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どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第二部 王都への道
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第26話 嘘の湖

 森の道は、テレサが決めた。


 街道へ向かうだけなら、まっすぐ東でいい。けれど、まっすぐは人の足で作られた道ではない。


 歩きやすい尾根。水のある沢筋。獣の使わない斜面。


 それを繋いで、遠回りに見えて一番早い線を引く。


「歩幅、そのままで。息が上がったら言ってください」


「うん。……まだ、大丈夫」


 エマの「大丈夫」は、テレサのそれより信用できる。この人は、限界の前に申告する人だ。


 半刻ごとに短く休み、水を回す。


 クロエが先を歩き、どくろんは低い位置で黙って浮く。森では、どくろんは言われる前に静かになる。


――


 昼を過ぎた頃、クロエが止まった。


 鼻が右の斜面を向く。尾は下がらない。警戒の手前、確認の姿勢だ。


 テレサは手でエマを止め、斜面へ寄った。


 若木の幹に、剥がされた皮。地面に、大きな獣の糞。乾き方は昨日のものだ。


「……熊?」


 エマが小声で聞く。


「魔獣です。角のある、大きいの」


「た、戦うの?」


「いいえ」


 テレサは来た方へ数歩戻り、別の尾根を指した。


「回避します。半刻余計にかかるけど」


「……それだけ?」


「それだけです」


 エマは拍子抜けした顔をした。


 テレサは歩きながら、少しだけ説明した。


「昨日ここを通った魔獣が、今日もいるとは限りません。いない方に賭けて進むこともできます」


「うん」


「でも、賭けに勝っても、得るのは半刻だけです。負けたら全部無駄です」


「……うん」


「戦わないで着くのが、護衛の仕事なので」


 勝てる相手でも、避けられるなら避ける。


 ハルトじいの教えは、仕事の言葉にすると据わりがよかった。


――


 回り道の途中で、短い雨が来た。


 張り出した岩の下へ荷を寄せ、四半刻だけやり過ごす。雨は来た時と同じ速さで抜けて、濡れた森に日が戻った。


「急な雨だったね」


「山の雨は、こんなもの」


 テレサは空を見た。雲は千切れて、東へ流れていく。風は、もうほとんどない。


「今夜は晴れる。そのぶん――よく冷える」


「うん。上着、出しておく」


 濡れた下草が、日を受けて光っていた。雨上がりの森の匂いは、嫌いではない。


――


 日が傾く前に、野営地を決めた。


 沢から少し上がった平場。風が抜けず、背後が岩。焚き火の跡がいくつも残っている。街道へ向かう人間が、代々使ってきた場所らしい。


 平場の縁からは、明日の道が見下ろせた。


 沢に沿って、道は前方の窪地へ降りていく。低みを底まで下って、対岸の尾根へ上がり直す。そこを越えれば、あとは街道まで下るだけだ。


「明日はあそこを通って、昼前には森を抜けます」


「うん。……あと少しだね」


 火を起こし、湯を沸かす。干し肉と、エマが持ってきたパン。


 火が育つまでのあいだに、湿った枝を選り分けて外へ出す。煙の少ない火は、それだけで野営の質が上がる。


「野営の分は自分のご飯、って言ったのに」


「パンは重いから、早く食べて軽くしたいの」


「……理屈が役所です」


「褒めてる?」


「半分は」


 クロエには干し肉を裂いてやり、水を替える。どくろんは焚き火の横で、炎の色をじっと見ていた。燃焼効率がどうとか言いかけて、やめたようだった。


――


 火が落ち着いた頃、エマがぽつりと言った。


「一年前はね、隊商の荷馬車の隅で、ずっと下を向いてた」


