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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第三部 御殿の見習い
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第38話 見なかったことに

 翌朝は雨だった。


 朝の器を棚へ戻していると、廊下からグレーテが呼んだ。


「本家のお使いがお見えです。ヨーゼフさんを呼んできなさい」


 テレサは最後の皿を置き、手を拭いた。


「取次の間ですか」


「ええ。そのあと、お茶を運んでもらいます」


 袋を背中側へ直し、用口へ回る。


 ヨーゼフは受け台で帳面を開いていた。


 筆が紙から離れるのを待って、声を掛ける。


「本家のお使いが、取次の間に」


「参ります」


 ヨーゼフは紙片を挟み、帳面を閉じた。


 帳面を手に取り、テレサへ先に通るよう手を向ける。


 廊下を歩く間にも、屋根を打つ雨の音が続いていた。


――


 取次の間には、年配の男が立っていた。


 外套の肩に、小さな雨粒が残っている。卓の脇へ寄せた革の袋には、手を掛けたままだった。


「ルートガー様。お待たせいたしました」


 ヨーゼフが声を掛けると、男は向き直った。


「お仕事のところを、恐れ入ります」


 テレサは戸の脇へ寄る。


 ヨーゼフが帳面を置き、こちらへ目を向けた。


「テレサでございます。当家の見習いです」


 頭を下げると、相手もこちらを向いた。


「本家で用人を務めております。よろしくお願いいたします」


「よろしくお願いします」


 ルートガーは会釈を返し、それから革の袋を開いた。


「本家より、書状をお預かりしてまいりました」


 取り出した一通を、ヨーゼフへ差し出す。


 外套とは違い、紙は乾いていた。


「ヨーゼフ様宛でございます」


 宛名を向けられたヨーゼフが受け取る。


 裏へ返し、封の印を見てから開いた。


 テレサは卓から少し下がった。


「先月分の、出納の控えでございますね」


「本家の帳面と照らし合わせたいとのことでございます」


 ルートガーは袋の口を閉じた。


「明後日までにご用意いただけるか、お返事を承るよう申しつかっております」


 ヨーゼフは書状を卓へ置き、自分の帳面を開いた。


 紙片を挟んだところから、何枚かめくる。


 テレサはその向こうへ顔を寄せず、卓の脇で待った。


 指が止まり、ヨーゼフが顔を上げる。


「明後日の午後でしたら、お渡しできるかと存じます」


「では、午後に伺います」


「こちらでお待ちしております。返書をご用意いたしますので、少々」


 ヨーゼフが椅子を引いた。


 ルートガーは立ったまま、袋を脇へ寄せる。


 戸口へ来たグレーテが、もう一脚を卓へ向けた。


「お茶をお持ちします。お掛けになって」


「恐れ入ります」


 ルートガーは外套を脱ぎ、濡れた側を内へ畳んだ。


 テレサが手を出すと、椅子の背へ掛ける。


「これは、こちらに」


 自分で裾を整え、腰を下ろした。


 テレサは引いた手を前掛けへ戻し、台所へ向かった。


――


 グレーテが、茶の入った小さな壺と器を盆へ載せていた。


「取次へ。書き物の邪魔にならないところに」


 テレサは盆を受け取る。


 戻ると、ヨーゼフの筆が動いていた。


 卓の空いた側へ器を置く。帳面と書きかけの紙からは離した。


 ルートガーが手を出しかけたので、注ぐ手を止める。


「少なめで結構です」


 半分ほど注いで、小さな壺を器の脇へ置いた。


 ルートガーはひと口飲み、両手で器を包んだ。


 飲み終わった器を下げるつもりで、テレサは盆を持ったまま卓の脇に立つ。


 ルートガーが、テレサの持つ盆へ目を向けた。


「テレサさん」


「はい」


「ずっと持っていては、手が疲れるでしょう」


 ヨーゼフが筆を止めずに、卓の端へ手を向けた。


 テレサはそこへ盆を下ろす。


 空いた指を、前掛けの脇で軽く開いた。


「お帰りも、雨ですね」


「道が濡れておりますから、ゆっくり参ります」


 ルートガーが器を持ち直す。


 雨の音が、返事の合間にも続いていた。


「少し、止むといいんですけど」


「ええ。止んでくれると助かります」


 返事のあと、ルートガーはお茶を飲んだ。


 テレサも黙って、雨の音を聞く。


 紙を擦る音がして、ヨーゼフが筆を置いた。


 墨が乾くのを待ち、書いた紙を折る。


 ルートガーは器を卓へ戻した。


 ヨーゼフが封をした一通を、宛名が見える向きにして差し出す。


「お返事でございます。よろしくお願いいたします」


 ルートガーは宛名へ目を落とし、両手で受け取った。


「確かにお預かりいたします」


 革の袋へ収め、口を閉じる。


 卓に残ったのは、本家から来たほうの書状だった。


 ヨーゼフはそれを畳み、自分の帳面へ重ねた。


 ルートガーが立ち、椅子の背から外套を取る。


 テレサは茶の壺を盆へ戻した。


