第19話 いつかのせんじょう
照明で僅かに照らされた空間、ここは当然それ故に暗い。
だからといっては何だが、焔が映える。
ゆらゆらと揺れる姿は、その危険性とは裏腹に安らぎさえ感じる。
「どうした?無理してるんならええんやで」
いかん、大尉殿に火をもらっているというのに……
「いえ、申し訳ありません。いいライターだったもので」
「そうか、ならええんよ」
私は煙草が吸えない、というわけじゃない。しかし、健康に悪いと紙も電子もガム状のものも基本的には摂取しない。
しかしたまには、いいものだ。
電子にはない紙たばこが燃える時の煙たいとはまたひとつ違う独特の匂いがあたり一帯にそっと広がる。
こんなところで煙草を吸えば、一昔前までは即刻捕まっていただろうが今はそこまで規制も強くない。
口にくわえ、少し吸えば先ほどよりもっと濃厚な匂いと同時に熱が肺から溢れてくる。
吐けば、なおさら。肺の中から鼻を抜ける時、芳醇にも思える香りが脳を揺らす。
吐き出した白煙は私の目線の先を超えたなら、緩慢にしかし確実にゆっくりと加速しながら空調システムの方へと流れていく。
「なあ、佐々木少尉。あの洗剤、いつ使うと思う?」
「と、いいますと?」
質問の意図が読めない。洗剤なんてものを洗う時以外使う場面は思い浮かばない。
しかしどう見ても大尉殿の顔は真剣そのもの。この状態で意図が分からないまま答える解ほど意味が無いように思え、不安要素の大きいものは無い。
「そのまんまの意味や、この洗剤を普段わいらが使うとき、何をこれで洗浄すると思う?」
まだ読めない。たが、ある程度回答が絞られている現状、答えない訳にも行かない。
……とりあえず、質問風に回答してみよう。おそらく、私が今から答えるのは答えじゃない。しかし、質問風に答えることでまだ無能でないと示せるはずだ。
ここを出たあとも出来れば、印象のいいほうがいい。
「……塗料、だけではないのですね?」
「せや。というより寧ろ、塗料を落とすことの方が少なくなってもうたわな……まあ、そろそろ答え言おか」
いつもニヤついている大尉殿の顔で煙草の煙が揺らぐ。
どこか物寂しい。似合わない哀しい顔をしている。
「宇宙ってのは、やっぱ地球の空と違ってな。アステロイドってこともあって、空中戦は今日みたいな近接戦闘になりやすい。そりゃ当然、霧と……戦友の残骸の中を突っ切ることもあるわけや」
大尉殿から、ひとつ煙が立ち昇る。
「ひとつ想像してみ、今日の佐々木少尉が思い浮かべれる戦場を」
瞼の裏に、火花が散る。
灰色の斑点が視界から流れてゆく。
視界の中央には蒼い低翼の攻撃機、霧のAG型が私から離れようと右へ、左へと機体をひねらせている。
アルプもレーダー上ではあるが、すぐ側を飛んでいることが分かる。
AG型が私とアルプのコンビで長く持つはずがない。
単調な動きを繰り返す敵を照準に収め、トリガーを引く。
即座に手元に振動が訪れ、吐き出された弾丸によって敵機は砕かれ、飛び散る燃料、酸素に引火し、爆炎の中を私のグリフォンが突っきる。
キャノピーに一瞬だけ、黒煙と残骸が大量にたたきつけられるが、爆炎を抜けたあとの星空は美しい。
「その宇宙は綺麗やったか?」
「……そうですね」
なにか良くなかっただろうか。
「まあ、それ自体はええんや。正常なことや。ここを巣立つ前の雛にとってはなぁ」
失望……というよりどこか諦めた表情をする大尉殿。私は所詮雛か。
「ええか?キャノピーがこんなに汚れを受け付けず、これを作ったもんがこんなに強い洗浄力を持たせたんにはそれなりの理由があるんや」
