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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第二部 王都への道
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第28話 ようこそ、王都へ

 翌日の昼前、馬車が丘を登り切った。


 御者が声を上げる。


「アルガルドだ!」


 乗客が一斉に幌の前へ寄った。


 テレサも、隙間から前を見た。


 最初に見えたのは、壁だった。


 丘の下、平野の先。石の壁が、地平を横に区切っている。七日目の町の壁とは比べものにならない。壁というより、山の裾を四角く削ったようだった。


 その壁の内側に、屋根が海のように詰まっている。


 そして、街の向こう。


 一本の樹が立っていた。


 遠目にも、樹だと分かった。壁より高く、塔より高く、緑の頂が霞んでいる。


「……あれは」


「大樹アルだね」


 エマが言った。


「王都の、いちばん偉い樹。あの樹の名前が、国の名前になったの」


 袋の中で、どくろんが身じろぎした。


『ますたー』


 小さな声だった。


『アノ樹ハ、記録ニアリマス』


 テレサは袋を見下ろした。


「……街は」


『記録ニアリマセン。樹ダケデス』


 それきり、どくろんは黙った。


 国より、街より、あの樹だけが古いということだ。


 テレサはそれを、頭の隅へ置いた。今は、それ以上考える必要はない。


――


 門前は、村の祭りの十倍うるさかった。


 荷馬車の列。呼び売りの声。検めを待つ人の帯。犬も、鶏も、知らない言葉で怒鳴る人もいた。


 馬車を降りると、地面が揺れていない方に驚いた。


「クロ、離れないで」


 クロエはテレサの左に、ぴたりと付いた。耳は忙しく動いているが、足は乱れない。


「はぐれたら、門の前。いい?」


 エマが言い、テレサは頷いた。子ども扱いだとは思わなかった。この人混みでは、正しい取り決めだ。


 検めの列で、エマは書類を出した。役所の紙は強かった。テレサの身分の証明も、係の男が一度見て、それで通った。


 門をくぐる。


 石の匂いと、人の匂いと、食べ物の匂いが、いっぺんに来た。


 声が、上からも横からも降ってくる。呼び売り、値切り、笑い声、子どもの泣き声。森なら方角ごとに聞き分けられる音が、ここでは全部いっぺんに鳴っていた。


 石畳は森の道より固く、一歩ごとに踵へ小さく返ってくる。半日も歩けば、足の裏が覚えるだろう。慣れたい、と思っている自分に、テレサは気がついた。


 クロエの耳が忙しく回り、やがて諦めたように、持ち主の足だけを見て歩き始めた。


 人波の向こうから、マルセルが荷を担いで追いついてきた。


「嬢ちゃん。約束だ」


 太い指が、大通りの先を指す。


「明日の昼。一番大きい広場の角に、パン窯の煙の上がる店がある。そこへ来い。姉さんと、犬もだ」


「……犬も、いいんですか」


「客の頭数も分からんようじゃ、台所は預かれん」


 マルセルは木箱を担ぎ直し、じゃあな、恩人、と言って人混みへ入っていった。大きな背中は、驚くほど早く見えなくなった。


「明日の昼だって」


「……はい。豆の汁より上が出るはずです」


――


 大通りは、川だった。


 人が流れている。誰も立ち止まらない。誰も、テレサを見ない。


 村では、歩けば必ず誰かに呼ばれた。ここでは、誰も自分の名前を知らない。狩人の娘だということも、事件を解決したことも、誰も知らない。


 不意に、人の流れが割れた。


 蹄の音。飾りのついた黒塗りの馬車が、通りの真ん中をゆっくり進んでくる。


「端へ寄って」


 エマに言われる前に、テレサはクロエを引いて下がっていた。獣道で大物に道を譲るのと、要領は同じだ。


 馬車が、目の前を過ぎる。


 磨かれた窓の奥に、一瞬だけ、人影が見えた。


 結い上げた髪。まっすぐ前を向いた横顔。こちらを見もしない。


 それだけだった。馬車は角を曲がり、割れた人波が閉じる。


「貴族の馬車。ああいうのが来たら、道を空けるの」


「……乗ってる人も、この街に住んでるんですね」


「そうだよ。王都だもの」


 同じ街に、ああいう暮らしがある。


 テレサはそれを、大樹の記憶の隣へ置いた。


 道の端で、テレサは一度だけ足を止めた。


「テレサちゃん?」


