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『誰のための戦争だ』  作者: Yukiya


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第8章 生き残った声 8-1:静かになった戦場

8-1:静かになった戦場


どれほどの時間が過ぎたのか、少年には分からなかった。


気がついたとき、彼は崩れた石壁の陰に身を寄せていた。

隣では母親が赤子を抱いたまま、荒い呼吸を繰り返している。

少し離れた場所では、足を引きずっていた老人が地面に座り込み、震える手で胸元を押さえていた。

年配の男は壁にもたれ、目を閉じたまま、それでもまだ生きている者の人数を何度も確かめるように周囲を見ていた。

咳をしていた少女は、今は息を潜め、母親の肩に顔を埋めている。

老女は膝を抱えたまま、何かが崩れ落ちないように祈るような姿勢でうずくまっていた。


もう、あの通路の銃声は聞こえなかった。


代わりに風が吹いていた。

煙と灰の匂いを運ぶ、乾いた風だった。

火が燃え尽きたあとにだけ残る熱と、まだ終わっていない破壊の匂いを混ぜた風。

その風が通り過ぎるたびに、遠い空の下で何かが消えていった気がした。


少年は顔を上げる。


遠く、崩れた建物の向こうに黒い煙が立ちのぼっている。

先ほどまで自分たちがいた方角だった。

そこにはもう何も見えない。

ただ、燃え残る街の輪郭だけが、曇った空の下に沈んでいた。

瓦礫の影も、崩れた壁も、煙の向こうにぼやけている。

あの細い通路も、そこで最後に立っていた男の姿も、もうここからは見えない。


誰もすぐには言葉を発しなかった。


生き延びたという実感は、安堵より先に呆然とした沈黙を連れてくる。

動けば何かが壊れそうで、声を出せば今まで堪えていたものが全部あふれてしまいそうで、誰もがただ呼吸だけをしていた。

助かったという事実は、すぐには喜びにならない。

その前に、置いてきたものの重さが押し寄せてくる。

助かった側にいる自分が、急にひどく軽く、頼りなく感じられてしまう。


やがて、あの老女が小さく数を数え始めた。


一人。

二人。

三人。


乾いた声だった。

けれどその声には、ただ数字を数える以上のものがあった。

失われていない命をひとつひとつ確かめるように。

まだここにいる者を、呼吸ごと手元に引き寄せるように。


その声に合わせるように、ほかの者も顔を上げていく。


足りない者がいないか。

途中で倒れた者はいないか。

誰かがまだ来ていないのではないか。

誰かを見落としてはいないか。

その確認は、祈りにも似ていた。

ここにいる人数が、そのまま、あの通路の向こうで失われた時間の重さになることを、皆どこかで分かっていたからだ。


そして確認するほどに分かってくる。


ここにいる人々がまだ生きているのは、偶然ではない。


最後に残った一人の兵士が、あの通路で時間を稼いだからだ。

追撃を遅らせ、砲火の間をつなぎ、最後まで立ち続けたからだ。

その背中がそこにあったからこそ、自分たちはここへたどり着けた。


もしあの男が残らなければ、途中で追いつかれていた。

老人は倒れたままだっただろう。

母親は赤子を抱えたまま砲火に飲まれていたかもしれない。

足を止めた子どもたちは、その場から動けなかっただろう。

咳をこらえていた少女も、老女も、年配の男も、誰かがどこかで崩れていたかもしれない。

そして自分も、ここにはいない。


少年は、そのことをはっきりと理解していた。


助かったのではない。

助けられたのだ。


その事実が、遅れて胸の奥に沈んでくる。

重く、静かに、逃れようのない形で。

息をするたびに、それが自分の中で位置を変える。

軽くならない。

言い訳もできない。

ただそこにあり続ける。


年配の男が、誰に向けるでもなく低く言った。


「……あの人が、止めてくれたんだな」


誰も答えなかった。

だが、その場にいた全員が同じことを思っていた。


一人の犠牲によって、多くの命がつながれた。

それは英雄譚のような華やかな話ではない。

誰かが喝采を送る場面でもなければ、後世に語られる勝利でもない。

ただ、瓦礫と煙の向こうで、一人の男が最後まで立ち続けたという事実だけだった。

そして、その事実が今ここにいる全員の呼吸になっているということだけだった。


だがその事実は、この場のどんな言葉より重かった。


誰かが「ありがとう」と言えば軽くなってしまう気がした。

誰かが「立派だった」と言えば、何かが違ってしまう気がした。

あの男が残したものは、そういう言葉に収まるものではなかった。

それはもっと生々しく、もっと静かで、もっと消えないものだった。


少年は唇を噛んだ。


涙はまだ出なかった。

泣けば少しは楽になるのかもしれない。

それでも、涙にするには、その重みはあまりにも大きすぎた。

泣いてしまえば、自分だけが守られた側にいることを認めてしまうようで、怖かった。

泣くより先に、胸の奥で何かを抱え込まなければならない気がした。


風がまた吹いた。

煙の向こうで、黒い影のように立ちのぼるものが揺れる。


少年はその方角を見つめたまま、動かなかった。


そこにはもう、男の姿は見えない。

けれど確かに、あの場所には彼がいた。

最後まで立ち、最後まで押し返し、最後まで自分たちの時間をつないだ男が。


その不在だけが、いまはあまりにも鮮やかだった。


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