを見て、隣を歩くオリティスがくすりと笑った。


「そんなに美味しいのか? 1つ貰おう」


「んっ!」とフィナが串を差し出す。


 オリティスはすっと顔を寄せて、「あーん」と口を開ける。

 フィナは嬉しそうにその一口を渡した。


「……ん、美味しいな」


「ん!」


 笑い合いながら二人は冒険者協会の前へとたどり着いた。

 扉を開けた瞬間、外の静けさとは対照的に、ざわめきと熱気が押し寄せてくる。


 声が重なる、怒鳴り声、笑い声、取引の交渉、依頼内容を読み上げる声。

 金属がぶつかる甲高い音、椅子を引く軋み、酒場の奥でジョッキがぶつかる乾いた音。


 空気には、焼いた肉の香り、酒の匂い、汗と革の混ざった冒険者特有の匂いが漂っている。

 さらに、薬草を扱う者の甘い香りや、血の乾いた鉄臭さまで微かに混じっていた。

 

 フィナは思わず鼻をひくつかせる。

 

 視線を向ければ、壁際には刃こぼれした剣を研ぐ者、鎧の紐を締め直す者、仲間と地図を広げて作戦を練る者がいる。


 背中に巨大な槍を背負った男が通り過ぎ、フィナの肩に風が当たる。

 その後ろでは、魔術師らしき女性が魔力灯を調整し、淡い光が揺れていた。


 中は広い吹き抜けになっており、壁一面には依頼票が貼られた巨大な掲示板。

 冒険者たちが群がり、紙を剥がしては仲間と相談し、時に声を荒げて取り合っている。


 奥には長い受付が並び、数人の受付嬢が慌ただしく依頼票を受け取り、冒険者証に刻印を押していた。


「次の方、どうぞ!」

 

「報告は三番受付へ!」


 そんな声が飛び交い、鐘の音や紙をめくる音が絶え間なく響く。


 フィナは思わず立ち止まり、目を丸くする。


「……ん、昨日より騒がしい」


 その小さな声には、驚きと高揚が入り混じっていた。


 オリティスはそんな彼女を横目に見て、口元をわずかに緩める。


「改めて、ここが冒険者協会だ。依頼と情報、そして、人も金も……すべてが集まる場所だ。恐らく、今はちょうど人が混み合う時間帯なのだろう」


 その瞬間、パタパタと駆け寄ってきた声が響いた。


「オリティスさん!フィナちゃん!」


 振り返ると、あの日、登録時に対応してくれた受付嬢が満面の笑みで手を振っていた。

 長い金髪を後ろでまとめ、光を受けて蜂蜜色に輝いている。

 大きな瞳は澄んだ翡翠色で、笑うたびにきらきらと光を宿す。


 白を基調とした制服は清潔感があり、胸元には協会の紋章をあしらったブローチが留められていた。

 柔らかな布地のスカートが揺れ、明るい声と共に彼女の全身から活気があふれている。


「そうそう、自己紹介がまだでしたね! 私はミルフィと申します!これからよろしくお願いしますね!」


 オリティスは表情1つ変えずに、淡々と尋ねた。


「今日は依頼を見に来た。何かいいのはあるか?」


「はいっ!」とミルフィが即答する。


「経験は何よりも大事ですから! 特にフィナちゃんのような新人さんには、実戦感覚が一番の教材です! それで……おすすめの依頼を紹介するのもいいんですが、一度掲示板を見てみてはどうでしょう? もちろん受付から直接受注もできます。けれど、掲示板には様々な依頼が集まっていますから、きっとフィナちゃんの成長にもつながりますよ!」


 そう言ってミルフィは、二人を掲示板の前へと案内した。


 壁一面に貼られた羊皮紙の依頼票。

 

「階位は色に分かれてるんです、文字が読めない人も多いので、フィナちゃんたちは、ルキ階位なので、茶色ですね」

 

 フィナは目を丸くしながら、一枚一枚を食い入るように見つめる。


「読めない……」


 「そのために色があるんです!依頼は大きく分けて4種類あり、4つの色に分かれます。採取や運搬のような“生活依頼”は緑色、護衛や討伐のような“戦闘依頼”は赤色、そして探索や調査といった“特殊依頼”は青色、そして、ここにはないですが、直接依頼人に指名される“指名依頼”もあります!どれも冒険者の信用と経験を積む大事な仕事ですよ!」


 フィナは真剣に頷き、再び掲示板を見上げた。


「そうですね、あれはどうでしょう。虚大穴アケホラとは逆方向にある、比較的安全な地域──“葵群あおいぐれの森”での醜精コバロイ討伐依頼です。最近その森で馬車が襲われたとの報告がありまして……現地の商隊が困っているようなんです」


「ん、余裕」

 

 フィナが自信満々に言い放った。


「フィナがこう言ってるなら、決まりだな」


 オリティスがそう告げると、ミルフィは受付に戻り、手早く依頼書に判を押し、二人に差し出した。


「では! 無理せず、気をつけて行ってきてくださいねっ!」


 そのまま冒険者協会の中央に設置された鐘の綱を、勢いよく引いた。


 カランカランカラン──!


