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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第一部 アルワール村編
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9/28

第8話 殺す必要があるかどうか

 ゆっくりと振り返る。


 そこには、あの日と変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた男が立っていた。


 シリルだった。


 目を見開きかける。


 すぐに、ぼんやりした顔へ戻す。


「驚きましたよ」


 まるで道端で偶然知り合いに会ったような口調だった。


「生きていらっしゃったとは」


「……そうですか」


 テレサはそれだけ答えた。


 声は震えていない。


 たぶん。


 心臓だけが、嫌に速い。それも、顔には出ていないはずだ。出ていてくれるな、と思う。


 シリルとの距離は六歩ほど。


 両手は見えている。


 右手にも左手にも、武器はない。


 けれど、それが安全を意味するとは限らない。


 背後は家と家の間を抜ける細い道。


 右手には低い石垣。


 左手には物置。


 走るなら、シリルの横を抜けるよりも石垣を越えた方が早い。


 腰には小刀がある。


 弓を置いてきたのは失敗だった。


 クロエも、連れてくればよかった。


 頭の隅にあった仮説が、急に実体を持った。


 自分は、平手打ちを見てしまった側なのだ。


 それだけじゃない。


 地震のあの時、森でトーマと一緒にいたのは、自分だけだ。


 遅い。


 うかつだった。


 背中を、汗が伝う。


「お加減はいかがです?」


「大丈夫です」


「それは何よりです」


 シリルは笑っている。


 あの日と同じ笑みだった。


 トーマに頬を打たれた時も、この男は笑っていた。


「村の皆さんも心配していましたよ」


「はい」


「三日も行方不明だったそうですね」


「そうみたいです」


「どちらに?」


「森です」


「森のどこです?」


「分かりません」


 短く答える。


 嘘は混ぜない。


 詳しくも話さない。


 シリルはわずかに首を傾けた。


「分からない?」


「地震で穴に落ちました。暗かったので」


「なるほど」


 納得したようにも、していないようにも聞こえた。


 テレサはぼんやりした顔を作った。


 昔なら、実際にそういう顔をしていた。


 人と話すのが苦手で、聞かれたことにだけ答え、それ以上は考えない。


 村人から見れば、いつものテレサだ。


 この男にも、そう見えればいい。


「それで」


 テレサは小さく尋ねた。


「何か用ですか?」


「ええ」


 シリルはあっさり頷いた。


「確認したいことがありまして」


「確認?」


「あなたを殺す必要があるかどうか、その確認に参りました」


 意味を理解するまで、一瞬かかった。


 身体の方が先に反応した。


 右手が腰へ動く。


 指先が小刀の柄に触れた。


 シリルの視線が、そこへ落ちる。


 しまった、と思った時には遅かった。


 男の笑みがほんの少しだけ深くなる。


 掌が、汗で湿っていた。柄を握り直したい。動かさない。動かせば、それも読まれる。


「もちろん、冗談ですが」


「……面白くないです」


「これは失礼しました」


 声も表情も変わらない。


 本当に冗談だったのか。


 違う。


 おそらく、どちらでもよいのだ。


 笑えば冗談になる。


 笑わなければ脅しになる。


 この男は、同じ言葉をどちらにも使える。


 逃げるべきか。


 小刀を抜くべきか。


 叫ぶべきか。


 どれも悪手に思えた。


 ここで怯えれば、何かを知っていると教える。


 強く出れば、危険な相手だと判断される。


 ならば。


「私、何かしましたか?」


 テレサは柄から手を離した。


 何も分からない村娘の顔で、シリルを見上げる。


「いいえ。何も」


「じゃあ、どうして殺すんですか?」


「ですから、冗談ですよ」


