22 お菓子トラップとドッキリと
授業前の教室からは、活気が感じられなかった。
男子は昨日から何も食べていないはずで、みんなは力なく、ぐったりと項垂れている。
女子も同様に、みんなが机に突っ伏して弱々しい素振りをしているが、すべて演技だった。そうしないとお菓子を食べたことが男子にばれてしまうからだ。
そんなわけで、なんとも言えない閉塞感に包まれていた教室ではあったが、その中で唯一、元気だったのがバジットだった。
「お前ら、だらしないぞ。もっとシャキッとしろ!」
リーダー気取りで、檄を飛ばす。
バジットは朝から、エネルギーに満ち溢れたように溌剌としていた。
そんなバジットを女子たちは痛い目で見ていた。
男子たちはバジットに言われても、気力すら湧かないようだった。
お腹を鳴らしながら、一人の生徒が彼に尋ねた。
「なんでお前はそんなに元気なんだよ」
「それは、秘密だ」
なんだか嫌らしい笑みを浮かべながら、私に視線を送ってくる。
ぞわぞわっとした悪寒のようなものが背筋を走った。
クラスの女子がひそひそと話しているのが聞こえてきた。
「お菓子トラップはどうなった?」
「仕掛けたよ」
「うまく行ったの?」
「わかんない」
こっそりと話していた女子だったが、バジットがこちらへ歩いてきたので、慌てて口を閉じていた。
バジットは正面に立って、私に声をかけてくる。
「よう。フィル。今日もいい天気だな」
私のことを六級呼ばわりしていたバジットだったが、今はフィルと名前で呼んでいた。
いきなり天気の話をしてくるなんて、なんだか不気味だった。
しかも、なぜだか気取った立ち方までしている。
「こんな日はどこかに行きたいよな」
「え、まあ、いい天気だし、うん、そうだね」
訳もわからず、ただ話を合わせる。
「ほら、昨日は悪かったな。俺も大人気なかったよ。やりすぎたな。ごめん」
バジットは照れ臭く言って、謝ってきた。
頭の後ろをぼりぼりと掻きながら、少し頬を赤らめている。
なんだ? この手のひらを返したようなバジットの態度は。
本当に気持ちが悪かった。
まるで服の中に大量の虫を放り込まれたようで、ぞわぞわとした感触が私を襲っていた。
「あれだ、ほら。みんながいるところでは話もできないしな。あとで二人っきりで、放課後にでも……」
最後は聞こえないほどに、声を小さくしていた。そして私たちが座っている席と同じ列の、教室の端へと移動していった。
彼の頭の中が理解できない私は、ひたすらに混乱していた。
人は一日でこうも変わってしまうものなのだろうか。
脳の手術でもされてしまったのだろうか?
ティアが小さな声で、近くの女子生徒に話しかけていた。
「あんたたち、何をしたの?」
「いや、えっと……」
話しかけられた生徒は、誤魔化すようにティアから目を逸らしている。
「ほら、だってフィーちゃんは今日で帰るんだし」
「私はやめようって言ったんだよ」
「あとでドッキリだってばらすんだから」
「フィーちゃんにひどいことをしたんだから、やっぱり締めもフィーちゃんかなって」
ティアは頭を抱えていた。
「馬鹿なことを……」
ノルちゃんは横で声を潜めて呆れていた。
「男って単純だからねー」
なんでも、バジットの部屋の前にお菓子を置いたそうだが、それに手紙を添えたそうだ。バジットが態度を豹変させたのはそのせいだった。
「ごめん、あそこまで効果てきめんだとは……」
「あとでちゃんと誤解を解くから、ほんと、ごめん」
手を合わせて謝ってくる。
なんだか女子生徒が二人して熱い文面を考えたらしい。真夜中のハイテンションが、情熱に溢れた創作物を生み出してしまったようだ。
朝になってみると顔から火を吹くほどに恥ずかしい内容だったらしいが、そのままお菓子に添えてしまったらしい。
本当にはた迷惑な話ではあった。
しかし、どうやらバジットがお菓子を食べたことは間違いがない。
しかも、ジルとロイがぐったりとしているあたり、バジットは三人分のお菓子を食べたのは確実だった。
「あの下剤、三人分ってかなり危ない量だよね?」
「さすがに、お菓子を一人で全部食べたなんて……」
「いや、でもあの手紙があったら、ありえるのかも……」
「どこまで単純馬鹿なんだ」
「ちょっと、やりすぎてしまったかもね」
授業が始まる時間になってしまい、ロゼッタ先生が教室に入ってくる。
教室を見回して、生徒たちに声をかけた。
「みなさん、元気がないようですね。食事抜きは今日のお昼までですから、なんとかそれまでは耐えてくださいね」
「はーい」
弱々しく答える女子生徒の演技は見事なものだった。昨日、たらふくお菓子を食べたことは微塵も感じさせない。
「じゃあ、試験はお昼のあとにやりますから。今からそのつもりで、心構えをしておいてください」
授業が始まる。
相変わらず授業は退屈なものだったが、バジットだけは生き生きとしており、先生もそのとこに関心を示した。
「珍しくバジットさんがやる気あるようですね。これでしたら、午後の筆記試験はばっちりでしょうか」
それに対してバジットは肩をすくめる。
「やる気だけで成績が上がったら苦労しないぜ」
いつもは寝ているノルちゃんは、今日は珍しく起きていて、私に囁いた。
「バジットはね、試験はいつも赤点ぎりぎり」
ノルちゃんの言葉も、私は上の空で聞いていた。
それまで最後尾の席に座っていたバジットが、今日に限って同じ列に座っているのだ。教室の端にいるから、私とは距離こそ開いているのだが、授業中チラチラとこちらを見てくる。
どうにも気になって授業に集中できない。最初は意識的に視線を向けないようにしていたのだが、つい、一度だけ睨んでしまった。
バジットは頬を赤らめながら、伏せるようにノートに顔を埋めた。
ティアがこそっと話しかけてくる。
「私は思うんだけどさ。バジットはお菓子を食べているはずなんだよ。でも、フィーちゃんのことに意識が向いていて、下剤の効果に気づいていないんじゃないかな」
ノルちゃんもそれに頷く。
「これは手紙の事だけでも、早めにドッキリだったと伝えないと……」
授業は予定よりも早く終わった。
お昼まで、まだ時間はかなり残っていた。
「さて、みなさん。私が、筆記試験は午後にやると言ったことは覚えていますか? みなさん、油断していましたよね。そうです。今から筆記試験です。思いっきり難しい問題を用意しましたからね。これが昨日の罰なのです!」
先生の宣言に、教室中からブーイングが上がる。
「ひどい! 先生、騙したんですね!」
「腹が減りすぎていて、頭が働かねえよ!」
「ぐわあ! このタイミングで来るかよ! 昼休みに勉強する俺の計画がああ!!」
バジットに手紙のことを伝える時間はなかった。先生は試験の用紙を配り始めた。
「さあさあ、静かにしてください。始めますよ。みなさん、苦しんでください。のたうちまわってください。先生はみなさんの、そんな顔を見るのが大好きなのです。この日のために生きているようなものですからね」
「鬼だあ! 鬼がここにいる!」
「いや、先生の正体はきっと魔物だ!」
「最強クラスの魔物に違いない!」
阿鼻叫喚のような叫びが教室には溢れていた。
「はい、静かに! では始めますよ!」
こうして筆記試験が唐突に始まった。




