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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第三部 御殿の見習い
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第55話 一人で狩るわけ

 数日後の夕方、カタリーナが翌朝の猟を告げた。


「森へ出る。朝は門へ来い」


「はい、奥様」


 テレサはグレーテへ伝えに行き、翌朝の仕事を確かめた。


 空けておく持ち場と、戻ってから手をつけるものを聞く。


 その夜に支度を整え、朝はクロエの世話を済ませて門へ向かった。


 家並みを抜けるころには、肩に掛けた袋も歩く調子に馴染んでいた。


 カタリーナは少し前を歩いている。


 クロエの鼻が道端へ下がり、引き綱が斜めに張った。


「まだ。こっち」


 テレサが脚へ寄せると、クロエは鼻を上げた。


 その先で、カタリーナが林の斜面を指す。


「今日は、あの上を回る」


 枝の間から地面が見え、途中で低い藪へ隠れていた。


 林の手前で綱の輪を抜く。


 クロエはすぐには走り出さず、テレサが巻いた綱を袋へ収めるのを待っている。


「どくろん。呼ぶまで黙っててね」


『了解シマシタ』


 青い眼窩が一度こちらへ向き、口が閉じた。


 テレサはクロエを先へ出し、その後を追った。


――


 湿った土の上で、クロエの鼻先が止まる。


 根を越え、少し戻り、また同じところを嗅いでいた。


 テレサは隣へしゃがむ。


 落ち葉の間に、先の割れた跡が沈んでいる。


 指で葉を一枚どけると、その先にも同じ跡があった。


「鹿です」


 後ろへ小さく伝える。


 カタリーナが身を寄せ、跡の続くほうへ目を向けた。


 クロエは斜面の上へ鼻を振っている。


「見ていこう」


 テレサは腰を上げ、クロエについて進んだ。


 靴の裏へ根が当たる。


 踏む位置を変え、枝の下をくぐると、前を歩いていたクロエが足を止めた。


 耳の向こうで、薄茶色の背が動いている。


 幹から首が出た。


 鹿はこちらへ顔を向けず、低い枝の葉を引いていた。


 テレサはクロエへ手を下げる。


 腹が地面についたのを確かめ、後ろのカタリーナへ場所を示した。


「リーナ。あの幹の右です」


 カタリーナが弓へ矢を添える。


 半歩、横へ出た。


 鹿の肩が幹から離れる。


 弓が上がりかけたところで、鹿は首を下げ、藪の中へ入った。


 細い枝が何本も重なる。


 背の色はまだ見えるが、胴のどこへ矢が届くか、ここからでは分からない。


 カタリーナは弦を引かず、弓を下げた。


 クロエが首を伸ばす。


 テレサはその前へ掌を置いた。


「ここで待って」


 鼻先が手に触れ、戻った。


 葉の間を、細い脚が一本横切る。


 藪へクロエを入れれば、鹿は動くかもしれない。


 ただ、その先は地面が落ちていた。


 向こうへ抜けるのか、途中でこちらへ折れるのかも見えない。


 テレサはカタリーナを見る。


 相手も藪の下を覗き、顔を戻した。


「先は沢だな」


「クロを入れると、見えなくなります」


「上から回る。連れてこい」


 カタリーナは矢を弓から外した。


 テレサもクロエを脚元へ呼び、小さく戻ってから斜面を上がる。


 藪の奥で葉が鳴った。


 急ぎたくなるが、足の置き場を一つずつ選ぶ。


 前のカタリーナも、張り出した枝を腕で押し上げ、潜り終えるまで手を離さなかった。


 上へ回ると、藪の端が途切れていた。


 向こうに細い沢がある。


 水は少なく、石の間だけが光っていた。


 鹿がいたはずの場所には、枝の揺れも残っていない。


 カタリーナが立ち止まり、沢の向こうを見た。


 テレサも目で追う。


 木と木の間に一度だけ茶色が見え、それきり奥へ消えた。


「抜けたか」


「見えました。もう、あっちです」


 クロエが沢へ鼻を向けた。


 テレサは肩へ手を添える。


 カタリーナはその先の斜面を見ていたが、やがて弓を持ち直した。


「今日は追わん」


 テレサは頷いた。


 クロエを呼び、来たほうへ向きを変える。


 鼻先がもう一度だけ沢へ戻った。


「こっちだよ」


 クロエの耳がこちらへ向く。


 脚のそばへ来た頭をひと撫でして、テレサも歩き出した。


 カタリーナが、藪の端を見ながら言う。


「もう少し早ければな」


「最初のところですか」


「あそこで、一歩こちらへ来てくれればよかった」


 テレサは鹿が葉を引いていた幹を見た。


「向こうへ行きましたね」


「ああ」


 返事に、少しだけ惜しさが混じっていた。


 クロエは二人の前で立ち止まり、道端の匂いを嗅いでいる。


 カタリーナはその背を避けて通り、斜面を下り始めた。


――


 木の間が開けたところで、カタリーナが足を止めた。


