↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第二部 王都への道
PR
32/33

第27話 街道と、砂糖の箱

 二日目の昼前に、森が終わった。


 木々が急に低くなり、下草が刈られ、視界が開ける。


 踏み固められた道が、左右へまっすぐ伸びていた。


 街道だ。


 道の先に、建物が固まって見える。宿場。屋根の数は、アルワール村より少ない。なのに、人の気配は村より濃かった。


「着いた……!」


 エマの声が明るくなった。二日分の森が、ようやく終わったのだ。


 テレサは逆だった。


 森が終わってから、足の置き場が分からない。


 固い道。遮るもののない空。知らない人の声。


 荷馬車が二台、隊商らしい列が一つ、旅装の人間が何人も。


 村と遺跡と森しか知らない――今世では――テレサにとって、それは初めて見る「よそ」だった。


 クロエも同じらしく、テレサの足へぴったり寄って歩いている。


 道の固さが、足の裏から膝へ響く。森の地面は音を吸うのに、ここの地面は音を返してくる。すれ違う人の声も、荷車の軋みも、遮る木がないぶんまっすぐ届いた。


 匂いも違う。土と葉の代わりに、藁と、馬と、竈の煙と、知らない食べ物の匂いがした。


「テレサちゃん」


 エマが振り返った。


「ここからは、私の番」


 依頼書の時と同じ、まっすぐな顔だった。


「馬車の席を取ってくる。テレサちゃんは、そこの水場でクロエに水をあげてて」


「……はい」


 前を歩くエマの背中は、森の中より一回り大きく見えた。


――


 乗合馬車は、幌の付いた大きな荷車だった。長椅子が向かい合わせに二列。乗客は途中の町で入れ替わりながら、十日かけて王都まで行く。


 エマは御者と話していた。


「犬も一緒なんですけど」


「犬ぅ?」


 御者は胡散臭そうにクロエを見た。


 クロエは座って、動かない。吠えず、匂いも嗅ぎに行かず、ただ座っている。


「……躾はしてあるようだな。床なら。席は人の分だけだ」


「床で大丈夫です。ね、テレサちゃん」


「はい。クロ、いい子にしてて」


 クロエの分の話が終わると、御者の視線が今度はテレサの肩の横で止まった。


「おい、なんだそりゃ」


「使い魔です」


 エマが、テレサより先に言った。


「よく喋りますけど、悪さはしません。荷物扱いで結構ですので」


『荷物デハ――』


「ほら喋った」


「珍しいでしょう。でも本当に、それだけなんです」


 エマの言い方は、驚くほど滑らかだった。役所の窓口で、揉め事を収める時の口調なのだろう。


 御者は数秒どくろんを睨み、それから面倒になったらしい。


「……落とすなよ」


「はい」


 テレサは、どくろんを袋へ入れた。紐は緩めに。


『不当ナ分類デス』


「王都まで我慢して」


『記録。荷物扱イ、一名』


「数えなくていいから」


――


 昼過ぎに、馬車は出た。


 車輪が石を噛み、幌が揺れる。


 長椅子の端にエマ、その隣にテレサ。足元にクロエが伏せ、膝の袋の中でどくろんが静かにしている。


 向かいには、行商らしい年配の女と、職人風の男。誰もテレサを気に留めない。村なら全員が知り合いで、全員に挨拶をした。ここでは、誰も自分を知らない。


 それは不安のようで、少しだけ、楽でもあった。


 幌の後ろから、来た道が見える。


 街道の先、森の壁。あの向こうに、村がある。


 遠くなる、と思いかけて、テレサはやめた。


 逆だ。


 王都が、近くなっている。


 一日ぶんずつ、確かめるように。


 馬車は音を立てて、東へ進んだ。


 馬車の旅は、思っていたより単調だった。


 朝に出て、昼に替え馬の場で休み、夕方には次の宿場に入る。


 安い相部屋。固いパンと豆の汁。クロエは厩の隅を借りた。


 それを、十日繰り返す。


 初日は尻が痛かった。三日目には慣れた。揺れの中で眠る技も覚えた。


 朝の車内は無口で、昼を過ぎると誰かが喋り出し、夕方には全員が黙る。十日も繰り返せば、車輪の音の変わり目で、道の善し悪しまで分かるようになった。


 前世の満員電車よりは、ましだった。少なくとも座れる。


――


 景色は、少しずつ変わった。


 最初の三日は、街道の両側にまだ森が近かった。


 四日目から畑が増えた。見たことのない広さの麦畑が、丘の向こうまで続いていた。


 その四日目の昼に着いた町で、乗客が半分入れ替わった。


 新しく乗ってきた中に、恰幅のいい五十絡みの男がいた。日に焼けた太い腕で、木箱を一つ、膝に抱えている。網棚があるのに、降ろさない。座るなり目を閉じ、程なく鼾が車輪の音に混ざった。


