第二話 交わりの音
第二話 交わりの音
朝倉 悠真
「また課題やってこなかったの?」
教室中の視線が、一斉に悠真に向く。
課題を終わらせられなかったのは、アルバイトと家事に追われて時間がなかったからだ。みんなの前で呆れたように指摘をされ、辛かった。
俺の家は母子家庭で家計が苦しく、母さんは家に帰ってこないことも多かった。妹もいたから俺がしっかりしないといけなかったんだ。
男なんだから、大学まで絶対に出ろ。そう言ったのは、亡くなった父の母だった。進学せず働くという選択肢は許されず、大学に通いながら長時間のアルバイトもしなければならなかった。
大学の入学金だけは支払ってもらえた。
でもそれ以外は、自分で払わなければいけなくて。
それは俺の将来を案じての言葉だったのかもしれないけれど、母さんの稼ぎも少なくて、妹はまだ中学生。
——父さんは、他人を巻き込んで亡くなった。俺たちは「あの事故の家族」として見られていたから、母さんは外を歩くだけでも噂され、ようやく雇ってもらえた仕事も、母さんが何も言えないのをいいことに都合よく扱うようなところばかりだった。
ドンッ!!
そんな嫌な記憶を打ち破るかのような、鼓膜に響く衝撃音で目が覚める。
硬くて、とても冷たいアスファルト。
身体を起こすと、全身が軋む。
ここはどこだ? 駅のホーム……?
『きさらぎ駅』
顔を上げるとすぐに駅名標が目に入った。聞いたこともない……いや、インターネットで見た覚えがある。都市伝説にまつわるスレッドだったはず。俺はそこまでそういったものに詳しくはないが。
さっき停車した「やみ駅」の風景とは違って、ここは建物がいくつか見えるし、街灯の明かりもある。見た限りだけなら、あまり整備されていない普通の田舎という感じだ。
ここなら、誰かに会えるだろうか。
「すみませーん……」
改札は無人。声をかけたが誰も出てこない。
仕方なくそのまま改札を出てしまったが、よく考えたら乗車するときも改札を通っていないし問題ない……のか?
駅を出ても静寂は続き、生温かい風が肌を撫でる。
空は曇っていて星一つ見えず、街灯の明かりだけが辺りを照らしていた。これからどうしよう、と途方に暮れる。
ふと、今は何時なのかが気になった。スマホを持っていない悠真は、駅に備え付けられていた時計を確認した。
時刻は、午前二時。
「——いやあああああああ!!」
女の叫び声が静寂に響く。
誰かいるのか!?
声は駅隣の踏切から聞こえた。悠真は誰かいるかもしれない、という期待でそちらへと走る。すぐ近くの踏切に辿り着くと、灯りが乏しいせいで酷く暗く、踏切の先は何も見えない。
声の主もいない。一体どこに行った?
——カリ、ズルッ。
暗闇の先から何かの音がする。カリ、という謎の音。続けて、何かを引きずるような音。声の主が、暗闇の先に行ってしまったのか、と呼びかけようとしたその時。
「そっちに行っちゃダメっ!!」
背後から聞こえた声に振り返る。そこには十歳くらいの少女が立っていた。その子は悠真の元に駆け寄り、手を取ると駅の方に駆け出そうと引っ張る。
「おいおい、ちょっと待って」
「待てないよ、早く逃げなくちゃ。捕まったらどうなるか分からないんだよ? ほら、もう——気付かれてるから」
ズルッ、ズルッ、ズッ。
ア、アウアア、まって、ねえ、待っテよ。助ケて……。
暗闇の先から、それは現れた。
レールにしがみつきながら這って現れたのは、女。
長い髪はぐちゃぐちゃに乱れ、僅かな灯りに照らされた腕は血に塗れていて。荒い息と衣擦れの音に混じり、助けを求める声が聞こえる。
「怪我人!? 早く救急車っ……」
「違うよ、お兄ちゃんよく見て!」
徐々に迫ってくる「それ」。
涙を流しながら手を伸ばしてくる女には、下半身が無かった。あんな状態で動けるはずも、生きていられるはずもないのに。悠真はここでようやく状況を理解し、少女と駅の方へ一緒に走った。
逃げる途中、悠真は少しだけ振り返る。
それは、二人を恨めしそうにただ見つめたまま、暗闇に溶けるように消えていった。消えたからといって、足は止められない。引っ張られるままに、悠真は駅の正面へと戻った。
「あれ、明るい所までは来れないみたいだから、ここまで来れば大丈夫だと思う。ごめんなさい、急に引っ張って……」
「いやいや! 声をかけてくれてありがとう。もしあっちに行って、あれに捕まってたらどうなってたか分からないし」
少女の衣服は、病院の患者が着ているアレだ。
病衣って言うんだっけ?
