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黒の女神  作者: 紗月
空の章
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85/179

XI.扉向こうの雨 83

83.



町の酒場で。

陽気な笑い声と豪胆な怒声に交じって囁かれる噂話。

「“塔”に国王一行が視察に来ているらしいぞ。」

「例の災いの女神も一緒なんだろう? 何も、起こらなきゃいいけど。」

木のテーブルにどんと杯が置かれ、男たちは眉を寄せる。

「どーりで。このところ、兵士たちもピリピリしてるはずだ。」

「アジャートを警戒して、という話もあるな。」

「そうなのか? まー、実際はどうなんだか。」

「まあなぁ。あ、同じのもう一杯!!」

薄暗いホールに集まる人の間をぬって、女は1人の男に声をかけた。

「来たわよ。」

相変わらず気怠そうな様子で顔を上げた相手に、彼女は艶然と微笑む。

「明日には合流できる。」

「向こうは、きちんとケリ付けたんだろうな。」

「じゃなきゃ困るわ。目を付けられるなんて、間抜けね。」

「お前のは、確かな情報なんだろうな。」

「あたしは間抜けじゃないもの。」

疑うような言葉を吐いた男に、さらりと答える。

「目の前の獲物に、気づかないなんてアリエナイ。」

皮肉を込めて告げれば、氷のように冷たく鋭利な視線で睨みつけられた。

それを平然と受け流し、女は真っ赤な唇を引き上げた。

「始めましょうか。」











フィルゼノン王国・ラグルゼは、警備隊の駐留する街である。

隣国との紛争が耐えなかった西部では、騎士や歩兵などが多く在駐して物々しい雰囲気の街が多い。

ラグルゼもまた、高い塀に囲まれた閉塞的な街である。

ただ、大きな街であるだけに他の場所に比べて幾分か賑やかではあった。

街の近く、国境側に北の山脈からのび南の海へ流れ込むアリオン川がある。

ラグルゼの管轄区内では、日々見回りが行われる。

休戦条約が締結された今でもそれは変わらない。


国境近く、城塞都市とすら呼ばれるここは警備の要所であった。






「ようこそ、ディア様。」

転移の光に目を閉じていたセリナが聞こえた声に顔を上げると、男が深々と頭を下げたところだった。

「ウィンダム様。これは、わざわざのお出迎えありがとうございます。」

恐縮したようにグリフがお辞儀をする。

「グリフ=メイヤード殿だな。礼には及ばぬ。」

厳めしい顔の恰幅のいい男は落ち着いた声でそう答え、一同を見回した。

「どうぞ、こちらへ。」

魔法陣を出るように促され、おとなしく従った一行は続き間に案内される。

移動の際、自然な動きで右手をラスティに取られ、流れに任せて片手を預けた。

地下なのか空気がひんやりと冷たい。

「わたしは、ラグルゼ警備隊の総隊長ガーライル=ウィンダムです。」

「初めまして。よろしくお願いします。」

小さく頭を下げたセリナの言葉が終るのを待って、グリフは同行者の3人を示した。

「ガーディナーのナクシリアとライズ。それから侍女のアエラ。ディア様とともに碑石へ同行する者たちです。」

ガーライルは無言で頷いてから、自分の後ろの壁に目を向ける。

そこには男が1人控えていた。

「明日、ポセイライナへの案内役を務めるラグルゼ警備隊特務部所属のレイク=ライアンです。剣の腕は確かで信頼のおける人物です。」

くすんだ水色の髪の男が目を伏せたまま顔を上げた。

30代後半と見える彼は、きっちりと藍色の制服を身につけた誠実そうな人物だった。

「それから、もう1人。ここにはいませんが、同じく特務部からサイモン=タナーという男が同行する予定です。」

「ウィンダム様の人選であれば、安心してディア様をお預けできます。」

笑顔を作ったグリフとは対照的に、ガーライルは一瞬だけ表情を強張らせた。

「ディア様のことを知っているのは、わたしと特務部の人間だけです。」

ガーライルの言葉にグリフが頷いた。

「その事情もあり、今宵こちらにお泊りいただきますが、少々窮屈な思いをさせてしまうかもしれません。それから、極秘の行動とのこと。人目を避け、出立は早朝を予定しております。裏門からの出入りなど不快な点もあるかと存じますが、どうぞご了承くださいますよう。」

セリナへの台詞だが、ガーライルの目線はラスティとパトリックに向けられていた。

先程から手を取られたままのセリナがちらりと横を見上げれば、ラスティと目が合う。

ほんの僅かラスティが首を傾げ、セリナに目で問う。

―――どうされますか?

