第48話 二つの仕事
翌朝、テレサは用口の受け台で、壺の口へ布をかけていた。
二つを運び箱に収めた。
持ち手へ垂れた布の端を内側へ折り、箱を持ち上げる。
布が引かれないのを確かめたところで、廊下から来たグレーテが足を止めた。
「その一組が済んだら、外へ出てください」
テレサは箱を台へ戻した。
「どちらへ行けばいいですか」
「門の覆いの下です。奥様がお待ちです」
庭で弓を使う支度はしていない。前掛けにも、まだ仕事の埃がついている。
指についた布の糸を払いながら顔を上げると、グレーテは続けた。
「クロエも連れて来るように、と」
「クロエも、ですか」
「ええ。今の仕事を終えてからで構いません」
グレーテは返事を待って、先に通用戸から出ていった。
テレサは箱を持ち直す。
納屋へ壺を運び、空になった箱を用口へ戻した。受け台の下へ収めてから前掛けを外し、内側の釘に掛ける。
背中へ回していた袋を戻すと、口からどくろんが顔を出した。
「奥様とお話するから、呼ぶまで黙ってて」
『了解。発声ヲ停止シマス』
袋の口を広げてやると、どくろんは浮き上がり、肩の横へ来た。
犬舎では、クロエが戸の向こうで立っていた。
「クロ、おいで」
戸を開けると、クロエはテレサの膝へ鼻先を寄せ、そのまま脇を通って外へ出た。庭へ向いたところで振り返る。
テレサは空いた手を見せた。
「今日は、庭までだよ」
弓を持つ手ではなかったが、クロエはその横へ戻ってきた。
いつも仕事へ向かう朝と同じ庭を、今朝はクロエと門のほうへ進む。
――
カタリーナは、覆いの下の作業台に片手を置いていた。
その隣にヨーゼフが立ち、グレーテは通り道を空けた側で待っている。テレサが近づくと、カタリーナの目はまず足元へ下りた。
「クロエの足は、どうだ」
「歩き方は変わりません」
クロエは覆いの手前で止まり、テレサの横に座った。
カタリーナが頷く。
「これから、猟に出るときは一緒に来い。クロエも連れて」
テレサは彼女の顔を見た。
昨日、許されたのは帰り道だけだった。今日は弓も持たず、ヨーゼフとグレーテの前に立っている。
「はい。行きます」
返事をすると、ヨーゼフがカタリーナへ体を向けた。
「出猟時の護衛として、仕事を組んでよろしゅうございますか」
「いい。見習いのほうは、そのまま続けさせろ」
「承知いたしました」
ヨーゼフの視線がグレーテへ移る。
「出る日が決まりましたら、お知らせいたします」
「こちらの仕事は割り振ります」
グレーテも短く答えた。
テレサは、二人の間を見比べた。どちらも、カタリーナに聞こえないところへ移ろうとはしない。
カタリーナは作業台から手を離した。
「明後日は朝に出る。ここで待っていろ」
彼女の手が、門のほうへ向く。
テレサもそちらを見た。
今度は、出ていく背中を見送ってから追うのではない。
「弓を持って、ここへ来ればいいですか」
「ああ。出かける前に顔を出せ」
「はい。お待ちします」
口にしてから、少しだけ頬が緩んだ。
その顔を見ていたカタリーナも、口元を緩める。
「そう遠くは行かないぞ」
「それでも、行きたいです」
カタリーナは笑った。
「なら、いい」
ヨーゼフが一礼し、グレーテと用口のほうへ戻っていく。テレサも頭を下げかけたが、カタリーナの手が低く下りたのを見て止まった。
差し出された指へ、クロエが鼻を寄せている。
カタリーナは膝を曲げ、胸のあたりを掻いてやった。クロエが一歩近づくと、その手の下へ毛が押し上がる。
テレサは横へ寄り、主人の手に体を預けているクロエを見た。
「そこ、好きなんです」
「見れば分かる」
さらに胸を寄せてくるクロエを受け止め、カタリーナは空いた手を膝についた。胸を掻く指は動いたままだった。
覆いの上で、風に押された葉が擦れた。
クロエの耳がそちらへ動いたが、胸は手のそばに残っている。
