第五部第七話:秘めたる情念と、聖なる掟
第五部第七話:秘めたる情念と、聖なる掟
大神殿を目指し、青々とした街道を進む聖騎士団の行列。
日差しを受け、甲冑をキラキラと反射させる騎士たちの隊列の中で、純白の乗馬服を纏った聖女ソフィアは、並走する女性聖戦士マリオンの隣へと馬を寄せて話しかけた。
「……マリオン様」
「どうなさいました、聖女様?」
マリオンは手綱を握り、背筋をピンと伸ばしたまま視線を前方から外さずに静かに返した。
その額には、繊細な白銀のサークレットが陽光を浴びて煌めいている。
「……どうしてかしら。私、あのグレイランスという方を見つめていると、なぜか胸がキュッと高鳴るのです……」
ソフィアは手綱を引く片手をそっと自らの豊かな胸元へと当て、恥じらいに頬をぽっと朱に染めながら呟いた。
「……それは、彼と行動をともにしていると、恐ろしい目にばかり遭遇するからではありませんか? いわゆる『錯覚』というものです」
マリオンの言葉はもっともらしく響いたが、彼女はそれ以上の可能性をあえて口には出さず、胸の奥に伏せた。
――この幼い聖女が、あのみすぼらしく粗野な黒衣の傭兵に、乙女としての初恋を抱き始めているという明白な事実を。
だが、聖天教団において聖女の恋愛は厳格に固く禁止されている。
恋という感情そのものは決して邪悪ではない。
しかし、それが一度狂えば、膨大な執着、欲望、そして嫉妬という凄絶な「負の感情」を生み出す種となり、神聖なる力を歪ませてしまうからだ。
聖女としての能力を保持できるのは、心が清らかな若いうちだけ。
歳を重ねるごとに身体の聖王力は緩やかに衰弱していく。
ゆえに、誰かと恋仲になり家庭を持つのは、聖女の職を完全に引退した後の人生であるべきなのだ。
ましてや今、魔王族という未曽有の災厄が迫る非常事態において、教団の希望であるソフィアの恋愛など、絶対に許されぬ御法度であった。
そしてそれは、神に身を捧げる聖騎士や聖戦士にとっても同様の戒律であったのだが――。
「そうでしょうか……? ですが、恐怖による動悸とは、また少し違うような気がするのです」
ソフィアは可憐な首をかしげ、不思議そうに瞳を瞬かせた。
「あの男のことをあまりお考えになりませぬように。聖女様とは住む世界があまりにも異なる、野蛮で身勝手な男にございます」
「まぁ……そんな悲しいことをおっしゃいますの?」
「当然にございます。聖天教団の尊威と、身分制度というものをわきまえねばなりません」
「ですが……命を賭して共に戦ってくださった、大切な仲間ですのに……」
ソフィアが寂しげに唇を噛む。
「彼は金銭目当てでしか動かぬ浅ましい傭兵に過ぎません。命を神に捧げた我ら聖天教団とは、背負う格が違うのです」
「……でも、グレイランス様は今回、報酬を一切受け取らずに動いてくださっていると伺いましたわ。……案外、彼には素晴らしい『聖戦士』の素質があるのかもしれません!」
「ご冗談を……。あのような粗暴な輩と我らを同じにされては、甚だ困ります」
マリオンは僅かに声音を硬くした。
剣の腕に関しては騎士団の中でも群を抜く手練れであるマリオンだったが、生まれつき体内の「聖王力」を上手く操る才能に恵まれていなかった。
幼少期から厳格な修道院で血の滲むような修行を積んできたものの、神の加護を受けし「聖騎士」には叙任されず、補佐たる「聖戦士」の地位に留まっているという深いコンプレックスを抱いていたのだ。
「……ねぇ、マリオン様。マリオン様は、誰かを想って胸が高鳴るようなことはございますか?」
ソフィアの唐突で無邪気な問いかけに、マリオンの手綱を握る指先がびくづいた。
「ええ……。まぁ……」
マリオンの視線が、無意識のうちに隊列の最前線をゆく男――白銀の甲冑を凛々しく着こなし、背すじを伸ばして馬を走らせる聖騎士長ジェイクの背中へと吸い寄せられた。
気やすく触れることすら叶わぬ、憧れと情念の対象。
そんなマリオンの微かな変化に気づく由もなく、ソフィアは無邪気な笑みを浮かべた。
「ジェイク様にも、聞いてみましょう!」
「あっ……聖女様、およしになった方が――」
マリオンが制止の声を上げる間もなく、ソフィアは愛馬の腹を軽く蹴り、ぱかぱかと軽快な足音を立ててジェイクの隣へと馬を並べた。
ソフィアが何事かを無邪気に尋ねると、前方を睨んでいたジェイクの整った顔立ちが不快そうに歪んだ。
「――聖女様! あのような野蛮な野良犬に関わってはなりませぬ! 身持ちを慎み、神への祈りに集中なさってください!」
ジェイクの容赦のない一閃のような叱責が飛び、ソフィアは「まあ……」と気押されて小さく首をすくめた。
(……そら、見たことか)
後ろからその光景を見ていたマリオンは、愚かな聖女の自爆に鼻でクスリと小さく冷笑を漏らした。
しかし――次の瞬間、ジェイクがソフィアを叱責しながらも、その瞳に僅かな「動揺」と、聖女ソフィアという可憐な存在に対する無意識の「男としての眼差し」を秘めていることに、マリオンの鋭い野性が気づいてしまった。
じわり、と胸の奥底で黒く不吉な炎が燃え上がる。
聖職者としての理性の裏側で、ジェイクへ向けた長年の執着と嫉妬の火種が、ジリジリとマリオンの心を焦がし始めていた。




