第五部第二十四話:玉座の終焉と、天魔の嘲笑
第五部第二十四話:玉座の終焉と、天魔の嘲笑
重厚な意匠が施された王の間の大扉を、グレイランスは両手に力を込めて力任せに押し開けた。
静まり返る絢爛豪華な広間。
その奥、かつてブラム王国の主が座していた玉座には、金色の毛並みと逞しい体躯を誇る魔王族の総将「人獅子」が深々と腰掛けていた。
その足元や両脇には、艶めかしい肢体をくねらせた数頭の雌獅子の獣人たちが侍り、下品な笑みを浮かべてこちらを睨みつけている。
「……ほう。よくぞここまで辿り着いたな、人間どもよ」
人獅子は低い声で言い放ち、鋭い爪を玉座の肘掛けに立てた。
「ふん……どうやらアンタがこの一連のボスのようだな。へっ、ここがアンタのハーレムってわけかい! まったく、あやかりたいもんだぜぇ!」
グレイランスが口の端を上げて軽薄な口上を叩いた瞬間――
――ギニュッッ!!
「――痛ッ!? 痛い痛い痛いッ、ソフィア!」
隣に立っていたソフィアが、無表情のままグレイランスの左頬を情け容赦なく指先で激しくつねり上げた。
「……ふざけている場合ではありませんわ、グレイランス様」
ソフィアはグレイランスの頬をつねった手そのままに前へ踏み出し、凛とした瞳で人獅子を見据えた。
「もはや、これまでです! ……大人しく魔王界へお帰りなさいッ!」
「くくく……ほざくな小娘がッ! 貴様らごときに我らを討つ勝機など皆無よッ!」
人獅子の威圧に応じ、周りの雌獅子たちが鋭い牙を剥き出し、低く唸りながら一斉に二人へ詰め寄ろうとした。
その時――
――シュバッッ!!
背後の扉から突如として飛来した一連の木製数珠が、玉座の手前で爆発的な光とともに炸裂した!
――ズドンッ!!
「きゃあぁぁぁッ!?」
「目が、鼻が壊れるッ……!?」
広間に凄まじい粉塵が巻き散らかされ、雌獅子たちが顔を押さえてのたうち回る。
その粉塵の正体は、強烈な刺激と毒性を秘めた「狼殺しの毒」であった。
「……ふん。狼殺しと名付けた毒じゃが、まあ同じ獣、獅子にもそれなりに効くじゃろうて」
煙の向こうから、重い足取りで歩み寄ってきたのは――先ほど心臓を貫かれたはずの老僧ブルドであった。
「ブルド……ッ! 無事だったのかッ!」
グレイランスが叫ぶと、ブルドは白ひげを揺らし、けらけらと豪快に笑ってみせた。
「ああ。……まあ、腹のあたりが少々スースーするがのう?」
ブルドが手で着物を押し開くと、そこには胸から腹にかけて大きく風穴が開いた凄惨な痕跡が残されていた。それを見たソフィアは言葉を失い、絶句した。
……蘇生の術で命を失い、さらに死地で冥王力を解き放ったことで、半冥王族であったブルドの肉体からは人としての血の通う温もりが完全に消え去り、完全に冷酷な『冥王族』へと転生を果たしていたのだ。
「ええいッ……!? 鼻がもげそうだッ! ……おい待て、冥王族よ! 我ら魔王族と冥王族の間には、互いに手出し無用という絶対の盟約があるはずだぞッ!」
猛毒の粉塵に鼻を覆いながら、人獅子が不快そうに叫んだ。しかしブルドは鼻で笑い、開き直ったように数珠を持ち直した。
「ぬかせッ! ほんのさっきまで人間じゃったワイ! 昔の理屈など知ったことかッ!」
ブルドの全身からどす黒い『冥王力』が激流となって噴出する。
その圧倒的な波動は、苦しむ雌獅子たちを空間の亀裂ごと次々と飲み込み、地獄の如き冥王界へと容赦なく引きずり込んでいった。
「チッ……小細工をッ!」
雌獅子たちを破られた人獅子が、咆哮とともに玉座から躍り出た。
グレイランスは長剣を繰り出し、人獅子の首元へと鋭い一閃を叩き込む。
――ガァァァンッ!!
