第四話 鈴鳴りの音
第四話 鈴鳴りの音
朝倉 悠真
チリン、と響く鈴の音でハッとした。
俺は座ったままぼんやりしていたようだ。結衣は隣で倒れていて、確かに話していたはずの大狐はいなくなっていた。代わりに、大狐がいた場所には鈴が落ちている。
「結衣、結衣……大丈夫か?」
「う、うん……あれ?」
社務所の中はガランとしていて、今はなんの気配も感じられない。さっきまで綺麗に見えた室内は、今ではボロボロの廃墟のように成り果てていた。
あれは夢なんかではないはず。
まさに狐に化かされた気分だ。
「この鈴、あの狐さんがくれたのかな……」
「道くらいは示してやる、って言ってたから何かに使えるのかもしれない。持って行くか」
拾い上げた鈴をポケットに入れて、社務所を後にした。
神社を出る前に拝殿に向かい、二人で丁寧に二拝二拍手一拝をする。敷地から出る際にも一礼。こんなもんで合っていただろうか……?
失礼のないようにしておかなければ。
——敷地の外は、こんなにも暗かっただろうか。そう思うほど薄暗い。二人は道に沿って、駅の方向へ引き返すことにした。道は土が踏み固められただけで、両脇には高くまで雑草が生い茂っている。
「悠真お兄ちゃん、こんな道だったかな……?」
「来た時はここまでほぼ真っ直ぐの道筋だったし、方向はこっちのはずだが……なんか風景が違うな。」
ついて行くのに精一杯だったからといって、それくらいは覚えている。道は徐々に雑草に飲まれ、まるでけもの道のようになっていた。
引き返そうかと迷った、その時。雑草にぽつぽつと、赤が混じっているのに気付く。薄暗いのに、その鮮やかな赤はすぐに目に付いた。
その赤の正体は、花に詳しくない俺でも知っている「彼岸花」。死や別れを連想させる、不吉な花。俺の中ではそんなイメージだ。
彼岸花は、はじめは一本、二本程度だったのに進むにつれて数が増える。雑草は彼岸花に置き換わっていき、辺り一面が赤く染まってゆく。異様な光景だった。
しく、しく。
うう、うううう……。
異様なのは光景だけではない。風に乗って、まるですすり泣くような声が聞こえてくる。
彼岸花が咲き乱れる花畑の中で、着物の女性が背を向けて座り込んでいた。すすり泣きの声の主はこの女性のようだ。着物の柄はかなり派手で、着付けは崩れているようにも見える。
チリン。
「悠真お兄ちゃん……」
「……っ」
服の裾がぎゅっと握られた。
これは声を、かけるべきなのか?
すすり泣きは、徐々になにかを呟く声へと変わる。
口惜しい、口惜しい。
どうして私たちが殺されなければならなかったの。
私たちを谷底に落とした、男どもが恨めしい。
チリン、チリン。
ポケットの中に入っているはずの鈴が、動いていないのに鳴り始める。まさか、この鈴の音は警告なのか? 俺は後ずさる。後ずさった時に、パキリと小枝を踏んだような音がした。
その音に反応して、女の呟きが止まる。
あ、これはやばいかもしれない。
女性はゆっくりと立ち上がる。髪は崩れていて、着物は柄こそ派手なものの、あちこち破れているようだった。
立ち上がった指先からは、ぽたり、と赤い液体が零れて地を濡らす。
女性の身体が、ゆっくりとこちらを向いて——。
「ひっ……! 顔が……!」
結衣は口を覆って、恐怖の声を上げた。
女性の顔は、無かった。いや、無いというか、目や鼻といったパーツは無いのだが、顔の中心に向けて皮膚が渦巻いている。もちろん口もない。
先程の呟きは、どこから発せられていたのだろうか。
女性はスッ……と俺を指差す。
そして底冷えのするような声が、どこからか響いた。
——お前が踏んだものは、私の友の小指ですよ。
ゆっくりと、恐る恐る視線を下ろす。俺たちの足元にも、別の女性が倒れていた。暑くもないのに汗がぶわっと噴き出す。俺が踏んでいたのは、小枝ではなく小指。すぐに足をどけて、震える口で声を発する。
「ご、ごめん、なさい……」
生暖かい風がひとつ吹いた。
風に乗って漂うのは、鉄のような匂い。
