↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
どくろと転生少女の異世界ポンコツ事件簿  作者: みぃ
第二部 王都への道
PR
29/34

第24話 どっちが先に言うか

 朝、テレサは庭で弓を引いた。


 引き分けて、狙って、そのまま三十を数える。


 肩は、最後まで鳴かなかった。


 朝の空気は薄く冷え、的にした古株まで、矢はまっすぐ飛んだ。弦を戻すと、白い息が一つ、庭に残った。


 三十を数えるあいだ、肩はただの肩だった。痛みが消えるというのは、身体からその場所の名前が消えることらしい。


 的の古株には、何年分もの矢の痕がある。浅いのは自分の昔の痕で、深いのはハルトじいのものだ。今日の一本は、その真ん中に近いところへ立っていた。


 クロエが戸口で伸びをして、続きを待つ顔でこちらを見た。


「……治った」


 布の下を確かめる。傷は塞がり、引きつれも残っていない。


 棚から、畳んだ布を取る。


 今度こそ、返せる。


――


 トーマの執務室は、前より広く見えた。


 棚の半分が空になり、床に寄せられていた紙は、紐で束ねられて壁際に積んである。人がいなくなった後の散らかり方ではなく、次へ渡すための片付き方だった。


「テレサちゃん。いらっしゃい」


 エマは机で帳面をつけていた。耳には筆記具。今日は探さずに済みそうだ。


「これ」


 テレサは布を差し出した。


 エマは布を見て、それからテレサの肩を見る。


「肩、見せてもらっていい?」


「もう塞がりました」


「見て決めます」


 結局、袖をずらして見せることになった。


 エマは傷跡を確かめ、指先で軽く周りへ触れ、ようやく頷いた。


「……うん。もう大丈夫そうだね」


 布は、今度は受け取られた。


「ありがとう。わざわざ洗ってくれて」


 エマは布を丁寧に畳み直し、鞄へしまった。返してもらったというより、預かり直すような手つきだった。


――


「そういえば」


 茶を出しながら、エマが言った。


「後任の方が、王都から来ることになったの」


「後任」


「うん。村の役所の。臨時だけど、ちゃんとした方が来てくれるって」


「よかったですね」


「うん。それでね」


 エマは湯呑みを両手で持ったまま、少し間を置いた。


「引き継ぎが終わったら、私は王都へ戻ります」


 行く、ではなく、戻る。


 その言い方に、テレサは顔を上げた。


「戻る……?」


「あ、そっか。言ってなかったね」


 エマは小さく笑った。


「私、王都の生まれなの。向こうで役所の学校を出て、研修でこの村へ来たの。一年と少し前に。トーマ先輩が、指導役で」


 フェルド、という姓。


 森への不慣れ。


 柔らかい標準語。


 十八歳で役所の仕事を知っていること。


 ばらばらに置いてあったものが、ひとつの説明で並んだ。


「先輩がいなくなって、研修も続けられないから。向こうで報告して、次の配属を聞くことになってて」


「そう、ですか」


「最初の配属がこの村でよかったって、今は思ってる」


 エマは湯呑みを見たまま言った。


 誰の名前も出さなかったが、誰の話かは分かった。


――


「出発は、いつですか?」


「引き継ぎ次第だけど……たぶん、十日くらい先」


「王都までは、どれくらい」


「街道の宿場まで、森を二日。そこから乗合の馬車で、十日くらい」


 思ったより、遠かった。


 十二日。森を二日と、車の上で十日。数字にすると、村と王都のあいだに、それだけの隔絶が横たわっている。


「……来たときも、そうだったから」


 そこで、エマの手が止まった。


 湯呑みの中を見ている。


 森を二日。


 途中で一晩、外で寝るということだ。


 一年前に通った道を、今度は一人で戻る。


 エマにとってそれが何を意味するか、テレサは知っている。村の縁ですら、案内が要る人だ。


「あのね、テレサちゃん」


「はい」


「……ううん。なんでもない」


 エマは笑って、湯呑みを置いた。


「引き継ぎ、頑張らないとね」


 言いかけて、やめた。


 何を言いかけたのかは、たぶん分かる。


 言ってくれれば、受けるのに。


 そう思ってから、テレサは自分の湯呑みへ目を落とした。


 ――こっちも、同じか。


 王都で仕事を探すつもりだ、と言いかけて、飲み込んだところだった。


 帰任の話を聞いた直後に言えば、それは「ついていく」と言うのと同じになる。


 それに、護衛を買って出るのは簡単だが、言い方を間違えれば、エマはまた負い目を抱え込む。あの人は、頼んだ相手の怪我を、自分の勘定へ入れてしまう人だ。


 言い方を、決めてからにしよう。


「お茶、おかわりいる?」


「……いただきます」


 その日は、それ以上その話にならなかった。


――


 帰り道。


 村の音が遠ざかったあたりで、どくろんが口を開いた。


『観測結果』


「うん」


『双方、主要情報ヲ保留』


「……分かってる」


『エマハ、依頼ヲ発言直前デ中止。ますたーハ、王都行キヲ非開示』


「数えなくていい、そういうのは」


『非効率デス』


「言い方があるの、言い方が」


 テレサは息を吐いた。


 夕方の道は、耕した土の匂いがした。畑の向こうで、誰かが家畜を小屋へ入れている。


 この道の音を聞くのも、あと何回だろう、と初めて思った。


 エマは、頼みたいことを言わなかった。


 自分は、行きたいことを言わなかった。


「……どっちが先に言うか、それだけの話」


『一致』


「負い目じゃなくて、仕事にしてほしい」


『要求仕様ガ複雑デス』


