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聖女は山へ向かう  作者: 仕様です。


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13/15

#13 帰還

静まり返った神殿の中に、ひとつの遺体が横たわっている。

崩れた柱の隙間から差し込む薄い光が、その身体を鈍く照らす。


フラウィアの、雪崩で潰れていたはずの身体には、ひとつの傷も見当たらなかった。

血が付着し裂けた衣だけが、そこに確かに損傷があったことを示していた。


アルノはしばらくその場に立ち尽くしてから、やがて静かに歩み寄る。

膝をつき、フラウィアの手を取った。

冷たかった。

脈は無い。 

手を離せば、その手は少しの抗いも見せずに重力に従うのだろうと思われた。


あれほど濃密だった気配は、もうどこにも残っていない。

フラウィアは去ったのだと、アルノは理解した。


ここまで、いくつの山を越えた。いくつ谷を抜けた。

泥の中を進み、崖を登り、魔物の気配を避けながら。


不慣れな旅を、それでも彼女は歩き続けた。

現実を知り、恐怖を知り、それでもなお、自分で進むことを選び続けた。

山頂での戦いなど、もはやフラウィアに命を救われたようなものだった。


戦友だった。


アルノは目を閉じた。

短く、息を吐き、ゆっくりとフラウィアの手を置いて、それから静かに立ち上がった。




◾️




持ち込んでいた厚布を広げる。

遺体を包むために、この旅の初めから用意されたものだった。


フラウィアの身体を丁寧に包み、紐で固定し、大型の遺体袋へ収める。

背面装備へ固定具を噛ませ、荷重を調整する。

歩行時に揺れぬよう、腰側も補強する。


何度も繰り返してきた作業だった。

アルノは荷を背負い、崩れた神殿を後にした。




◾️




ミレイア山の山頂の外気は、異様な静寂でアルノを迎えた。


魔物の気配が無い。

吹き抜ける風の音だけが、雪煙を巻き上げていた。

天蓋のような黒雲が消え、吸い込まれるような青がこちらを見下ろす。雪原が光を返し、アルノは思わず目を細めた。


山を下り始める。

往路で使った巡礼の坑道を逆走する。

崩落地点。魔物の死骸。

即席で塞いだ通路。


すべてを確認しながら、アルノは止まることなく進んだ。


細い岩場も。

谷底へ渡した綱も。

雪に埋もれた斜面も。


往路で難所だとフラウィアへ説明した場所を、アルノは次々と踏破していく。

あの時よりも荷重が増えていたが、それでも歩みは速かった。


迷いも、躊躇いも無い。

護衛も、歩幅を合わせる必要も、休息の確認も要らない。

必要ないものだったから。


単独行。

本来、アルノの任務とはこういうものだった。


とても身軽だった。

とても自由だった。


一歩を踏み出す。

二歩目で、歩みが自然と緩んだ。

アルノはそれに気づかず、そのまま歩き続けた。


野営も最低限だった。火は焚かない。

湯を作る必要も無い。


誰かのために足を止める理由が、もう無かった。

往路の半分にも満たない時間で、アルノは本国へ帰還した。




◾️




静かな夜だった。


人目を避け、指定されていた中央大聖堂裏口へ向かう。

薄暗い搬入口の前で足を止める。


「戦没者遺品返還部のアルノです」


短い沈黙があって、やがて内側から扉が開いた。

現れたのは、司祭長エドヴァルだった。


「……入れ」


小部屋には小さな灯りだけが置かれていた。

アルノは背面の装備を降ろし、遺体袋を静かに安置すると、固定具を外して袋を開いた。


フラウィアの顔が現れる。

まるで眠っているようだった。


エドヴァルはわずかに息を呑んだ。

それから静かに目を閉じ、小さく首を垂れる。


長い沈黙があり、やがてエドヴァルは一度だけ天を仰いだ。


「聖女フラウィアは以後、聖人に列するものとなる」


アルノは答えなかった。

エドヴァルもそれ以上何も言わなかった。


薄暗い部屋には、灯火の揺れる音だけが残る。

アルノは遺体と返還物の確認を始めた。


各種携行品。損傷した衣。

その最中、右手の内側に何かが挟まっていることに気づく。


小さな花片だった。

白く、わずかに青みを帯びた。柔らかな色。


見覚えは無かった。

少なくとも、山頂へ至るまでの旅路で見たものではなかった。

当然、「梱包」の際にも。


アルノはしばらくそれを見つめていた。

だが考えたところで、答えが出るわけでもない。


返還物のひとつとして、静かにエドヴァルへ差し出す。

エドヴァルはそれを見て、ほんのわずかに目を開いた。


それから何も言わず、ただ静かに受け取った。

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