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10 蒼の放浪者 03


 魔力充填ベルトの付いた杖を、頭上へと掲げるリーリエ。


「ふぅッ!!」


 リーリエは頭上へと掲げた杖を、勢いよく地面に打ち付ける。

 杖の石突きの部分が、マーカスの〈リプロ―ジョン〉とゼシキの攻撃によって、融解し冷えて固まった溶岩の様相を呈した、かつて石畳だった土の見える地面に、深く突き刺す。

 まだ石畳の残る床に片膝を着き、杖を縦に保持する様は、神に仕えんとする敬虔な修道女の様でもある。

 鮮やかな新緑の緑を湛えるその瞳の水晶体の奥底には、薄っすらと濃い紫色(ししょく)(もや)を宿していた。


「此れより〈群レ(クラウド・ゼロ)ザル群衆(・グラビティ)〉の発動準備に取り掛かるわ」


 そう告げるリーリナの口調は、何処までも凪いだ海原のようでもある。

 まるで先程のマーカスの様な、感情が抜け落ちたような声色と、無機質ともいえる雰囲気を携え、杖を両手の親指が触れ合うほどの近さで、祈るように握るリーリエ。

 両手の間には四段術式ダイヤルシリンダーが挟まれ、両親指を術式シリンダーへと掛け――滑らせる。


「術式設定、初期化……完了。 魔力規定値……入力。 ダイヤル回帰。 魔力出力……入力。 ダイヤル回帰。 重力規定値10,8675……想定……入力。 ダイヤル回帰」


 ――カチッカチッカチッ……カチッカチッカチッ……カチッカチッカチッカチッ……シャラララララ。


「……地下範囲……設定。 ダイヤル回帰。 地下密度……想定……入力。 ダイヤル回帰。 気圧……入力。 ダイヤル回帰。 湿度……入力。 既定大気生成術式……入力」


 ――カチッカチッカチッカチッ……カチッカチッカチッカチッ……カチッカチッカチッカチッシャララララ……


 半円に窪んだダイヤルが左右に素早く動き、桜色の霞が掛かる。

 ダイヤルの一つの表面に刻印されている文字は六つ。

 四段術式ダイヤルシリンダーなら単純な文字の組み合わせは……1296通りとなり、冪乗(べきじょう)によって組み合わせは爆発的に増える。

 マジックローダーを魔力職最難と言わしめる所以でもある。

 術式ダイヤルシリンダーに刻印される文字の数によって、起動可能な術式の数、しいては発動可能な魔術の数と魔術の複雑さが決まる。

 つまり、ダイヤルの数が多ければ多い程、行使可能な魔術の種類は増え応用性も増すという事だ。

 それ故に、ダイヤルシリンダーの数、刻印される文字の多さがマジックローダーの優秀さを測る目安になる。


「……全術式および規定値……入力完了……」「……〈群レ(クラウド・ゼロ)ザル群衆(・グラビティ)〉……発動」


 範囲にしてたった100メートルの小さくも激しさを増す戦場に、静かな一言があらゆる音を無視して浸透する。

 その一言は、何かしらの意思を伝えようと大きな声で喚いたのでも無ければ、怒鳴ったのでもない。

 岩にしみ入るような静かな音であり、波の無い洞穴内の湖面に、鍾乳石から落ちた一滴の水滴の生み出す波紋のように、静かな広がりを見せた。

 唸り声も、巨体の蹴る大地の音も、散らばる瓦礫を踏み砕き踏み締める無数の足音も、空気の壁が破砕する轟音すら、存在していないかのように、彼女の声は、音階荒れ狂う音の荒海を超え、この場にいる全ての者の鼓膜を震わし、三半規管のベルを鳴らす。

 言葉の意味すら知る必要はなく、距離を超え、種の壁を超え、その意図は意味として――伝わる。


 ちょうど五十メートル離れた場所に立って居るリーリナとエルザにも声は届いた。


「……リーリエ、この距離でアレを使うつもり!?」


 リーリエが何するつもりなのか理解したリーリナは、とっさに周囲を見回し、これから起こりえる被害範囲を予測する。


「え、エルザさん……ごめんなさい!! その……ギルドに被害が及ぶかも……」


 普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、約束を守れそうにない事をエルザに謝るリーリエ。

 目を細め、少し先のリーリエをエルザは無言で見つめた。


(……あれは確か……自然事象系の術式。でも、まぁ、問題ないでしょう。あの水準の魔術行使なら……問題は、あの汚染体の攻撃……厄介ですね、時折……含んでいます。本部からの連絡はまだですか!? あの汚染体の情報はあるでしょう!?)


