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黒の女神  作者: 紗月
空の章
19/179

Ⅲ.己の立つ場所 18

18.



セリナは、木々の間からちらちらと見える白色を頼りに小道を歩く。

打診を受けてから既に3日が経っていた。

考えなければ。とは思うが、何が最善の方法かなどわからない。

今日のマーラドルフの授業は上の空で、呆れた女史が早目に切り上げたくらいだ。

心配しているのか物言いたげなアエラの視線を背中に感じるが、振り向かずにセリナは神殿を目指して足を進めた。

(初めに落ちた場所。)

部屋にいても答えは出ず、セリナは自分が落下したという場所へと向かうことを思いついたのだった。

何かわかるかもしれないという淡い期待を抱きつつ歩いて行くと、木々が減り、不意に視界が開けた。

(これが神殿。)

長方形の舞台の左右に3本ずつ白い柱が並ぶ。祭壇のような台座があり、その奥の一辺分だけ壁が作られていた。壁は上部が三角に尖っているが、そこから続く屋根はない。

遠くから見えていたのは、屋根ではなくこの壁の上部だとそこで初めて気づいた。

2歩で上がりきる短い階段が作られている場所が、入り口なのだろうと見当をつける。

どんなに立派な建物なのかと思っていたが、あっさりとした佇まいに拍子抜けした。

(期待してたような閃きは何もない。特別な何かを感じるわけでもない。)

「さすがに甘かったかな。」

さわさわと木の葉が風に揺れる。

セリナは、地面より一段高くなった神殿の床へと腰をかけた。

気を回したのかアエラは少し離れた場所で控えたままだ。

(落ちてきた、か。)

上を見ると青い空が広がっている。覚えている場面もあるが、実感は乏しい。

細かい傷がすっかり癒えた今となっては、あれが現実だと示すものは右腕の傷痕くらいだ。

深呼吸して、セリナは視線を神殿に戻した。


―――好きに選べばいい。


選択の余地を残したジオの言葉が蘇る。

会うも会わないも、どちらかが正しいということはない。

ただ自分がどうしたいか、ということだけだ。

(巫女姫は、神殿の長だと言っていたから、多分偉い人なんだよね。)

突然放り出された世界で、周りの親切をいいことにこれまで受動的に過ごしてきたのだ。

立場はどうあれ庇護を受け日々の生活は保障されている中で、自分では何の決定もしないでここにいる。

(私が初めに落ちたこの場所で。招かれざる存在のために祈りたいと?)

無意識に眉を寄せた。

(本当に? 巫女の目的はなんだろう。)

ジオはいくら崇めても、と言っていたが、それが皮肉であることくらいわかる。

(対峙する覚悟はあるの?)

どんな視線を向けられるのかわからない。おそらく好意的ではないだろうと思えば、会うのは怖い。

以前、メイドたちの時がそうであったように、いくら強がっても傷つくことは避けられない。

(仮にその場に、同席する人間がいたとしても、守ってもらうことを期待するのは卑怯だ。)

だからこそ、決めきれない。

(その巫女に認められたら、災いをもたらす者という女神のイメージを変えることができるのかな。それとも、定着させてしまう? もし途中で何か起こったらどうしよう。それ以前に、巫女が私を認めなかったら、ここにいる前提を否定されたら?)

うじうじと悩んでいても答えなど出ようはずもない。

思考は同じところをぐるぐる回るだけだ。

「はぁ。」

深いため息をついて肩を落とす。


「あ、人がいたんですね。」


「!!」

急な声に反応してセリナが顔を上げると、1人の少年が立っていた。被っていたフードを取ると、さらさらと銀の髪が揺れる。

「御機嫌麗しく。」

呆然とするセリナに向かってお辞儀をしたのは、12,3歳くらいの男の子だった。

「こんにちは。」

言葉を返したセリナに、笑みを浮かべてみせる。

「セリナ様、ですね?」

確認するように少年に問われ、身を固くした。

外へ出る時は少しでも髪色が目立つのを誤魔化すため1つに結い上げて派手目な髪飾りをつけるか、ヴェールのような帽子を被っているのだが、女史の授業の後思いつきで出てきたため、今日は簡単に結った髪を肩に流しただけのスタイルだ。

