第五部第十五話:深き酒杯と、冥府へ消えた友
第五部第十五話:深き酒杯と、冥府へ消えた友
ジェイクとマリオンの哀しき最期を見届けた老僧ブルドが、険しい山道を越えて北の防衛都市ラブルの街へ辿り着いたのは、翌日の陽が傾きかけた頃であった。
旅の泥と疲労を身に纏ったブルドが足を向けたのは、街の中心に構える冒険者ギルド『傭兵天国』ラブル支店の喧噪あふれる酒場であった。
仏に仕える身でありながら、ブルドは豪快に大杯の酒を煽り、香ばしく焼き上げられた巨大な肉塊にかぶりついた。
「よう! 相変わらずの生臭坊主ぶりだな、ブルド!」
背後から響いた豪快な声とともに、巨躯の剣士――アレスレインがブルドの肩を力強く叩いた。
「ハハッ、そっちこそギルドの商売は繁盛しておるようで何よりじゃな、アレスレイン」
二人は古くからの気心の知れた戦友のごとく、固い握手を交わした。
アレスレインの手のひらに刻まれたタコと無数の傷跡、そしてブルドの骨太で逞しい腕が、互いの歩んできた過酷な年月を物語っていた。
「愚息のグレイランスが、世話になっているようだな」
「なんのなんの! あの坊主の暴れっぷりを見ているとな、かつて大陸を震撼させた『大剣のアレクサンダー』……いや、伝説の『グランバード』の名を継ぐのも時間の問題じゃろうて!」
ブルドが白ひげを揺らして豪快に笑い飛ばすと、アレスレインは渋い顔に苦笑いを浮かべ、酒杯に視線を落とした。
「フッ……血は争えん、ということか」
酒場の賑やかな喧噪を余所に、ブルドは手元の酒杯を一気に飲み干すと、ふと表情を破戒僧のそれから凄みの漂うものへと改めた。
「……そういえば、道中で『ハンニバル』に会ったぞい」
アレスレインの眉がぴくりと動いた。
「ほう……吸血鬼の真祖か。奴らであれば歳も取らぬ、昔と変わりなかろうな」
「ああ、相変わらず不気味な男じゃった。……じゃがな、この度の魔王族の侵略に対して、奴ら冥王族の協力を得ることは絶望的じゃな」
「……何?」
「なにせ、あの男……『魔王母メルフェレーン』と共におったでの。二人並んで闇の中からこちらを見ておった。密かに手を組み、血の盟約を結んでいることに疑いようもない」
元の世において、魔王族と冥王族は天王族の支配に反旗を翻してきた存在である。歴史の裏で両者が結託し、天王界の庇護を失った人間界を呑み込もうと画策するのは、ごく自然な流れであった。
「……直接の敵として牙を向けてこんだけ、まだマシと言ったところか」
アレスレインが腕を組み、低く唸る。
「うむ……そうじゃの」
二人の英雄の顔に、重く深刻な影が落とされた。
そこへ、階段を降りてきたグレイランスが二人のテーブルへと歩み寄ってきた。
「よう、生臭坊主。到着が随分と遅かったじゃないか。……ところで、ジェイクとマリオンはどうした? 一緒じゃないのか?」
グレイランスは何気ない風を装って尋ねたが、その瞳にはどこか嫌な予感を拭いきれない焦燥が浮かんでいた。
ブルドは深く溜息をつき、静かに首を振った。
「……二人は、冥王界に堕ちた」
重い沈黙がテーブルを包み込んだ。グレイランスの顔から冗談めかした表情が消え去る。
「……死んだ、ってことか?」
「……ただの死とは言えん。あやつらは……いずれ『冥王族』として、我らの前に再び生きて現れるじゃろう」
「そうか……っ。ジェイクの奴め……」
グレイランスは拳を力強く握り締め、それから静かに力を抜いた。
ジェイクは、聖騎士団という堅苦しい立場にありながらも、傭兵である自分を対等に扱い、背中を預け合ってきた数少ない同世代の親友であった。
固い絆で結ばれた友が、二度と人間として笑い合えぬ存在へとなってしまった事実。
グレイランスは何も言わず、静かに手元の酒杯を引き寄せると、苦い酒を喉へ流し込んだ。その横顔には、滅多に見せることのない深い孤独と寂しさが滲み出ていた。
その夜、グレイランスは宿屋の静かな回廊でソフィアを呼び出し、ジェイクとマリオンの身に起きた出来事をありのままに伝えた。
月光が静かに差し込む回廊。
ソフィアは最初、信じられないというように固まり、それから浅い息を繰り返した。
「そんな……ジェイク様が……マリオン様が……っ」
これまで、大神殿を出発してから幾人もの聖騎士や兵士たちが、目の前で怪異の犠牲となり、凄惨な死を遂げてきた。そのたびにソフィアは「聖女」としての気品と責任感から、溢れ出る涙を必死に噛み殺し、気丈に振る舞い続けてきたのだ。
だが、常に自分を一番近くで守り支えてくれたジェイクの死、そして妹のように慈しんでいたマリオンの残酷な運命を知らされた瞬間――彼女の心の中で耐えていた堤防が、跡形もなく崩れ去った。
「うぁぁぁぁん……っ! ジェイク様ぁ……ッ! マリオン様ぁ……っ!!」
堰を切ったように激しい涙が溢れ出し、ソフィアはその場に崩れ落ちそうになった。
グレイランスは咄嗟に手を伸ばし、彼女の華奢な身体を強く抱きとめた。
ソフィアはグレイランスの厚い胸板に顔をうずめ、彼の黒い外套を小さな手で固く掴み締めながら、子供のように声を上げて泣きじゃくった。
「泣いていいんだぜ、ソフィア。……今までずっと、よく耐えてきたな」
グレイランスはソフィアの震える背中に優しく手を添え、静かに寄り添い続けた。
胸に伝わる彼女の温もりと涙の重みを感じながら、グレイランスの胸中にもまた、魔王族に対する激しい闘志と、この儚くも尊い聖女を何があろうと守り抜くという絶対の誓いが刻み込まれていくのだった。