「森が、ですか」


「全部。森も、夜の音も、知らない人ばかりなのも」


 エマは膝を抱えた。


「村に着いた時、トーマ先輩が迎えに来てくれて。……最初に言われたのが、『帳面は濡らさなかったですね。合格です』」


「厳しい」


「でしょう。でも、あの人なりの褒め方だったんだと思う。荷物より帳面を守る新人は、見どころがあるって」


 焚き火が爆ぜる。


 エマは少し笑って、それから黙った。


 テレサも、何も言わなかった。


 黙っているのが苦しい相手ではない。それは、森の夜でも同じだった。


「王都って、どんなところですか」


 しばらくして、テレサが聞いた。


「うるさいよ。人が多くて、道が固くて、朝から晩まで何かの音がしてる」


「……それは」


「うん。最初は疲れると思う」


 エマは火を見たまま続けた。


「でも、いろんな人がいるの。いろんな仕事があって、いろんな暮らしがある。だから――」


 少し考えて、言い直した。


「テレサちゃんの居場所も、探せばあると思う。一つじゃなくて、いくつも」


「……そうですか」


「うん」


 それ以上は、お互い言わなかった。


――


「夜番、決めます」


 テレサは火に枝を足した。


「前半は私とクロ。後半も私とクロ」


「え、私は」


「エマは寝てください。明日も歩くので」


「で、でも」


『私ハ眠リマセン』


 どくろんが口を挟んだ。


『観測ヲ継続シマス。異常ガアレバ起コシマス』


「……ということなので、実は三交代です」


「それ、テレサちゃんも寝られるってこと?」


「半分は」


 エマは何か言いたそうにして、それでも毛布を広げた。


 その手が、止まった。


「テレサちゃん。……あれ」


 エマは平場の縁に立って、窪地を見下ろしていた。


 テレサも並んだ。


 月明かりの下、窪地の底に、白い面が張っていた。


 平らで、広い。縁は岸のようにくっきりして、低みの形をそっくりなぞっている。夕方に見下ろした時には、なかったものだ。


「……湖?」


「あんな場所に、湖はないはずです」


「じゃあ……」


 エマの声が、細くなった。


「川が、溢れてるんだ」


「……」


「来た時にね、御者さんたちが言ってたの。雨のあとは低い道が沈むって。沈んだら、無理に通っちゃいけない、尾根の道まで戻って回れって。……回ると、丸一日かかるって」


 明日の道は、あの白い面の底を通っている。


 エマは毛布の端を握ったまま、白い面と、テレサの顔を順番に見た。


「どうしよう。食べ物は、余分に持ったけど……」


「エマ」


 テレサは窪地から目を離さずに言った。


「朝までに、確かめておきます。だから、寝てください」


「……こういう時、どっちへ進むかは」


「私が決めます。それが仕事なので」


 エマは息を吐いた。依頼書を書いた夜と同じ、決めた顔で頷いた。


「うん。……お願いします」


 毛布の膨らみは、しばらく動いていたが、やがて寝息に変わった。


――


 テレサは弓を膝に置き、火の横で膝を抱えた。


 風。梢。沢の水。遠くの梟。


 夜の音を数えながら、窪地の白い面を見下ろす。


「どくろん。起きてる?」


『私ハ眠リマセン』


「……せやったな。ほな、付き合うて」


 声は、囁きより小さい。


「まず、見えてるもんの確認や。あれは水に見える。白うて、平らで、岸みたいな縁がある」


『観測。当該領域ニ、平坦ナ白色ノ面。月光下デ、発光様ニ視認サレマス』


「せや。……で、引っかかるとこが三つある」


 テレサは指を一本立てた。


「一つ。音や。夕方に水を汲んだ沢は、あの窪地に流れ込んどる。あれだけの水が新しく溜まったんなら、流れの音がどこかで変わるはずや。……ずっと聞いとるけど、沢の音は夕方のままや」