「大丈夫ですよリーリナ。ギルドの……いいえ、私の部屋にも結界を張ってきましたから、ティーポッドの中の紅茶がこぼれても本棚から本が散らばっても気にしませんよ。ええ、魔導武器を勝手に触られてもですよ。私の衣類が柔軟性を失ったとしても、です。……あれは、まだ……身に着けても居ないのですよ? それを……私が、に……」


 リーリナは、自分たちに対してではなく、他の何かに対して思い出したように腹を立てたているエルザの表情が気になるが、藪を突っついて、蛇なんてことはお断り、「はぁ……」と生返事を通した。

 

「リーリナ、聞いているのですか!?」


 生兵法ならぬ、生返事は危険なのだろう。

 エルザは、キッと眉根を吊り上げリーリナに確認してきた。


「聞いてます。聞いていますよエルザさん」


「そうですか? ……いいですか、私の部屋には、ギルド支給の緊急時発動の結界も既に展開されています。それに、この状況です。命が最優先ですよ。ですから問題ありま…………んッンン……んッんッ、問題ありませんよ」


 最後の言葉を言い切る前に、エルザは何かに気を取られたのか一瞬、言葉に詰まる。


 ピッ―


 リーリナには聞こえないが、エルザが耳に付けている通信用の魔動機に、エルザが出たことで一瞬、エルザはリーリナに対する返答が遅れたのだが、その事にリーリナが気付く由も無い。


(こちら、冒険者ギルド・統括本部フダイ。ロート村出張所・担当主任・エルザ、返答願います)



 ◇ ◇ ◇ ◇



 心を排し感情を持たぬ機械の様な正確さで、術式を入力していたリーリエの両親指が、止まる。

 発する必要の無い言葉(術式名)を発するのは、意識の切り替えであり、極限の集中化であることのあかしなのだろう。故に、彼女の口調は何処までも静かな波紋一つない湖面のようであり、自然体だ。


「〈群レ(クラウド・ゼロ)ザル群衆(・グラビティ)〉」


 静かなる宣言にして、宣告(決定)を彼女は告げる。


「……発動」


 音は自らの伝え方を忘れてしまったかのように、無言となり、大気は自らを埋める粒子との手のつなぎ方を忘れたのか、誰とも手をつなごうとはしない。

 全てが静まり返る中、蓮の蕾に似た先端を持つ白き杖を赤黒い熱気を放つ大地に突き立てる女性が、一人。

 リーリエを中心に、細かな土の霧が間欠泉の如く吹き出し始めた。

 土の霧は、瞬く間に広場一帯に広がり、その範囲を十数メートルから数十メートルへと広げ、今や、百メートルを超えた。

 その間にも土埃の間欠泉は、ひとつ、二つと増え、地面が振動し、此処が海であると言わんばかりに石畳を石畳たら占めていた石のブロックが役目を忘れ、波を打った。

 揺れる足場に味方であるはずの狼の魔物も困惑する。

 ここは陸地だ、と。

 ただの地震ならオオカミたちもこうは焦らない。

 いつまでも続くかに思われた波打つ大地は、唐突に自らが硬い地面であり、その上に乗るのはきっちりと切り分けれた動かぬはずの石のブロックである事を思い出したのか、動くことを止めた。

 大地の海の様な豹変ぶりに、この場にいる者はオオカミたちは、これで終わりとは思わなかった。

 これは序章なのだと、獣から魔物へと進化せずとも理解可能な、生物としての本能が勝手に、想像する――正しいであろう未来を。

 誰と無い想像に答えたのは、ヒステリックとなった大地であり、汚染された巨大なオオカミ(群長)だ。

 突如として巨大なオオカミの目線が下がり、蒼の放浪者の者たちと同じ目線に立つ。

 当事者である汚染された巨大なオオカミですら、何が起きたかなど把握していないだろう。

 だが、目線が変わったのは巨大なオオカミだけではない。

 巨大なオオカミの周囲の倒壊しかかった建物も、同じように高さを変えた。

 それら全ては、同時であり、音と大気が、そして地面が役割を忘れてから、一瞬の出来事であった。



 ◇ ◇ ◇ ◇



 『彼は、彼女は』、見ていた。

 かつて獣であった生物ならではの鋭い動体視力で、捉えていた。

 己だけでなく。自らの周囲の建物が全て地に沈む様を。

 瞬きする時と変わらぬ速さで、あらゆるものが沈みゆくその様を、見ていた。

 否、沈んだのは己が身と、壊れかけの建物だけだと、目の前に立つ者たちの姿勢が否定する。


 ……ナニがあったのです!?


