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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第三部 御殿の見習い
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第29話 王都で暮らす朝

 目を開けると、薄い壁の向こうを荷車が通っていった。


 車輪の音が遠ざかるあいだに、テレサは寝台から降りる。


 床ではクロエが耳を立て、まだ伏せたままこちらを見た。


「クロ。朝だよ」


 鼻先が一度だけ膝へ寄り、それから大きく伸びをした。


 顔を洗って髪を撫でつけても、毛先が頬のほうへ戻ってくる。


 もう一度濡らした指を当て、テレサは諦めた。


『修正、未完了』


「朝から細かいなあ」


 卓のどくろんを袋へ入れる。


 口の紐を緩めに残すと、隙間から青い光が見えた。


『記録ハ正確デス』


「じゃあ、寝癖は記録しないで」


 返事を待たずに水筒を取り、昨日エマと用意した書類を確かめた。


 荷の中へ戻す前に、紙の端を揃える。


 昨日はこれを持って並び、順番が来ないまま昼になった。


 そのあとに食べた、木苺の赤い色まで思い出す。


 紙を揃えていた指が止まった。


 生地の端を匙で切ったときの音は、まだ覚えている。


「……今日は先に登録」


 声に出してから書類をしまい、荷の口を閉じた。


 クロエはもう戸口で待っている。


 テレサが近づくと、扉を開ける側を空けた。


「お待たせ」


 外へ出る前に頭へ手を置くと、クロエは掌の下で目を細めた。


――


 宿を出ると、エマが通りの端で待っていた。


「おはよう、エマ」


「テレサちゃん、おはよう。よく眠れた?」


「うん。エマは?」


「私も。……髪、そこだけ跳ねてるね」


「直らなかった」


 テレサが頬の横へ指をやると、エマは笑いを小さく息にした。


「では、昨日の続きに行きましょうか」


「うん。お願い」


 大通りに出たところで、荷を抱えた男とすれ違う。


 テレサは肩を引き、クロエの側へ荷が当たらないよう自分の体を間へ入れた。


 男は足を止めずに通り過ぎた。


 人のあいだを抜けることには覚えがある。


 けれど、その先で二つに分かれた道は、どちらも知らない店の軒に続いていた。


「役所は、こっち?」


「今日は向こうから回ろう。荷車が続いてるから」


 エマの示す先で、積み荷の高い車が角を曲がってくる。


 最初の車が過ぎても、その後ろにはもう一台あった。


 テレサは渡りかけた足を戻す。


 クロエも足元で止まり、車輪へ耳を向けた。


「エマは、道を迷わないんだね」


「知ってるところだけだよ。森では、ずっとついていくばかりだったでしょう?」


「じゃあ、今日は私がついていく」


 エマは少し笑って、通りの向こうを見た。


 最後の荷車が抜けると、二人は並んで道を渡った。


 テレサも曲がり角の店先を見ておく。


 役所の近くまで来ると、エマが歩調を落とした。


「書類は、すぐ出せる?」


「ここにある」


 荷へ手を入れようとすると、エマが軽く首を振る。


「今はしまっておいて大丈夫。着いてからでいいよ」


 テレサは手を戻した。


 紙を出したまま歩くところだった。


 エマの目がその手元へ落ち、二人とも少しだけ笑った。


――


 クロエを戸口の脇で待たせ、テレサは昨日と同じ窓口の列に並んだ。


 先に来ていた人が一人ずつ進んでいく。


 声が届くたび、持っている書類へ目を落とした。


「これが済んだら、住み込みの仕事に応募できるんだよね」


「はい。働くところを決めるのは、それからです」


 エマの声は、宿の前より少し丁寧になっていた。