 空の器も、向こうから戻ってくる。


 取り上げようとすると、ルートガーは器の向きを少し変えた。持ち手が、こちらを向く。


「ご馳走になりました」


 テレサは器を盆の中へ寄せた。


「お気をつけて」


 外套へ腕を通したルートガーが、こちらを見る。


「ありがとうございます」


 革の袋を外套の内側へ入れ、襟を直す。


 ヨーゼフが先に戸口へ出た。


 テレサは盆を抱え、脇へ寄る。


 ルートガーはその前で足を止め、会釈してから廊下へ出ていった。


 雨の音に、二人ぶんの足音が重なる。


 テレサは盆を持って台所へ向かった。


――


 夕方には、雨が上がっていた。


 用口の台を拭いていると、カタリーナが廊下から顔を出した。


「テレサ。外はもう降っていない」


 布を絞る手を止める。


「ありがとうございます。これが終わったら、行きます」


「そうか」


 カタリーナは並んだ器へ目をやり、戸口から退いた。


 テレサは台へ残った水を拭き取る。


 最後の布を畳むと、グレーテが受け取った。


「では、今日はここまでに」


 前掛けを外し、いつもの釘へ掛ける。


 どくろんの袋を胸の前へ回して、口を緩めた。


「行こう」


 袋の縁から、どくろんの額がのぞく。


 戸を出ると、軒から落ちた雫が肩を打った。


――


 犬舎へ回る途中で、柔らかい声がした。


「クロエ。こっちも撫でてほしいの?」


 テレサは足を止めた。


 犬舎の脇に、カタリーナがしゃがんでいる。


 差し出した手へ、クロエが鼻先を寄せた。手が頭の上へ回ると、耳が少し伏せられる。


「よしよし。リーナ、まだ行かないよ」


 クロエが顎を上げた。


 指先がその下へ入り、さっきの声がまた緩む。


「そこがいい? そう。ここね」


 クロエの頭が手に寄るたび、カタリーナの肩もそちらへ傾いた。


 テレサの口が、少し開いた。


 そのまま、足が出なくなる。


 背後で靴音が止まった。


 振り向くと、グレーテとヨーゼフが並んで立っている。


 テレサは犬舎のほうへ指を上げかけた。


 グレーテは眉を動かさず、テレサの肩へ手を添える。


 その手に従って、建物の角の陰へ下がった。


「見て見ぬふりを」


 小さな声のあと、グレーテの掌が目を覆った。


「何もお聞きにならなかった、ということで」


 ヨーゼフの声がすぐ横から聞こえた。


 両耳へ手が添えられ、雨だれの音が遠くなる。


(もう、両方とも)


 胸元で、袋の縁が動いた。


『私ノ目ト耳モ――』


 それを聞いたテレサは、袋ごとどくろんを抱き込んだ。


 硬い額が腕に当たり、声が途切れる。


 しばらくして、耳から手が離れた。


「もう少しだけね」


 犬舎のほうから、さっきと同じ声が届く。


 目の前の手も下りた。


 グレーテは袖口を整えている。ヨーゼフは犬舎のほうへ目を向け、それからこちらへ戻した。


「あの」


 声を落とすと、グレーテの指が静かに唇へ上がった。


 テレサは口を閉じた。


 腕の中で、どくろんの顎が少し動く。


 そちらも押さえる。


 誰も何も言わないまま、軒から水の落ちる音を聞いた。


 やがて、犬舎の向こうで足音が遠ざかる。


 ヨーゼフが壁際から身を引いた。


 テレサが顔を出すと、クロエがこちらを見た。


「クロ、お待たせ」


 近づいてきた鼻先が、膝へ触れる。


 テレサはしゃがみ、喉の下へ指を伸ばした。


 一度、手が止まる。


 クロエが掌を鼻で押した。


 さっきと同じところを掻くと、顎が上がる。


 テレサはもう片方の手で、袋の口をそっと閉じた。


――


 翌朝、用口へ入ってきたカタリーナが棚を指した。


「そこの椀を取ってくれ」


 グレーテは横で布を畳み、ヨーゼフは受け台の端で帳面を開いていた。


 テレサは拭き終えた椀を持ち上げる。


「はい、リーナ」


 カタリーナの手が止まった。


 グレーテが壁へ向き、カタリーナとテレサへ背を向けた。


 ヨーゼフも帳面を持ち、その隣で壁を向く。


「なんだ?」


 テレサは差し出した椀を、少しだけ上げた。


「椀です」


 カタリーナの目は、テレサから動かない。


「それは見えている」


「はい、奥様」


「いい」


 伸びてきた手へ椀を渡す。


 布を持つグレーテの肩が、小さく揺れた。


 その隣でも、帳面の上の肩がかすかに震えている。


 どちらの顔も見えない。


 背中の袋が浮きかけた。


 テレサは空いた手を回し、その口へ指を添える。


「言わない」


 袋に向けて、小さく言った。


 中の動きが止まる。


 カタリーナが椀を持ち直した。


「二人とも。仕事は」


「滞りなく、進んでおります」


 ヨーゼフの声は、いつもと変わらなかった。


 グレーテが布の角を揃える。


 まだ、どちらも振り向かない。


 テレサは棚へ向き直り、次の椀を取った。


 置く音だけは、いつもの朝と同じだった。

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