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『誰のための戦争だ』  作者: Yukiya


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2-3:あなたは守るために来たの?

2-3:あなたは守るために来たの?


少年は、乾いた唇をわずかに開いた。


「……あなたは」


声はかすれていた。

長く叫び、長く逃げ、長く泣くことを我慢してきたような、擦り切れた声だった。

そのたった一言だけで、この子どもがどれほどの時間を恐怖の中で過ごしてきたのかが伝わってくる気がした。


男は答えない。

銃を構えたまま、ただ次の言葉を待つ。


少年は一度、喉の奥でつかえた息を飲み込むようにしてから、もう一度言った。


「あなたは、守るために来たの?」


その言葉は、砲声よりも鋭く男の内側に刺さった。


守る。


その言葉を、彼はもう長いあいだ自分の中で使っていなかった。

守るために戦う。

誰かを救うために銃を持つ。

そんな言葉は、後方で演説する者たちのものだ。

清潔な机の上で地図を広げる者たちのものだ。

少なくとも彼にとって、戦場とは守る場所ではない。

処理する場所だ。

排除する場所だ。

生きるか死ぬかを、ただ機械のように繰り返す場所にすぎなかった。


だから、本来なら答えは簡単なはずだった。


違う。

そう言えばいい。

あるいは何も言わず、背を向けて立ち去ればいい。

それだけのことだった。

実際、それが最も合理的で、最も彼らしい振る舞いのはずだった。


だが、男の喉は妙に重かった。


少年はなおも彼を見ている。

その目の奥には、幼さに似合わぬ疲労と、信じることをまだ諦めきれない微かな光が同居していた。

きっとこの子は、何度も誰かを見上げてきたのだろう。

兵士を。

大人を。

助けてくれるかもしれない誰かを。

そして、そのたびに失ってきたのかもしれない。


男は無意識に、少しだけ視線を逸らした。


答えられなかった。


自分は何のためにここにいるのか。

何を守ってきたのか。

何を壊してきたのか。

そうした問いを考えないようにしてきた。

考えれば足が止まるからだ。

止まれば死ぬからだ。

だから蓋をしてきた。

見ないふりをしてきた。

だがこの少年の一言は、その蓋をわずかにこじ開けてしまった。


少年はさらに小さく尋ねる。


「……ぼくたちは、敵なの?」


男の眉が、わずかに動く。


敵。


その定義なら、本来は明確なはずだった。

味方ではない者。

任務を妨げる者。

銃を向けてくる者。

排除対象。

戦場では、そうやって人間を分類しなければ生き残れない。

誰が敵で、誰が味方で、誰を撃てば自分が生きるのか。

その判断を一瞬でも曖昧にした者から先に消えていく。


だが目の前にいるのは、煤にまみれた痩せた少年だった。

靴は壊れ、服は破れ、手の中には武器ではなく小さな布切れしかない。

この小さな存在を“敵”という一語に押し込めることに、男は初めて強い違和感を覚えた。


遠くで爆発音が響く。

遅れて地面が震え、壁のひびから細かな砂がこぼれ落ちる。

少年の肩がびくりと跳ねた。

だが彼は逃げなかった。

男から目を逸らさなかった。


そのことが、かえって男の足を重くした。


置いていくべきだ、と頭では分かっていた。


任務中だ。

足手まといを抱える理由はない。

少年を連れて歩けば、自分の行動は確実に鈍る。

危険も増える。

生き残る確率は下がる。

今までの彼なら、そうした計算だけで十分だった。

情を挟まないこと。

背負わないこと。

立ち止まらないこと。

それが自分を壊さずに済ませるための、唯一の方法だった。


それなのに、身体がその場から離れない。


立ち去るための一歩が、妙に遠い。


少年を見捨てることは簡単なはずだった。

これまでだって、もっと多くのものを切り捨ててきた。

名前も知らない誰かの生死に、いちいち足を止めてはいられなかった。

そうしなければ、自分の方が壊れてしまうからだ。

だから切り離してきた。

人の顔も、泣き声も、助けを求める目も。

そうやってここまで生き延びてきた。


だが今、目の前のこの少年だけは、なぜか“数”にならなかった。


他の何百人と同じように、ただの通過点にはできなかった。

この子の恐怖も、疲労も、問いかけも、妙に生々しく彼の前に残り続ける。

撃てば終わる。

立ち去れば終わる。

そのはずなのに、終わらせるための動作だけができない。


男はゆっくりと銃口を下ろした。


それでも言葉は出ない。


守るために来たのか。

敵なのか。

そのどちらにも答えられないまま、彼はただ少年を見つめ返す。


長い沈黙が落ちた。


砲声は遠くで続いている。

空は煙に曇り、街は燃えたままだ。

世界は何ひとつ変わっていない。

それでも男の中では、ほんのわずかに何かが軋み始めていた。


それが何なのか、まだ彼自身にも分からない。


ただ確かなのは、ここでこの少年を置いて立ち去れば、これまで通りの自分でいられるはずなのに、

その“これまで通り”が、なぜか急に遠く感じられたということだけだった。


少年が、もう一歩だけ近づく。


恐る恐る。

それでも、縋るように。


男はその小さな動きを見つめながら、ようやく短く息を吐いた。


それは返事ではなかった。

了承でも拒絶でもない。

ただ、完全には見捨てきれなくなった人間の、初めての沈黙だった。


そしてその沈黙の中で、男の世界は、まだ本人も気づかぬほど小さく、しかし確実にずれ始めていた。


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