第三章⑤ 苦悩
第三章⑤ 苦悩
いつもの安宿に戻り、仮面を外す篠田。
(俺は、一体どうなってる?俺はもう俺じゃない。何かに変わった。)
(そのうち殺すことに躊躇なくなるんじゃないか。大丈夫なのか、俺。)
(それにこの力、あのシュバルでさえ「目で追えないと」言っていた。)
(そんな俺が自我がなくなったら、どうなっちちまうんだ。)
ゴロリと横になる。ベッドはいつもより固く感じられた。
(篠田さん……。)
(ウェンディか?)
(あなたの気持ち、わかるとまではいいません。)
(ですが……。)
(力を持つことと、人格が変わることは別問題です。)
(あなたは力を持っている。でも、壊れていない。)
(それで十分じゃないですか。)
はぁとため息のような音が混じった気がした。
(……本当は禁則事項なのですが。)
(私たちが与える能力は、ご本人の精神力によって開花するものが違うんですよ。篠田さん、あなたは違和感の察知、そして危機への緊急対処、これが顕現しているだけですよ。)
(つまり、変わったのは人格ではない。能力だけです。)
(違和感の察知?危機への緊急対処?それが俺?)
(違う。)
(俺はそんな……。)
(ですが、事実なんです。)
(俺は……もう昔の俺じゃなくなってる。)
(昔の俺はただの人だったよ。だけど、今はもうバケモンだ。)
(……いえ、あなたは多くの人が経験しない痛みを知っています。)
(社会に捨てられた、見放された人。それでも……。)
(闇堕ちしなかった。だから私はあなたを……。)
(あなたは……見捨てられた人の痛みを知っている。)
語感が強く感じられた。気のせいかもしれないが。
(……。日本は法治国家だ。)
(法を守るのは当たり前の前提だ。)
(いえ……私は何人も見てきました。)
(世界を憎み、人を憎み、最後には自分すら憎んで壊れていった人たちを。)
(でも、あなたは違った。もしかしたら恨んだかもしれない。憎んだかもしれない。自棄になったかもしれない。)
(だけど……。壊れなかった……。そこが一番大事ですよ。)
言葉尻が下がる。なんか今日はいつもと違う。
(俺は……そんなたいそれた人間じゃないよ。ただ死にそびれただけさ。)
(そんな勇気、なかったからな。)
(それをただ、ダラダラと続けていただけだよ。)
(ただ、それだけだ。)
(……。)
(……。)
(それでも死を選ばない、法を犯さない。それが、あなたの強さとどうして気づけないのですか!)
突然啖呵を切ったのはウェンディだった。
(違う、これは強さじゃない。ただ、単に死ぬ勇気もなければ、法を犯してでも生き延びたいと思わなかっただけだ!)
(あ、くっ……。)
(ん?どうした?)
(い、いえ、ちょっと立ちくらみを……。)
(実はこれも禁則事項なのですが、あなたとのテレパシーには私の精神力を使っています。)
(……つまり、俺と話すためだけにエネルギーを使ってるってことか。)
(そんな必要……ない。)
(あ、あなたは自分が今、危険な状態にあることに気づいて……。)
(お前のほうが危険だろ。俺はいい、今は。)
(お前が休め。)
(そ、そういうわk……。)
ウェンディとの会話はここで断絶した。
(……。希死念慮はあったよ。だが、俺はただ死ぬのが怖かっただけだよ。そんな強い人間じゃないさ。)
そのまま、静かに世界は収束していく。気がつけば寝ていた。




