7-3:誰のための戦争だ
7-3:誰のための戦争だ
砲撃がさらに近づいた。
通路の奥で何かが爆ぜ、熱風が吹き抜ける。
崩れた壁の向こうでは、敵の怒号と、味方の通信の断片が入り混じっていた。
だがそのどちらも、もう男には同じものに聞こえた。
前進。
排除。
制圧。
掃討。
言葉は違っても、その先にあるものはいつも同じだった。
踏み潰された命。
焼け落ちた家。
名前も記録されないまま消えていく人々。
守ると称しながら、最初に壊されていくものたち。
男は血の混じる息を吐く。
視界は霞み始めている。
腕は重く、脚も言うことをきかなくなりつつある。
肩の傷は熱を持ち、胸の奥では呼吸のたびに鈍い痛みが広がっていた。
それでも彼は倒れなかった。
倒れるには、まだ早い。
あの少年たちが十分に遠ざかるまで、ほんの少しでも時間を稼がなければならない。
通路の向こうに新たな影が現れる。
男は最後の力を振り絞るように引き金を引き、相手を壁際へ伏せさせた。
銃声が狭い通路で弾み、反響が骨まで震わせる。
だが弾数は尽きかけていた。
残りはほとんどない。
もう長くは持たない。
その事実を、彼の身体は冷静に理解していた。
そのとき、彼の胸の奥に積もっていたものが、一気に噴き上がった。
これまで見てきた光景。
焼けた家。
倒れた母親。
ぬいぐるみを抱いた子ども。
水を分け合う老人。
包帯代わりの布を巻いていた女の手。
「生きたいだけでも、だめなの?」と尋ねた少年。
それらすべてが、ひとつの怒りとなって喉へ込み上げる。
男は通路の奥へ向かって叫んだ。
「誰のための戦争だ!」
その声は、砲声を裂くように響いた。
敵へ向けたのでも、味方へ向けたのでもない。
その両方を飲み込みながら回り続ける、この戦争そのものへ叩きつけるような叫びだった。
長いあいだ胸の奥で沈黙していた問いが、ついに言葉の形を取ったのだ。
「子どもを踏みつけて何が正義だ!」
また一歩、前へ出る。
血が靴の中に広がる感覚があった。
足元がぬかるむように重い。
それでも声は止まらない。
「守るべきものを壊して勝利を名乗るな!」
怒号が返る。
銃声が重なる。
壁が砕ける。
破片が頬を裂き、粉塵が視界を埋める。
だが男の叫びはなおも続いた。
「国の名を掲げれば、命が軽くなるのか!」 「生きたいだけの者を殺して、何を守ったと言う!」 「答えろ……誰のための戦争だ!」
その言葉は、もはや敵兵に届くかどうかの問題ではなかった。
味方の司令部に聞こえるかどうかでもない。
たとえ誰にも届かなくても、叫ばずにはいられなかった。
見てしまったからだ。
知ってしまったからだ。
この戦争が守ると称して、最初に壊しているものが何なのかを。
正義という言葉が、どれほど多くの沈黙と涙の上に立っているのかを。
そして、自分もまた長いあいだその側にいたのだということを。
男は最後の弾を撃ち切った。
反動が腕を走り、次の瞬間、強い衝撃が胸を貫いた。
身体が後ろへ揺らぐ。
肺の中で空気が潰れ、音のない痛みが全身を貫く。
膝が折れかける。
だが彼は片手を壁につき、なおも立った。
立って、前を見た。
煙の向こう。
崩れた通路の先。
もう少年たちの姿は見えない。
それでよかった。
ここから先に彼らがいるのなら、自分がまだ倒れてはいけない理由は、もう十分に果たされつつある。
男はゆっくりと息を吸う。
血の味がした。
肺が焼けるように痛む。
喉の奥には鉄の匂いが満ちている。
それでも、その顔には不思議な静けさがあった。
今までで初めて、自分が何のためにここに立っているのかを知っていた。
命令のためではない。
勝利のためでもない。
勲章のためでも、国家のためでもない。
ただ、あの子どもたちを生かすために。
壊される側の命を、ほんの少しでも先へ押し出すために。
そのためだけに、彼はここに立っていた。
再び銃声が響く。
今度こそ身体が大きく揺れた。
壁を支えにしていた腕から力が抜ける。
男は壁から手を離し、崩れた瓦礫の上に片膝をつく。
視界の端で火が揺れる。
音が少し遠くなる。
世界がゆっくりと後ろへ退いていくようだった。
それでも最後まで、視線は落ちなかった。
燃える街の向こうに、守れなかった無数の命がある。
手を伸ばせなかったもの。
間に合わなかったもの。
見ないふりをして通り過ぎてきたもの。
だが今、自分が残した時間の先には、生き延びる命もある。
その事実だけが、彼を最後まで立たせていた。
男はかすかに口を開いた。
それが祈りだったのか、誰かの名だったのか、自分でも分からなかった。
謝罪だったのかもしれない。
願いだったのかもしれない。
ただ、その目にはもう迷いがなかった。
次の銃声とともに、彼の身体はついに前へ崩れ落ちた。
瓦礫の上に沈むその背中は、もう動かなかった。
それでも彼の叫びは、まだ通路のどこかに残っているようだった。
崩れた壁にも、粉塵にも、火の匂いの中にも、消えずに染みついているようだった。
誰のための戦争だ。
その問いだけが、煙と火の中でなお燃え続けていた。
答えを持たぬまま。
けれど答えを求めずにはいられないものとして。
壊れた世界の奥深くに、最後まで消えずに残り続けていた。