ガーライルが護衛に語りかけるのはセリナへの配慮なのだろうが、護衛側はそれに乗るつもりはないようだ。

貴族の姫君なら、こういうやり取りを護衛に任せることもあるだろうが、セリナからすれば、ただ自分を飛ばして話されているような状況である。

セリナは背筋を伸ばして、ガーライルを見据えると口を開いた。

「無理を聞いていただいているのは私の方です。あなた方の協力に感謝します。」

それを聞いた総隊長とレイクは再び深々と頭を下げ、セリナは思わず天井を見上げてしまう。

「では、ディア様。どうぞお気をつけて。」

グリフに向き直った、セリナはぺこりと頭を下げた。

「メイヤードさん、本当にありがとうございました。」

「いえ。」

「皆を部屋までご案内して。」

ガーライルの言葉に、レイクが頷いて扉を開ける。



部屋を出て行くセリナたちに頭を下げ、再びグリフが顔を上げた時には扉は閉まっていた。

残されたのは彼とガーライルだけだ。

「では、私はこれで失礼します。」

「うむ。」

短く応じたガーライルに、グリフは内心で苦笑を浮かべる。

見た目ではわからないが、否応なく重いモノを渡され、扱いに苦慮しているのだろう。

一礼し、踵を返すと、グリフは塔へと戻るべく魔法陣へと足を向けた。







砦のような警備隊の建物。

裏道らしい廊下を通り、誰にも会わずにセリナたちは部屋まで案内された。

そこでレイクと同じ制服を着た、もう1人の案内役・サイモンと顔合わせを果たす。

金色の髪を短く刈り上げたサイモンは、緊張しているのかぎこちない笑みでセリナたちを迎えた。

レイクとサイモンから、建物内の位置関係と明日の予定について詳細な説明を受け終わる頃には、すっかり夜になっていた。

その後、周囲を偵察しに行ったパトリックが戻ってくるのを待って、4人は客間に集まった。

「説明してくれた通り、ここは建物の端、厩舎や裏門に近い場所ですね。」

地図がないため、パトリックは机の上に指でそれぞれの位置関係を示した。

「なるほど。人の出入りも少ないだろうし、人目を避けて行動するには適した環境だな。」

ラスティは、腕を組んで小さく頷いた。

「明日は日の出前に出発です。移動続きの強行軍ですが、大丈夫ですか?」

ソファにかけていたセリナに、パトリックが声をかける。

「私が言い出したことだもの。弱音なんて吐いていられないわ。」

そう言って、セリナは笑って見せた。

「何かあれば無理せず、仰ってくださいね。」

「ありがとう。」

「アエラも。」

「は、はいっ!」

不意に声をかけられ、アエラは慌てて首を縦に振った。

(ちゃんと女の子を気遣うあたり、やっぱり騎士だな。ジェントルマン。)

妙なところに感心しながら、セリナは1人うんうんと頷いた。

「我々は隣の部屋にいます。念のため警護についていますが、セリナ様のことは頼んだぞ。アエラ。」

セリナに告げていた言葉の後半はアエラに向けられていた。

「はい。」

神妙な面持ちで答えて、アエラは両手を握り締めた。

塔で、魔法陣を前にしてから極端に口数が減っていたアエラ。

「秘密裏の滞在だが、敵地にいるわけじゃないんだ。そう緊張するな。」

呆れたようにラスティが告げる。

憮然としたような表情だが、アエラへの気遣いなのだと気づいてセリナは可笑しくなった。

(不器用……だけど優しいところもあるんだ。)