「……人が、多くて」


「うん。最初はみんなそう」


 エマは半歩戻って、テレサの隣に並んだ。


「疲れたら言って。裏道も知ってるから」


 それから、思い出したように鞄を開けた。


「その前に。――はい、これ」


 差し出されたのは、布の包みだった。中で硬貨が音を立てた。


「護衛のお代」


「……確かに」


 テレサは受け取り、重さを確かめて、腰の袋へ収めた。


「仕事、完了です」


「うん。……ありがとう。無事に、帰ってこられました」


 エマは深く頭を下げた。役所の礼だった。


 それから顔を上げて、笑った。


「ここからは、仕事じゃなくて、私の勝手ね」


「勝手?」


「今度は、私が案内する番」


 エマは前へ出た。


 人の流れの中で、迷いなく道を選ぶ。村の外縁でテレサがそうしたように、どこに何があるか、この人には見えている。


「今日の宿は決めてあるの。安くて、クロエについても交渉できるところ。明日は登録の窓口へ行って、それから――」


 説明が、また少し速くなる。


 テレサはその背中を追いながら、街を見た。


 知らない道。知らない屋根。知らない人。


 仕事も、住む場所も、明日の窓口で何を言われるかも、まだ何も分からない。


 分からないことは、着いてから確かめればいい。


 そう決めて、村を出た。


 着いた。


 だから、ここから確かめる。


 テレサは荷を背負い直し、クロエを連れて、エマの隣へ並んだ。


 頭の上では、遠い大樹の緑が、屋根の海の向こうに揺れていた。


 翌日の朝、エマの案内で登録の窓口へ行った。


 人が、多かった。


 建物へ入る前から列があり、中にも列があり、列の先にまた別の列があった。順番を書き付けてもらったところで昼が近くなり、テレサの番は明日以降になった。


「王都って、並ぶところなんですね」


「うん。並ぶのも仕事のうち」


 役所の人間が言うと、重みが違った。


――


 昼、約束の広場へ行った。


 屋根の海の切れ目に、大樹アルの緑が見えた。昨日より近づいたわけでもないのに、村から見たどの山より大きい。


 広場の角に、白い煙が上がっていた。パン窯の煙だ。焼けた粉の匂いが、往来の雑踏を割って流れてくる。


 昼の広場は、人の流れが緩い。荷を置いて立ち話をする者、噴水の縁で昼を使う者。急がない人間がこんなにいる場所を、テレサは初めて見た。


 石造りの小さな店の中に、マルセルがいた。


 旅装ではなく、糊の利いた白い上っ張りを着ている。着るものが変わっただけで、別人のように場に馴染んで見えた。


「来たな、嬢ちゃん。姉さんと、犬も。よし」


「ここ、マルセルさんの店ですか」


「弟弟子の店だ。竈を借りた。……礼は、俺の仕事でさせてもらう」


 店の奥の卓へ通された。クロエは戸口の脇で伏せ、意外なことに、店の小僧が水鉢を持ってきてくれた。どくろんは袋ごと卓の上へ置く。


『荷物デハ――』


「はいはい」


 紐は、緩めにしておいた。


――


 待つ間、テレサは落ち着いていた。


 料理人の礼というなら、大方、この場面では甘いものだろう。


 甘いものなら、知っている。


 前世の記憶には、菓子が山ほどある。ケーキ。まんじゅう。安売りの氷菓子。深夜に買って帰る、疲れた日のコンビニの甘いやつ。前世の知識と経験からなら、いくらでも並べられる。


 そして、こういう世界の甘味が素朴なことも、物語の型として知っている。蜂蜜を垂らしたパン。煮ただけの果実。悪くはないが、それ止まりの――


「ほら。熱いうちに食え」


 皿が、置かれた。


 薄く焼いた生地が、三つ折りに重ねてある。上で赤い木苺の煮たものが照り、脇に白いクリームが冷たそうに添えられ、細く蜜が引かれていた。焼きたての香ばしさと、乳の匂いと、果実の酸の匂いが、湯気と一緒に立ち上る。


 匙で切ると、生地の端が、さくりと小さく鳴った。


 一口。


 衝撃は、頭ではなく、身体に来た。


 背筋が伸びた。


 目が見開かれた。


 匙が、止まった。


 焼いた生地の香ばしさの奥から木苺の酸味が跳ね、蜜が追いかけ、冷たいクリームが全部をまとめて、すっと消えた。消えたのに、口の中に幸福だけが残っている。


 知識では、ある程度は知っていた。


 身体は、知らなかった。


 今世の十二年、甘味といえば干し果実と蜂蜜だったこの身体は、こんなものを、知らなかった。


「……何これ」(何やこれ)