「ここで休むか」


 テレサは弓を脇へ置き、袋を下ろした。


 座った根の反対側で、クロエが草を嗅いでいる。


 水を器へ移すと、すぐに鼻先が寄ってきた。


「先に、少し待って」


 傾きかけた器を押さえ、平らな土へ置き直す。


 舌が水面を打ち始めた。


 カタリーナも腰を下ろし、手袋を外している。


 テレサは自分の水を飲み、包みからパンを出した。


 二つに割ると、片方の切り口から大きな欠片が落ちる。


 膝で受けたのを、カタリーナが見ていた。


「そっちのほうが大きいな」


 テレサは両手を見比べる。


 少し迷って、大きいほうを差し出した。


「そこまで言ってない」


「……もう、こっちを」


 カタリーナは笑って受け取った。


 テレサは膝の欠片を拾い、自分のほうへ載せる。


 クロエが水から顔を上げた。


「これは、私の」


 鼻先はこちらを向いたままだったが、しばらくすると根の脇へ伏せた。


 パンを噛む音が、近くで重なる。


 テレサはさっき上った斜面を見た。


 下から見ると、藪の向こうの沢はすっかり隠れている。


「一人のときは、どうするんですか」


 カタリーナが顔を向けた。


「さっきの鹿か」


「はい。あのまま、向こうへ行かれたら」


 カタリーナはパンを飲み込んでから、林の端を指した。


「先に上へ出て、通りそうなところで待つ。追いつこうとはせん」


「今からでも?」


「今日は、もうこちらを通った。風も回ってる」


 テレサは頬に当たる風へ顔を向けた。


 さっきと違い、沢のほうへ吹いている。


「最初に、回るんですね」


「ああ。見てからでは遅いこともある」


 カタリーナは残りのパンを手の中で折った。


「一人だと、追い出す側にはなれても、待つ側にはなれん」


 テレサはクロエを見る。


 草の上へ伸ばした前脚の間に、顎が収まっていた。


「クロに見てもらってるあいだに、私が動くことはあります」


「だろうな」


 カタリーナの目も、クロエへ向いた。


「昔は、父の犬がいた」


 テレサは顔を上げた。


「一緒に、猟へ?」


「父についていくと、いつもいた。人より先に見つけて、こちらが近づくまで待ってる」


 カタリーナは指先についたパンの粉を払った。


「待つのは、犬のほうが上手かったな」


 口元が少し緩む。


 テレサもクロエを見下ろした。


「私も、先に動きたくなるときがあります」


「今でもか」


「はい」


「なら、昔はもっとだろう」


 テレサは否定できず、残りのパンを口へ入れた。


 カタリーナは水を一口飲む。


 容器を置いてから、しばらく、草の上のクロエを見ていた。


「お前くらいの歳だった」


 声は低いままだった。


「父と猟に出て、前へ出すぎたことがある」


 テレサは飲み込んだ。


 パンの欠片が、喉の奥へ引っかかる。


「獲物にですか」


「ああ。近づきすぎた」


 カタリーナの親指が、外した手袋の甲を一度なぞった。


「犬が間に入った。庇わせたんだ」


 テレサは手元の包みを押さえた。


 風が端を持ち上げていた。


「その犬は」


「死んだ」


 短い答えだった。


 カタリーナは顔をこちらへ向けず、手袋を膝の上に置いた。


 クロエの耳が一度動く。


 木の上で鳴いた鳥を探すように顔を上げ、それからまた顎を伏せた。


 テレサは何も言えなかった。


 さっき鹿を見ていた藪が、木の間から見える。


 向こうへ行かれたことを惜しむ声は、もうしない。


「それから、犬を連れずに出るようになった」


 カタリーナが続けた。


「自分で見つけて、自分で回る。獲れなければ、それまでだ」


「ずっと、そうしてきたんですか」


「ああ」


 テレサは膝の上で指を重ねた。


 離れて見ていた猟を思い出す。


 あの人は、自分で足場を選び、獲物へ近づいていた。


「自分で、できるようにしたんですね」


「ほかにやらせずに済むからな」


 カタリーナは言い、少し間を置いた。


「前に出たのは、こっちだ。あいつが死ぬことはなかった」


 テレサには、その猟の様子は見えていない。


 何を言っても、見ていない猟のことを決めつけてしまいそうだった。


 膝に置いた指をほどき、水を飲む。


 カタリーナは手袋を取らず、裸の手を下ろした。


 クロエの耳が起きる。


 鼻先が近づき、指に触れた。


「起こしたね」


 柔らかい声が落ちる。


 カタリーナは耳の後ろへ指を回した。


 クロエの首が、その手に合わせて傾く。


 犬舎の脇で見たのと同じ撫で方だった。


 テレサは自分の包みを畳んだ。


 一人で歩く足と、弓を引く腕を思う。


 犬がいなくても平気な人なのだと、ずっと見ていた。


 カタリーナの指の下で、クロエがゆっくり目を閉じる。

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