第45話 教わった店
二日後、グレーテに呼ばれたテレサは、空の籠を持って用口へ出た。
「布を買い足します。一緒に来なさい」
クロエの朝の世話は済ませてある。
犬舎のほうを一度見てから、テレサはどくろんの袋を肩へ寄せた。
「買い物の間は、静かにしててね」
『了解』
グレーテは門の前で待っていた。
籠が人に当たらないよう抱え直し、その隣へ追いつく。
通りの角で荷車を先に通すと、グレーテは横の細い道へ入った。
軒先に、畳んだ布が積まれている。
店の人が台を空け、二つの布を広げた。
グレーテは端を持ち上げ、指の間で揉んだ。
「洗った見本はありますか」
出てきた小さな布は、台に広げられたものより柔らかそうだった。
グレーテが半分をテレサのほうへ寄せる。
籠を足元へ置き、両方の布に触れた。
新しいほうには張りがある。
もう片方は、指を曲げると掌へ素直に沿った。
「台所で使う分ですか」
「ええ。こちらにします」
グレーテは洗った見本のほうへ指を置いた。
店の人が頷き、同じ布を奥から出してくる。
代金を払う間に、テレサは籠を台の端へ上げた。
包まれた布を受け取り、角が折れないよう底へ収める。
「持てます」
グレーテが手を離した。
外へ出ると、布の匂いに、焼いた肉の匂いが混じった。
通りを挟んだ店から、湯気の立つ鉢を持った人が出てくる。
戸口の脇の卓へ置かれるまで、テレサの目がついていった。
グレーテは先ほどの角を指す。
「食事なら、そこを曲がった先にも店があります」
テレサは顔を戻した。
「おいしいんですか」
「豆と肉の煮込みがいいですよ。白い庇が出ています」
角の向こうを見る。
人の頭の上に、白い布の端が覗いていた。
「煮込みを頼むなら、パンもつけなさい」
「はい」
返事をしてから、籠を持つ腕へ力を入れ直す。
グレーテはそちらへ曲がらず、御殿へ戻る道を進んだ。
テレサも後を追う。
「あの。甘いものも、ありますか」
グレーテが振り向いた。
やはりそこを聞くのか、とでも言いたげに口元を緩める。
「林檎の焼き菓子があります」
テレサは籠を抱え直し、緩みそうな口元を引き締めた。
「次の休み、四日後でしたね」
「そうです。変更はありません」
店へ入る人と出る人を、角が隠した。
御殿へ戻り、買ってきた布を棚へ置いてから、テレサは袋の口を緩めた。
「どくろん、もう喋っていいよ」
青い目がこちらを向く。
『買イ物ハ、布デシタ』
「ちゃんと買ってきたよ」
どくろんは棚へ向き、それからテレサへ戻った。
テレサは空になった籠を片づけた。
――
翌日の昼、片づけの合間にエマが訪ねてきた。
グレーテに声を掛け、手元を終わらせてから門へ出る。
エマは覆いの下で、鞄の紐を肩へ掛け直していた。
「こんにちは、テレサちゃん。少しだけ、顔を見に」
「ちょうどよかった。休みが分かったよ」
エマは手を止め、顔をほころばせた。
「三日後」
「その日なら、私も用事はないよ。この前のご飯、行こうか」
「うん。行ってみたい店があるの」
白い庇と、その手前の布屋の話をした。
エマは通りのほうへ目をやる。
「あの辺りなら分かるけど、そのお店には入ったことがないな」
「グレーテさんに教わったんだ」
「そうなんだ。じゃあ、そこへ行ってみよう」
「エマが考えてたお店は?」
「二つあって、まだ迷ってたの。今度はテレサちゃんの行きたいほうにしよう」
テレサは頷き、白い庇の下を思い浮かべた。
今度は、前を通るだけではない。