 無数の土煙が舞ったかと思えば、今度は視界の場面転換に放り込まれ、『彼は、彼女は』、混乱する。自らの立ち位置を忘れた舞台役者のように。

 ただ、『彼は、彼女は』、優秀だ。自らの立ち位置は忘れても、成すべきことは覚えているのだから、その立ち位置が正しいかなどは、関係なく。

 脈絡なく激高した、そう誰もが受け取る言動を『彼は、彼女は』取る。

 言葉にならぬ声で、感情という態度を示し、内に渦巻く怒りを表現した。

 心の中では叫ぶも、誰にその事は伝わらない。

 だが、こういう時に限って、人の気も知らず勝手に動いていた体は素直になったが、その事に『彼は、彼女は』気付くことは無い。

 最早、忘れえぬ妄執だけが『彼、彼女』に、一時の正気を与えてくれる。


 よくもォォォォ!! よくも汚したなぁ!! 汚したなぁぁぁぁァァアアアあ!!!! ヴォォォオオおおあふぁさフォアアアアアアア!!


 地に飲まれ掻く足が空を切る己が身よりも、海の如くうねる大地に沈んだ己が身よりも、呼吸もままならぬ中、身動き一つ取れなくなった己が身の心配よりも、何よりも『彼、彼女』には、気に掛ける事があった。

 自らの命の危機よりも『彼、彼女』にとっては、左右の背に背負ったひと振りの石の大剣と石の大楯に付いた汚れの方が、遥かに重要だった。

 『彼、彼女』の頭の中は、剣と楯に付いた汚れの事で、思考が溢れ返り見境が無くなった。が、その事が『彼、彼女』は、幸いしたのだろう。

 長い顎が埋まり鼻でしか呼吸が出来なくなった『彼、彼女』は、背に負った剣と楯が完全に地面より下に沈んだことで、頭に血が上り、自らの身が傷付くことなどお構いなしに力の限り、暴れた。

 足を引き抜こうと暴れるたびに、土砂と表現するに値する量の瓦礫を含んだ土が捲れ上がる。

 飛び散った土の分だけ修正しようと、新たな土が生物のように蠢き、『彼、彼女』に覆い被さる。

 そのたびに『彼、彼女』は、怒りに震え、さらなる怒りが力を与え、大地を隆起させる。

 もがけばもがく程に流砂に囚われたように体は沈み、そのたびに休火山の振りを長年してきた活火山の噴火の如き怒りが幾度となく湧き立ち解放される。まさに悪循環だ。

 だが、ここで一つ疑問がある。ロート村を含めたこの地域一帯の地盤は安定しており、土の性質によって地震はおろか流砂を発生させるような地形は無い。

 ならばこの状況は何か? 

 答えは単純だ。リーリエの魔術〈群レ(クラウド・ゼロ)ザル群衆(・グラビティ)〉による効果に他ならない。

 汚染された巨大なオオカミのみならず、周囲の建物すべてを一瞬にして大地に引きずり込んだ正体だ。

 だが、汚染された巨大なオオカミは、地上の物体を意図的に選択して飲み込む現象に、幾度となく突発的とも思える力任せの反抗を企てる。

 十数トンは有ろうかという生物が、脱出を図るたびに土砂が舞い上がり、頭上より豪雨のように降り注ぐ。


「降水確率何パーセントだッ、リーリエっ!?」


 何故か嬉しげに、はにかみながら親指を上げているゼシキに、リーリエは無性に腹が立ち怒鳴ると同時に、地面に片膝を着いたまま、左手で杖を保持し魔術を制御しながら、右手を地面に拳槌で打ち付ける。


「さっさと飛んでッ、バカ兄弟!!」


 当然だろう。ゼシキは、大弓の張力調整が済みいつでもいけると、サムズアップしている上に、降り注ぐ瓦礫の雨を襟首にギルド・キサラギ製の円柱型・結界発生魔導機を――直径六センチ・長さ十センチの円柱の筒を三段に重ね透明なガラス状の筒に覆われた円柱型・三段式の結界発生魔動機――、発動状態で挟み込んでいるのだ。それによって降り注ぐ瓦礫の雨は、腹立たしいくらいに見事に逸れてゆく。

