第三話 見えない音
第三話 見えない音
神崎 結衣
私は身体が弱くて、ずっと病院にいた。
でも気持ちは元気だったから。同い年くらいの子が入院してきた時はお友達になれるかもと、わくわくしながらすぐに声をかけに行ったりしてた。
でもね。みんな病気や怪我が治ったら、お父さんやお母さんと嬉しそうに帰って行くの。もちろんお友達が元気になって嬉しいけど、寂しかった。お父さんやお母さんは、いつも疲れた顔をしていた。……こんな弱い子でごめんなさい。
お父さんとお母さんが会いに来てくれた時は、精一杯笑うようにしていたの。そうすれば、お父さんもお母さんも……喜んでくれるから——。
目が覚めたら駅のホームで寝転がっていた。
私はさっきまで——こことは違うどこかにいたはずなんだけど。なんだろう、頭の中がぼんやりしてて、何も思い出せない。
身体を起こして、周りを見渡してから立ち上がる。
「なんだか……暗くて寂しいところ」
駅員さんがいないかなと思って、改札横のお部屋を探してみたり、駅の中をとにかく歩き回った。その途中で鏡を見つけた時、写る自分の姿を見てあることに気付く。
「結……衣、これが私の名前なのかな?」
服の胸元に、名前が書いてあった。
ここに来る前のことは思い出せないけれど。着ている服に書いてある名前なら、自分の名前だよね。
考えていたその時、辺りが照らされる。
電車のライトだ。なんだか、窓が赤くて変な雰囲気の電車だった。私は既に駅の外に出てしまっていたので、ここからだと乗るには間に合わなさそうだけど。
電車はホームに停車して、すぐに走り去ってしまった。
ドンッ!!
電車が走り去った方向から、妙な音が聞こえた。
電車はそのまま暗闇に消えてしまったけど、何かにぶつかっちゃったのかな?
私は音が聞こえた線路へ向かった。
向かった先はとても暗くて、わずかな灯りを頼りに周りを探るように歩く。近付くにつれてぴちゃ……ぴちゃ……。カリ、カリ、という音が聞こえてきて——。
人の下半身だけがそこに転がっていた。
呆然としているとぴちゃ、ぴちゃという水の音が激しくなって、音が、色んな音がこちらに近付いてくる。
——逃げなきゃ!!
「——いやあああああああ!!」
暗闇から姿を現したのは血塗れの、上半身だけの女の人だった。目が合ってしまった女の人はとても暗くて空虚な瞳をしていて、ぴちゃぴちゃという音は血溜まりの中を這いずる音。カリカリと聞こえた音は線路を爪で引っ掻く音。
私は気付いたら明るい方へ逃げていた。
こわい、こわい、なにあれ。
私は一体どこにいるの?
物陰に隠れて、切れてしまった息を整える。
追いかけては来ていないみたいだけど、今になって足が竦んできてしゃがみこんでしまった。
「……?」
駅の方からこっちに向かって、足音が近付いてくる。
誰かいるのかな? 物陰からちょっとだけ顔を出して音のする方を覗くと、そこには知らないお兄ちゃんがいた。あのお化けのいる方に向かってる。
お兄ちゃんは、普通の人間のように見える。
油断はできないけれど。
竦む足を落ち着かせて、そっと音を立てないようにお兄ちゃんの後ろを着いていくと、やっぱり——。
「そっちに行っちゃダメっ!!」
異音がする暗闇に、声をかけようとしていた。
私の声でお化けが気付いてしまって、こちらに近寄ってくる気配を感じる。逃げなきゃ! 私はお兄ちゃんの腕を掴んで、明るい方へ引っ張った。
でも、お兄ちゃんは困った顔をしていて中々動いてはくれない。早く逃げないとお化けに襲われてしまうのに。
「おいおい、ちょっと待って」
「待てないよ、早く逃げなくちゃ。捕まったらどうなるか分からないんだよ? ほら、もう——気付かれてるから」
さっき見たお化けがお兄ちゃんに手を伸ばして、助けを求めてきた。とても不気味な声で、血をだらだらと流しながら。
「怪我人!? 早く救急車っ……」
「違うよ、お兄ちゃんよく見て!」
下半身もなくて、あんなの生きてるはずがない。
暗いからよく見えなかったみたいだったけど、明かりでそれが全部見えた時、お兄ちゃんはヒッと声を小さく上げて、ようやく私が引っ張る方に走ってくれたの。
「あれ、明るい所までは来れないみたいだから、ここまで来れば大丈夫だと思う。ごめんなさい、急に引っ張って……」
「いやいや! 声をかけてくれてありがとう。もしあっちに行って、あれに捕まってたらどうなってたか分からないし」
駅に着いて、しばらく息を整える。
お兄ちゃんは気遣うように私に怪我がないか見てくれていて、とても優しそうな感じの人。大人の人にも会えたし、助けてよかった。
「俺は朝倉 悠真。君の名前は?」
「……んっとね、多分結衣っていうの。ほら、この服に名前が書いてあったから」