「お昼の少し前に、ここで待ち合わせでいい?」
「うん。門の外で待ってる」
エマが鞄を持ち直す。
「楽しみにしてるね」
手を振って見送り、テレサは用口へ戻った。
広げておいた布は、まだ半分残っている。
次の一枚を取ると、肩の袋も一緒に揺れた。
――
三日後の休みは、朝からよく晴れていた。
テレサはクロエと庭を歩き、犬舎へ戻って水を替えた。
「お昼を食べたら、帰ってくるから」
寝藁の上へ伏せたクロエの耳が動く。
鼻の上を撫で、戸を閉めた。
部屋で着替えて門へ向かうと、エマはもう来ていた。
今日は籠を持っていない。
お仕着せでもない袖を引き、エマの隣に並んだ。
どくろんが、肩の横へ浮いてくる。
「お待たせ」
「私も、今来たところだよ」
大通りへ出ると、二人で荷車の通る側を避けた。
布屋のある角が見えてくる。
「ここを曲がるの」
テレサが先に顔を向けると、白い庇があった。
その下には、料理を書いた板が掛かっている。
豆と肉の煮込み。
肉と玉ねぎの包み焼き。
下のほうに、林檎の焼き菓子も書いてあった。
テレサは最初の行へ目を戻した。
「煮込みにするって、決めてきたんだけど」
「包み焼きも、おいしそうだね」
エマも同じ板を見ている。
戸が開き、空いた鉢を持った店の人が出てきた。
テレサは脇へよけ、通り過ぎるのを待つ。
奥の卓に、焼き色のついた丸いものが見えた。
端から湯気が出ている。
「……あれかな」
『選ンダ物ハ、変ワッテイマセン』
どくろんが板を向いた。
「うん。食べたいものが増えた」
エマが笑い、戸へ手を掛ける。
「中で決めようか」
窓のそばに空いた卓があった。
エマと向かい合って座り、どくろんには壁側へ寄ってもらう。
料理を運ぶ人の肘が、すぐ横を通った。
「私、包み焼きにしようかな」
エマが板のある戸口を見る。
「少し食べてみる?」
「いいの?」
「煮込みも、少しもらえたらうれしいです」
「うん。分けよう」
店の人を呼び、煮込みと包み焼き、それにパンを頼んだ。
「取り分けるお皿も、お願いします」
エマが付け足す。
菓子のことは、いったん言わずにおいた。
窓の外を、布包みを抱えた人が通る。
テレサはその荷を目で追ってから、膝の上で両手を重ねた。
エマは鞄を椅子の脇へ置いていた。
「今日は、仕事の途中じゃないんだね」
「うん。食べ終わったら、ここのお皿は置いていける」
エマが一度、何も載っていない卓を見た。
「そうだね。そこまで考えてなかった」
「昨日も、ずっと拭いてたから」
指先を開いて見せると、エマは自分の両手を卓へ置いた。
「じゃあ、今日は食べるだけにしましょう」
「賛成」
ほどなく、深い鉢が運ばれてきた。
豆の間に肉と玉ねぎが沈み、表面に細かい油が光っている。
パンを割ると、まだ中が温かかった。
エマの前には、焼き色のついた包み焼きが置かれる。
ナイフを入れたところから、肉の匂いが広がった。
「熱そう。少し待ってね」
切り分けた一つを、エマが小皿へ移す。
テレサも煮込みを別の小皿へよそった。
匙の縁で、柔らかくなった豆が一つ崩れる。
二つの小皿を替えてから、自分の鉢へ匙を入れた。
息を吹きかけ、一口食べる。
肉の味が染みた豆は、舌で押すとほぐれた。
飲み込んだあとにも、玉ねぎの甘さが残る。
次の匙を入れかけ、先にパンへ手を伸ばした。
ちぎった端を汁へ浸す。
口へ運ぶと、パンが吸った汁がじわりと戻ってきた。
「これ、パンも頼んでって言われたんだ」
