第39話 封のある便り
翌日の午後、ルートガーが用口へ顔を出した。
テレサは拭いていた皿を棚へ戻す。
「ヨーゼフさんを呼んできます」
「お願いいたします。お約束の控えを頂戴に参りました」
後ろの作業棚で、グレーテが畳んだ布を置いた。
「取次へお通しして。ヨーゼフさんには、わたしから」
テレサは手を拭き、戸の脇へ寄る。
「こちらです」
ルートガーが通るのを待って、廊下へ出た。
革の袋は今日も脇に抱えられている。
取次の間へ案内し、椅子を引く。
ルートガーは礼を述べて腰を下ろした。革の袋を膝に載せ、こちらを見上げる。
「お仕事を止めてしまいましたか」
「最後の一枚でした」
「それは、よいところへ伺えました」
廊下から靴音が近づく。
ヨーゼフは帳面と筆、それに薄い一冊を重ねて持ってきた。
ルートガーが立つ。
「お待たせいたしました」
「こちらこそ、お手数をお掛けしました」
ヨーゼフは卓に帳面を置き、その脇へもう一冊を載せた。
「先月分の出納控えでございます」
ルートガーはうなずいてから、袋の中へ手を入れる。
「こちらを、奥様へ」
一通の書状が出てきた。
宛名を向けて差し出され、ヨーゼフが受け取る。
「本家からの書状でございます。お返事がございましたら、お預かりして参ります」
「承知いたしました」
ヨーゼフは封を開かず、卓の空いたところへ置いた。
戸口へ来たグレーテが、それを見る。
「奥様をお呼びしてまいります」
テレサは戸を押さえ、グレーテを通した。
背中の袋へ手を回す。
「どくろん。書き物が済むまで、静かにしてて」
袋の中で浮きかけていた重みが、元へ戻った。
――
カタリーナが入ってくると、二人が椅子から立った。
「そのままでいい」
卓の書状へ目を落とし、ヨーゼフの差し出す一通を取る。
裏へ返して封を見た。
指を掛け、開いた紙を卓の上へ広げる。
テレサは戸の脇で待っていた。
カタリーナの目が紙の上を動く。
読み終わっても、すぐには畳まなかった。
指先で折り目を押さえ、もう一度、下のほうへ目をやる。
「控えは」
「こちらに、用意してございます」
ヨーゼフが薄い一冊へ手を添えた。
「いい。渡してくれ」
カタリーナは書状を脇へ寄せた。
「返事も書く。紙を」
「ただいま」
ヨーゼフがテレサへ目を向けるより先に、廊下からグレーテが戻ってきた。
紙と筆を載せた盆を、卓の端へ置く。
カタリーナは椅子を引き、腰を下ろした。
「用意がいいな」
「ご用が済みましたら、お呼びください」
グレーテは空いた盆を取り、テレサへ渡す。
「お茶を運んできなさい」
盆を受け取って廊下へ出る。
振り返ると、カタリーナはもう筆を持っていた。
――
茶の壺は、台所で布の上に置かれていた。
グレーテが器を三つ、盆へ載せる。
「紙から離して」
テレサはうなずき、両手を盆の下へ入れた。
取次へ戻ると、卓の手前に控えが開かれていた。
カタリーナは奥で筆を動かしている。
テレサは戸の内側で足を止めた。
器を置けるのは、ヨーゼフの肘の先だけだった。
「こちらへ、お茶を」
声を掛けると、ヨーゼフが顔を上げた。
開いた帳面の端を指で押さえ、肘を引く。
ルートガーも革の袋を椅子の脇へ下ろした。
空いたところへ盆を置き、器を一つずつ出す。
「先月分、一冊でございますね」
ルートガーが、卓の控えへ手を添えた。
「左様でございます」
ヨーゼフは帳面を自分のほうへ寄せ、筆を取った。
書き終えたところを確かめてから、ルートガーへ向ける。
「お受け取りを、こちらへお願いいたします」
ルートガーが顔を寄せた。
「はい。一冊、確かにお預かりいたしました」
差し出された筆を取り、帳面へ書き添える。
その間に、テレサは茶を注いだ。
壺の口から落ちかけた雫を布で受ける。帳面のほうへ器を寄せず、ルートガーの手が戻るところに置いた。
筆がヨーゼフへ返された。
ヨーゼフは帳面を戻し、記されたところを指で追う。
それから、控えを閉じて相手へ渡した。
ルートガーが袋の口を開く。