「そうですか」


 それ以上追及しない。


 シリルがこちらを見ている。


 笑顔のまま、細かな反応を一つずつ数えている。


 テレサも同じように男を見た。


 目線。


 呼吸。


 重心。


 右手。


 服の膨らみ。


 自分の呼吸は、浅く、長く。獲物を待つ時と同じに整える。膝は、いつでも沈められる高さに。


 何を持っているかまでは分からない。


 けれど、立ち方に隙がなかった。


「ところで」


 シリルが世間話の続きを始める。


「トーマさんのことは、もう聞きましたか?」


「はい」


「残念なことです」


「……はい」


「自宅兼執務室で亡くなっていたそうですね」


 その言葉だけが、妙にはっきりと耳へ入った。


 自宅兼執務室。


 家で死んだ。


 地震で。


 けれど。


 地震が起きた時、トーマは家にはいなかった。


 森にいた。


 自分を追い掛けてきた。


 地割れの向こうで膝をつき、こちらへ手を伸ばしていた。


 あの時には生きていた。


 なら。


 地震で死んだのではない。


 地震のあと、森から戻り。


 自宅兼執務室で死んだ。


 誰かがいた。


 誰かが、トーマを。


「どうしました?」


 シリルの声で思考を切る。


 試されている。


 この男は、わざと場所を言った。


 こちらが何に気づくかを見ている。


「……別に」


 テレサは目を伏せた。


「そうですか」


「はい」


「それならよいのですが」


 笑っている。


 こちらが気づいたと、気づかれている。


 知らないふりを続けても、もう意味はないかもしれない。


 それでも全部を見せる必要はない。


 テレサは一度息を吸った。


 怖い。


 背中がびしょびしょだ。


 服が肌に張りついている。


 逃げたい。


 けれど、逃げれば追われる。


 何も知らずに背中を向けるより、今ここで少しでも情報を取る。


「シリルさん」


「はい」


「平手打ちされてましたよね」


 初めて、シリルの笑みが止まった。


 ほんの一瞬。


 見間違いかと思うほど短い変化だった。


 すぐに、いつもの柔らかな表情へ戻る。


「見ていらしたのですか」


「はい」


「どこまで?」


「平手打ちされたところまで」


「その前は?」


「言い争っていました」


「内容も聞こえましたか?」


「少しだけ」


 正確には、覚えている。


 トーマが何かの仕入先を問い詰め、シリルが答えず、戯けたこと。


 だが、それを口にする必要はない。


「そうですか」


 シリルは頷き、それから、思い出したように付け加えた。


「一つ、伺っても?」


「はい」


「あの時、いつからあそこに?」


「言い争いの、途中からです」


「……そうですか。私は商売柄、人の気配には敏い方なのですが」


 シリルは自分の耳へ、軽く指を触れた。


「枝が鳴るまで、まったく気づきませんでした。トーマさんも、そうだったのでしょうね」


「狩りの帰りだったので」


「歩き方も、狩りのままだった?」


「癖です」


「なるほど。良い癖ですね」


 褒め言葉の形をしていた。


 けれど、聞かれたのは腕前ではない。


 どこまで近づけるのか。その気になれば、誰にも気取られず、どこへ立てるのか。


 測られたのは、そこだ。


 シリルは頬へ指を当てた。


「あれは痛かったですね」


「怒ってました」


「トーマさんが?」


「はい」


「私を?」


「はい」


「それは困りました」


 困ったようには見えなかった。


「何を話してたんですか?」


「商売の話ですよ」


「何の?」


「大人の、少々込み入った話です」


 答える気はない。


 それだけは分かった。


「テレサさん」


「はい」


「そのことを、誰かにお話しになりましたか?」


 質問は穏やかだった。


 しかし、これが本題だ。


 返答を間違えれば死ぬ。


 そんな確信があった。


「話してません」


「なぜ?」


「聞かれなかったので」


「今後、聞かれたら?」


「分かりません」


「分からない?」


「はい」


 テレサは少し考えるふりをした。