 乾いた鐘の音が、冒険者協会中に響き渡る。


「っ!」


 思わず耳を塞ぐフィナ。

 オリティスは平然としていたが、その横で受付の奥から怒声が飛んできた。


「この鐘は“緊急時”に鳴らすものだって、何度言えば分かるんだミルフィ!!」


「ご、ごめんなさ~いっ!」


 しゅんとなって頭を下げるミルフィの姿を背に、オリティスとフィナは静かに冒険者協会を後にする。


 扉が閉まる頃には、再びざわめきが冒険者協会を包んでいた。


 冒険者協会を出てしばらく歩くと、街の空気が少しずつ変わっていくのが分かった。

 以前は生き残った実感が強すぎてまともに感じられなかった光景だった。


 石畳は広く、ところどころに深い傷跡が残っている。

 まるで巨大な爪で抉られたような跡──喪失獣メメリアルがこの街を襲っていた頃の名残だ。


 道の脇には、古びた防壁の一部が残されていた。

 今は蔦が絡まり、花が咲いているが、その表面には焼け焦げた痕や、魔術の衝撃で砕けた跡がはっきりと残っている。


 フィナは思わず足を止めた。


「……ここ、戦った跡?」


 オリティスは頷く。


「ミオルタは元々、喪失獣メメリアルの侵攻を防ぐための大竜帝国ユーレンバンスが緊急的に作った前線基地だった、今は都市として栄えているが……この傷跡は、あの頃の名残だな」


 少し先では、兵士たちが訓練をしていた。

 槍を構え、掛け声を上げ、盾を打ち鳴らす音が響く。

 その動きは無駄がなく、洗練されていた。


「……強い」


 西門が近づくにつれ、空気がさらに引き締まっていく。


 門へ続く道の両脇には、監視塔が2つ建っていた。

 塔の上では弓兵が周囲を見渡し、魔力灯が昼間でも淡く光を放っている。


 門の外側には、古い杭の列が地面に突き刺さっていた。

 喪失獣メメリアルの突進を止めるために設置された“拒馬”の名残。

 今は撤去されているが、地面には深い穴がいくつも残っている。


 フィナはその跡を見つめ、胸の奥がざわりと震えた。


 門の近くでは、数名の兵士が交代の準備をしていた。

 鎧は磨かれているが、ところどころに古い傷が残っている。

 剣の柄は使い込まれ、革が手の形に沈んでいた。


 彼らの表情は穏やかだが、目だけは鋭い。

 

 ミオルタの西門に着いた二人。

 まだ日が高く、旅立ちには申し分ない陽気だった。


「おや、君たちは一昨日にここへやってきた人たちだよね?」


 門の片側に立っていた甲冑姿の門番が、気さくに声をかけてきた。


「んっ!」


 フィナは頷くと、腰の小袋から冒険者証を取り出し、すっと差し出した。


 門番は目を細めてそれを確認し、大きく頷いた。


「おおっ、冒険者登録できたのか!立派なもんだな!そうだ、改めて、俺の名前はハルド。こっちに立ってる、無口なヤツはアル。見ての通りの無愛想だけど、頼れる男さ。何かあれば、こいつに言ってくれよ」


 フィナは興味深そうに、隣に控える寡黙な門番アルをじっと見つめる。


「んっ」


 その一言と共に、ほんの少しだけ頭を下げる。

 アルもそれに応えるように、静かに頷いた。


「……ああ」


 二人の目が合うと、一瞬、言葉のいらない共鳴のようなものが流れた。


 その様子を見ていたオリティスは、肩をすくめるように笑った。


「どうやら、無口同士、何か感じるものがあるようだな」


 ハルドも頷きながら、「そうですね」と言いつつ、顔をほころばせた。


「ところで、お二人は今からどちらに?」


「さっき、冒険者協会で醜精コバロイ退治の依頼を受けたばかりだ。目的地は葵群あおいぐれの森」


 オリティスが答えると、ハルドはすぐに反応した。


「なるほど、葵群あおいぐれの森ですか。なら、西の小道を道なりに進めば大丈夫ですよ。しばらくすると、青緑色の葉が茂る林が見えるはずです。特徴的な色だからすぐ分かります。あの下森は比較的安全圏ですよ」


