表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『誰のための戦争だ』  作者: Yukiya


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/9

第2章 瓦礫の中の少年 2-1:気配

2-1:気配


男は崩れた市街地を、一定の速度で進んでいた。


足元には砕けたレンガ、ねじ曲がった鉄骨、焼け焦げた家具の破片が散乱している。

どこを踏めば音が響き、どこを避ければ足場が崩れるのか。

どの瓦礫が見た目より軽く、どのコンクリート片が荷重で沈むのか。

そうしたことを、彼はほとんど無意識のうちに見抜いていた。

歩くというより、戦場の表面を読むように進んでいる。


煙の匂いはさらに濃くなっていた。

通りの奥では、半壊した建物の内部からまだ火がくすぶっている。

風が吹くたび、灰が舞い上がり、視界の端を薄く曇らせた。

燃えきれなかった木材の臭い。

濡れた灰の臭い。

金属が熱を持ったあとの、鈍い匂い。

街はまだ燃えているというより、壊された記憶をじわじわと煙に変えて吐き出しているようだった。


通信機は、今のところ沈黙している。

それがかえって、この一帯の静けさを際立たせていた。


静かすぎる。


砲声が遠のいたわけではない。

銃撃が止んだわけでもない。

街全体を覆う破壊の気配は変わらずそこにある。

それでも、この一角だけが妙に音を失っていた。

不自然な空白。

何かが息を潜めている場所だけが持つ沈黙だった。


人が隠れるには都合がいい。

待ち伏せにも向いている。


男は歩調をわずかに落とし、視線を左右へ滑らせた。


壊れた壁。

傾いた街灯。

道路脇に横倒しになった配送車。

その下に生まれた濃い影。

さらに先、崩れた建物の入口は暗く口を開けている。

二階部分は一部が落ち、瓦礫の山を作っていた。

窓枠は外れ、室内の空洞だけが黒く覗いている。

人がいるなら、あの陰だ。

撃つなら、あの角度。

逃げるなら、右手の半壊した壁まで三歩。

思考は言葉にならず、ただ配置だけが脳内に組み上がっていく。


そのときだった。


かすかな音がした。


ほんの小さな、石片が転がるような音。

空耳と言われればそれまでの、頼りない気配。

だが男の身体は、思考より先に反応していた。


彼は即座に身を低くし、銃口を音のした方向へ向ける。

引き金にかかった指には、一切の迷いがなかった。


瓦礫の陰。

崩れた壁と折れた梁の間。

人ひとりがかろうじて身を潜められるだけの隙間。

暗がりの奥は見えない。

だが見えないこと自体が危険だった。


男は呼吸を殺す。


敵か。

残党兵か。

あるいは囮か。

わざと音を立て、こちらの位置を探る手口もある。

単独で動く兵は少ない。

もし罠なら、すでに別方向から照準を合わせられている可能性もある。


彼の視線は周囲の死角をなぞり、逃げ道と射線を同時に計算する。

右へ飛べば半壊した壁が遮蔽になる。

左は開けすぎていて危険。

前進は不明。

後退は一手遅れる。

撃つなら、相手が動いた瞬間。

迷う時間はない。


もう一度、音がした。


今度は石の擦れる音ではなく、押し殺した息遣いのようにも聞こえた。

生きたものの気配だった。


男は低い声で告げる。


「出てこい」


返事はない。


銃口は微動だにしない。

わずかな動きでも見逃さないよう、視神経が研ぎ澄まされていく。

この沈黙は、戦場では何より危険な時間だった。

出るか、撃つか。

生き残る側は、いつも先に決めた方だった。


瓦礫の隙間に、影が揺れた。


男の指先が、さらにわずかに引き金へ力をかける。


その一瞬、彼の中で判断が走る。

体格は小さい。

武装の影は見えない。

だが断定は早い。

小柄な兵士もいる。

爆薬を抱えた子どもが使われた戦場を、彼は知っていた。

子どもであることは、無害の証明にならない。

むしろ、その思い込みこそが命取りになる場所を、いくつも見てきた。


だから、ためらう理由はないはずだった。


ないはずなのに――


男は、撃たなかった。


そのわずかな停止は、彼自身にとっても異物だった。

引き金を引くべき距離。

撃って当然の間合い。

それなのに、指先だけが命令に従わない。


瓦礫の奥にいる何かは、まだ姿を見せない。

空気は張りつめたまま動かない。

それでも、男の中で何かがほんのわずかに引っかかっていた。


戦場では、その一瞬が命を分ける。


そして彼は、これまで一度も持たなかったはずのその“間”を、今ここで初めて持ってしまっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