 テレサは頷いて、紙の端から指を離す。


 自分の番が来た。


「奉公の登録をお願いします」


 声が思ったより小さくなったので、顔を上げて書類を差し出す。


 係の人はテレサのほうを見て、用意してきた内容を確かめ始めた。


 聞かれたことへ、一つずつ答える。


 途中、問いの意味が取り切れず、テレサは言葉を止めた。


 隣のエマが短く言い添える。


 それで何を聞かれたのか分かり、テレサは係の人へ向き直った。


「あ、はい。それは――」


 続きは自分で答えた。


 確認が終わると、エマは先に戸口のクロエのところへ戻った。


 係の人が書類へ目を戻す。


 テレサは手を下ろして待った。


 やがて、係の人が顔を上げる。


「これで登録は済みました」


「ありがとうございます」


 頭を下げて場所を空けると、もう次の人が書類を手に進んでいた。


 外へ出てから、テレサは肩を回した。


 日の当たる石畳が眩しい。


 戸口の脇でエマと待っていたクロエが立ち、テレサの膝へ鼻先を寄せた。


「終わったよ、クロ」


 耳の後ろを撫でると、首が掌へ傾く。


「お疲れさま、テレサちゃん」


 エマも、さっきより柔らかい声に戻っていた。


「ありがとう。途中、助かった」


「少し言い直しただけだから」


「それが助かったの」


 エマは少し笑って頷いた。


 テレサは荷を肩へ掛け直す。


 昨日ここを出たときには、明日もう一度来ることだけが決まっていた。


 今日は次の仕事を探せる。


「少し、水を飲んでもいい?」


「うん。私も」


 通りの端へ寄り、テレサは水筒の栓を抜いた。


 エマも隣で足を休める。


 クロエは二人の影が重なるところに座った。


 一口飲むと、窓口で答えていたときより喉が渇いていたことに気づく。


「このあと、広場のほうへ行く?」


 エマに訊かれて、テレサは栓を閉めた。


「うん。行こう」


 まだ午前だった。


 荷を持ち上げるとクロエが立ち、エマはテレサが並ぶのを待ってから歩き出した。


 昼前の広場へ出ると、パン窯の角から焼けた粉の匂いが流れてきた。


 その先に、大きな籠を抱えた男がいる。


 籠の上から葉物がはみ出し、日に焼けた太い腕が底を支えていた。


「マルセルさん」


 声をかけながら、テレサは歩みを速めた。


 マルセルが顔を上げ、通行の邪魔にならない場所へ寄る。


「嬢ちゃん。姉さんも一緒か」


「昨日はありがとう」


「礼なら、昨日たっぷり聞いた」


 籠を抱え直した腕の向こうに、見覚えのある笑い顔があった。


 テレサの肩から力が抜ける。


 クロエは男へ鼻を向けたあと、テレサの横に収まった。


「朝から何してるんだ?」


「登録。さっき済んだところ」


「そりゃよかった。姉さんもご苦労さん」


「私は、お連れしただけですから」


「途中で教えてくれた」


 テレサが付け足すと、エマはこちらを見た。


 否定はせず、小さく会釈だけする。


 マルセルは籠を足元へ下ろした。


 傾きかけた葉物の束を手で戻し、持ち手から太い指を離す。


 窯のほうから、また甘い匂いが来た。


 テレサの目がそちらへ動く。


 昨日の店の扉が開いていた。


 中までは見えないのに、匙を入れた生地の端を思い出す。


「……昨日の、また食べたい」


 言ってからマルセルを見ると、もう口元が緩んでいた。


「今度は俺が聞く前に言ったな」


「おいしかったから」


 そこは否定できなかった。


 マルセルは笑ったが、続きを茶化さず、籠の持ち手を倒した。


「昨日のも、いつも屋敷で作ってるんだよね」


「そうだ。台所で焼けば、匂いだけは逃げん」


「焼いてる間、ずっとその匂いがするの?」


「そりゃするさ」


 テレサは昨日の皿を思い浮かべた。


「……いいなあ」


