第11話 ノウカの家?
アプル(リンゴ)の木の上から、イーファは村の景色を見下ろしていた。腰掛けた太い枝の上で両手の指を四角く組み、覗き窓のようにしてあちこちを切り取る。
時折、森の方角へ飛んでいく鳥を目で追い、あるいは日差しが景色に溶け込む美しい色彩にぼんやりと見とれた。
陽光がその顔を優しく照らした時、イーファの口から小さな呟きが漏れた。
「……暖かいわね」
木の下から、ガルヴァンおじいちゃんが声をかけてきた。
「イーファ! もう十分楽しんだかい? 満足したら早く下りておいで」
「はーい、おじいちゃん!」
イーファがそのままひらりと飛び下りると、ガルヴァンおじいちゃんがしっかりと受け止めてくれた。
「ナイスキャッチ、おじいちゃん」
イーファは親指を立ててみせた。
「そいつは光栄だね。さあ、それじゃあ家に帰ってお昼ご飯にしようか?」
「うん」
おじいちゃんの腕から身を躍らせて地面に着地したイーファは、そう遠くない自宅へ向かって並んで歩き始めた。
「おじいちゃん、あのアプルはいつ収穫するの?」
「そうだなぁ……来週あたりかな」
「えっ? もしかして私が全部食べちゃわないように、わざと来週にしたの?」
イーファが疑いの目を向けると、ガルヴァンおじいちゃんは可笑しそうに口元を緩めた。
「そんな不吉な言いがかりをつけるんじゃないよ、イーファ」
「もう、言い訳なんだから」
ふたりは自宅へ到着し、一緒に中へと入っていった。
食卓についたイーファとガルヴァンおじいちゃんは、モリガンお母さんが料理を運んでくるのを待った。
「おじいちゃん、昨日村を歩いていたら、鳥を飼ってる人を何人か見かけたの。どうしてあんなに人になつくように育てられるのかな?」
「そういう連中は大抵、森の真ん中でエサを使って鳥を誘い出すのさ。罠を仕掛けるのが普通だが、もっと古風なやり方もあるんだよ」
「古風なやり方?」
「自分の手から直接エサを与えるのさ。まあ、大半は失敗するんだがね」
「ふーん、そうなんだ」
そこへ、木製のお皿を手にしたモリガンお母さんがやってきた。
「はいはい、おしゃべりはご飯を食べてからにしなさいな」
「タマゴ? 先日市場のおじさんが言ってたわ、タマゴは朝か昼に食べるのが体に良いって」
「その通りよ。でもサラダも残さず食べなさいね」
「パンとタマゴだけじゃなくて、お母さんの食感のあるサラダがあって良かったわ」
サラダを口に運んだイーファだったが、一口噛んだところで急に咀嚼の動きを緩めた。
「お母さん……今日のサラダ、なんでこんなにフニャフニャなの?」
「気のせいじゃないかしら。いつも通り作っているわよ」
「どうせサラダにする前に、また野菜を水に浸しすぎたんでしょ? そこまでするなら、スープにでもすれば良かったじゃない」
「こんな真昼間から、誰が熱いスープを飲むっていうのよ」
「それもそうだけど……だからってサラダの食感を台無しにしなくても……」
「ほらほら、つべこべ言わずに食べちゃいなさい。終わったら遊びに行っていいから」
「うぅ……フニャフニャのサラダ……」
イーファは食感を一切気にしないよう意識を逸らしながら、サラダの大部分を口へ放り込んだ。
モグモグ……モグモグ……。
「本当に全部食べちまったよ……」
ガルヴァンおじいちゃんが呆れたように呟いた。
「うぅ、ごちそうさま、お母さん。ちょっと外に行ってくるね」
「はいはい、気を付けて行ってらっしゃい」
椅子から跳び下りたイーファは、小走りで玄関へ向かった。
靴を履くやいなや、彼女は大きな木を目指して森へと勢いよく駆け出した。
道を遮る葉っぱを払い分けながら進む途中、様々な生き物たちと遭遇した。
カエル、小鳥、リス、そしてヘビ。
ヘビの姿が視界に入った瞬間、イーファは顔を強張らせた。
彼女は脱兎のごとくその場を走り去り、ヘビから距離をとった。
最後のやぶをかき分け、ようやく大木へ辿り着いたイーファは、そのまま青々とした草の上にバタリと倒れ込んだ。
「うぅ……」
それから間もなく、イーファがやってきた方角からフィンが姿を現した。彼は草の上に横たわるイーファを見つけると、遠くから声をかけた。
「イーファ?」
ぐったりと疲れ果てているイーファの元へ、フィンが駆け寄ってきた。
「イーファ、こんなところで何してんだ?」
「疲れたのよ、フィン……お母さんがご飯に変な食感を加えてくれたせいでね」
「なんだ、ご飯の話かよ」
「ところで、フィオナはどこ?」
その時、頭上の太い枝の上で、ノウカが胡坐をかいて両手を膝の上に置いていた。
目を閉じ、静かな微笑みを浮かべたノウカが、悟りを開いたかのように朗々と語り出した。