「うん。分かる」
エマもパンをちぎり、自分の小皿へ浸していた。
包み焼きの切り口からは、まだ細く湯気が上がっている。
エマは目を細め、ゆっくりと噛んでいた。
テレサは匙を置き、分けてもらった一切れを食べる。
外はさくりと割れ、中の玉ねぎは柔らかい。
鉢のほうへ戻る前に、もう一口かじった。
「そっちも、おいしい?」
「うん。でも、煮込みにしてよかった」
「私は、包み焼きでよかった」
エマが最後の一切れを小皿へ寄せる。
「少しずつ分けられるから、いいね」
テレサは頷き、パンの残りを割った。
鉢の底が見えてくると、豆より汁のほうが多くなる。
パンを浸す場所は、まだあった。
けれど手元には、小さな欠片しか残っていない。
エマの皿を見る。
エマも、空いたパンの皿を見ていた。
「もう一つ、頼もうか」
「半分ずつ?」
「うん」
テレサが店の人へ手を上げた。
運ばれてきたパンを割ると、さっきと同じ温かさが指に触れた。
片方をエマへ渡し、残りで鉢の底をすくう。
エマは包み焼きの皿に残った肉汁を拭っていた。
しばらく、匙も声も止まった。
窓から入る風が、首の後ろを通る。
テレサは背もたれへ寄り、息をついた。
エマも両手を膝へ戻している。
「お腹いっぱい?」
「ご飯は」
エマは眉を上げ、戸口の板を見た。
「聞き方が悪かったね」
声には笑いが混じっていた。
空いた鉢を下げてもらうときに、林檎の焼き菓子を一つ頼んだ。
エマも頷き、匙を二本添えてもらう。
どくろんが、空になった卓へ顔を向けた。
『食事ハ、続キマスカ』
「これで最後」
エマが口元を押さえた。
「私も食べたいから、半分は残してね」
「先に分けるよ」
運ばれた菓子の真ん中へ、匙を入れる。
焼けた表面の下で、林檎が柔らかく沈んだ。
片方をエマの側へ寄せると、形が少し崩れた。
落ちた林檎を、一つ戻す。
「そこは、気にしなくていいよ」
「大きいのが落ちたから」
エマは戻された林檎を見て、匙を持った。
今度はテレサも、自分の側をすくう。
甘い汁に、少しだけ酸味があった。
煮込みで温まった腹へ、ゆっくり落ちていく。
エマは窓の外へ目を向けながら、小さく切った菓子を食べていた。
テレサも急がず、次の一口を取った。
店の人に代金を聞き、テレサは腰の袋を開いた。
「半分ずつでいい?」
「うん」
エマが鞄から硬貨を出して卓に置く。
テレサも同じ額を出し、二人分を合わせて店の人へ渡した。
「おいしかったね」
「うん。いいお店を教えてもらいました」
外へ出ると、白い庇の影が足元にかかった。
テレサは少し離れ、店の戸と、その横の板をもう一度見た。
エマが隣で待っている。
「帰ろうか」
「うん」
行きよりゆっくり歩いて、通りの角を曲がった。
――
エマと別れて御殿へ戻ったのは、まだ日が高いうちだった。
用口では、グレーテが乾いた布を畳んでいる。
テレサは籠の置かれていないほうへ寄った。
「教わったお店、行ってきました」
グレーテの手が、一枚を重ねてから止まる。
「煮込みですか」
「はい。林檎のも食べました」
「パンは、つけましたか」
「おかわりしました。エマと半分ずつ」
グレーテが顔を上げた。
テレサは両手を前で合わせる。
「おいしかったです」
「そうですか」
グレーテは布の端を揃え、次の一枚を取った。
テレサは会釈して、庭へ出る。
犬舎へ回ると、クロエが戸の向こうで尾を振っていた。
戸を開け、内側に掛けてある綱を取った。