「俺は朝倉 悠真。君の名前は?」
「……んっとね、多分結衣っていうの。ほら、この服に名前が書いてあったから」
「もしかして、記憶が」
「うん。あんまり思い出せなくて、気付いたらここにいたの。誰もいなくて、寂しくて。声がしたから、あっちに行ったらあのお化けに……」
ここが現実ではないと感じていた悠真は、結衣のたどたどしい説明に息を飲む。この子も、死んだのかもしれない。だとしたら、この子に何をしてあげたらいいんだろう。
君は死んだ、と告げる? いや、死んだかどうかなんてこの状況じゃ分からない。この小さな子にそんな残酷なことを告げる勇気もない。
どうしたものかと悩んでいたその時、遠くから電車の明かりが辺りを照らした。そしてホームに電車が停車する。
「悠真お兄ちゃん、あれ! 電車が来たよ」
「ああ……でも、だめだ。行くな」
気を失う前の出来事。
あれは夢なんかじゃないはずだ。ホームに向かおうとする結衣の手を引いて、その足を止めさせた。あの電車に乗ってしまったら、結衣はあの黒い人影と同じようになってしまうかもしれない。
不思議そうにこちらを見つめる結衣にどう説明しようか迷った時、改札の方から誰か一人の足音がした。
「おや、どうしたんじゃ君たち」
改札を抜けてきたのは老人だった。
老人は二人を確かめるように見つめて、ふぅと息を吐き一言だけ告げる。
「……ついてきなさい。ワシから離れるんじゃないぞ」
悠真と結衣は顔を見合わせて、少し悩む素振りを見せたが老人の後を追うことにする。この後のことなんて何も決まっていなかったし、頼れる相手もいない。今は、この老人に従った方がいいかもしれない、と判断したから。
老人の歩みは意外なほど速く、悠真たちも少し早足で後を追う。還暦はとうに過ぎていそうなのに、足取りは軽やかだ。幼い結衣を気にかけながらでは、声を掛ける余裕もない。
道中、誰ともすれ違うこともなく辿り着いたのは、寂れた神社。老人は境内に入ると、足を止めた。
鳥居をくぐる時は……端に避けて、一礼してから入るんだったかな。そんな神社での作法を思い出して、悠真と結衣は端から一礼して鳥居をくぐる。
寂れた神社の参道には二対の狐の像が並んでいた。
狐の像があるということは、稲荷神社なのだろうか。
「ほう、この状況で作法を守るとは感心じゃ。ここはワシが護っておる神社だから安心せえ。そこで清めて入りなさい。茶くらい出してやろう」
老人が指差した手水舎で手と口を清め、後を追って社務所へと入ると畳敷きの和室に通された。結衣と固く手を握ったままではあるが、畳の匂いで少しだけ緊張が和らぐ。
ことりと温かい緑茶が出され、急に喉が乾いていたことを思い出した。ふぅふぅと冷まして、喉を潤す。
「あのー……すみません、そこまで作法に詳しいわけじゃないので、何かあれば言ってくださいね」
「よいよい、今どきそう詳しい者もおらんじゃろうて。それを守ろうとしてくれるだけでありがたいもんじゃ。……ほれ、子狐共も気に入っとるわ」
言われて初めて気が付いた。
奥に続く襖に少しだけ隙間があり、そこから覗く四つの目。二匹の、幼い狐のようだ。こちらには来ることなく、様子を伺っている。
「人見知りでな、顔を出すだけでも珍しいんじゃ。さて、お主らは迷い人かの。ここまでのことを話してみい」
ぽつぽつとではあるが、悠真は電車で起こった凄惨なこと、駅に着いてからのこと、線路で見た上半身だけの女のこと。結衣とはそこで会って、二人で逃げてどうしたらいいか困っていたこと。
自分のことをゆっくりと語った。老人はただ相槌を打ってくれていて、それに安心して言葉を続ける。結衣の方は電車に乗った記憶はなく、悠真と同じように目が覚めたら駅で倒れていたらしい。
「——ふむ。お主らが会ったのは、いわゆる怪異と呼ばれるものじゃな。ほれ、テレビやらで聞いたことはないかの?」
「都市伝説とかの、アレですか」
「そうじゃ。お主らのようにこの幽世に迷い込んだ者たちが、生きて帰れたら現世で語る。作り話や尾ひれもついてはおるが、真実も混じっておる」
老人はそう言うと、茶を一口啜った。
「俺たちは、……いえ、なんでも」
「お主らはまだ生きておるよ」
心を読まれたように、はっきりと告げられた。
俺も結衣も生きている、と。
「じゃがどうかの、生きて帰れるかは運次第といったところか。あまり望めんくらいには、命の灯火が僅かじゃ。お主らを狙う者もおる。ここまでに会った者たちがそれじゃよ」
「あ、あの電車や上半身だけの女……ですよね」
「あれらも元は生者じゃが、無念が募り怪異と化した。動機は様々あるが、生者が妬ましい者、甚振るのを楽しみたい者、ただ殺したい者——そんな目的の者らが、お主らの命の灯火を奪うために狙う」
恨めしそうな女の姿を思い出して、身震いをした。
やはりあれは危険な存在だったのか。
「——じゃあ、おじいちゃんも怪異なの?」
急に発された結衣の一言で、部屋の空気が変わった。
途端に、おぞましい冷気が漂う。
そうだ。この老人だって、俺たちを狙う怪異なのかもしれない。そうだとしたら、俺たちはまんまと捕らえられたようなものだ。
ちらりと老人の表情を確かめると、無表情で結衣を見据えていた。
やばい。
動悸がする。
やばい。
逃げるべきか。
でも、からだが竦んで、うごかない。
ここで、殺される——?
「——くふふ、すまんのう、からかい過ぎたわ。そう怖がるでない。我らは確かに怪異ではあるが、お主らを襲うつもりはない。我らに敬意を払わなければ、その限りではなかったが」
ピシッと老人の身体にヒビが入った。
皮膚が縦に裂けて、中から現れたのはうっすらと輝きを放つ金色の大狐。尾は九つ。
——そう、九尾の狐。
「我らは、神無き社を護る者。失われた主より、迷い人に慈悲を与えよと仰せつかっておる。その命において、哀れなお主らに道くらいは示してやろう」