 起きているのか寝ているのか分からない男だ、と思った。


 それだけの、はずだった。


――


 五日目の昼過ぎ、街道が丘の間へ入った。


 畑が切れ、道の両側に藪の茂った斜面が近づく。


 クロエが、床で頭を上げた。


 テレサは幌の隙間から外を見た。風はゆるい。ただ、鳥の声が、ない。


『ますたー』


 膝の袋から、囁きより小さい声。


『複数ノ生体反応。右ノ斜面。接近中』


 テレサは弓袋の紐を解きながら、御者台へ声を投げた。


「御者さん。魔獣です。止まらないで――」


 言い終わる前に、右の藪が鳴った。


 馬がいななき、馬車が大きく傾いて止まった。


 乗客の悲鳴。傾いた床。テレサは幌を撥ね上げ、荷台の縁から道へ降りた。


 灰色の獣が、三頭、斜面から道へ降りていた。


 犬より二回り大きい。肋の浮いた痩せた体。冬毛が抜けきらないまま、目だけが乾いて光っている。先頭の一番大きいのは、口の端に青白い火花をちらつかせていた。


 魔獣だ。


(山の餌が、足りてないんだ)


 冬毛のまま夏の街道へ出てくる群れは、飢えている。飢えた群れは、威しただけでは退かない。


 森なら、痕跡を読んで道を変えれば済んだ。


 ここには、変える道がない。動けない馬車と、逃げ足のない人間が、道の上に並んでいるだけだ。


 避けられない時が、護衛の出番だ。


「エマ。乗客を馬車の陰に。頭を低く」


「わ、分かった!」


 エマの声はうわずっていたが、動きは早かった。凍りついた乗客の袖を引き、荷台の陰へ押し込んでいく。


「クロ、左」


 クロエが矢のように飛び出した。左へ回り込もうとした一頭の鼻先で吠え立て、行かせない。群れが、正面へまとまる。


 その時、道の脇で悲鳴が上がった。


 替え馬の場を目当てに歩いて水場へ降りていた行商の婆さんが、腰を抜かして座り込んでいる。馬車の陰まで、遠い。獣との間に、遮るものがない。


 真っ先に動いたのは、あの恰幅のいい男だった。


 木箱を抱えたまま婆さんの前へ走り、箱を盾のように構えて、仁王立ちになる。


「来るな! これは砂糖だぞ!」


 脅しに、なっていない。


 でも、時間には、なった。


 テレサはすでに弓を引き分けていた。


 先頭が、地を蹴った。


 大きい。硬くはないが、速い。――風を乗せる。


 矢羽根の際で、風が細く鳴った。


 弦音は一つ。


 矢は火花ごと顎の下を貫き、先頭の魔獣は跳んだ形のまま道へ落ちて、それきり動かなかった。


 二の矢は、続こうとした次の一頭の鼻先の地面へ突き立てた。


 土が爆ぜ、獣が跳び退く。


 クロエが追い立てるように吠える。袋の中から、どくろんが低く言った。


『警告。次ハ当タリマス』


 言葉が通じたわけではないだろう。それでも、残った二頭は倒れた先頭を一度だけ見て、来た斜面を駆け上がった。


 藪の鳴る音が遠ざかり、消える。


 鳥の声が、戻ってきた。


「……生体反応、離脱」


 テレサは百を数えてから弦を戻し、馬車を振り返った。


「終わりました。出発できます」


――


 乗客が席へ戻る間、視線がずっとテレサに集まっていた。


 乗った日に「嬢ちゃん」と呼んだ目では、もうなかった。


 恰幅のいい男は、婆さんを助け起こし、腰の土を払ってやってから、木箱を抱え直してテレサの前へ来た。


「……助かった。あんた、命の恩人だ」


「仕事なので」


「仕事?」


「私の連れです」


 エマが横から言った。まだ声が少し震えていたが、言い方は依頼書のときのそれだった。


「王都まで、道中の護衛をお願いしていて」


「護衛。……ああ、道理で」


 男は太い首を縦に振り、それから自分の胸を叩いた。