「悠真おにいちゃん、花が、花じゃなくなってる」
彼岸花で満たされていたはずの空間は、赤い着物と地を染める赤い液体で埋め尽くされていた。何人も、何人も倒れていて皆が同じように顔が渦巻いている。
ひたり、ひたり。
俺を指差していた女が、歩み迫ってきた。
「——結衣、走れ!」
二人は弾かれたように走り出す。
女性は追っては来ていない。来ていないはずなのに、耳元で囁かれているかのように声が響く。
——どうして、どウして。
私たちはただ、働きに来ただけなのに。
踊る私たちを、奴らは谷底に落として殺したの。
「ううっ……!」
走りながら、結衣は涙を浮かべていた。
徐々にその足は止まり、立ち尽くす。
「あの女の人たちの、死んだ時の気持ちが、痛みが流れ込んでくるの。辛いよ、悠真お兄ちゃん……」
『お兄ちゃん……無理しないでね……?』
助けを求める結衣の姿が、妹の姿に重なった。
あの日。責任から逃げたくて、遺した妹の姿に。
「やめてくれッッ!!」
悠真は、叫ぶ。
「俺の不注意で、ご遺体を踏みつけて申し訳ございませんでした。でも結衣は何もしていません。何かするなら、俺にしてください!!」
——シン。
音が、止んだ。
「はぁ……、はぁ」
結衣が解放されたように、脱力した。
ひたり、ひたり。
逃げてきた方向から、先程の女性が歩いてくる。
今度は逃げなかった。
——お前。そう、お前です。
その鈴は道を示すもの。
しまっていないで、鳴らしなさい。
音が木霊する方に向かいなさい。
少女を守ろうとした姿に免じて、許しましょう。
パキン、と視界が揺れて脳裏に知らない光景が流れた。
艶やかに舞う、大勢の着飾った女性たちが、突然男たちの手によってまとめて落とされた。関係のあった男も、落下していく様を見て笑う。岩になにかがぶつかる音。迫り来る地面を染める、彼岸花のような深い赤。徐々に減ってゆく叫び声を聞いて、光景は途切れた。
それは女性の最期の記憶なのだろう。
顔は分からないが、漂う悲しさに惹かれたのか気付けば俺は女性の手を握っていた。
氷のように、冷たい。
肉付きもなく、ゴツゴツとした骨の感触。
「あ……」
女性からの反応は、無かった。
ゆっくりと感触が消えてゆく。
もう女性の姿は消えていた。
「ねえ、もう行こ……? 守ってくれて、ありがとう」
ひとまず危機は脱したように感じて安堵する。不安そうな結衣の顔を見て、少しだけ笑ってポンと頭を撫でた。落ちていく彼女たちを幻視して、思わず手を取ってしまった。助けようと、身体が動いたんだ。
教えてくれた通り、鈴を取り出して鳴らす。
——チリン、チリーン……。
鈴の音が、薄暗い空間に響いて。チリン、と音が返ってきた方角があった。結衣の手を握って、そちらの方角に歩みを進める。気疲れも恐怖もある。それなのに、空腹も眠気も感じない。
ここが、幽世だからだろうか。
鈴の音が導く先は、先程とは違って山の道という感じであった。整備はあまりされていないようだが、人が何度も行き来して踏み固められたのであろう道があるだけ。
鈴の音はこの奥から木霊しているから、俺たちは従って歩みを進めた。
「あれ見て、なんだか不気味……」
結衣と同じくらいの大きさの、白くてよく目立つ岩。
それは人間の頭蓋骨のような形をしていて、どこか不気味だった。本当にこっちに進んでいいんだろうか? と不安がよぎるものの、今は鈴だけが頼りだから仕方がない。
既に周りは森の中、といった雰囲気だが何の音も聞こえなくて、静かだ。ただ俺たちが鳴らす鈴と足の音だけが響いていた。
「悠真お兄ちゃん、村だよ!」
「人の気配がないな……結衣、あんまり声を出さずに慎重に進もう。また何か出てくるかもしれないし」
村は音ひとつなく、木造の家屋が立ち並んでいるだけ、といった印象。人の姿は一人も見えない。窓は割れていて、畑は荒れている。何かが生活しているような空気は感じられない。
そこは廃村、という言葉が似合う村だった。