「我が名は賢者ノウカ。いまや至高の境地へと達した者なり……」
「おいノウカ、上から目線で何やってんだよ?」
フィンが呆れ果てた表情で見上げた。
「万物の造物主より大いなる加護を賜るため、長き瞑想に興じていたのよ」
イーファは体を起こして座り直し、後ろに両手をついて体を支えた。
「今日も暖かくて良い気候ね。……ところでノウカ、昨日のことについて、あなたに少し聞きたいことがあったの」
ノウカは慎重な足取りで木を下り、二人の元へ歩み寄ってきた。
「聞きたいことってなーに—」
言いかけた瞬間、ノウカのつま先が大木の根に引っかかった。
*ドスッ!*
ノウカは豪快にのめり込み、地面の根っこに顔面から激突した。
「プッ……何やってんだよノウカ?」
「あたたたた……痛ぁい……」
「足元も見ないでポーズばっかり気にしてるからよ」
ノウカが顔を上げると、その鼻からたらりと赤い血が垂れていた。
「おい……ノウカ、鼻血出てるぞ」
ノウカは自分の手で鼻の下をごしごしと擦った。
「あれ? 本当だわ」
「『本当だわ』じゃないでしょ、早くこっちに来なさい」
イーファの手招きに応じて近づいてきたノウカの鼻元を, イーファは自分の服の袖を使って丁寧に拭ってあげた。
「後で村に戻って、ちゃんと鼻を洗いましょう」
「う、うん……ありがとう、イーファ」
お説教を食らった子供のように、ノウカは小さくなった。
鼻血の手当てを終えた三人は、一度村へ戻るべく歩き始めた。
「ついでにフィオナも迎えに行かないか?」
「そうね。でもフィンがここへ来る前、フィオナはどこへ行ってたの?」
鼻を押さえたまま歩いていたノウカが、横から口を挟んだ。
「そうよそうよ! なんで最初からフィオナと一緒に来なかったのよ?」
「だから、僕の話を最後まで聞けって」
フィンは呆れ顔で二人を見た。
「僕が出る前、フィオナがうちのお袋と少し話したいことがあるって言ったんだよ。だから僕だけ先に来たんだ」
三人は柔らかい草やカサカサと鳴る落ち葉を踏みしめながら進んだ。
「そういうことね。じゃあ鼻を洗ったら、そのままフィオナを迎えに行きましょう」
村の中央にある井戸広場を目指し、三人は小走りで戻ってきた。
ノウカが少しペースを上げ、一番先頭を走っていく.
「フィオナっていつもあんな感じなの?」
「いや、あいつが勝手にそうしたかっただけだと思うぞ」
「ねえノウカ、私たちあなたに聞きたいことがあるの」
イーファが切り出した。
「なになに?」
「実はね……」
その時、井戸の方角から激しい足音が近づいてきた。フィオナが息を切らしながらこちらへ猛ダッシュしてくる。
「フィンお兄ちゃーん!」
息を弾ませながら彼らの元へ辿り着いたフィオナは、膝に手をついた.
「ハァ……ハァ……二人して私を置いて行ったのかと思ったわよ!」
「置いてくだなんて、一体何のためにそんなことするんだよ」
フィンがジト目を向けた。
会話が逸れそうになったところで、イーファが手を挙げて割り込んだ。
「ちょっと待って二人とも。私、まだノウカへの質問が終わっていないの」
「あ、ごめんごめん。どうぞ、イーファ」
「ノウカ、あなた昨日どこに行ってたの?」
フィオナも身を乗り出した。
「そうよ! 私もそれが聞きたかったの!」
「えっ……二人とも、昨日の私の行き先が気になってたの?」
ノウカが目を丸くした。
フィンはパチパチと瞬きをした。
「あ、そうだ」
「ちょっとノウカ! 私たちがあなたのオオカミ二匹の面倒を見てあげてたのよ!? 昨日一体どこへ行ってたのよ!?」
三人の声が見事に重なった。
「え、えへへ……」
ノウカは引きつった笑みを浮かべた。
「ニヤニヤ誤魔化してないで、ちゃんと説明しなさい!」
フィオナが怒鳴った。
「分かったわよぉ。昨日は学校の入学手続きに行ってきたの。途中で二人のママにも会ったわよ。……これで満足?」
「ふーん……本当にそれだけかしら?」
イーファがじっと目を細めた。
「まだ何か隠してる気がするな」
フィンも疑いの目を向けた。
「それなら、あなたの家に行ってみたいわ、ノウカ!」
フィオナが提案した。
「私の家!?」
ノウカはしばらく腕を組んでうーんと唸り、彼らの提案を頭の中で天秤にかけた後、ついにうなずいた。
「いいわよ、私についてきなさい!」
「やったぁ! 行こう!」
「ちょっと待ちなさいよ! 先に鼻血を洗わせてからにして!!」
ノウカの悲鳴が村の広場に響き渡った。
本当に申し訳ありません! Webサイトへのアクセス障害が発生しており、新しい話の投稿が遅れてしまいました。重ね重ね、深くお詫び申し上げます!




