第58話 みんなの見方
翌朝、テレサは昨夜揃えておいた仕事着を着た。
「どくろん、呼ぶまで声を出さないでね」
いつもの指示をして、どくろんの入った携行袋を身につける。
グレーテに呼ばれたのは、仕事に入ってしばらくしてからだった。
「テレサ、運ぶものがあります。一緒に来なさい」
「はい」
取次の間へ行くと、卓に二つの包みが置かれていた。
ルートガーがその前に立ち、ヨーゼフへ口上を述べるところだった。
「ロザリンデ様より、カタリーナ様へ菓子をお預かりしてまいりました。どちらも、カタリーナ様が昔お好みだった品とのことでございます」
グレーテが包みを開くと、蓋付きの器が一つずつ現れた。
「確かに頂戴いたします。器はいかがいたしましょう」
「次に伺いました折に、お返しいただければと存じます」
「では、そのようにいたします」
ヨーゼフは帳面を開き、受取を記した。
テレサはその手元から二つの器へ目を戻す。
「台所へ運びなさい。取り分けてもらいます」
「お茶も一緒にお持ちしますか」
「ええ。お茶はわたしが用意します」
グレーテが器のそばへ包みを寄せる。
テレサはそれごと盆に載せ、台所へ運んだ。
蓋を開けると、片方には薄く焼き色のついた丸い菓子が重なっていた。
もう片方は、色の濃い、厚みのある四角い菓子だった。
「マルセルさん、お母様からのお菓子だって。奥様の昔の好物だそうです」
「ほう。二つともか」
「うん。どちらも、そうだって」
マルセルは器を覗き、四角い方をまな板へ移した。
包丁を入れると、表面よりも少し明るい切り口が見えた。
テレサが皿を出している間に、さらに小さく切り分けられる。
「それ、そんなに小さくするの?」
「こっちは甘い。これくらいでいい」
テレサは皿を持ったまま、切り分けられた方と、丸い菓子を見比べた。
「丸い方と並べたら、よけい小さく見えそう」
「大きさで揃えることはない。そっちとは甘さが違う」
まな板の端に寄せられた一切れを見て、少し口を結ぶ。
(もう少し大きくてもいいのに)
「足りなきゃ、また切る。嬢ちゃん、皿を寄せろ」
言われたとおりに皿を差し出した。
小さな一切れが載ると、その隣に丸い菓子を二枚置く。
丸い方の薄い縁には、細かな焼き色がついている。
テレサは重なった一枚を少しずらし、両方に手を伸ばしやすいように整えた。
「これでいい?」
「ああ。それなら取りやすい。持っていけ」
マルセルはまな板の上に残った菓子へ手を戻した。
テレサも皿を盆へ移し、四角い一切れの方へ向いていた目を上げる。
茶を用意したグレーテが、台所へ入ってきたところだった。
「奥様のところへ行きますよ」
「はい」
カタリーナの居室の戸で、テレサは声をかける。
「奥様、お菓子をお持ちしました」
「入ってくれ」
許しを得て入り、カタリーナの前へ皿を置いた。
「お母様から、二種類届いています」
「ああ、こっちも入っていたか」
カタリーナは四角い菓子へ目をやってから、丸い方を取った。
薄い端をかじると、小さく音がする。
グレーテが茶を注ぎ終えて下がる間も、カタリーナは残りを持ったまま、ゆっくり口を動かしていた。
「これには茶が欲しくなるなあ」
菓子をいったん皿へ戻し、茶を飲む。
飲み込んでから、もう一度丸い菓子を見る。
「甘いからですか」
「それもあるが、この焼けた縁だな。茶を飲むと、またここをかじりたくなる」
食べかけを指で持ち上げ、残っている縁の方をテレサへ向けた。
「縁から食べると、真ん中が残りますね」
「そこは最後に食べる。少し柔らかいところもいい」
言いながら、カタリーナはまた縁をかじった。
テレサは皿の上に残る、まだ丸い一枚へ目をやる。
「最後のところも、お好きなんですね」
「ああ。茶と一緒なら、もう一枚食べたくなる」
カタリーナは食べかけを置くと、言葉どおり、もう一枚へ指を伸ばしかけた。
けれど途中で手を止め、隣の小さな一切れを取る。
「こっちも食べておかないとな」
半分ほどを口に入れると、今度はすぐに言葉が出なかった。
テレサは空の盆を持って待つ。
カタリーナの目が少し細くなり、残った半分を持つ指が下がった。
「甘いなあ」
その声は、嫌そうではなかった。
「マルセルさんが、その大きさでいいって」
カタリーナは、指に残っている菓子からテレサへ目を移した。
「お前は、もっと大きく切ってほしかったか」
「……切っているところでは、少し」
「見ている分にはなあ」
小さく笑ってから、残った半分を眺める。
「これは猟から戻った時だな。疲れているところで、こういう甘い物が欲しくなる」