しかし、手応えはまるで鋼鉄の塊を斬ったかのように重い。
人獅子の首を覆う黄金の鬣は、いかなる刃も通さぬ絶対の剛毛であった。
形勢不利と悟った人獅子は、冷酷な瞳でグレイランスの傍らに立つソフィアへ視線を走らせた。
(……まずはその身内から肉片に変えてくれるッ!)
人獅子は隙をつき、大きく口を開開くと、高熱の爆炎をソフィアに向けて直接吹き出した!
――ゴォォォォォォッッ!!!
「ソフィアァァァァァッッ!!」
視界を一瞬にして埋め尽くす紅蓮の炎。
ソフィアの華奢な体が、容赦なく炎の渦の中へと呑み込まれていく。
「く……クソッ……! 許さん……許さんぞ、貴様ぁぁぁッ!!」
目の前で愛する者を焼き尽くされた絶望と憤怒。
グレイランスの胸の奥から、不吉で禍々しい『邪王力』の黒い芽が急速に膨れ上がった。
(――くくく、かかったな! 人間どもが抱く闇の感情こそ、我ら魔王族を育む最高の糧……!)
人獅子はグレイランスの闇落ちを確信し、嘲笑を浮かべようとした。
だが――次の瞬間、異変が起きた。
グレイランスの全身を包んでいた邪悪な黒い気が、途中でドクドクと眩い黄金色の光へと姿を変え始めたのだ。
憎悪や破滅ではなく、ソフィアを想う果てしない愛と決意が、邪王力を瞬く間に高潔な『地王力』へと昇華させたのだ!
「おおおぁぁぁぁぁッッ!!」
グレイランスの長剣が、眩い地王力の黄金の焔を宿して放たれた。
剛毛の鬣すら容易く焼き切り、刃は人獅子の胸板を深く貫通した。
――ズバドォォォンッ!!
「ぐ……はっ……!? ま、まさか……愛でも憎でも……我らを討ち果てるというのなら……もはや人間は……無敵ではないか……ッ」
胸を貫かれた人獅子の体が、黄金の光に包まれながらサラサラとした灰へと崩れていく。
「……魔王母……メルフェレーン様よ……ヤツらに裁きを……ーーーーッ!!」
断末魔の叫びとともに、人獅子は塵となって王の間の空中に消え去った。
直後――ソフィアを包んでいた爆炎が、まるで生き物のように一箇所へと吸い寄せられていった。ソフィアが掲げていた『火精玉』が、人獅子の放ったすべての炎を吸収し終えたのだ。
火精の庇護により、ソフィアは髪の毛一本すら焦げつくことなく、無傷のまま佇んでいた。
「……ソフィアッ!」
「……グレイランス様ッ!」
駆け寄った二人は、互いの無事を確かめ合うように強く、強く抱き合い、言葉もなく愛おしそうに唇を重ね合わせた。
戦火の中で紡がれた、あまりにも尊く美しい抱擁であった。
「――アハハハハハハハッ! いやあ、実に見事な茶番劇だったわ! 随分と楽しませてもらったわねぇ……ねぇ、セレシオン?」
――ゾクッッ!!
突如として王の間全体を揺らした、甘くも不気味な女の高笑い。
ふたりが弾かれたように振り向くと、先ほどまで誰もいなかったはずの空の玉座に、艶やかな黒いドレスを纏い、禍々しい魔気を解き放つ美しき怪異――「魔王母メルフェレーン」が脚を組んで腰掛けていた。
さらに――メルフェレーンのすぐ傍らの空間が、まるで布を切り裂くかのように歪み、眩い神聖な光が溢れ出した。
その光の中から静かに姿を現したのは――白銀の翼と聖光の輪を戴く高潔なる存在、「聖天使セレシオン」であった。
「……なっ……!? なんだと……!?」
息を呑むグレイランス。何故、人間を護るはずの聖天使が、魔王族の頂点たる魔王母と並んで笑っているのか。
「……これは一体、どういうことだ……ッ!?」
グレイランスは長剣を強く握り直し、ソフィアを背中に庇いながら、鋭い眼光で二人を睨みつけた。
口では問い詰めながらも、百戦錬磨の傭兵としての直感が、グレイランスの脳裏に絶望的な事実を告げていた。
――目の前に立つ聖天使セレシオンは、紛れもない「敵」であると。