「平手打ちを見たって言っても、それだけだから」


「それだけ?」


「トーマさんが怒って、シリルさんを叩いた。それだけです」


「そして、その後トーマさんは亡くなった」


「はい」


「何か思いませんか?」


 逃げ道を塞ぐような問いだった。


 何も思わないと言えば、嘘だと見抜かれる。


 すべて話せば、消されるかもしれない。


 ならば、相手がすでに知っているところまで出す。


「……あなたが殺した?」


 静かに尋ねた。


 シリルは答えなかった。


 笑みも消えない。


 否定もしない。


「どうして、そう思うのです?」


「最後に喧嘩してたから」


「それだけで?」


「それだけです」


「村の皆さんへ、そうお話しになりますか?」


「話しません」


 今度は迷わず答えた。


「なぜ?」


「信じてもらえないから」


 シリルの目が細くなる。


「試してみなければ分からないでしょう?」


「分かります」


「どうして?」


「私は子供です。森で狩りをしてるだけの村娘です」


 淡々と言う。


「トーマさんとシリルさんが言い争っていたのを見た。次の日にトーマさんが死んだ。だからシリルさんが殺したと思う」


 一つずつ並べる。


「そんな話をしても、証拠は?って聞かれます」


「ありませんか?」


「ありません」


「私が犯人だという証拠も、トーマさんが地震で亡くなったのではないという証拠も?」


「……ありません」


 本当はある。


 自分の記憶。


 地震の時にトーマが森にいたという事実。


 しかし、それを証明できる人間はテレサしかいない。


「だったら、信じてもらえません」


「なるほど」


「だから話しません」


「諦めるのですか?」


「いいえ」


 その返事だけが、思ったより早く出た。


 シリルが黙る。


 テレサも、自分が何を言ったのか一瞬遅れて理解した。


 ここは引くべきだったかもしれない。


 何も考えていない村娘を演じるなら、「はい」と答えるべきだった。


 けれど、もう言葉は戻らない。


「では、どうなさるおつもりで?」


「分かりません」


「また、それですか」


「分からないから、調べます」


「何を?」


「分からないことを」


 シリルはしばらく何も言わなかった。


 笑顔のまま。


 けれど初めて、こちらを値踏みする以上の何かが、その目に混じっていた。


「危険かもしれませんよ」


「そうですね」


「死ぬかもしれない」


「さっきも死にかけました」


 びしょびしょの背中が、また冷える。


 それでも、言葉は先に出た。


「本当にあなたがトーマさんを殺したのなら、私も今、生きてはいないはずです」


 シリルはすぐに答えなかった。


 笑みは消えない。


 ただ、ほんの一瞬、値踏みする目が細くなる。


「……面白いことをおっしゃいますね」


 シリルの視線が、再び腰の小刀へ向かう。


 テレサはもう手を動かさなかった。


 小刀があることは知られている。


 狩人であることも知られている。


 今さら隠す必要はない。


「怖くないのですか?」


「怖いです」


「そうは見えませんが」


「見せてないので」


 また沈黙が落ちる。


 遠くから、壊れた柵を直す槌の音が聞こえた。


 人はいる。


 だが、ここから叫んで間に合う距離かは分からない。


 シリルが一歩近づけば、小刀を抜く。


 二歩なら石垣へ跳ぶ。


 テレサはそう決めた。


 決めると、少しだけ呼吸が楽になった。備えが一つあるだけで、人は立っていられる。


 シリルは動かなかった。


「分かりました」


 やがて、男は穏やかに言った。


「何がですか?」


「あなたが、すぐに余計なことを言いふらす方ではないということが」


「余計なことかは分かりません」


「ええ。ですから、調べるのでしょう?」


「はい」


「お気をつけて」


 まるで善意から忠告しているような声だった。


「村は地震のあとで混乱しています。思い込みで他人を疑えば、思わぬ怪我をするかもしれません」


「脅してますか?」


「忠告ですよ」


「さっきも冗談って言いました」


「私は商人ですから」