「は、はい。」

恐縮したようにアエラが答える。

知り合いだけになって、ようやくいつもの調子を取り戻してきたようだ。

「わたしがしっかりセリナ様の側に付いております!」

両の手で拳を作って、力強くアエラ宣言する。

「ダメよ、アエラも休まなくては。」

「え!?」

即答でセリナが切り返せば、アエラが驚いた顔を見せた。

「そうだよ、きちんと休息は取らなきゃ。明日もあるのだから。」

「え!?」

続くパトリックの言葉に、大げさに顔を上げ狼狽の色を濃くする。

その様子を見ていたラスティが、アエラに目を向けた。

「そんなに、気負わなくていいと言っているんだ。」

「は、はぁ。はい。」

アエラはおとなしく座り直すと、ようやく納得の表情を見せた。

「では、そろそろ休みましょう。」

ラスティのその言葉でパトリックとラスティが立ち上がり、アエラもつられるようにして腰を上げた。

立ち上がった3人に向かって、セリナは口を開いた。

「調べたいことがあるという説明だけで、こんなところまで付き合わせてごめんなさい。それから、協力してくれてありがとう。」

振り向いた彼らの間に、少しの沈黙が落ちる。

「大切なこと、なのでしょう?」

告げられたパトリックの声は思いの外、柔らかかった。

「ここまで来たのは任務でもありますが、我々の意志でもあります。セリナ様が気にすることは何もありません。」

「ありませんわ!」

語尾を捉えてアエラが同意を示す。

親切な彼らに、セリナはソファから立ち上がり、ありがとう、ともう一度告げた。









こちらの姿を認めた兵士が、敬礼を取る。

フィルゼノン城の西翼の端。目立たない場所に、その狭い会議室はある。

『サルガスの摘発は、“黒の女神”のおかげだ』と。

街でささやかれる噂の出所を探っていたクルス。

自然発生するとも思えないその話は、やはり関係者が絡んでいた。

「リュート=エリティスは、中に?」

兵士に向けて問えば、はい、と短くはっきりとした声が返された。

先に執務室を訪ね、不在だったので、もしやと思って、こちらに来てみれば案の定だった。

(生真面目な……。)

兵士がノックするのを眺めながら、扉が開くのを待つ。

(昨夜から、ずっとここにいたのか。)

取り調べや簡易な収監所として使用されることもあるこの部屋は、決して居心地のいいものではないが、地下牢に入れられるよりはましだと考えるべきだろう。

やがて、中からリュートが姿を見せた。

「クルセイト様。」

頭を下げたリュートの顔には、疲労がにじむ。

「嫌疑については、間違いありません。」

「認めると?」

「はい。」

肩を落とすリュートに、クルスは止めきれなかったため息をつく。

「そう……軽はずみなことを。」

昨夜もらしたのと同じ感想が口をつく。

「こんな事態を招くことになるとは、申し訳ありません。」

頭を下げるリュートに、クルスは片手を上げてそれを制す。

「エリティス殿の謝罪は不要です。」

「……。」

「ただ、反省はしていただかなくてはなりません。」

「はい。」

表情を曇らせたリュートに、クルスは眉を寄せた。

「何か、気になることが?」

「……。」

「全て話した方が身のためだと、わかりますよね?」

眼鏡の奥の瞳を細めてリュートを見やるが、悄然とした様子の騎士に、クルスは語勢を弱めた。

「エリティス殿、少し休んでください。あなたには、城内警備の任務もあるのですから。」

リュートの肩を軽く叩いて告げれば、リュートが頭を下げた。

密売組織の摘発に黒の女神が関わっているということが、人の口から外へ出た。

そこに悪意はなくとも、情報漏えいという、それは処罰の対象だ。

とはいえ、今回のこともセリナが街へ抜けだした時と同様に、内々で処理されることになるだろう。

(こちらのことは、騎士団長に任せるか。)

クルスには、他にもまだ大きな気がかりが残っている。


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