「もしかして、記憶が」
「うん。あんまり思い出せなくて、気付いたらここにいたの。誰もいなくて、寂しくて。声がしたから、あっちに行ったらあのお化けに……」
思い出しただけでも怖い。
あのお化けの女の人は助けを求めていたけど、あんなのどうしようもないよ。悠真お兄ちゃんはすごく困ったように一度私を見て、そのまま辺りをきょろきょろと見回した。私も一緒に周りを見たけど、この駅だけが明るいみたいでそれ以外は暗い。
お家もいくつか見えるけど、明かりもなくて誰も出てこない。何となくだけど、お家から誰かがこっちを見ているような気はするのに。
その時、強い明かりで辺りが照らされた。
電車だ! でもさっき見たのと同じ感じで窓は赤くて、何となく嫌な感じがする。悠真お兄ちゃんはどうするんだろうと見上げたら、すっごく怖がってるような顔をしてた。
「悠真お兄ちゃん、あれ! 電車が来たよ」
「ああ……でも、だめだ。行くな」
やっぱりだめだよね。
一応声はかけてみたけど。悠真お兄ちゃんはあの電車のこと、知ってるのかな? なんとなく聞けるような雰囲気ではなくて、悠真お兄ちゃんを見上げたまま手をぎゅっと握る。握った手は温かくて、少しだけ安心できた。
「おや、どうしたんじゃ君たち」
急に知らない声が聞こえてびっくりした。
そこには知らないおじいちゃんが立っていた。
少しお話をして、悠真お兄ちゃんはついて行くって決めたみたい。このおじいちゃんはきっと本当はおじいちゃんじゃないような気がする。
暗い道を迷わず歩くおじいちゃんは、歩くのがとても早くて、私たちはついて行くのに精一杯。周りを見る余裕もなくて。後ろから違う何かがついて来てる気がしたけど、確かめられなかった。
赤い鳥居と、ぼろぼろの神社。
悠真お兄ちゃんは、神社に入る時はこうするんだよって、入り方を丁寧に教えてくれた。狐さんの像が二体並んでいて、その間を通った時、クスクスって笑う声が聞こえた。ここに来てようやく後ろを振り返ったけど、そこには誰も見えなかった。
でも今入ってきた鳥居の向こうは、通ってきた時よりも真っ暗で、何も見えなくて。
こわい、って思った。
畳のお部屋に通されて、悠真お兄ちゃんはやっと落ち着いたと言うように座り込んだ。悠真お兄ちゃんは用意してくれた飲み物をためらいなく飲んでるけど、これ——泥水みたいな色をしてる。飲めるのかな?
——なんとなく私は飲む気にならなかったから、口をつけるのをやめた。
「あのー……すみません、そこまで作法に詳しいわけじゃないので、何かあれば言ってくださいね」
「よいよい、今どきそう詳しい者もおらんじゃろうて。それを守ろうとしてくれるだけでありがたいもんじゃ。……ほれ、子狐共も気に入っとるわ」
襖の隙間から四つの目が私たちを見てる。
あの黒い影が子狐? 悠真お兄ちゃんはおじいちゃんとお話を続けてるけど、私は視線がとても気になって、そちらを見つめていた。
四つの目も、応じるようにこちらを見つめてきて——。
不意に、何かを思い出した。
「ああ、かわいそうな子……」
「ずっとこのままなのか? ……結衣」
脳裏に浮かぶのは、眠る私を泣きながら見つめる四つの目。男の人と、女の人。私はこの人達を知ってる。私が産まれたばかりに、大変な思いをさせてしまったお父さんとお母さん。
私は二人の呼びかけに応じることもなくて、どこかのベッドで目を閉じたまま。そんな光景を、私は部屋の隅で立ち尽くして眺めていた。
私の身体はそこで寝てる。じゃあ、私は——?
はっとした時、もう四つの目はいなかった。
悠真お兄ちゃんとおじいちゃんが怪異というものについてお話している場面だ。
「——じゃあ、おじいちゃんも怪異なの?」
自然に、そんな疑問を口にしてしまった。
お部屋の空気が冷たくなって、悠真お兄ちゃんがかなり焦ったような顔をしてる。ごめんね、悠真お兄ちゃん。だってそのおじいちゃん、人間じゃないもの。
でもこのおじいちゃんは別に怖くない。
「——くふふ、すまんのう、からかい過ぎたわ。そう怖がるでない。我らは確かに怪異ではあるが、お主らを襲うつもりはない。我らに敬意を払わなければ、その限りではなかったが」
おじいちゃんが縦に割れて、大きな狐さんが現れた。
悠真お兄ちゃんはびっくりしながらも、私の前に庇うように移動してくれた。私は何故だか全く怖くない。
あの血塗れの女の人を見た時はあんなに怖かったのに。
きっとこの狐さんたちが、私たちに何かをする気がないから怖くないのかもしれない。それよりも私の心は、さっきの記憶が気になって仕方ないの。
そう思いながら狐さんを眺めていたら、ふっと目の前が真っ白になって私は意識を手放した——。