 結界の物理遮断強度は決して高くは無いが、結界の展開形状を円錐形に、角度を瓦礫の対称にすることでうまく低強度で、逸らしていることを自慢しているのだろう。が、ゼシキが襟首に突っ込んでいる結界発生魔動機は、しっかりと固定されておらず、構成する三つの小型の魔動機が臼のように異なる円を、ぐるぐると描きながら揺れ動く様が目に付き、うっとうしい。

 リーリエは、魔道具(資質を必要とする道具)よりも魔動(資質を必要としない)(道具)を、国家に仕える者や冒険者のみならず一般の大衆も、その恩恵を受ける事が可能な世の中に置いても、魔力を扱う者が、本来、魔動機の助けなしに行えなければならない魔導学における基礎根幹技術である『魔力放出』、『魔力制御』の二つを一定以上の熟練度で納めている。

 どちらの技術も読んで字の如く、だ。

 『魔力放出』は、自らの体内に存在する魔力を、体外へと放出する技術。と言うよりは、生物が生まれながらに持っている能力である魔力放出能力を、意図的な使用を可能とする技術の事で、普段人が普通に生活している分には、意識する事すらない程に、使われていない能力でもある。

 ただし、魔力出力や魔力量の多い人なら、ちょっとした随意反射で、放出してしまい意図しない事故を引き起こすといった困る事もある生物本来の生理的能力だ。

 放出された魔力は指向性を与えられない限り、体の形状と関係なく体全体から発せられ、通常物質と同様に安定的な形態である、球状に広がる。

 利点としては、自らの体から放出する生物的能力という前提がある以上、道具の一切を必要としない点と、魔力を放出せよと脳が命令を下してから放出されるまでの時間が、阿と言えば吽、と思考する速度に匹敵する点だ。

 熟練者ともなれば、魔力放出によって発生した作用反作用を活用して、跳躍力の強化や高高度からの生身での無事な飛び降り、といった芸当を可能とする。

 『魔力制御』も、その言葉通りの意味を持つ。

 基本的には放出した自分の魔力を、思い通りに制御する技術だが、これが出来ないという事は、急発進と急停止の二種類の機能しか搭載していない車と同じ状態になる。が、基本的に『魔力放出』も『魔力制御』も、分けて考えることは出来ない。

 どちらの技術も行使する過程で、多少なりとも放出と制御の両方とも使用しているからだ。

 『魔力制御』の利点としては、通常なら道具の助けなしには登れない垂直の壁であろうと天井の壁面であろうと、放出した魔力の形状を変化させ接地面を掴むないし吸い付かせるといった形状の変化で、摩擦係数を考える必要なく安定した面であるならば張り付いて、歩いたり走ったりする事も可能とする技術だ。

 ただし、水の上や氷の上、砂の上や雪の上といった不安定な地形の場合は、接地する魔力の面積を通常の物理と同様に広げるといった方法で運用するしかなく、その上に、もろい地形の逆さ壁などにを走破するのは非常に困難で、熟練者でも難しいとされる。ただし、自力自力(自前の魔力と技術)での話しで魔道具や、魔動機を使用した場合はその限りでは無い。

 ただ、『魔力放出』は、作用反作用から逃れられず、放出する魔力の勢いが強ければ強い程、魔力を放出した部位に掛かる身体的負荷は強くなり、筋肉トレーニングをした時のように、負荷に体が対応しようと、反応する。

 『魔力制御』の場合も似たようなもので、慣れない内は魔力制御を行うと、細胞間の魔力の移動によって筋肉が腱鞘炎の様な状態になってしまうのだ。

 つまり、魔力の使用を前提とした魔力職と言われる職業に就く者達は、基本職である魔術師の内から日々、ホワイトカラー、ブルーカラー、グリーンカラーを足して割ったような労働環境に身を置いているという事に他ならない。と、言うのは、過去の話だ。

 魔動機が出来てからは、魔動機に組み込まれた術式が魔力を吸収し、術式を起動して魔術を発動できてしまうからだ。

 そんな便利となった世の中の中、リーリエは握り拳を地面に叩き付け、自前の魔力による魔力放出と制御で、的確に地面に沈んだ巨大なオオカミの背の上に、罵声と共にゼシキを飛ばした。


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