「人間は、そういうものなの」


『記録シマス』


「しなくていい」


 十二日。


 その数字だけが、頭に残っていた。


 三日後の朝だった。


 戸を叩く音に、クロエの尾が振れる。


 開けると、エマが立っていた。


 いつもの鞄と、胸の前に抱えた一枚の紙。


「テレサちゃん。今日は」


 エマは息を吸った。


「仕事の、お願いに来ました」


 役所の用事でも、怪我の様子でもなく。


 仕事。


 テレサは戸を広く開けた。


――


 机を挟んで、紙が置かれた。


 依頼書、と一行目にある。役所の書式ではない。エマが自分で線を引いて作った紙だった。


「王都までの道中の、護衛をお願いしたいの」


 エマはまっすぐこちらを見ていた。


「私一人じゃ、森は越えられません。街道へ出るまでの道と、野営と、乗合馬車に乗ってからの分も。王都に着くまで、お願いしたい」


「はい」


「お金は払います。役所の護衛依頼の、規定の額で」


 紙には、金額まで書き込んであった。


「道中のことは、全部テレサちゃんの判断に従います。危ないと思ったら、引き返す判断も。それから――」


 エマは一度、言葉を切った。


「受ける前に、危ないと思ったら、断ってください。それでこの話は終わりにします」


 一息に言い切って、少しだけ息を吐く。


 言う順番まで、何日も考えてきたのが分かる並びだった。


 紙の端が、少し波打っている。何度も書き直したのだろう。線は定規で引いたようにまっすぐで、その真面目さが、この人らしかった。


 インクの色が、行によって少し違う。一晩で書いた紙ではない。何日かに分けて、迷いながら書き足した紙だ。


 頼らないのでも、負い目で黙るのでもなく、対価と判断と断る余地をつけて、仕事として頼む。


 あの人なりの答えを、持ってきたのだ。


 ――先に言われたな。


 部屋の中で、クロエの尾が床を打つ音だけがした。


 テレサは紙を見下ろし、それから顔を上げた。


「受けます」


「……ほんとに?」


「はい。ただ、ひとつ」


「な、何でも言って」


「私も、王都へ行くつもりでした」


 エマが止まった。


「……えっ」


「住み込みの仕事を、探そうと思って。王都で」


「え、えっと……それ、本当に前から考えてた?」


「……事件のあと、くらいから」


「前、とは言わないと思うな」


 エマは目を丸くしたまま、それから、ゆっくり笑った。


「そっか。テレサちゃん、村を出るんだ」


「まだ、仕事が見つかるかは分かりませんけど」


「うん」


「だから、護衛はちゃんと受けます。どうせ同じ道なので」


「どうせ、って言わない」


 エマは依頼書を指で押さえた。


「同じ道でも、これは仕事です。お金は払います」


「多いです、これ」


「規定の額です」


「野営の分は自分のご飯です。引いてください」


「引きません。護衛を安く見積もっちゃだめ」


「雇い主が言うことじゃないです」


「雇い主だから言うの」


 柔らかいまま、動かない。


 布の時と同じ顔だった。


 テレサは息を吐いて、引き下がった。


「……分かりました」


「うん」


 棚の上で、どくろんが眼を灯した。


『契約成立ト記録シマス』


「どくろんちゃ……どくろんも、一緒よね?」


『ますたーカラノ離隔、非対応』


「置いていけないんです、こいつ」


「知ってます」


 エマは笑って、足元へ目をやった。


 クロエが、いつの間にかエマの横に伏せている。


「クロエも、一緒よね」


「はい。家族なので」


「うん」


 犬と、しゃべる使い魔つきの護衛ですけど、と言いかけて、やめた。エマはもう、その全部を知っている。


――


「それでね」


 エマは鞄から、別の紙を出した。


「王都へ行くなら、いるものがあるの。身分の証明と、テレサちゃんの歳だと、奉公とか見習いの登録も」


 紙には、手続きの名前が並んでいた。役所の字で、几帳面に。


「村の役所で出せるものは、引き継ぎのついでに揃えられます。住み込み先を探すなら、王都に登録の窓口があるから、場所は教えられるし……」


 説明が、途中から少し速くなる。


 自分のことを話す時より、ずっと張り切っている。


「……エマ」


「ん?」


「王都のこと、私はあんまり分からないので」


 テレサは言った。


「着いてからも、頼っていいですか」


 エマは一瞬止まって、それから、はっきり頷いた。


「うん。今度は、私が案内するね」


 村の外縁では、テレサが前を歩いた。


 王都では、エマが前を歩く。


 それでちょうど、貸し借りなしだ。


――


 エマが帰ったあと、テレサは戸口に立って、村の方を眺めた。


 どくろんが肩の横へ浮かぶ。


『行動決定ヲ確認。王都行キ』


「うん」


『同行者、エマ。契約、護衛』


「うん」


『補足。ますたーノ王都行キハ、エマヘノ同行ガ目的デハナク――』


「仕事探し。分かってる」


 それは、本当だ。


 行く理由は、仕事探しだ。


 ただ。


 一人なら、まだ行かなかった。


 エマが行くなら、今でもいいと思った。


 それだけのことで、それを言葉にする必要は、たぶんない。


『出発マデ、約七日』


「うん」


 家の始末。戸締り。猟具の手入れ。仕掛けたままの罠の回収。毛皮と蓄えの勘定。


 数え始めると、思ったより多い。


 テレサは指を折りながら、家の中へ戻った。


 分からないことは、着いてから確かめればいい。


 いまは、出発までにやることを数える方が先だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。