第五部第二十五話:神魔の裁判と、愚かなる天秤
第五部第二十五話:神魔の裁判と、愚かなる天秤
静寂に包まれた王の間。
頭上から降り注ぐ神聖なる聖光を浴びながら、白銀の翼を広げた聖天使セレシオンが、王の間に響き渡る高潔で冷酷な声を張り上げた。
「――これで如何に、人間という種族が世界にとって危険な存在であるかが判ったであろう。故に……これより『人間抹殺』の正当なる決議を行う!」
「……な、なんだと……!?」
グレイランスは耳を疑い、目の前の光景に愕然とした。
魔王族の頂点たる魔王母メルフェレーンと、人間を護るはずの聖天使が並び立ち、神の目線から勝手に種族の存亡を裁こうとしているのだ。
驚きと怒りで、長剣を握る指先が激しく震える。
「なお、此度の決議は生者、および地上の秩序に関する問題である。したがって、冥王族および海王族の所有する票は無効とする。決議に参加するのは……竜王族、魔王族、そして我ら天王族の三種族のみとする!」
「そんな横暴な話があるかッ! 死に物狂いで抗う俺たちが……滅ぼされなきゃならんほど危険な存在だって言うのかッ!?」
グレイランスは喉を引き裂かんばかりに叫び、セレシオンへ強く訴えかけた。
しかし、聖天使の白銀の顔には微かな感情の揺らぎすら浮かばない。
「……分かっていないようだな、人間よ」
セレシオンは慈悲の欠片もない冷徹な眼光でグレイランスを見下した。
「精霊を己の感情に任せて暴走するまで操り、あろうことか死者までをもこの世へ引き戻した。自然の摂理と理を完全に無視したその行いは、もはや常軌を逸している。世界を崩壊に導く危険極まりない種族なのだ」
「バカなッ! 魔王族の奴らが襲いかかって来なければ、そんなことにはならなかったはずだッ!」
「我らが問題視しているのは、そのような過失ではない――人間という種族が秘めた、その『潜在的な破壊能力』の危険性を言っているのだ!」
セレシオンの冷酷な言葉が、圧倒的な絶対者の威圧感とともに押し寄せる。
理不尽極まる神の論理に、グレイランスは歯を食いしばることしかできなかった。
「――では、まず天王族は『人間の抹殺』を提案する。……次に、竜王族はどうだ?」
勝利を疑わないセレシオンの厳かな問いかけが広間に響き渡る。その声に応じるかのように――ソフィアの腰のバッグから、一筋の白い影が突如として飛び出した。
「――キュイァァァァッッ!!」
小竜のカークであった。カークは宙へと舞い上がると、その小さな身体からは想像もつかないほど重厚で高貴な「声」を王の間へ響かせた。
「……竜王族は、人間がその短い生の中で生み出す豊かな芸術、美しき音楽、そして目覚ましい技術を高く評価している!」
それはカーク自身の声ではなく、カークの肉体を経由して紡がれる、全竜王族を統べる絶対者――『竜王アストレイア』の意思そのものであった。
「そのことは、天王族も魔王族も重々ご承知のはず! いかなる種族であれ、人間が生み出した美しき衣服や快適な住居、文明の恩恵を利用しているではないか!」
かつて半竜王族であり、禁忌の「竜転生」の秘術によって正当なる竜王族の頂点へと上り詰めたアストレイア。
元は人間と等しい生を生きていたからこそ、アストレイアは誰よりも人間の持つ創造性と可能性を深く理解し、その肩を持っていたのだ。
「……ちっ、余計な口を」
セレシオンは不快そうに眉をひそめたが、すぐに気を取り直して冷ややかな笑みを浮かべた。一対一の対立。残るはたった一票である。
「……では最後、魔王族に問う。これでどちらかに決定する。さあメルフェレーン……人間の『抹殺』か、それとも『存続』か!」
セレシオンは勝利を確信した足取りで、玉座の魔王母へと詰め寄った。
人間を憎み、喰らう魔王族が「抹殺」に票を投じることなど、火を見るより明らかだったからだ。
「ふふふ……我ら魔王族の結論はねぇ……」
メルフェレーンが艶やかな朱色の唇をゆっくりと開き、その結論を口にしようとした――その時であった。
――ガタガタガタガタッ!!
王の間の石造りの壁や天井が激しく振動し、周囲の空間から無数の禍々しい影が這い出してきた。
「――魔王母様ッ! お聞き届けてくださいませッ!」
「申し上げますッ! 人間どもが放つ絶品たる『邪王力』をはじめ、その肉、その血の美味は我ら魔王族にとって至高の蜜にございまするッ!」
「左様ッ! 喰らい尽くしもせず、ただ抹殺などしてしまっては、それこそ人間以下の愚行でございますッ! 何卒、熟慮の上でのご判断をお願い申し上げますッ!」
姿を現したのは、これまでグレイランスたちが戦ってきた獣人など比べものにならない、真の魔王族の上級魔族たちであった。凄まじい密度の魔気が広間を埋め尽くし、威圧感だけで皮膚が裂けそうなほどの圧迫感がグレイランスたちを襲う。
周囲を埋め尽くした本物の魔王族たちの異形と圧倒的な強者としての気配に、グレイランスは全身の毛穴が開くような本能的な恐怖を覚えた。
これまでの戦いは、彼らの暇つぶしの前座に過ぎなかったのだと痛感させられる。
無数の配下たちの必死な助命の嘆願を聞き、メルフェレーンは肩を揺らして愉快そうに笑った。
「――くすくす……あはははは! ほらねぇ、そうまで言われてしまっては、アタシも反対するしかないじゃないか。……魔王族は、人間の『存続』を希望するよ」
「……なっ!?」
完璧な勝利を確信していたセレシオンの顔が、驚愕と屈辱で激しく歪んだ。
「ちっ……! 後悔するぞ、魔王族め……ッ!」
セレシオンは激しい吐き捨ての言葉を残すと、聖光の眩い閃光とともに、逃げるようにその場から姿を消したのだった。
「――アハハハハハハハハハーッ!! 見たかい今のあいつの顔! 愉快だねぇ、実にあはははッ!」
広間にメルフェレーンの高加減な高笑いが響き渡る。まるで、最初からセレシオンの思惑をすべて見抜き、この結末になることすら織り込み済みで楽しんでいたかのように。
立ち尽くすグレイランスは、冷や汗が背筋を伝い落ちるのを感じていた。
世界を揺るがす種族の存続劇――それすらも、この魔王母メルフェレーンの退屈しのぎの「お遊び」に過ぎなかったのだ。
神と魔の巨大すぎる掌の上で踊らされていた事実を突きつけられ、グレイランスは深い絶望と、果てしない己の無力さを噛み締めるのであった。