「マルセルだ。王都で、さる屋敷の台所を預かってる。料理人だ」


「テレサです」


「箱、無事ですか」


 エマが聞くと、マルセルは初めて木箱を網棚へ置いた。


「砂糖と香料だ。半年ぶんの仕入れでな。俺の商売道具だ。――命の次に大事だ」


「さっき、命より前に出してましたけど」


 テレサが言うと、マルセルは太い眉を寄せた。


「……歳を取ると、とっさの順番を間違える」


 悪びれない言い方に、エマが噴き出した。婆さんまで笑って、馬車の中の強張りが、それでほどけた。


――


 六日目に渡った橋は、石でできていた。川幅は、村の川の五倍あった。


 七日目の町は、壁に囲まれていた。町なのに、壁がある。


「王都の壁は、もっと高いよ」


 エマが言った。


「どれくらいですか」


「うーん……大樹の半分、くらい?」


「大樹?」


「着けば分かるかな」


 エマは少し楽しそうに、それ以上言わなかった。


 その七日目の宿で、マルセルが動いた。


 宿の主人と何やら話し込んだかと思うと、上着を脱いで竈の前に立ったのだ。


「護衛の礼だ。座ってろ」


 出てきたのは、豆の汁だった。


 毎晩どの宿でも出る、あの固いパンの供の、豆の汁のはずだった。


 一口で、乗客の誰かが「おかわりはあるのか」と聞いた。


 同じ豆を、同じ場所で煮たはずだ。何が違うのかは、分からない。ただ、体の芯まで届く味がして、鍋は瞬く間に空になった。


「本職だねえ」


 と、婆さんが唸った。


「当たり前だ」


 マルセルは、当たり前の顔で答えた。


(……王都の料理人って、みんなこうなのか)


 テレサは椀の底を見た。


 王都の楽しみが、少しだけ増えた気がした。


――


 八日目。


 昼の休みで人が降り、車内が空いた時、袋の紐が緩んでいた。


『湿度、上昇。降雨ノ可能性、七割』


 戻ってきた職人風の男が、袋を二度見した。


「……今、袋が喋らなかったか」


「使い魔です」


 エマが間髪入れずに言った。


「天気を教えてくれるんです。便利でしょう」


「……はあ」


 男は席を一つ空けて座った。マルセルだけが、鼾の合間に片目を開けて「知ってる」という顔をした。


 テレサは袋の紐を締め直した。


「七割は当たるの」


『概ネ』


「なら許す」


 夕方、本当に雨が降った。男がちらりと袋を見た気がした。


――


 最後の夜の宿で、エマが言った。


「明日の昼には、着くよ」


「……早いですね」


「十日、乗ったんだけどね」


 エマは笑った。


「明日は朝が早いから、もう寝よう」


 寝床へ向かう廊下で、マルセルに呼び止められた。


「嬢ちゃん。明日、門で別れる前に、礼の場所を教える。逃げるなよ」


「逃げませんけど。……礼なら、豆の汁を」


「あんなものは礼のうちに入らん」


 マルセルは太い指を一本立てた。


「俺の礼は、皿でする。覚えとけ」


 それだけ言って、相部屋へ引っ込んでいった。すぐに、壁越しに鼾が始まった。


「礼って、何だろうね」


「……分かりません。でも」


 豆の汁を思い出す。


「行かないと損な気は、します」


 テレサは寝床へ入る前に、荷物の奥を確かめた。


 身分の証明と、登録の下書き。二枚の紙は、濡れても折れてもいなかった。


 帳面は濡らさなかったですね、合格です。


 いつか聞いた言葉が、ふと浮かんだ。


 目を閉じる。


 厩のクロエと、袋のどくろんと、隣の寝床のエマ。壁の向こうの、遠雷のような鼾。


 明日、王都に着く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。