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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第三部 御殿の見習い
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第56話 言われなかったこと

 クロエの首を撫でていた手が、背中へ移った。


 テレサはカタリーナの横顔を見る。


 父について猟へ出たと言っていた。


 あのときも、父は一緒だったのだ。


「お父さんは、そのとき、何か言ったんですか」


 カタリーナがこちらを向いた。


「何も」


 テレサは返事を待った。


 それで終わりだと分かるまで、少し間が空いた。


「叱られたのかと、思ってました」


「言われなかった」


 クロエの背から手が離れる。


 カタリーナは膝に置いた手袋を重ねた。


「こっちが前へ出たのは、分かっていたからな」


 テレサは草の先へ視線を落とした。


 自分で行きすぎたと思っていて、父も何も言わない。


 そのとき、何を言えばよかったのだろう。


 口を開きかけると、カタリーナが先に言った。


「あいつは、いつも待っていたんだ」


 指が手袋の端を挟んでいる。


「こちらが近づくまで。あのときは、待たせられなかった」


 テレサは、草の上に伸びたクロエの前脚を見た。


 爪の先に、小さな土の塊がついている。


 しばらく誰も話さなかった。


 どくろんは肩の少し上に浮き、口を閉じたままでいる。


 林の奥から風が来た。


 水の器へ葉が一枚落ちたので、テレサは指で取った。


 クロエが頭を上げ、器へ鼻を寄せる。


 縁を押さえて待っていると、すぐにまた飲み始めた。


 水音が止まってから、テレサは顔を上げた。


「そのあとも、話さなかったんですか」


「犬のことか」


「はい」


 カタリーナは重ねた手袋を見た。


「何を話す」


 問い返された声は、強くなかった。


「前へ出た。庇われた。あいつは死んだ」


 親指が、手袋の縫い目に触れる。


「その先を、何と言えばいい」


 テレサはすぐには答えられなかった。


 あの猟のあとに、父が何を思ったのか。


 カタリーナが口にしたのは、自分がしたことと、失ったものの話だけだった。


 父から言われた言葉は、一つも出てこない。


 テレサは器に残った水を見た。


 縁の内側に、細い草の筋が一本貼りついている。


 指で外し、器を脇へ置いた。


 カタリーナは片方の手袋をつけ始めた。


 指を奥まで入れ、もう片方を取る。


「行くか」


「はい」


 テレサは残った水を草の根元へ流し、器をしまった。


 袋を肩へ掛ける。


 起き上がったクロエが、カタリーナの靴のそばを嗅ぐ。


「そこには何もないよ」


 柔らかい声に、鼻先が上がった。


 カタリーナは弓を取り上げ、根を越える。


 テレサも自分の弓を持ち、クロエとその後へ続いた。


――


 斜面の下へ回ると、葉の間から、先ほどの沢が少し見えた。


 テレサは足を緩めた。


 上から見たときには気づかなかったが、低いところに草の途切れた場所がある。


「リーナ。下からなら、あそこへ出られたかもしれません」


 カタリーナが立ち止まる。


 テレサの指の先を見て、二歩ほど横へ動いた。


「ここからか」


「もう少し、あっちです」


 テレサも並び、枝の間を覗いた。


 沢の曲がる手前だけ、向こう岸まで見える。


 カタリーナが顔を低くした。


「通れはするな。射つ場所は」


「あの根の横なら」


「弓を上げると、枝に当たらんか」


 テレサは、自分の弓を持つ手を少し浮かせた。


 向こうの枝は細くても、何本も横へ伸びている。


「……私のなら」


 カタリーナはこちらの弓を見た。


 続いて、自分の大きな弓へ目を落とす。


「ああ。そうか」


 テレサは枝の隙間から身を戻した。


「上のほうが広いですね」


「射てるところはな。回るには、少し遠かった」


 カタリーナが、来た斜面へ顔を向ける。


 テレサも振り返った。


 二人が回っているあいだに、鹿は沢を越えていた。


「次は、先にどちらから見るか決めておきます」


「同じところにいればな」


「違うところへ行きますか」


「待ち合わせはしていない」


 テレサは口元を緩めた。


「してたら、獲りやすいですね」


「それでは、朝から歩くこともない」


 カタリーナも少し笑い、道へ戻った。


 クロエが先で立ち止まっている。


 テレサのほうへ顔を向け、歩き出すのを見てから、また鼻を下げた。


 もう、さっきの鹿のほうは追っていない。


 テレサは肩の袋を直した。


 狩果の入っていない袋は、来たときより水とパンの分だけ軽い。


 隣を歩くカタリーナが、その袋を見る。


「軽そうだな」


「はい。でも、重くして帰るつもりでした」


「次の楽しみにしておけ」


 テレサは空いたほうの手で、袋の底を叩いた。


 中の器が、小さく鳴った。


 林を出る手前で、クロエへ綱の輪を掛ける。


 カタリーナは道の先を見て待っていた。


 テレサが隣へ戻ると、二人は家並みのほうへ歩き出した。


――


 御殿へ戻ると、テレサはカタリーナへ顔を向けた。


「先に、グレーテさんへ知らせてきます」