 シリルは軽く肩をすくめた。


「言葉の受け取り方は、お客様にお任せしています」


「買い物してません」


「これは手厳しい」


 男は小さく笑った。


 そして、テレサの横を通り過ぎる。


 近い。


 小刀を抜けば届く距離。


 同時に、向こうの手もこちらへ届く。


 テレサは動かなかった。


 シリルも何もしなかった。


 数歩進んだところで、足音が止まる。


「テレサさん」


 背中を向けたまま、シリルが呼ぶ。


「はい」


「生きて戻られて、本当によかった」


 その言葉が本心なのか、皮肉なのか。


 判断できなかった。


「ありがとうございます」


 テレサも、何も分からない村娘の声で答えた。


 姿が見えなくなっても、テレサは動かなかった。


 夕方の風が、家々の間を抜けて土の匂いを運んでくる。さっきまでと同じ風のはずなのに、届くまでが長い。


 足音が消える。


 さらに十を数える。


 二十。


 三十。


 そこでようやく、肺に溜めていた息を吐いた。


 膝から力が抜けそうになる。


 木立の向こうでは、槌の音がまだ続いていた。世界は何も変わっていない。この道の上だけで、命の値踏みが行われていた。


「……怖かった」


 声がわずかに震えた。


 殺す必要があるか確認しに来た。


 冗談ではない。


 本当に、あの男は判断しに来たのだ。


 そして今は、殺さないと決めた。


『ますたー』


 すぐ後ろに浮いていたどくろんが、ようやく声を発した。


 さっきまで黙っていたのは、空気を読んでいたのか。


「うん」


『生存確率、上昇』


「……そうやな」


 乾いた笑いが漏れる。


「さっきは危なかった」


『是』


「たぶん、返事一つ間違えてたら終わってた」


『整合性アリ』


 どくろんは淡々と言う。


『対象ハ、ますたーノ反応ヲ評価シテイマシタ』


「うちも同じことしてた」


『相互評価』


「せや」


 テレサは目を閉じた。


「ほな整理する」


 指を一本立てる。


「事実、一つ」


『記録』


「トーマさんは地震の時、森におった」


『是』


「二つ」


『記録』


「シリルは、自宅兼執務室で死んだって言うた」


『正確』


「つまり地震では死んでへん」


『整合性アリ』


「三つ」


『記録』


「最後に揉めてたんはシリル」


『是』


「四つ」


『記録』


「シリルはうちが何知っとるか確認しに来た」


『是』


「五つ」


『記録』


「殺す必要があるか確認しに来たって言うた」


『冗談』


「……冗談やなかった」


 どくろんは数秒黙った。


『否定不能』


「六つ」


『記録』


「トーマさんが地震のとき家におらんかった証人は、うちや」


『是』


「それを知ったうえで、殺さずに帰った」


『是』


「……口外せんと判断したんやろな」


『仮説』


「せや」


 テレサも静かに頷く。


「全部つながる」


 森。


 地震。


 自宅兼執務室。


 平手打ち。


 確認。


 殺す。


 ばらばらだった事実が、一本の線になる。


『仮説』


 どくろんが告げた。


『証拠不足』


「せやな」


 一度は頷いた。


 けれど、今ある材料を最もきれいに説明できる形は、一つしかない。


「……完璧に理解した」


『理解完了?』


「うん」


 テレサは、シリルが消えた道を見つめた。


「シリルが、トーマさんを殺した」


 どくろんは数秒停止した。


『仮説』


「せや」


『証拠不足』


「せやな」


『推奨』


「何を?」


『証拠収集』


 テレサは少し笑った。


「言われんでも、そのつもり」


『正常』


「その『正常』って便利やなぁ」


『仕様デス』


「またそれか」


 テレサは村の中心へ向き直った。


 自分が黙れば、トーマは地震で死んだことにされる。


 その事実を知るのは、自分だけだ。


 確かめなければ、誰も確かめられない。


 仮説を検証するためだけじゃない。


 それも、動く理由だ。

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