「どんな魔物が出るの?」


 フィナの短い問いに、ハルドは真面目な顔に切り替えた。


「序盤は醜精コバロイ疾狼ルプスルあたりでしょうね。どちらも下位魔物で素早さ重視の軽量種ですので油断は禁物です。特に疾狼ルプスルは上位種を混ぜた群れで動きますから。あと、奥へ行きすぎると茶鬣ゴルベアに遭遇する可能性があるかもしれません。あれは新人には少し早すぎるかもしれません。くれぐれも無理はしないでください」


「情報、感謝する」


 オリティスは軽く頭を下げると、フィナの方へ振り返った。


「フィナ、行くぞ」


「んっ!」


 それだけで、フィナはしっかりと頷いた。


 二人はそのまま門を越え、指し示された小道へと歩を進めていく。風が少し強くなり、街のざわめきが後ろへ遠ざかっていった。


 門の背後で、ハルドが小さく呟く。


「……綺麗な人だったなぁ、あの黒髪の人……」


「……ゴホン」


 隣で、アルが静かに咳払いをする。


「なんだよ~! 本音言ったっていいじゃん!なあ、お前も少しはそう思ってただろ?」


 アルは無言のまま視線を前に向けるだけだったが、その耳がわずかに赤くなっていたことに、ハルドは気づいていない。





 

 陽が西に傾きはじめた頃、オリティスとフィナは、ハルドから教わった通りの道を静かに進んでいた。


 舗装された石畳はいつの間にか、土と木の根が混ざる柔らかな小道へと変わっていた。

 湿った風が頬を撫で、草の香りと遠い鳥のさえずりが、旅の緊張を少しだけ和らげてくれる。


 そんな中、オリティスがふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、魔物の勉強はまだだったな」


 フィナは興味津々といった様子で、すぐに「んっ」と頷いた。


「魔物には、大きく分けて2つの種類がある。1つは通常種──生まれつき魔物としてこの世界に現れた存在。たとえば、今日の討伐対象である醜精コバロイがそうだ」


「ふむふむ」


「もう1つは属性種、“属性の影響”を受けて魔物に“変化した”存在。あるいは、属性の乱れや濃度の集中によって“自然発生”した魔物。先ほど話に出た疾狼ルプスル茶鬣ゴルベアがそれに該当する」


「……変化……?」


「そうだ。強さで言えば……後者の方が格上になりやすい。属性魔物は環境や魔力の影響で突然変異的に強くなることもあるからな、世界由来が属性種、生物由来が通常種だ」


 オリティスは立ち止まり、後ろを振り返る。


「そして──属性魔物の中でも最強種と言われているのが、龍だ」


 その単語に、フィナは違和感を覚え疑問が浮かんだ。


「……龍?」


 声に出していった瞬間、フィナは言葉にさらに違和感を覚えた。

 

「違和感、でも……興味、ある」


 突然、オリティスの横の空間が割れ、アジスイデアが現れた。

 

『龍だと! 我ら竜の下位存在である塵だぞ、フハハ、あれは哀れな造物よ、我らがいたからこそ言葉が歪んだ!小娘。助言をくれてやる、龍はともかく、竜には挑まぬことだな。オリティスの庇護下であろうと、喰い殺されるだろうからな』


「私もフィナに竜を任せる気はない。あれは私でも苦戦するからな……そんなことより、着いたぞ」

 

(竜、龍、りゅう?)

 

「龍と竜の言葉は同じように聞こえて、性質は全く違う、しかし、違いは今度だな、着いたぞ」

 

 フィナの思考を遮るように、目の前に広がっていたのは、幻想の森だった。


 葵群あおいぐれの森、その名の通り、葉の色が不思議な青緑に染まった木々が一帯に広がっていた。

 昼間でも空が薄く見えるほどの密度、そして、ほの暗い森の奥からわずかに差し込む日差しが、葉に反射して淡く輝いている。


「……綺麗」


 フィナが小さく呟いた。


 その静けさの中、森のどこかで鳥がさえずり、風が葉を揺らして通り過ぎる。


「まだ、雨の匂いが残ってるな」


「……雨の匂い、好き」


「私もだ」


『我は好かん!』


 二人はアジスイデアに呆れた視線を向けた。


『……チッ、我は帰る!』


 視線を気に入らなかったアジスイデアは、鼻を鳴らすようにしてそのまま亜空間へと姿を消した。

 

「では、行こうか」


 二人は静かに、青緑の森へと足を踏み入れた。

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