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黒の女神  作者: 紗月
空の章
20/179

Ⅲ.己の立つ場所 19

19.



そなたは何を望む。



真っ直ぐな瞳で問われた言葉に、上辺だけの薄っぺらな答えは返せない。

(私は何を望む。)

選んだ答えに。

後悔をしないように、セリナは顔を上げた。



決めた答えは、ほとんど顔を合わせることのない補佐役の侍女イサラから、クルスに伝わった。

周囲に伝えろと言っていたので、ひとまずアエラに伝えたのだが、この件については指示を受けていなかったようだ。

具体的な方法を何も聞いていなかったので、ではどうしようかと悩んでいる間に、イサラがクルスからの「承知しました」との返事を持って来たのだった。







セリナはいつもの庭へと足を向けた。

自由に出入りすることを許された、数少ない場所の1つだ。

先日のジオの言葉を思い出して、改めて気づく。

(行動に制限はかかっているけど、確かに何も強制されたことはない。)

ティリアやマーラドルフの講義ですら、嫌ならいつでもやめることができるのだろう。

ここに来てまた勉強?と思ったこともあるが、日々やることがあるのは有難い。

加えて、元々読書好きなため、マーラドルフの授業経由でこの国の本、主に絵本のような簡単な読み物だが、それを手にできるのが楽しみでもあった。

庭を歩きながら、セリナは日差しに目を細める。仰ぎ見て視界が暗転した。

(あ、まずい。)

体がバランスを崩すより前に、しっかりとした腕に支えられ安定を得る。

護衛に付いていたリュートが心配そうにセリナの顔を覗き込んだ。

「セリナ様、大丈夫ですか?」

「平気。」

一瞬の立ちくらみは既に彼方、しっかりとセリナは自立する。運動不足のせいか、ずいぶん体力が落ちているようだ。

セリナの言葉を信じた様子のないリュートに、苦笑して小さく両手を上げた。

「平気だけど。じゃぁ、ちょっと休憩。」

そう告げると相手は、あからさまにほっとした表情を浮かべた。

「それでは下に敷くものを……。」

「いいよ、芝生だしね。」

マントを外しかけたリュートの先手を取って、陽の光を避けるように木陰に座り込む。セリナ様!と抗議の声を上げる相手は無視だ。

次の行動に迷うリュートにセリナは自分の隣を示した。

「リュートも少し休憩すれば? 最近ただでさえ忙しそうなのに、今日は朝からずっと付いてくれてるでしょう?」

「いえ、護衛ですからそういうわけには。」

このところラヴァリエの別の騎士が護衛に付くことが多く、こうしてリュートと外を歩くのは久しぶりのことだった。

そうなの?と残念そうに呟いたセリナに、リュートが思いのほか狼狽えた。

結局、提案を無下にできなかったのか、片膝を立てた体勢で側に控える。

頬に当たる風を感じて、いい天気だとセリナは肩の力を抜いた。

ふと、先日のアエラとの会話を思い出して、口を開く。

「もう時期、夏なんでしょう?」

「え?」

予想もしていなかった話にリュートは思わず聞き返した。

「そう聞いたけど?」

「えぇ、そうです。」

「ここでも同じように季節が巡っているなんて、当然のことかもしれないけど不思議だと思って。」

遠くを眺めるセリナの横顔を見ながら、リュートは返答する。

「冬は雪に閉ざされることもありますので、みな短い夏を謳歌するのです。」

「そっか。」

答えて、セリナは少し空を仰ぐ。

(それで社交期か。)

土地柄と風土に合わせて、文化は発展するものだ。と訳知り顔で納得して見せ、さらに、どうやらこの国は夏が短いらしいと、新しい知識を手に入れ一人頷く。

「夏かぁ、確かに以前よりは陽が強くなったような気がする。」

「! 大丈夫ですか!?」

顔色を変えたリュートにセリナは苦笑する。

「やだな、平気だよ。リュートは心配性ね。」

もっとジリジリとした暑さを毎年のように経験しているのだ。

「セリナ様に何かあっては……。」

「陛下に会わす顔がない?」

セリナは笑って言ったのだが、リュートは思いがけず怖い顔を見せた。

「そうではありません、いえ……それもありますが、何より私が困ります。」

「え?」

「貴女はご自分のことだと無理をしがちです。それに時々思わぬ無茶を……。」

言いかけた言葉を途中で切ってリュートは慌てて頭を下げた。

「すみません! 失礼なことを。」

「え、あ。いいよ、気にしてないから。以前にティリアさんからも似たようなこと言われた。自分ではそんなつもりじゃないんだけど。」

そうかもしれない、とセリナは思う。

いつの間にか抑え込むことが当たり前になっていた。

(あの頃、抱えていた願いを口にすることは許されなかったから。)