受け取った一冊を収め、口にはまだ手を掛けたままだった。
「そちらは済んだか」
カタリーナが筆を持ったまま顔を上げた。
「控えは、確かにお渡しいたしました」
「そうか」
また紙へ向き直る。
テレサは最後の器を持って、卓の奥へ回った。
「奥様。ここに置きます」
カタリーナは紙を少し引き、自分の脇を空ける。
器の底が卓へ着くと、そこへ手が伸びた。
筆を置いてひと口飲み、また持ち直す。
紙の上には、まだ空いたところが多かった。
「もう終わる。名前だけだ」
ルートガーが会釈する。
「どうぞ、お急ぎにならず」
カタリーナは短くうなずき、筆を動かした。
テレサは空の盆を持ち、戸のほうへ戻る。
その背に声が掛かった。
「テレサ」
「はい」
「お前は短くていいな」
足が止まる。
カタリーナは、まだ紙を見ていた。
「名前だ」
テレサは自分の胸元へ目を落とし、それから卓へ戻した。
「奥様のは、長いです」
「知っている。いま書いている」
最後にもう少し筆が動き、ようやく紙から離れた。
ヨーゼフが筆を受け取る。
カタリーナは椅子の背へ体を預け、指を開いた。
「これでいい」
テレサは盆を胸の前へ戻した。
口元に力が入ったまま、うなずく。
――
ヨーゼフは、書かれた紙をすぐには畳まなかった。
卓の上で少し向きを変え、手を離す。
カタリーナも一度その紙へ手を伸ばしかけたが、茶の器を取った。
ルートガーは袋を閉じずに待っている。
誰の筆も動かなくなると、外の葉が擦れる音が聞こえた。
「テレサ。窓を少し開けてくれ」
盆を卓の端へ置き、窓へ向かう。
掛け金を外して押すと、風が袖へ入ってきた。
卓の紙の端が動く。
テレサはそこで押す手を止め、窓を少し戻した。
「そのくらいか」
「紙が動きます」
「なら、それでいい」
カタリーナは器を持ち上げた。
テレサも卓へ戻り、盆に手を掛ける。
「まだ、掛かりそうですか」
ルートガーがこちらを見た。
「いえ、違うんです。お茶を足してこようかと」
「ああ。私は、こちらで十分です」
器へ添えていた手を引く。
テレサはカタリーナのほうも見た。
「残っている」
傾けられた器の中で、茶が揺れた。
盆から手を離す。
用口にいれば、次の器へ手を伸ばせる。
ここでは、卓の紙を待つほかなかった。
カタリーナが茶を飲む。
ルートガーも、自分の器へ手を伸ばした。
テレサは窓から入る風を、頬の横で感じていた。
やがてヨーゼフが紙を持ち上げる。
折ってもインクの移らないところまで乾いたのか、今度は手を止めずに畳んだ。
カタリーナが受け取り、封をする。
「頼む」
ルートガーへ差し出した。
「確かにお預かりいたします」
両手で受け取られた返書が、控えの入った袋へ収まる。
留め具が掛かり、革の口が閉じた。
ルートガーは立ち上がった。
ヨーゼフも帳面を閉じる。
カタリーナは、本家から届いた書状を取った。
こちらは袋へ戻さず、畳んで手に持つ。
「では、これで失礼いたします」
ルートガーが頭を下げた。
テレサは戸口を空け、ヨーゼフとルートガーを見送る。
革の袋が廊下の角を曲がるまで、カタリーナも椅子の脇に立っていた。
それから、手元の書状へ目を落とす。
「片づけを頼む。窓も」
「はい、奥様」
カタリーナが出ていったあと、テレサは窓を閉じた。
掛け金を戻し、卓へ向かう。
三つの器のうち、二つには茶が少し残っていた。
壺を盆へ載せ、器をその脇へ寄せる。
戸の向こうの足音は、もう聞こえない。
袋を胸元へ回し、口を緩める。
「どくろん。もう話していいよ」
袋の縁から、額がのぞいた。
『待機、終了』
テレサは空いた卓を、布で拭いた。
「返事を書くより、待ってるほうが長かったね」
『インクノ乾燥ニ、身分差ハアリマセン』
布を動かす手が止まった。
どくろんは袋の縁に顎を載せている。
「……それは、奥様には言わないで」
指先で額を押すと、袋の中へ引っ込んだ。
テレサは布を畳み、盆を持ち上げる。
器が触れ合わないように、歩き始めだけゆっくりにした。




