第五部第十六話:夜陰の囮と、雷光の自尊心
第五部第十六話:夜陰の囮と、雷光の自尊心
秋の柔らかな陽光が注ぐラブルの街。
宿屋の表に設置されたテラス席では、精霊使いの楽師ルイザが優雅に焼き立てのパンと温かいハーブティーで遅めの昼食を楽しんでいた。
澄んだ空気の中、彼女が抱える愛用の竪琴が陽光を浴びて琥珀色に煌めいている。
そこへ、重々しい足取りで歩み寄ってきたのは、黒衣の傭兵グレイランスと、数珠を首に下げた破戒僧ブルドの二人であった。
「ルイザ。……ちっと、改まって頼み事があるんだがな」
グレイランスが真剣な面持ちで眉をひそめ、向かいの丸椅子を引き寄せた。
「なんだい? 男二人が揃って改まって……気味が悪いねぇ」
ルイザは一杯の茶を一口すすり、どこか胡散臭そうな目を向けながら冷ややかに応じた。
「実はな……」
グレイランスが低く落ちついた声で切り出したのは、この一ヶ月間、ラブルの街を激震させている連続猟奇殺人事件の真相であった。
街の裏路地や富裕層の邸宅で、夜な夜な若い女性ばかりが凄惨な手口で惨殺され、血を抜かれているのだという。
ギルド『傭兵天国』から討伐の特命を受けたグレイランスは、犯人を誘い出すための「囮」として、腕の立つルイザに白羽の矢を立てたのだった。
「――やーよッ! なんでアタシがそんな命懸けの危ない目に遭わなきゃならないのさ!」
話を全て聞き終えるや否や、ルイザはハーブティーのカップをテーブルに叩きつけ、プイッと素っ気なくそっぽを向いた。
「おいおい、頼むよ。お前の精霊術と度胸が必要なんだ」
グレイランスが手を合わせて頼み込んだが、ルイザは「絶対に嫌ね」と取り付く島もない。
「……仕方ない、グレイランス。自信がないという者に無理強いはできん。他を当たるとしよう」
隣で腕を組んでいたブルドが、深く溜息をつきながらわざとらしく大袈裟に首を振った。
「ちょっと! 自信がないってどういう意味よ、生臭坊主!」
案の定、ルイザの眉が吊り上がった。
「ああ、なに、言い忘れとったがの。これまでに殺された十一人……狙われたのは、誰もが街で一、二を争う評判の『美女』ばかりなんじゃ。囮役に選ばれるだけの美貌に自信がないというなら、一考の余地もないわな」
グレイランスが口元に不敵な笑みを浮かべ、おどけたように肩をすくめて見せた。
「なんですって……!? 美女ばかり十一人……!?」
ルイザはガタッと音を立てて勢いよく立ち上がった。茶髪を大きく揺らし、その瞳にはメラメラと猛烈な対抗心が燃え盛っている。
「ちょっと待ちなさいよッ! 街一番の美女ばかりが狙われてるっていうなら……次に狙われるべきは、他でもないこのアタシじゃないのさッ!!」
完全に仕掛けた罠に食いついたルイザの姿を見て、グレイランスとブルドは影で密かにニヤリと視線を交わし合わせると、言葉巧みに煽り立てて彼女を夜の街へと連れ出したのであった。
深夜――静まり返った貴族公邸の広大な庭園。
満月の冷たい光が注ぐ青々とした芝生の中央で、一人の美女がポツンと石のベンチに腰掛け、繊細な指先で竪琴の弦を爪弾いていた。
澄んだ竪琴の音色が夜の静寂に響き渡る。
……言うまでもなく、囮となったルイザである。
一方、庭園の端に生い茂る鬱蒼とした低木の下では、全身を黒布で覆ったグレイランスとブルドが、息を潜めて茂みに潜んでいた。
「……全然やって来んなぁ。あの怪物め、ルイザの顔が好みじゃなかったんかのう」
あまりの反応の無さに、潜伏の退屈さに耐えかねたブルドが耳元でヒソヒソと呟いた。
「しっ! 喋るな、……来たぞ!」
グレイランスの鋭い眼光が夜空の一点に注がれる。
――パサッ……パサッ……
月光を遮り、空中から優雅に着地したのは、皮膜の大きな翼と鋭い吸血牙を持つ魔王族の怪異――「人蝙蝠」であった。
「……おや、麗しいお嬢さん。あまりに美しい竪琴の調べに惹かれて、夜風に乗ってやってまいりましたよ……」
人蝙蝠は気障な仕草で胸に手を当て、舌なめずりをしながらルイザへとしずしずと近づいた。その赤く光る双眸には、極上の獲物を前にした溢れんばかりの食欲が宿っている。
「――ふふっ、お待ちしておりましたわ」
立ち上がったルイザは可憐に微笑む……と同時に、その瞳から一切の温もりが消え去った。
彼女の手には、瞬時に取り出された黄金色に猛威を振るう『雷精玉』が握られていた!