逢いたいとか、声が聴きたいとか。それは、優しい人たちを困らせるだけのわがままだった。

誰にも叶えることのできない願いだ。

「セリナ様?」

名を呼ばれて、過去へと向かおうとする意識を目の前の世界へと引き戻す。

「その時に、もっとわがままを言ってもいいのだと言われたの。」

「そうですね、賛同します。」

即答で返された肯定に、セリナは思わず笑う。

「これでも、リュートやティリアさんには、すごく甘えてると思うんですけど?」

あちらでの境遇を知らない彼らには、余計な気遣いが必要ない。

生活や身の回りのことを初め、こちらの暮らしに必要なものはすべて彼らのおかげで整えられた。それをなんのお返しもすることもなく、ただ享受している。

向こうでは、絶対に受け取らなかっただろう物まですべてだ。

セリナの台詞にリュートは驚いたように目を開く。

「では。」

と呟いて、リュートが破顔する。

「もう一段か二段レベルを上げてもらっても結構ですね。」

「ふふ、何それ。」

「この程度では、まだまだということです。」

「そんなこと言って、後悔しても知らないんだから。」

くすくすと笑うセリナを、リュートは眩しいものでも見るような瞳で見つめる。

ふわりと風が吹いて、セリナの黒い髪が揺れた。

「風、気持ちいいね。」

穏やかな様子のセリナに、自然とリュートの表情も和らいだ。

(今は6月で、これから本格的な夏が始まる。やっぱりセミは鳴くのかな。)

どうでもいいような疑問が浮かんで、セリナは小さく笑った。

この世界に来た時、セリナは冬の制服を着ていた。

あの時こちらは4月末だったと後から聞いたのだが、元の世界は2月だったから季節のズレがある。

13の月からなるこちらの暦はまだ理解しきれていないが、日時に対する大体の感覚が共通しているのでセリナにとってはありがたい。

「同じところも、同じじゃないところもあるんだよね。」

(世界も人も……私も。)

一度セリナに顔を向けたリュートだったが、何を言いたいのか察してそっと視線を外した。

「はい。」

それは、不思議なほどに静かで柔らかな空気の流れる時間だった。



「そろそろ行こうか。」

休憩を満喫したセリナが、そう声をかけるとリュートがさっと立ち上がり手を差し出した。

「ありがとう。」

まだ慣れない扱いだが、おずおずとその手を掴む。

「あ。」

立ち上がった目線の高さで、映った色に思わず声が出る。

セリナの見る先を追って、リュートは姿勢を正した。

近づいてくる相手も、こちらの存在に気づいて目を止めた。

「こんにちは、セリナ嬢。散歩ですか?」

「はい。」

笑みを浮かべたクルスに頷いてから、セリナは深々と頭を下げた。

隣でリュートも最敬礼をとっている。

「ごきげんよう、陛下。」

「こんなところで何をしている。」

まだ言い慣れなくて気恥ずかしい挨拶だというのに、さらりと無視されてしまう。

「少し休憩を。」

愛想笑いを浮かべて告げれば、眉をひそめられた。

(言いたいことはなんとなくわかる。なぜ、こんな何もないところで、ってことよね。)

確かに、木陰はあるが椅子やベンチがあるわけでも綺麗な花が咲いているわけでもない場所だ。

それ以上言葉を紡がないジオの視線は、別のところに向けられたままだ。

「……。」

作り物めいた整った横顔に、思わずセリナは見惚れた。

ちょうどいい具合に差し込む陽光が、彼の金髪を煌めかせている。先程見つけた色はこの金だが、青い瞳といいまるで宝石のようだとセリナは思う。

不意にジオが視線を戻し、思いっきりそのサファイアの瞳と目が合った。

「っ……!」

びくりと身を強張らせたセリナに構わずジオは口を開く。

「先日の件、クルスから答えを聞いた。」

急な切り出しだったが、すぐに理解してセリナは頷く。

考えて考えて出した結論は、言葉にすれば一言だ。

けれど、その一言では何も伝えられない。

セリナは目の前に立つ男を見上げ直した。

「現実を知れ、と言われて気づいたんです。」

口を開いたセリナに、クルスとリュートの視線が向く気配がした。

「私は、周りの人以上に自分のことを知らない。それどころか、私は多分、ここが現実だってことすら理解していなかったのかもって。」

返事はないが、立ち去る気配もないジオに、セリナは言葉を続ける。

「夢じゃないってことは、初めから気づいてたつもりよ? それでも、心底ここが現実かどうかなんて知ろうとすらしていなかった。」

積極的に何かを望んだこともない。

「この状況を受け入れてるつもりで、本当はただ自分で考えることを放棄していただけなのかもしれないって。」


―――貴女が一番後悔しない、納得のできる答えを見つけられるよう祈ってます。


リオンの声が蘇る。

あの時の言葉がセリナの背中を押してくれたのだ。

(人の悪意に晒されるのは怖い。選んだ答えに、どれだけの責任を負うべきかもわからない。けど。)