 差し出した引き綱を、カタリーナが受け取る。


 テレサは用口へ向かい、グレーテへ帰還を知らせた。


「奥様も、お戻りです」


「獲物は」


「今日は、ありません」


 グレーテは頷き、テレサの靴の先へ目を落とした。


「泥を落としてから上がりなさい。着替えたら、こちらへ」


 テレサは返事をし、庭へ戻った。


 カタリーナはクロエの引き綱を持って立っていた。


「終わりました」


「ああ」


 差し出された綱を受け取る。


「奥様、ありがとうございました」


「では、あとは任せる」


 カタリーナが屋敷へ向かい、クロエはテレサについて庭の奥へ歩いた。


 犬舎で水を置き、脚に絡んだ草を取る。


 クロエが器へ首を伸ばすと、テレサは手を放した。


「もう取れたよ」


 背を一度撫で、立ち上がる。


 靴の泥を落としてから部屋へ上がり、仕事着に着替えた。


 どくろんは黙ったまま、そばをついてきている。


 グレーテのところへ戻ると、片づける器が待っていた。


 テレサは袖を直し、いつもの持ち場へ入った。


――


 夜、クロエの餌と水を整えて犬舎を閉め、テレサは私室へ戻った。


 仕事着を脱ぎ、普段着へ着替える。


 寝台に腰を下ろしてから、肩の横へ顔を向けた。


「どくろん。もうしゃべってええよ」


 閉じていた顎が、少し動いた。


 テレサは足を引き上げ、両膝へ腕を回す。


「奥様、うちと同じくらいの歳やったんやな」


『犬ヲ失ッタ当時ノ話デスカ』


「うん。それから、一人で行くようになったって」


 昼間、枝の下で止まった大きな弓を思い出す。


「犬がおらんでも獲れるんやから、要らんのかもしれんと思ってたけど」


『犬ヲ使ワナクナッタ後ニ、狩リ方ヲ変エタト聞キマシタ』


「順番が逆やったな」


 テレサは膝へ顎を載せた。


「自分でできるようにしてきたんや」


 どくろんが少し下り、目の高さに留まる。


 テレサはその向こうの壁を見た。


「撫でてはるところは、前と変わらへんかったな」


『クロエヘノ接触ハ、続イテイマス』


「せやな」


 しばらく黙ってから、テレサは顔を上げた。


「父親に怒られたんかと思ったんよ」


『ソノ発言ハ、否定サレマシタ』


「何も言われへんかったんやって」


 カタリーナの、何を話す、という声が残っている。


 父の気持ちを聞かせてほしいと頼んだわけではない。


 それでも、返ってきたのは自分が何をしたかという話だった。


「奥様は、自分が前へ出たんやから、もう分かってるやろって。そういうことなんかな」


『奥様ノ受ケ止メニツイテノ推測デス』


「うん。そう聞こえた」


 テレサは組んだ腕を緩めた。


「父親が何を思ってたかまでは、うちにも分からん。でも、その話をせんまま、今まで来たんやな」


『沈黙ノ理由ハ、聞イテイマセン』


「そこは、決められへんね」


 廊下のどこかで戸が閉まった。


 テレサは音のほうへ目をやり、またどくろんへ戻す。


「けど、お父さんとの間にも、ずっと残ってることはあったんや」


 どくろんは返さず、こちらを見ていた。


 テレサは片膝を倒す。


「お兄さんと揉めたんは、旦那さんが亡くなってからやろ」


『奥様カラ、ソウ聞イテイマス』


「そのときから、全部始まったんかと思ってた」


 的場で父の話をした声は、普通だった。


 兄と弓を競った話では、笑ってもいた。


「昔から、何もかも悪かったとは思わへんよ。一緒に猟に出て、弓も教えてもらってたんやし」


 テレサは寝台の端へ手を置いた。


「でも、お兄さんとああなる前から、お父さんとは話せへんことがあったんやな」


『今ノ兄妹ノ問題ト、同ジ原因カハ不明デス』


「犬のことでお兄さんやお母さんまで揉めた、いう話やないよ」


 それは聞いていない。


 テレサは首を振った。


「別の話や。ただ、お父さんとの間も、近くはなかったんやろなって」


『関係ノ距離ハ、ますたーノ解釈デス』


「せやね。でも、あの話のまま、ずっと置いてあるんやろ」


 膝の上へ手を戻す。


「今のお兄さんとのことでも、その判断に異論はないって聞いたやん」


『使者カラノ説明デス』


「うん。お父さん本人には会ってへん」


 テレサは頷いた。


 使者を呼び止めて父の態度を尋ねたカタリーナは、短い答えを聞くと、それ以上は言わなかった。


 昼の話でも、父が何を思ったかには届かないままだった。


「家の用事は続いてても、それとは別に、家族のあいだで止まったままの話があるんやな」


 どくろんは膝の前へ下りてきた。


「奥様と本家がうまくいってへんのも、やっぱり、お兄さんとの一度の喧嘩だけやないんやろ」


『家族全体ニツイテハ、確認サレテイマセン』


「分かってる。けど、父親のことを聞きにくいのも、今になって始まったんやないと思う」


 昼間は、犬を使わなかった理由を聞いたつもりだった。


 その話の中に、今の家族の遠さにつながるものまで見つかった気がする。


 テレサは膝をほどき、寝台の上へ足を伸ばした。


「奥様のこと、少し分かったな」


『今日、本人カラ聞ケタコトハ増エマシタ』


 テレサは小さく頷いた。


 枕を引き寄せ、背中へ挟む。


 どくろんは少し横へ浮き、空いたところへ青い光を落としていた。

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