――ガシャァァァァンッッ!!!
「ぐわぁぁぁぁぁッ!?」
ルイザが宝珠を頭上へ掲げた瞬間、夜空から極大の紫電が一直線に落雷! 人蝙蝠の巨躯を頭上から貫いた。
眩い閃光とともに無数の電撃が体内を駆け巡り、一瞬にして怪物を黒焦げの肉塊へと変えさせる。
だが、ルイザの怒りはそれでは収まらなかった。
黒こげになって地へ倒れ伏した人蝙蝠を見下ろし、彼女は仁王立ちになって叫んだ。
「アンタねぇッ! 街で暴れるなら一番にこのアタシを襲いに来なさいよッ!! アタシを差し置いて、他の女の方が美人だってのかいッ!?」
ブチ切れたルイザは、間髪入れずに純白に輝く『光精玉』を掲げた。
――ズドォォォォンッ!!
極限まで高められた精霊の光が、極太の熱線となって黒焦げの人蝙蝠へと壊滅的な勢いで浴びせかけられた。
超高熱の光線は肉体も骨も一瞬にして焼き尽くし、跡形もなくサラサラとした灰へと変えてしまった。
「……まったく、とんだ失礼な奴だねッ!」
ルイザはフンと鼻を鳴らし、乱れた髪を乱暴に払うと、自尊心を満たされた様子で腰に手を当てた。
茂みの中で一部始終を見ていたグレイランスとブルドは、完全に飛び出すタイミングを失っていた。
「……おい、ブルド。あいつ、一人で片付けちまったぞ」
「う、うむ……恐ろしい女じゃ……下手に声をかけたらワシらまで灰にされかねん……」
あまりの容赦のなさに戦慄した二人は、茂みの中でさらに身を低くし、気配を完全に遮断した。
いや、それはもはや気配を消すというよりは、息を殺した「死んだふり」に極めて近かった。
二人がそこまで怯え、身を縮こまらせたのには、もう一つ――決定的な理由があった。
「……ん? なんだい、なんの気配だい……?」
ふとルイザが違和感を覚えて振り向いた、その背後。
夜の空間が歪み、月光すら呑み込む圧倒的なまでの神威とともに、巨大な竜の頭部――漆黒の鱗と黄金の瞳を持つ古の巨竜『守護竜ブレイズ』の巨大な幻影が、ぬっと天空から現れていたのだ。
立ち上る古代の竜気が、庭園全体の空気を押し潰すように圧迫する。
ルイザの自尊心の暴走と精霊力の爆発に呼応するかのように、ラブルの街を守護する超絶的な存在が、静かにその巨躯を夜空に現出させていた。
「……見なかったことにしよう」
「うむ……ワシらは最初からここにはおらん……」
冷や汗をダラダラと流しながら、茂みの闇の深くだけを見つめ、石のように固まるグレイランスとブルド。
二人の無言の死んだふりは、夜が明けるまで解けることはなさそうであった。