 二本目。


「二つ。月が映ってへん。ほんまに水面やったら、月の道が一本、こっちへ向いて立つ。あれは面ぜんぶが、ぼんやり白う光っとるだけや」


『一致。鏡面反射ヲ検出デキマセン。散乱光ノミデス』


 三本目。


「三つ。水の出どころがあらへん。雨は昼の四半刻だけ。夕方の沢は増えてへんかった。入りがないのに、溜まりだけ増えるか?」


『矛盾。流入量ト貯水量ガ一致シマセン』


「せやろ」


 テレサは白い面を睨んだ。


「……そもそも、あれはほんまに水なんか」


『再観測シマス』


 どくろんの眼が、わずかに強く灯った。


『……水面、検出サレマセン。当該領域ニ、微小ナ水滴ガ浮遊シテイマス。多数』


「浮いとる水滴」


 口の中で、今日一日を並べ直す。


 昼の通り雨。濡れた森。千切れて流れた雲。風のない、よく晴れた夜。冷える、と自分で言った。窪地は、冷えた空気が流れ落ちて溜まる場所や。


 繋がった。


「……沈んだんやない。浮いとるんや」


 霧や。


 雨の湿りを吸うた夜気が、冷えて、窪地の底で霧になっとる。岸に見えた縁は、冷気の溜まる高さや。あれは水面やのうて、霧の上っ面。月に照らされて、白う光っとるだけや。


『情報を更新しました。当該領域、濃霧ト推定』


「最初からそう観測してくれてもええんやで」


『観測ハ提供シマシタ。意味ヅケハ、ますたーノ担当デス』


「……ま、せやな」


 道は、霧の底で乾いたまま通っている。


 それでも、確かめたわけではない。夜のうちに降りて答え合わせをする理由もない。


 夜明け前に、先頭は自分が歩く。それで足りる。


 テレサは火に枝を一本足して、白い湖を眺めた。


 嘘の湖は、月の下で静かだった。


 少しだけ、綺麗だとも思った。


――


 空の際が白み始めた頃、エマを起こした。


「道は、沈んでません」


「……分かったの?」


「はい。降りれば分かります。私が先を歩くので、足元だけ見ていてください」


 荷をまとめ、火を始末して、窪地へ降りる。


 白い面が近づくにつれて、岸に見えた縁は輪郭を失い、ただの白い空気になった。


 一歩、入る。


 世界が、乳色になった。


 冷たい。頬と睫毛が、細かく湿っていく。数歩先の木が影になり、その先が白に溶ける。


「わ……」


「霧です。冷えた夜に、低いところへ溜まるんです。上から見ると、ああいう湖に見えます」


「……水じゃ、なかったんだ」


 足元の道は、湿ってはいるが、沈んでいない。クロエは平気な顔で先を歩き、時々振り返って一行を待った。


 沢を渡る飛び石で、エマの足が滑った。


 テレサが腕を掴んで支えたが、突いた手のひらが石で擦れた。


「エマ。手」


「え? ああ……大丈夫。浅いから」


「……浅くても、怪我です」


 エマが、目を丸くした。


 それから、噴き出した。


「それ、私の台詞」


「借りました」


 エマは笑いながら鞄を開け、見覚えのある布を出した。岩甲猪の日に肩を結び、返しそこね、治った日に鞄へ収まった、あの布。


「お守りの、つもりだったんだけど」


 テレサはそれを受け取り、エマの手のひらへ巻いた。


 初めて、結ぶ側だった。


――


 窪地を抜けて対岸の尾根へかかる頃、背中から日が差した。


 振り返ると、白い湖が金色に燃えていた。


 燃えたまま、薄くなっていく。縁が崩れ、切れ切れの帯になり、梢へ引かれて、消えていく。


 湖が一つ消えるまで、四半刻もかからなかった。


「……消えちゃった」


「はい。水なら、ああはなりません」


 エマは布の巻かれた手で、荷を持ち直した。


「昨日の夜ね。テレサちゃんが回り道するって言ったら、私、そのまま信じて回るつもりだった」


「丸一日、損してました」


「うん。……道中の判断は、テレサちゃんに従う。依頼書に書いておいて、よかった」


 役所の言い方だった。でも、声は笑っていた。


「昼前には、森を抜けます」


 テレサは前を向いた。


 この森の音を聞くのは、しばらくこれで最後になる。

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