『心は答えを知っている』。

悩んでいる心のずっとずっと奥に答えはあった。

「巫女がどういう用件で来るのか、知らないと言っていたけど、そちらには見当がついているんじゃない?」

(だから、そこでこの話を消すことはしなかった。)

そうでしょう?と、確認する気持ちを込めてサファイアの瞳を覗き込む。

あくまでセリナの推測だが、神を有り難がるために来るわけではなく、値踏みに来るという方が近いはずだ。

「今の状態って、いるだけで人々に不安や恐怖を与えてる。災いを招くとも言われてる。けれど、それは私が望んでいることじゃないって、せめて神殿の人たちに伝えられたらいいと思う。」

神に仕える者たちに理解してもらうことが、どれだけの意味を持つのかはわからないが、無駄ではないと信じる。

「見極めたかったのは、私の覚悟でしょう? 何度も何度も私を試すのね。」

見据えた相手の顔に、初めて表情らしい表情が浮かんだ。

試される度に、裏切られたような突き放されたような気持ちにさせられる。

「けど、今回のことは考えさせてくれて……選ばせてくれて感謝してる。」

先を見たいなら、逃げ続けることはできない。

少なくとも、今いる場所が現実だということは直視しなければ何も始まらない。

ただただ与えられた環境を享受していたのは、ここが別世界だと第三者のような気持ちがあったからだ。

(まずは一歩、踏み出さなきゃ何も変えられない。)

怖くて足はすくんでしまうけれど、顔には笑みを。すぅっと息を吸って、セリナは穏やかな声音を出した。

「だから、巫女姫に会うと、そう決めました。」

風がセリナの頬を撫でた。

「そうか。」

返された声は同じくらい穏やかだった。

「そなたにも、己の意志はあるようだな。」

ふっと息を抜くように呟かれた言葉に、セリナは顔を上げた。

向けられているジオの表情に息が止まる。


「安心した。」


それは静かな声。

そして、静かな笑み。

見間違いかと思うほどの表情の変化だが、セリナはそれから目が離せなかった。

次に口を開いたジオの表情はそれまでのものに戻る。

「リュート。」

「はっ。」

「神殿から使者が来ることは知っているな。巫女姫との謁見および祭礼が予定されている。当日の警護には、リュートがつくようにせよ。」

「はい!」

(安心、したって。試されたと思っていたのに。)

「少しはこちらに慣れたか。」

呆然としていたところに思いがけない言葉をかけられ、セリナは固まった。

(なんて?)

いつものように不用意に聞き返さなかったのは誉めてもらいたいくらいだ。

不自然なほどの間が空くが、相手が続きの言葉を言う気配はない。

セリナは、ゆっくりと硬直を解くと口を開いた。

「…………はい、少しは。」

答えながら無意味に左右に視線を彷徨わせた。目が合ったクルスが笑みを浮かべてくれるが、困惑は晴れない。

「そうか。」

良いとも悪いとも言わないジオに、セリナは少々居心地の悪さを感じる。

空気を払拭するべく言葉を紡いだ。

「みんな、良くしてくれます。」

「そうか。」

「はい。」

それで会話終了、だった。

(よく、わからない人。)

盗み見るようにジオに視線を向けて、セリナは心の中で首を傾げる。

こんなふうに不意に気にかけてくれている態度を見せられると、心配されているんじゃないかと思ってしまう。

儚く裏切られるだけだと経験して尚、セリナはどこかで期待している自分を感じていた。

(嫌われていると知ってるのに、都合良く考えてしまうじゃない。)



去り際、足を止めて、クルスが振り向いた。

「セリナ嬢に1つだけお伝えしておきたいことがあります。」

「?」

「今回の謁見の件、駆け引きのような裏があってのことではありません。もしセリナ嬢が断っていたとしても、相手は一目で良いと言っておりましたから、要望を実現させる方法はいくらでもあるのです。貴女がどんな選択をされても、我々はそれを受け入れる気でおりました。」

ふっと笑みを浮かべて、セリナを覗き込むように視線を下げた。

「大切なのは、貴女の意思を尊重することです。」

思わぬ言葉にセリナは相手を凝視する。

「ですから、どうか誤解をしないでいただきたくて。引き止めてしまい、すみませんでした。」

クルスが頭を下げる。

ふと頭に浮かんだことを振り払うように、セリナも慌ててお辞儀をした。

去って行くクルスの背中を見送って、セリナは息をつく。

(陛下もクルセイトさんと同じことを思っていたりするのかな、なんて。期待するだけ無駄だよね、きっと。)

彼を優しいと形容したティリアの言葉は、まだセリナにはわからなかった。


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