第13話 命の値段はお手頃
昼下がりの往来は、いつも通り人の声で満ちていた。
荷車の車輪が石畳を鳴らし、露店の呼び声がその上を飛び交う。買い物籠を提げた女たちが道の真ん中で立ち話をし、その脇を子供たちが駆け抜けていく。
テレサは人波の端を歩きながら、前方に見えてきた露店へ目を向けた。
シリル・ベルンの露店。
荷車の脇に布を敷き、乾燥香草や金属製の小物、布地の切れ端が並んでいる。仮の台に小さな天秤。常設の店構えではない。前に来た時と、商いの形は変わっていない。
香草の束からは乾いた甘い匂いが立ち、針や鋏は光る向きを揃えて並べてある。売り物の並べ方一つにも、幾つもの町を回ってきた手際が出ていた。
前に来た時は、売り買いの言葉しか持っていなかった。今は、聞きたいことの一覧が頭の中にある。それを気取られない歩幅で、露店までの残りを詰めた。
『ますたー』
隣を浮遊するどくろんが、抑揚の薄い声を発した。
『行動目的ノ再確認ヲ推奨シマス』
「トーマさんが最後に何を調べていたのか。それを確認する」
『シリル犯人仮説ノ検証ハ継続中デス』
「分かってる」
『情報ノ混同ニ注意シテクダサイ』
「はいはい」
短く返し、テレサは露店へ足を進めた。
以前にシリルと会った時、テレサは彼がトーマを殺したのではないかと考えていた。
今も、その疑いが消えたわけではない。
ただし、あの時とは持っている情報が違う。
トーマがシリルを訪ねていたこと。
そのあと、地震の最中には外にいたはずのトーマが、自宅兼執務室で死んでいたこと。
マティアスがシリルについて何かを隠し、自分を尾行していたこと。
情報は増えた。
だが、増えた情報が一つの答えを示しているわけではない。
むしろ、枝分かれが増えただけだった。
露店の前では、シリルが客へ包みを渡しているところだった。
「こちら、湿気にはお気をつけください。保存するなら、風通しのよい場所がよろしいでしょう」
穏やかな声で説明し、代金を受け取る。
受け取った硬貨を、シリルは見もせずに袋へ落とした。指先が金額を覚えている手つきだった。
客が去ったあと、シリルはすぐにテレサへ気づいた。
「おや」
柔らかく目を細める。
「いらっしゃい、テレサさん」
その声にも、表情にも、驚きはなかった。
避ける様子もない。
「売りたいものと、聞きたいことがあります」
「ええ。どうぞ」
あまりにも自然に応じられ、テレサは一瞬だけ黙った。
以前も、この男は落ち着いていた。
怯えてはいなかったし、自分を対等な相手として扱ってもいなかった。
あの時の視線は、危険な獣を警戒するものとも違った。
もっと事務的だった。
殺す必要があるのか。
放置しても問題ないのか。
その損得を測る目。
今は、それとも少し違う。
目の前の小さな変化を、暇つぶしに眺めるような余裕がある。
「立ったままでは何ですから、こちらへどうぞ」
シリルは荷車の陰に置かれた丸椅子を勧めた。往来から半歩だけ下がった場所だ。
自分は座らず、荷車の木枠へ軽く背を預ける。
どくろんはテレサの肩より少し高い位置に浮かんだまま、シリルへ正面を向けた。
「珍しい使い魔ですね」
『使イ魔デハアリマセン。観測端末デス』
「これは失礼しました」
シリルはすぐに言い直した。
「では、珍しい観測端末ですね」
『事実デス』
「そこは否定しないのね」
『客観的事実ノ否定ハ不適切デス』
シリルの視線が、どくろんからテレサへ戻る。
口元には薄い笑みが残っていた。
「以前より、随分と賑やかになりましたね」
「こいつが勝手に喋るだけです」
『発言ハ機能デス。勝手デハアリマセン』
「そういうところ」
『説明ヲ補足シマシタ』
シリルは小さく笑った。
笑われるようなことではないはずなのに、不快ではなかった。
ただ、その笑い方さえ、こちらを見ているように感じる。
テレサは背負っていた包みを下ろした。
「聞く前に、売りたいものがあります」
「これは失礼。今日はお客としても来てくださったのですね」
シリルが荷車の木枠から背を離す。
包みを開くと、畳んだ毛皮が二枚。
先日の猟で得たものだ。
シリルは一枚ずつ広げ、毛並みと裏側を確かめた。
「ご自分で?」
