第五部第二十三話:双獣の挟撃と、散り逝く咆哮
第五部第二十三話:双獣の挟撃と、散り逝く咆哮
果てなき死闘を乗り越え、ついに魔王族の牙城と化したブラム王国の王都ファルス――その中央に聳え立つ古城へと辿り着いたグレイランス、ソフィア、ブルドの三人。
王都の市街地は怪異と化させた凶暴な獣人どもが血眼になって徘徊していたが、ブルドが様々な薬草を調合して作り上げた「匂い消しの秘薬」を全身に塗りたくり、さらに気配を断つ『隠蓑の術』を施すことで、かろうじて敵の鋭い嗅覚を欺き、城内深くへの潜入に成功していた。
意外なことに、城の内部は外の騒乱が嘘のように静まり返り、配備されている獣人の数もまばらであった。
しかし――王の間へと続く重厚な石造りの回廊に差し掛かったその瞬間、前後の闇から地鳴りのような唸り声が響き渡った。
「……ぬうッ! 囲まれたかッ!」
前方の闇からぬっと姿を現したのは、しなやかで強靭な縞模様の巨躯を持ち、両手で重厚な黒鉄の棒を携えた「人虎」。
そして後方からは、銀色の毛並みをなびかせ、鋭利な両手爪をギラつかせた「人狼」が立ちふさがった。
「……くっ、こういう状況を……なんと言ったかな、ブルドよ?」
長剣を構え、汗を拭いながらグレイランスが苦笑いを浮かべた。
「ふむ……『前門の虎、後門の狼』というやつじゃな」
ブルドが首の数珠をジャラリと鳴らし、白ひげを揺らして事もなげに応える。
「二人ともッ! ふざけている場合ではありませんわッ!」
ソフィアが凛とした声を張り上げ、両手を広げた。
彼女の周囲に立ち上ったのは、かつてのような繊細な天王力や聖王力ではない。愛する者を守るために覚醒した、力強く地を揺るがす黄金の『地王力』であった。
眩い障壁が三人をつつみ、凶悪な獣気から身を守る。
「来いよ、人狼ッ! あの時の決着をつけようぜ!」
グレイランスは長剣を低く構え、後方の人狼へと突撃した。
ブルドもまた錫杖を両手で強く握り締め、前方の人虎と対峙する。
激しい戦闘の音と衝撃が回廊を揺らし、次第に互いの戦線は離れ、二つの死闘へと分断されていった。
人狼は石壁や天井を縦横無尽に跳び回り、残像を残すほどの超人的な速度でグレイランスを翻弄した。
「ハハハハッ! 遅い、遅いぞ人間ッ!」
長剣の一閃は虚しく空を切り、幾度となく人狼の鋭い爪がグレイランスの皮膚を裂いて鮮血が舞う。
ソフィアは後方から『光弾の術』を放ち、眩い閃光で人狼の視界を奪おうと援護するが、人狼の敏捷性を完全に捉えることはできない。
(……普通に打ち合っていては勝機はない……!)
グレイランスは唇を噛み締め、覚悟を決めた。
あえて長剣の構えを大きく崩し、右脇腹に致命的な「隙」を晒してみせたのだ。
「貰ったぞッ!」
好機と見た人狼が歓喜の叫びを上げ、必殺の鋭爪をグレイランスの脇腹へ向けて深く突き穿った。
――ズバッッ!!!
「ぐあぁぁッ! ……かかったなッ!」
激痛に耐えたグレイランスは、身を捩りながら左手の短剣を一気に振り下ろし、自分の肉体に突き刺さっている人狼の右腕を肘下から豪快に切り落とした!
「……なっ!?」
右腕を失い、驚愕に目を見開く人狼。しかし――百戦錬磨の野獣である人狼の執念もまた凄まじかった。
腕を切り落とされた衝撃を利用してさらに一歩踏み込み、開いた大口でグレイランスの首筋を目がけて牙を立てたのだ!
――ガブリッッ!!!