テレサは笑い、しゃがんで耳の後ろについた細い毛を取った。
カタリーナの袖にも何本かついている。払おうと手を上げると、その袖が先に動いた。
「あとでいい」
胸を掻く指が、もう一度動く。
テレサは伸ばしかけた手を膝へ戻した。
今は、急いで片づけなくてもよかった。
やがてカタリーナが手を離すと、クロエの鼻が追いかけた。立ち上がった彼女は指先を一度だけ鼻へ触れさせ、テレサへ目を戻す。
「戻っていい」
「はい。クロ、行こう」
クロエはテレサの横へ戻った。
覆いを離れてから、どくろんを振り返る。
「もう喋っていいよ」
どくろんが顔をこちらへ向けた。その向こうで、カタリーナが袖についた毛を払っていた。
――
クロエを犬舎へ戻してから用口へ行くと、グレーテに覆いの下へ来るよう声をかけられた。
作業台には、大判の布が広がっている。
空いた側の端を持つと、向こう側をグレーテが持ち上げた。テレサも合わせて寄せ、ずれた角を引き直す。
「明後日の朝の分、先にしておけることはありますか」
グレーテは布を重ねたまま、こちらを見た。
「出る日の仕事は、こちらで割ります」
「朝、少し早く来れば――」
「猟も仕事です」
テレサは口を閉じた。
「こちらの分まで、二人分働かなくていいです。帰ってきたら、まずわたしへ声をかけなさい」
「……はい」
布の中に残った空気が、手の下でふくらんでいた。
グレーテが端を押さえ、テレサは真ん中から外へ手を滑らせる。二人の間で平らになった布を、もう一度折った。
「戻ってから、空いているところを手伝います」
「ええ。それで」
グレーテは自分の側を持ち直した。
テレサも畳んだ布を下から支え、二人で収納台へ載せる。手を抜いても崩れないのを確かめてから、端を整えた。
明後日の朝に何を先に済ませるか、並べかけていた順番は、そこで止まった。
グレーテは作業台に残った紐をまとめ始めている。
テレサはそちらへ戻り、離れたところにあった一本を拾って渡した。
受け取る手は、いつもと変わらなかった。
――
仕事を終えて犬舎へ回ると、クロエは戸の開く前から体を起こした。
テレサが外へ出してやると、朝に歩いた覆いのほうへ鼻を向ける。
「今日は、こっち」
庭の木のそばへ連れていき、腰を下ろした。
クロエが膝の前へ回ってくる。背へ手を置いてやると、その体が横へ寄り、腿に温かな腹が触れた。
テレサは毛並みに沿ってゆっくり撫でた。
耳の後ろへ指を入れると、クロエの頭が少し傾く。
「明後日も、奥様と行くよ」
クロエは指の動くほうへ鼻を向けただけだった。
テレサはもう一度、耳の付け根を掻いてやる。
昼間、カタリーナの袖に残った毛を思い出した。自分の服にも、同じようについている。
取ろうとした手をクロエの鼻が追うので、その手をまた背へ戻した。
しばらく、そうしていた。
どくろんも近くに浮かんでいたが、何も言わない。庭を渡る足音にクロエが顔を上げ、その音が遠ざかると、またテレサの脚へ体を寄せた。
犬舎へ戻ったあと、水を入れ替え、餌の器を置いた。
食べ始めたクロエの背を一度撫でてから外へ出る。戸を閉めると、引き綱が内側で小さく揺れた。
「また明日ね」
テレサはどくろんと部屋へ戻った。
まだ寝る支度には早い。
壁に立てていた弓を取り、握りを確かめてから、矢筒に残っている矢を広げた。羽根に指を通し、曲がっていたところをそっと戻す。
見終えたものから並べ直すと、先は揃っていても、羽根の色や減り方は少しずつ違っていた。
一本を取って、弓へ添えてみる。
昨日、正面で深くしなっていた大きな弓とは違う。自分の手で持ち、自分の指で引く弓だった。
テレサは弦を引かず、矢を離した。
矢を筒へ戻し、弓を壁へ立てかけた。
袋の中も確かめてから、口の紐を結ぶ。
「明日は、いつもの仕事だね」
『明後日モ、仕事デス』
「うん。クロエとね」
袋を弓のそばへ置き、結び目から手を離した。