「お腹が空いた時ですか」
「それとも、少し違うな。歩いて帰って、ようやく座ったところで欲しくなる」
菓子を持つ手が、皿の近くまで下がった。
「休みながら、召し上がるんですね」
「ああ。それで茶もあればいい」
カタリーナは茶の器を一度見てから、指に残った小さな欠片を口へ運んだ。
台所では惜しく見えた一切れを、二度に分けて食べた。
テレサが見ているうちに、皿へ戻った手は、食べかけの丸い方を選ぶ。
「今日は、こっちを茶と食べるのがいい」
少し持ち上げた菓子を見て、口元がゆるんだ。
「お母様からのお菓子、楽しみにされているんですね」
テレサが言うと、カタリーナはこちらへ目を向けた。
「好物だからなあ。本家とは折り合わんが」
持っていた菓子を皿へ戻す。
「ここを畳むつもりはない。本家へ戻るつもりもない」
「はい」
「菓子の礼は伝えてくれ。どちらもおいしかったと」
「はい。お伝えします」
カタリーナは頷くと、さっき戻した菓子を取り、もう一口かじった。
テレサはその小さな音を聞いた。
カタリーナが一枚目を食べ終わるのを待っていると、茶の器が少し持ち上がる。
「茶を、もう少し」
テレサは盆を置き、茶を足した。
カタリーナは茶を飲み、皿に残った一枚へ手を伸ばす。
今度も薄い縁を先に食べ、真ん中の厚いところを残していた。
テレサは、その小さくなった真ん中を目で追った。
カタリーナはそこをゆっくり食べ、指先についた小さな欠片まで口へ運んでから、また茶を飲む。
テレサは下げる盆を用意して、その間を待った。
皿が空いても、カタリーナは茶をもう一口飲んでいた。
「菓子の皿は下げてくれ」
「かしこまりました」
空いた皿を載せ、テレサは台所へ戻った。
グレーテも台所に戻っていて、盆を置くところを空けてくれる。
「マルセルさん、奥様、両方ともおいしいって」
「そうか。そりゃよかった」
マルセルは皿を一目見て、残っている菓子へ手を伸ばした。
「四角い方、二口で召し上がってました」
「だから、あれくらいでいいんだ」
「うん」
テレサが皿を盆から下ろすと、グレーテがそちらへ手を伸ばす。
「お茶は、まだお召し上がりですか」
「はい。おかわりをお入れしました」
「わかりました」
グレーテは受け取った皿を脇へ置いた。
「本家と仲が悪くたって、食うものは食う。好きな菓子だからな」
マルセルは御殿の器を出し、丸い菓子から移していく。
「甘い方は、猟から帰った時に欲しいそうです」
「そうか。残りは塊のままにしておく」
切り口を見せていた四角い菓子も別の器へ移され、届いた二つの器は空になった。
グレーテがその一つを引き寄せて洗い始めると、ヨーゼフが台所の入口に姿を見せた。
「本家との折り合いがよくないのは、そうですね」
グレーテは先ほどのマルセルの言葉に頷いた。
「けれど、お好きな物なら召し上がります。わたしたちも、いつもどおりお出しすればよいのです」
洗い終わった器をテレサの方へ寄せる。
「こちらを拭きなさい」
「はい」
布で受けると、器の内側にはまだ水が残っていた。
テレサが布を当て始めたところで、ヨーゼフが口を開く。
「器の返却についてですが、次にルートガー殿がお越しの際にお渡しします。蓋と包みも揃えておいてください」
「わかりました、ヨーゼフさん。乾かしてから揃えます」
グレーテはもう一つの器へ手を移した。
ヨーゼフが頷くのを見て、テレサは器を布で支えたまま顔を上げる。
「奥様から、お母様へお伝えすることがあります」
「何でしょう」
「お菓子のお礼を、と。どちらもおいしかったそうです」
「承りました」
ヨーゼフはテレサの方へ向き直って頷いた。
「本家へお戻りにならないとのお返事は、すでに承っております。今日のお菓子のお礼も、確かに取り次ぎます」
「はい」
テレサは受け取った器へ目を戻した。
カタリーナ自身も、マルセルとグレーテも、本家とうまくいっていないことを当たり前のように話した。ヨーゼフも同じように受け止めているのだと、テレサは思った。
器の内側を拭き終え、乾いた布の上へ置く。
グレーテから蓋を受け取る。
テレサは蓋の縁へ布を当てる。
「テレサ、包みもそちらへ揃えなさい」
「はい、グレーテさん」
乾いた蓋を器へ戻し、元の包みを寄せる。
グレーテはもう一方の器を拭き上げ、テレサの手の届くところへ置いた。
その蓋も合わせ、包みを揃える。
「こちらもできました」
グレーテが二つの組を確かめ、頷いた。
テレサは濡れた布を取り、返すもののそばから退けた。