外見で正体がばれてしまうのは考え物だと思うと同時に、セリナは自分の迂闊さを悔やむ。

ぴくりとも動かないセリナに、あ、と口を動かして少年は背筋を伸ばした。

「僕はリオンといいます。初対面だというのに不躾でしたね、失礼しました。」

深々と頭を下げた相手に、セリナはようやく石化を解く。

「それと、お邪魔してしまってすみません。」

「え?」

「考え事をしていたようでしたので。」

「あ、えぇ。少し…ね。」

急にずばりと言い当てられて、ごまかす暇もなく素直に答えてしまう。

「僕はすぐに立ち去りますので、ご心配なく。」

人好きのする笑顔を浮かべてそう告げ、それから少し首を傾けた。

「ちなみにご存じですか?」

「?」

「ここ、立入禁止区域なんですよ。」

「え!?」

笑顔のままさらりと言われた言葉に、セリナは思わず声を上げた。

しーっと人差し指を口元に当てる仕草を見せて、リオンは笑う。

「なのでセリナ様も兵士に見つかる前に、戻った方がいいかと思います。」

「う、嘘。」

キョロキョロとセリナはせわしなく周囲に目をやった。

「残念ながら本当です。あぁ、弾かれなかったんですね。」

「は、はじかれ?」

動揺したまま繰り返すセリナに、少年は小首を傾げる。

「……いえ。周りに“ロープ”を引っ張ってたはずなんですけど、乗り越えてきたワケじゃなさそうですね。」

(あわわ、ばれたらすごくマズそう。)

わたわたと立ち上がり神殿から離れる。

アエラの元に寄りかけて、セリナはふと少年に視線を止めた。

「じゃあ、あなたはなぜここに?」

兵士に見つかる前に、と言うくらいだから、彼は兵士ではないのだろう。

問いかけにきょとんとした表情を見せて、リオンはあぁ、と1つ手を打った。

「一度、この神殿を見ておきたくて。」

これまたなんでもないことのようにさらりと答えて、神殿を手の平で指し示す。

「立入禁止だって、知ってるのに?」

「見るだけですから。」

(いや、それはあんまり……っていうか全然、関係ない気が。)