「ぐッ……ガハッ……ッ!」
反射的に肩を上げて首筋への直撃を辛うじて防いだものの、人狼の鋭い血塗られた牙がグレイランスの左肩の肉を深く噛み千切る。
強烈な激痛が脳を焼き、意識が遠のきかける。
だが、グレイランスは倒れなかった。
「……これで、終わりだぁぁぁッ!!」
グレイランスは右手に握りしめた長剣を、人狼の左胸――心臓の真上へ向けて、全身の体重と遺憾なき力を込めて深々と突き刺した!
――ドスッッ!!!
「ぐうぅぅぅぅ……ッ!?」
長剣の刃を体内で肉ごと力任せに捻り、引き裂く。
人狼の口からゴボリと大量の溢れ血が吐き出され、グレイランスの肩から牙が力なく抜け落ちた。
地面へと崩れ落ちていく人狼。
その最期の瞳には――何故か恐ろしい怪物としての獰猛さはなく、凄絶な死闘を全うできた者特有の、どこか満足げで安らかな光が宿っているように見えた。
「グレイランス様ッ! 息を整えて……すぐに傷の手当てをッ!」
ソフィアが駆け寄り、震える手に『治癒の術』の聖光を宿らせて傷口へかざした。
「……すまない、ソフィア。……だが、休んでいる暇はない。先へ進もう」
血を拭い、荒い息を吐きながら立ち上がるグレイランス。
ソフィアは離れた回廊の奥で戦っているブルドの身が酷く気がかりだったが、気丈に頷き、王の間へと続く階段を登るグレイランスの背中を追った。
一方、回廊の反対側では、ブルドと人虎による重厚な打撃戦が繰り広げられていた。
「フハハハッ! どうした老坊主ッ! 自慢の腕力が鈍っているぞッ!」
人虎が振り回す巨大な黒鉄の棒『鐵棍』が、猛烈な風切り音とともにブルドへ襲いかかる。
ブルドは錫杖を巧みに操り、棒術の技で幾度となくその重撃を受け止めた。
――ガァァァンッ! ズドォォォンッ!
火花が激しく散り、石造りの壁や床が砕け散る。
互角の攻防に見えた死闘であったが……次第にブルドの足取りが重くなり、体勢が崩れ始めていた。
それもそのはず――ブルドの肉体は先刻、グレイランスを黄泉の国から連れ戻す秘術『蘇生の術』の代償として、すでに命の温もりを失い、死者と同等の状態に陥っていたのだから。
「ハハッ! 終わりだッ!」
ブルドの錫杖が打ち払われ、大きな隙が生まれたその瞬間――人虎の眼光が冷酷に輝いた。
人虎は全身の筋力を極限まで溜め込むと、黒鉄の鐵棍を槍のように一直線に突き出した!
――ドスッッ!!!!
凶悪な鉄の先端が、ブルドの分厚い胸板を正面から貫通し、背中へと突き抜けた。
「……がはッ……!!」
口から凄まじい血の塊を吐き出すブルド。心臓を完全に破壊された、致命的な一撃であった。人虎は勝利を確信し、下品な笑みを浮かべようとした。
だが――
ブルドは倒れるどころか、自らの胸を貫く鐵棍を太い両手でガッチリと掴み込み、逃がさぬように固定した。その瞳には死者の絶望など微塵もなく、修羅のごとき凄絶な威圧感が宿っていた。
「―――喝ッッ!!!!」
静寂の城内に、ブルドの魂の底から絞り出された凄まじい断末魔の咆哮が響き渡った。
それはただの叫びではなかった。冥府の境界を踏み越えたブルドが、自らの残存する全霊と『冥王力』を波動として解き放った、破滅の言霊であった。
「な……がぁぁぁっ!?」
『喝』の音波を至近距離で脳へ直接叩き込まれた人虎は、白目を剥き、激しい血噴流を耳と鼻から吹き出させた。
脳の神経が完全に破壊され、人虎の意識と命は、一瞬にして永遠の闇へと途絶えたのだった。
崩れ去る人虎の肉体と、胸に鐵棍を刺したまま仁王立ちを続ける破戒僧の影。
王都ファルスの深遠で、死闘の静寂だけが虚しく広がっていた。