 声と内心が、同時に出た。


 口から出たのは、今世の素の声。こんなものが、世の中にはあるのか。十二年ぶんの驚きが、そのまま音になって転がり出た勢いだった。


 頭の中の前世は、知っているはずだった。菓子なら記憶に山ほどある。落ち着いて味を分解するつもりで――気づけば、同じ言葉を同時に言っていた。知っている側が、知らない側の勢いに引っ張られていた。


 いつも場面ごとにどちらかだった二つが、皿一枚で、重なった。


「え?」


 エマが匙を止めて、テレサを見た。


「テレサちゃん、今の...?」


「……なんでもないです」


 テレサは咳払いを一つして、背筋を戻した。


「……二口目で、判断します」


 二口目で、確信した。


 これは、駄目なやつだ。


 三口目は、意思と関係なく匙が動いた。


『ますたー』


 卓の上の袋から、どくろんが囁いた。


『心拍数、上昇。戦闘ノ兆候ハ観測サレマセン』


「……静かに」


『本状態ノ分類名ヲ要求シマス』


 テレサは匙を置かないまま、少し考えた。


 考えても、他の言葉がなかった。


「…………敗北」


『記録シマス。敗北、一件。敗因――』


「そこまで記録しなくていい」


『敗因、砂糖。記録シマシタ』


 マルセルが、腹を揺すって笑った。


「どうだ、味は」


「……記録の通りです」


「そうか。なら、いい街へ来た。こういうものが、この街にはまだ何十とある」


 何十。


 テレサは皿を見た。もう、半分もない。


「うちの奥様も、これには目がなくてな。狩りから戻った日は、酒より先にこいつを出せときた」


 マルセルは何気なく言って、空きかけた皿へ、次の一切れを滑らせた。


「食え。礼はまだ、終わっていない」


 皿の二枚目は、冷たい乳を固めたものだった。三枚目は、覚えていない。味は全部覚えているのに、抵抗した記憶だけがない。


 店を出る頃には日が傾いて、パン窯の煙が夕方の色に染まっていた。腹の底が、まだ甘い。歩くたび、それが少し揺れる気がした。


――


 帰り道、エマがずっと笑いを噛み殺していた。


「テレサちゃん、来てよかったって顔してた」


「……してません」


「してた。岩甲猪のときより真剣な顔で、お皿を見てた」


「…………」


 反論の材料が、なかった。


 川辺でも、夜の森でも、街道でも、負けなかったのに。


『ますたー。本日ノ敗北、三件』


「……一件でいいでしょ、ああいうのは」


『皿単位デ記録シマシタ』


「まとめて。……次は、負けません」


『次回ノ交戦予定ヲ要求シマス』


「…………近いうちに」


 エマが、とうとう声を出して笑った。


 つられて、テレサの口元も少しだけ緩んだ。慌てて引き締めたが、エマには見られた気がする。


 しばらく黙って歩いてから、テレサは口を開いた。


「エマ」


「ん?」


「私、この街に住みます」


 エマが、目を丸くした。


「……うん。うん! そのつもりで来たんじゃなかったの?」


「探しに来ました。住むかどうかは、見てから決めるつもりでした」


 村を出た日から、ずっとそうだった。仕事を探しに行く。駄目なら帰ればいい。家は残してある。逃げ道を先に数えるのは、狩人の癖だ。


 でも、もう数え終わった。


 森の焚き火で、エマは言った。居場所も、探せばあると思う。一つじゃなくて、いくつも、と。


 人の多さにも、固い道にも、まだ慣れない。それでも、この街にはありそうな気がする。いくつも。仕事も、居場所も、確かめたいことも。


「だから、仕事、ちゃんと探します」


「うん。手伝う。……ようこそ、王都へ」


 エマの言い方は、役所の窓口のそれではなかった。


 仕事も、住む場所も、明日の窓口で何を言われるかも、まだ何も決まっていない。


 決まったのは、この王都に住むということだけだ。


 分からないことは、着いてから確かめればいい。そう決めて村を出て、着いて、確かめ始めたばかりだ。


 夕暮れの往来の先、屋根の海の向こうで、大樹の緑が暮れ色に沈んでいく。


 その景色を眺めて、テレサは思った。


 この街で確かめたいことが、また一つ、増えた。


 今度のそれは、皿の上にある。


 ――ラスボスは、ここにいた。

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