第11話 殺された側から辿る
翌日、テレサはいつもより遅く家を出た。
弓を背負い、腰には小刀。
格好だけなら、狩りへ向かう時と変わらない。
朝の村は、槌の音より先に竈の煙が働く。パンの焼ける匂いと湿った灰の匂いが、道の低いところを流れていた。
実際、やることも狩りと変わらない、と思っている。
跡を見つけ、辿り、居場所を絞る。相手が獣か、人の残した時間かの違いだけだ。
『本日ノ調査対象』
肩の横を飛ぶどくろんが尋ねた。
「トーマさんの足取り」
『対象変更』
「変更やない。順番変えただけ」
テレサは村の北へ続く道を見た。
北の道は、トーマの家へ続く。役場と、家と、森の境。人の一日は、道の上に残る。
昨日一日、シリルについて聞き回った。
村での評判は良い。
仕事は堅実。
恨まれるような揉め事もない。
けれど、それで疑いが消えたわけではない。
人当たりが良いことと、人を殺さないことは別だ。
むしろ、あの男は笑ったまま人の反応を測り、「殺す必要があるか」を口にした。
問題は、証拠がないことだった。
「シリルさん側を調べても、村の中からは何も出んかった」
『是』
「なら、逆から辿る」
『逆』
「殺された側」
トーマは何を知っていたのか。
誰と話し、何を調べ、なぜシリルを問い詰めたのか。
あの日の言い争いで聞こえたのは、仕入先と供給停止の話だけだった。
何が入らなくなったのかは分からない。
なぜトーマがそこまで怒ったのかも分からない。
分からないことが多すぎる。
ただ、その分からないことの中心に、トーマがいた。
『被害者側カラノ情報取得』
「そう」
『合理的』
「珍しく素直やな」
『通常応答』
「その言い方やと、普段が素直やないみたいやで」
『否定シマセン』
「否定せえや」
二人は家を離れた。
北へ向かう道は、朝日を右から受ける。露の残る草が光り、道の先で、役場の屋根が鈍く光っていた。
村の北寄りに、トーマの家があった。
自宅の一室が執務室になっている、と以前から知ってはいた。
扉は開いていた。
中から、紙をさばく音がする。
「……すみません」
声をかけると、中で人が跳ねた。
「ひゃっ」
机の前にいたのは、エマ・フェルドだった。
十八歳くらいの、若手の役所の人。
トーマの後輩、だったはずだ。
耳に筆記具を挟んだまま、別の束を抱えている。
「あ、テレサちゃん……! ごめんなさい、びっくりして」
柔らかな丁寧語だった。
慌てた拍子に耳の筆記具が滑り落ち、エマはそれを二度掴み損ね、筆記具は宙を舞っていた。
「大丈夫です」
「よかった……。どうぞ。いま書類、整理してて」
室内は地震のあとがまだ残っている。
床に寄せられた紙。
空いた棚。
人が急にいなくなったあとの、忙しさと空白が同居していた。
奥の机は、誰も座っていないのに、片付いていなかった。
書きかけの帳面。立てたままのペン。端へ寄せられた、洗われていない湯呑み。
トーマの席だ、と、聞かなくても分かった。エマはその机には触れず、手前の小机で作業している。
どくろんは肩の横で静かに浮いている。
エマは一度だけそちらを見て、目を丸くした。
「使い魔……? 珍しいね」
「ええ」
それ以上は説明しない。
エマも深くは聞かない。
「トーマさんのこと、聞きに来ました」
「……うん」
エマは机の端へ、抱えていた束を置く。
置き場所を誤り、別の束が滑る。
「あっ」
慌てて押さえる。
「ごめんね。最近、こういうの多くて」
「引き継ぎ、してるんですか」
「うん。普通の役所仕事と、文書の整理。先輩の……監査のほうは、私も詳しくは知らなくて」
知らない、と言い切った。
嘘をついているようには見えなかった。
「先輩は、亡くなる前、何を調べてましたか」
「触媒が届かなくなった話、って聞いた程度。仕入先の確認に行った、とは。中身までは」
「シリルさんのところ」
「……たぶん」
エマは視線を落とす。
「私も、もっと聞いておけばよかったって思う。でも、監査は先輩の担当で」
責めているのではない。
自分の位置を、はっきりさせているだけだ。
「ここに、先輩のメモとか、調査の紙は」
「探してる」
エマは棚を指さした。
「住民台帳とか、届出とか、普通の役所のものは大体ある。でも、マティアス先生の研究の監査関係だけ、まとまって見当たらなくて」
空気が一瞬、変わる。
エマ自身は、その意味の大きさに気づいていない顔だった。ただ「見当たらない」ことを、事実として困っている。
決め手、ではない。
地震のあとで散らばったのかもしれない。
誰かが運んだのかもしれない。
ただ、「無い」という事実だけは残った。
「意味、分かりますか」
「分からない」
エマは首を振る。
「無い、ってことしか。犯人とか、そういうのは……私、分からなくて」
「それでいいです」
テレサは短く言う。
意味づけは、自分の側でやる。
「あと、先輩が最後に誰と会ってたかとか」
「朝は、家にいたはずって聞いた。でも私はその場にいなくて。地震の夜も、自宅にいたし」
「そう、ですか」
「テレサちゃん」
エマが、少しだけ声を落とす。
「無理しないでね。一人で抱え込まないで。……何か手伝えるなら、言って」
探偵扱いではない。
年上の、少し自信のない職員の、できる範囲の言葉だった。
立ち上がろうとしたところで、エマが慌てて手を上げる。
「あ、……ひとつだけ、お願い、してもいいかな」
「はい」
「地震のあと、村の外縁の道と、外れの家への連絡がまだ終わっていなくて。書類は持っていけるんですけど……森の方は、私、あんまり慣れていなくて」
視線が泳ぐ。
「テレサちゃんは狩人だから、道が分かるでしょう。後日でいいから、案内、頼めないかな。監査とか、そういうのではなくて。普通の確認だけ」
「分かりました。日を決めてくれたら」
「本当に? ありがとう……! 書類が一段落したら、声をかけるね」
約束は、先の話として置かれた。
「ええ」
外へ出る。
扉を閉めたあと、どくろんが小さく言う。
『情報』
「うん」
『後任、確認』
「いや。元から普通の役所の人や。今は執務室の文書整理も継いでる、っちゅうだけや」
『是。担当ノ継続。監査詳細、非所持』
「せや」
『監査関係資料、欠失ノ可能性』
「盗られた、とはまだ言えへん。『無い』いうだけなら、弱い兆候止まりや」
「是。記録。意味付け、保留」
「それでええ」
テレサは一度、執務室の屋根を見上げた。
殺された側から辿る、最初の接点だ。
村の道へ歩き出す。
後ろに、誰かの視線がある気がした。
偶然かもしれない。