浮かんだ突っ込みを口に出す前に、おろおろしていたアエラが真っ青な顔でセリナの隣に並んだ。

「セリナ様! こちらの方は?」

不信感も露わに、戸惑いながらセリナを窺うアエラの声に重なって不意に鋭い声が響く。

「おい! 誰かそこにいるのか!?」

「あ、見つかると面倒ですよ。」

小道の向こうから駆けてくる兵士の気配を察知して、リオンが呟いた。

「失礼。」

短く断ると、リオンはセリナとアエラの腕を取った。

突然の行動に驚いた次の瞬間、周囲の景色がブレる。

「!?!?」

気がつくと神殿はなくなり、間近まで木々が迫っていた。

「セ、セリナ様!」

アエラがぎゅっとセリナの手を握る。

「何、いったい何がどうなって……! ここは!?」

「ちょっとだけ神殿から移動しました。立入禁止区域外に。」

言いながらリオンは掴んでいた2人の腕を放す。

問いつめようと動揺したままリオンを振り返ったセリナの目に見慣れた物が映る。

「ぁ……ここ、いつもの休憩所。」

庭を散歩する時によく利用するガゼボがすぐ側にあった。

すっと目を向ければ、思った通り木々の間からチラリと神殿の一部が見えた。

「あんな場所にいるところを兵士に見つかると困るでしょう? お互いに。」

あのタイミングならば姿を見られてはいない。『人の気配がしたが気のせいか?』程度で片付けられるだろう。

リオンの発言に、セリナとアエラは顔を見合わせた。

「つまり、助けてくださったのですか?」

目を瞬かせながらアエラが口を開く。

突然セリナの前に現れた少年に警戒の目を向けていたアエラだったが、早々に敵意を緩める。

ぽりぽりと頬を掻きながらリオンが苦笑する。

「1人だけ逃げるのも後味悪いですからね。」

「今のは、魔法なの? 一瞬で別の場所に。」

恐る恐るというふうに問うセリナに、リオンは肯定の笑みを浮かべる。

「あなたは魔法使い?」

「まぁ、そうとも言われます。」

なんだか曖昧な答えだが、セリナはそれで納得して大切な言葉を口に乗せる。

「ありがとう。知らなかったとはいえ、入ってはいけない場所だったなんて。」

「礼を言われるほどのことでは。」

「禁止区域に立ち入ったのはわたしの不手際です。セリナ様を守ってくださりありがとうございました。」

セリナの後ろでアエラも深々と頭を下げた。

「どうか顔を上げてください。知ってて入った僕の立場がありません。」

慌てるリオンの言葉に、セリナは思わず頬を緩めた。

「けれど、そのおかげで助かったわ。怒られるだけならいいけれど、私の場合誰にどんな迷惑をかけるかわからないし。自分でわからないなんて情けない話なんだけど。」

「そんなことはありませんよ。己のことなど、誰しもわからないことだらけです。」

卑下したセリナの台詞をやんわりとリオンは押しとどめた。

「……。」

年の割にひどく落ち着きのある態度だった。

初めから大人びてはいたが、妙に力強い発言をする子供だと思う。度胸があると言うべきかもしれなかった。

「リオンは。私が、なんと呼ばれているのか知っているのでしょう? それなのに普通に接してくれるのね。」

セリナは一拍おいて、試すような気持ちで言葉を発した。

「“災厄”は恐ろしくはないの?」

少年が息をのんだのがわかった。けれど、すぐにリオンは肩の力を抜いてセリナを見た。

「貴女は優しい人ですね。」

今度はセリナが息をのむ番だった。

「僕は根拠なく語られる災いより、ひどい現実を知っています。それは“黒の女神”がいなくても起こった。」

リオンの銀色の髪が風に遊ぶ。

若い木々と同じ新緑色の瞳はまっすぐにセリナに向けられていた。その視線にはチラチラと揺らめくような炎が潜んでいる。

「なんて。」

硬くなりかけた空気を一掃して、少年は口角を上げる。

「さぁ、そろそろ本当に僕も戻らないと。」

言ってリオンは一歩セリナたちから距離を取った。

「他人には言えない問題もあるでしょうが、お1人で思い悩むのは良くないですよ。あまり思い詰めないようにしてくださいね。」

言葉を選びながら彼は神妙な顔をする。

先程の考え事のことを言っているのだとセリナはすぐに理解した。

「ありがとう。」

礼を告げるセリナに、リオンは申し訳なさそうに眉を下げた。

「僕でよければお力になります、と言えるほどの力がなくて不甲斐ないです。」

セリナは目を瞬かせ、次いで笑いをこぼした。

「いいのよ。良ければ相談に乗りますって言われる方がきっと困っちゃうから。」

それは本心。自分がどうしたいのかという悩みに、他人が答えを出せるわけもない。

「そうですか。」

セリナの笑顔に安堵したのか、少年も頬を緩めた。

「ありがとう、リオン。決まり文句みたいに、人に話せば楽になるなんて言われるよりずっと嬉しかったわ。」

誰かに聞いてもらいたい時というのも確かにあるのだが、今の心境ではない。

まるでそれを察したかのように、力になれないことを残念に思ってくれる少年は人の心の機微に敏感なのかもしれない。

リオンは再びにっこりと人好きのする笑顔を見せる。

「これは、ある学者の言葉なのですが。」

そう前置きをして、内緒話をするように唇の前に人差し指を立てた。

この仕草は彼の癖なのかもしれないとセリナは思った。


「2つの道で悩む時、人はたいていもう進むべき方を決めている、と。」


セリナは大きく瞳を開いた。

「思い悩むのは脳。心は答えを知っている、のだそうですよ。」

「……。」

「悩みが深い時、言うほど単純ではないのでしょうが、こうしてお会いしたのも何かの縁。貴女が一番後悔しない、納得のできる答えを見つけられるよう祈っています。」

セリナにもう一度笑って見せて、リオンはゆったりとお辞儀をした。

「ありがとう。」

同じ言葉ばかりを言っている気がしたが、セリナはそれでも声をかける。

沈みかけた夕日が照らす彼の顔は、セリナの目にとても眩しく映った。

「それでは、僕はこれで失礼を。」

えぇと頷き、見送ろうとしたのだが、一瞬の瞬きの後、リオンの姿は目の前から消えていた。

「魔法?」

最後の問いに答える者はなく、セリナは小さく息を吐いた。



(心は答えを知っている。)

告げられた言葉を反芻して、セリナは苦笑する。



その言霊が心に響いた理由ならもうわかっていた。


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