 エマが隣で小さく笑う。


 テレサも笑いかけて、荷の肩紐を持ち直した。


「次は仕事を探したい。住み込みで働けるところ」


「登録も済んだし、いよいよだな」


「うん」


 マルセルの視線が、テレサの顔から足元のクロエへ下りる。


 クロエは籠へ鼻を近づけかけていた。


「クロ」


 鼻先が止まり、耳がこちらへ向く。


 テレサが脚の横を軽く叩くと、クロエは戻って座った。


「こっちも一緒にいられるところを探す」


「そうか」


 マルセルは葉物の束を見下ろし、少し考えてから顔を上げた。


「だったら、ちょうど女中を探してる。見習いでもいいって話だ」


「マルセルさんのところで?」


「ああ。俺が台所を預かってる分家の御殿だ」


 テレサは一度口を閉じた。


 さっきまで甘い匂いだけを思い浮かべていた場所に、働くところという意味が加わる。


「そこで、女中を?」


「見習いでいい。来りゃ、たまには甘いもんも食わせてやれる」


 すぐ頷きそうになり、テレサは唇を引き結んだ。


 マルセルの手が籠の持ち手へ戻る。


 返事を急かされなかったので、テレサはもう一度考えられた。


「……見習いって、何をするの?」


「細かい仕事や条件は、向こうで聞け。俺が勝手に決める話じゃない」


「マルセルさんが雇うわけじゃないんだ」


「俺が預かってるのは台所だ。雇うか決めるのは、執事のヨーゼフ」


 テレサは、初めて聞くその名を口の中で繰り返した。


「気になるなら、話を繋ぐくらいはできる。採るかどうかは、あいつが嬢ちゃんを見て決める」


「クロのことも?」


「それも本人に聞いてくれ。俺からいいとは言えん」


 マルセルはそう言って、クロエへ目をやった。


 クロエは籠を見ていた。


 さっき戻った場所からは動かない。


 テレサはその首へ手を添えた。


 短い毛の下で、温かな皮膚が動く。


「エマ」


「はい」


「女中の仕事、私でもできるかな」


 エマはすぐには頷かなかった。


「どんな仕事を任されるか、聞いてみないと。私も、その御殿のことは詳しくないんです」


「そっか」


「分からないところを、一緒に確かめることはできますよ」


 テレサはエマの顔を見てから、頷いた。


 袋の口がかすかに光る。


『優先順位ノ点検ヲ推奨シマス』


「今やってる」


 テレサが袋へ指を当てると、エマの口元が緩んだ。


 マルセルは籠を持ち上げ、今度は腕の収まりを確かめてから胸へ寄せる。


 待たせてしまった。


 テレサはマルセルへ軽く頭を下げた。


「少し考える」


「それでいい。俺に遠慮して決めることじゃないからな」


「うん」


 マルセルはそれ以上聞かず、籠からはみ出した葉の先を内側へ折り込む。


 テレサは、昨日の店をもう一度見た。


 扉の向こうで誰かが皿を運んでいる。


 見ているだけで、口の中に木苺の酸味が戻ってきた。


「マルセルさん」


「なんだ」


「仕事の話と別に、また食べたいのは本当だから」


 マルセルは一瞬だけ目を丸くした。


 それから、大きく口を開けて笑う。


「分かってる。皿を見てりゃ、それくらい分かる」


 テレサは少し顔を伏せた。


「じゃあな、嬢ちゃん。姉さんも」


「またね」


「お気をつけて」


 籠を抱えた背中が、人の流れへ戻っていく。


 テレサはクロエの頭から手を離した。


 立ち上がったクロエが伸びをし、前脚を揃え直す。


 エマはテレサの隣にいる。


 誰の台所なのかを知っている場所が、一つ候補になった。


「少し、歩こうか」


 テレサが言うと、エマが頷いた。


 広場を離れるまで、焼けた粉の匂いがついてきた。

2巻相当分の連載を開始しました。

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