煙草の煙が、大尉殿の肺を通らずに昇っていた。床の上に灰が落ちる。
「……血肉」
煙が途切れ、また上へと昇る。
「やめた。しみじみ教えるんわ、わいらしくないな。すまんなあ佐々木少尉。この話になると、どーも調子が狂うんや」
1度かがみ、床に煙草を擦り付けて消した後、大尉殿はもう一度こちらに向き直る。
「本当は、部隊に入ってから洗礼代わりに教えられるんやけど、わいが教えてまうわ。この美しさを保つキャノピーも、その『激トビくん』も全ては戦場で飛び散る血肉で機体が汚れることを防ぎ、洗浄するためや。もちろん、敵味方両方のな」
いつものテンションに見せかけた軽いノリの講義。頬が少しひきつっている。
「あーそれとあれや。今日は特に迷惑かけた分特別やで?もうひとつええこと教えたる」
明らかな話題逸らし。ただ私も顔には笑みを浮かべる他ない。
「今日、わいが仕掛けた空戦技、実はそんな難しないねん」
……いや、訂正しよう。抑えないといけない程に心の奥底から笑みが湧いてくる。
「知りたいか?」
「是非!」
……これは決して、空気が読めないとかそういう訳では無い。
むしろ話の流れをよくしようとしているのだ。英雄的行動だろう。
「んーそやな。こいは案外霧のやつらにも通じるんやけど……佐々木少尉、敵を追いかけとるとき、どのタイミングで操縦桿引く?」
「そうですね……」
正直、直感的に引いているとしか言いようがない。強いて言うなら……
「目標が向かっている方向がわかった時、でしょうか」
「せやろな。けど、もっと正確にすると機首が機首が動いた時っていうんが正確なはずや」
「そう、ですね」
まあ、確かに戦場での動きを細かく細分化していけばその結論に辿り着くだろう。
「ここで確認や当たり前やけど、でも宇宙という空間は大気圏内とは大きく違う。せやから航空機ほどの速度を出しとっても、わいらはホバリングしとる機体みたいに機首の向きと違う方向に動けるわけや」
確かにその通りではある。しかし基本的には機首の向きと進行方向を合わせた方が事故率が低く、連携も直感的に取りやすいなど、利点は多い。
「そいを利用してな。一瞬機首だけを上に動かして、前方上部のスラスターを起動、エンジンノズルも直前までの進行方向に合わせるんや。そすと機首だけ上向いて、機体は直進し続けるようになるんや」
……っ!
そういうことか!
機首が上を向いた時点で追尾する敵機は上昇すると判断して機首を上へ向ける。
当然、元の進行方向へ進んでいる追尾対象はその先にはいない。
あとは、混乱した敵機の背後をとるだけ……
「あとは、説明せんでもわかったみたいやな」
「はい……」
なんて、恐ろしい戦術機動。
大尉殿の機体は視界から消えたわけじゃない。自分で、視界の外へやってしまっていたわけだ。
「まあ、もう少し工夫すればこいも化けるんやけど、そいくらい自分で考えや」
感激し、少しばかり思考停止をした時、遠くのほうから扉を開く音が聞こえてくる。
時計を見れば大尉殿が来てからから40分は経過している。
キースが洗浄をしに来たのだろう。
「ほな、わいはこの辺でお暇するで。時間とって、悪かったな」
「いえ、何から何までありがたいご指導、ありがとうございました!」
「たまにはええんよ。ほなな」
そう言って大尉殿はいつもの笑顔を浮かべて、手を振りながら去っていく。
私は塗料に汚れた手で、額からそれが飛び散ることを厭わず腕を伸ばし、敬礼した。
「ああ、そや……佐々木少尉、君の戦場は変わったか?」
「はい」
瞼の裏に広がるキャノピーに一筋の赤い線が浮かんでいた。