「はい」
「処理も悪くありません。傷は……こちらに一か所。矢ですか」
「そこなら、使えますよね」
「ええ。大きく値を落とすほどではありません」
柔らかい返事のまま、目だけがこちらを見る。
獲物の種類。
仕留め方。
毛皮の処理。
商品を見ているようで、狩人としての腕も測っている。
シリルは二枚を並べ、手のひらで毛並みを逆立てた。
縁を持ち上げて厚みと剥ぎ方を確かめ、最後に矢傷へ指を添える。
提示された額は、思っていたより少し低い。
「もう少し」
「おや」
「冬毛ほど厚くない。でも、穴は一つだけ。村で使うなら十分」
「売り手から用途まで指定されるとは」
「買うでしょう」
「さて」
シリルは困ったように笑った。
「では、この額で」
最初より、ほんの少しだけ上がる。
まだ安い。
けれど、別の商人を探す時間まで考えれば、悪くはない。
「それで」
代金を受け取ろうとしたとき、荷車の端に細い筒が見えた。
掌より少し長い。
革紐のついた栓。
胴には、目を伏せた人の刻印。
見覚えがある。
「それ、閃光筒?」
シリルの手が止まった。
「ご存じでしたか」
「使い方だけ」
ハルトじいに繰り返し教えられた。
栓を抜く。
足元ではなく、相手との間へ投げる。
投げたら目を伏せ、口を開き、音に備える。
強い光と破裂音で魔獣を怯ませ、逃げる時間を作る。
倒すための道具ではない。
訓練で握らされたのは、使い終わった空の筒だった。
実物を無駄に投げさせてもらえる値段ではない。
「売り物?」
「ええ。一本だけですが」
シリルが筒を取り上げ、革紐と封を確認する。
「封も生きています。古い在庫ではありません」
「いくら」
聞いてから、やめておけばよかったと思った。
値を聞くまでは、買わない理由を探せる。聞いてしまえば、あとは払えるかどうかだけになる。
毛皮二枚分を、軽く超えている。
「高い」
「命のお値段としては、お手頃ですよ」
「商人の言い方」
「商人ですので」
買わずに済ませることはできる。
普段なら、危ない気配へ近づかなければいい。
見つかる前に離れ、追われたら森の中で距離を切る。
けれど、今度はエマを連れて村の外縁を回る。
森に慣れていない人では、同じようには逃げられない。
それに、先日の猟では村から遠くない場所まで魔獣が寄っていた。
同じ個体が戻るとは限らない。
何も起こらない可能性の方が高い。
それでも、何か起きてからでは遅い。
テレサは毛皮の代金を受け取り、自分の財布を出した。
「一本ください」
「よろしいのですか。毛皮の代金だけでは足りませんが」
「分かってます」
足りない分を数えて置く。
一枚ずつ、指の腹で確かめながら。冬に備えて貯めていた分から、三枚。
軽くなった財布を見ると、胸の奥まで少し軽くなった気がした。
悪い意味で。
シリルは硬貨を確かめ、閃光筒を布で包んだ。
「念のため申し上げますが、これは討伐具ではありません」
「知ってます。逃げるためのもの」
「栓を抜き、投げてから作動まで――」
「三つ数える。近くへ投げない。目を伏せて、口を開ける」
シリルが口を閉じた。
柔らかな笑みは変わらない。
ただ、こちらを見る目が、ほんの少しだけ細くなる。
「よくご存じで」
「教わったから」
「亡くなられた、あの猟師の方に?」
「……ハルトじいを、知ってるんですか」
「お名前だけ。村で商いをしていると、耳に入ることもあります」
それ以上は答えない。
今の一言も、どこまで本当か分からない。
テレサは包みを受け取り、腰の鞄へ入れた。
すぐ取り出せる位置。栓が枝へ引っかからない向き。
布越しでも、筒は思ったより軽かった。この軽さで、毛皮二枚と財布の半分。
命の値段は、持ってみると呆気ない。
『取扱イ、適正』
どくろんが横から告げる。
「お前、分かるの?」
『説明ト動作カラ推定』
「後から言うな」
『誤操作ナシ。介入不要ト判断』
シリルが小さく笑った。
「良い買い物になればよいですね」
「使わずに済むのが、一番いい買い物です」
「ごもっとも」
毛皮の取引は終わった。
けれど、ここへ来た本当の用件は残っている。
シリルは硬貨を革鞄へ収め、改めてテレサへ向き直った。




