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第43話 ミスジェロ

「箱舟作りに協力するよ。でもさ――私たち、今遭難中なわけ」


天空神は、先ほどまでの軽い調子をわずかに引っ込め、真っ直ぐに青年を見つめた。


その瞳は、冗談も誤魔化しも一切含んでいない。


まるで、相手の奥底まで覗き込もうとするような、静かで鋭い光を宿していた。


「だからさ」


一歩、距離を詰める。


潮風に濡れた髪が揺れ、その隙間から覗く瞳は、まるで磨き上げられた宝石のように澄んでいる。


「君が、そこまでノアくんに執着する理由を教えてよ」


柔らかい口調。だがその言葉には、確かな“重み”があった。


助けるかどうかを決めるための問い。


逃げ場を与えない視線。


青年は、思わず喉を鳴らした。


(なんだ……この目……)


吸い込まれそうになる。


丸く透き通ったサファイアのような瞳。しかしその奥には底知れない何かがある。見透かされているような感覚に、背筋がじわりと冷えた。


しばしの沈黙。


そして――


「……わかった」


低く、短い返事。


その一言で張り詰めていた空気がわずかに緩む。


翔と天空神は顔を見合わせ、小さく笑った。


「そういや君、名前は?」


翔が軽く問いかける。


青年は一瞬だけ目を伏せ、そして口を開いた。


「……俺の名前は、ミスジェロだ」


その名を口にした瞬間。


ほんのわずかに、表情が揺れた。


ミスジェロ。


その名前には、確かな“意味”がある。


そして――ここから、新たな物語が動き出す。


「ミスジェロね!」


天空神がぱっと表情を明るくし、いつもの調子に戻る。


「バカでも理解できるぐらいに、君の物語説明してよー」


空気が軽くなる。


だがその裏に、“ちゃんと聞く”という覚悟があった。


ミスジェロは小さく息を吐き、語り始める。


ある時天から、一柱の神が舞い降りた。


その存在は、人間には理解できないほど神々しく、ただ一方的だった。


神は言った。


「船を作りなさい」と。


命じられた人間の名は、ノア。


まだ若い、一人の少年だった。


そして――


そのノアを監視する役目を与えられたのが、当時の俺だ。


「……君、名前は?」


ある日、ノアが無邪気に尋ねてきた。


その時の俺は、ただの“使者”だった。


神と人間の間に存在する、亜人。


中途半端な存在。


だから、名前など持っていなかった。


「俺に名前なんかねぇよ」


そう答えた、その時。


ノアは笑った。


何の迷いもなく。


「ミスジェロ!」


明るく、真っ直ぐな声で。


「君の名前は、今日からミスジェロだよ」


その瞬間。


身体の奥で、何かが変わった。


感覚が書き換えられる。


亜人が人間に名前を与えられると――存在が人間側へと寄る。


気づいた時には、自分の姿は変わっていた。


黒猫だった身体は、人の形へと。


「……それからは、まあ普通だ」


ミスジェロは小さく笑う。


「一緒にいて、仲良くなって……」


だが、その笑みは長くは続かない。


「この記憶も確かにあるのに、、全部作られたものだったんだ」


ノアの話によるとミスジェロという名前をつけられた時あたりの記憶が思い出せないらしい。思い出せるのはノアと過ごしたただ幸せな記憶。


「……執念だね」


天空神が指をさして言う。


軽い口調とは裏腹に、その表情はどこか感心していた。


翔も、小さく頷く。


だがその目は――変わっていた。


何かを思い出したように、わずかに見開かれている。


胸の奥に、引っかかる感覚。


じわりと熱が灯る。


翔は目を閉じた。


思い出すのは――あの“家”。


息が詰まるような空気。


逃げ場のない圧。


(……似てるな)


ゆっくりと目を開く。


その瞳の奥に、火が灯る。


翔は一歩前に出て、ミスジェロの前に立つ。


「俺らは今遭難してる」


現実的な言葉。


「つまり無一文だ」


淡々と続ける。


「お前が俺たちの最低限必要なもん揃えられるなら――」


視線を真っ直ぐ向ける。


「船作るの、協力するぜ」


空気が、わずかに動く。


「私も〜」


天空神が気の抜けた声で続く。


「どうせ今神力使えないし〜。天界行くなら船しかないし〜」


天空神は軽い口調だった。


だがその目は、しっかりとミスジェロを見ていた。


二人の答えは、ただの善意ではない。


目の前の存在が――


“助ける価値があるか”。


それを見極めた上での、選択だった。

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