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開宴の時刻が近づくにつれ、会場には格式高い衣装に身を包んだ保護者様方が次々と集まってきた。淑女科や政務科の生徒たちが、配膳や案内役として保護者への顔見せも兼ねて手伝ってくれている。おかげで一人では到底回せない規模の立食パーティーも、何とか形になっていた。
「おや、これは素晴らしいな。華美すぎず、どこか懐かしい学舎の雰囲気が残っている」
「この一口サイズのお料理、とても上品で美味しいわ」
あちらこちらから上がる感嘆の声に、ほっとした。掴みはバッチリだ。両親も、厨房の出入り口から涙目で会場の様子を見守っている。
主催者であるフリッツ様が、妹のメレル嬢を伴って入場し、洗練された挨拶で場を温めていく。その完璧な貴族の立ち振る舞いに、改めてやっぱり住む世界が違うお方だなあと鑑賞物を見るように見てしまう。
深く息を吸い込み、笑顔を貼り付けた。
(いけない、今は仕事!)
トレイを持ち、客人たちの間を動き回る。おすすめの焼き菓子を説明し、笑顔で受け答えし、誰かのグラスが空になればすぐに新しいものを差し出す。汗が額を伝うし、足が痛い。笑顔の裏で必死だった。
ある老貴族夫人が、私に声をかけてきた。
「あなた、この店の娘さん? とても気配りができる子ね」
「ありがとうございます。お口に合いましたら幸いです」
「ふふ、いい子だわ。メレル家が使うだけある」
その言葉に、胸が弾む。少しでもお眼鏡にかなっただろうか。私は笑顔を崩さず、次のテーブルへ移動した。
パーティーが中盤に差し掛かった頃。穏やかで知的な空間の空気は、ある一人の登場によって一変することになる。
「わあ……! すごい、本当にゲームそのまま……!」
ホールの入り口で、場にそぐわないほど弾んだ声をあげたのは、モラレスさんだった。公爵家が主催する、保護者たちの社交の場。生徒も参加しているとはいえ、今日はあくまでもてなす側だというのに。そこに彼女は、学園の制服を少し着崩したような、あまりにも軽率で、あまりにもマナーを無視した装いとお気楽な笑顔で現れたのだ。
一瞬にして、周囲の夫人たちの視線が冷たく険しいものへと変わる。扇子の隙間から漏れるヒソヒソ声が、まるで鋭い針のように会場に満ち始めていく。
なんでそんな格好で来ちゃったのか。嫌な予感と冷や汗が同時に湧き上がった。
会場の空気が凍りつく中、私は真っ先にフリッツ様の方を見た。けれど、彼は遠巻きにこちらをじっと見つめたまま、一歩も動こうとしない。その美しい顔は、まるで何かを見極めようとするかのように無表情だ。
はっとする。
(もしかして、貴族絡みのトラブルではないから?)
貴族関係なら責任を持つと言ってくれた。でも、モラレスさんは学生。私が抑えられる範囲だ。取り乱してはいけない。ドーミエ商店の看板を背負っているのだから。
そう考えている間にも、モラレスさんは止まらない。なんなら近づいてきた。
「ねえこれ全部フリッツ様の指示?三次元だとこんな感じなんだね、いいわあ」
「モラレスさん、ちょっと─」
またよく分からないことを話し続ける彼女を裏に引っ張っていこうとしたのに、てこでも動かない。そして、夫人たちにカーテシーをした。──体幹がなく、よろよろとした見苦しいものを。
「お初にお目にかかります。皆様がどう聞いてらっしゃるか分かりませんが、私は修道院の出であることを恥じたことはありません!」
いやに彼女らしくない、堂々とした言葉。そんなこと聞いてもないし、言って欲しくもない、こんな場で。
「モラレス嬢貴女ねえ!」
「きゃっ!」
見かねたのだろう、給仕の手伝いをしていた淑女科の子が彼女の手を引こうとして─ジュースが、かかった。
フリッツ様が出して欲しいと言った、赤いジュースが。
「嫉妬ですか?こんなことをしても意味はないですよ、貴女自身を磨いていかないと」
モラレス嬢はやけに冷静だった。
ドレスに赤いジュースがかかっても、どこかの絵みたいだと思って少しぼんやりしている間に、彼女を揶揄する声は広がっていく。そして。
「やはり平民のお店ですものね」
「給仕教育までは難しかったのかしら」
「公爵家も随分大胆な真似を」
うちの商店まで、下げられ出した。
悔しい。悔しい。悔しい!
悔しさと緊張で震えそうな唇を、ぐっと噛み締めて笑顔の形に固定する。女は度胸と愛嬌、それがあれば最強。お母さんの言葉を胸に、私はまっすぐモラレスさんとジュースをかけてしまった子へと歩み進めた。
「モラレスさん、本日は保護者の会です。下がっていただけますか。貴女も、こちらに」
「えっクラリッサが来るの?なんで?バグ?」
ヒソヒソという声が、次第に大きくなっていく。扇子を口元に当てながらも、明らかにこちらを非難する目が何重にも重なる。背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、深く息を吸う。また意味の分からないことを呟くモラレスさんを無視して、血の滲むような笑顔で完璧なカーテシーをした。
「お不快な思いをさせ、大変申し訳ございません。すべては我がドーミエ商店の確認不足でございます。格式あるお席にふさわしいおもてなしができなかったこと、深くお詫び申し上げます」
モラレスさんを庇う形になりながらも、私は必死に笑顔を張り付かせ、泥を被って場を収めようとした。数秒が永遠のように感じる。
それでも、夫人たちの冷たい視線は変わらない。
「……もういい。頭を上げてくれ、ドーミエ嬢」
突如、頭上から降ってきたのは、いつもより低く、そして信じられないほど冷たい声だった。
「フリッツ様……っ?」
驚いて見上げると、そこにはこれまで見たこともないほど真剣な面差しのフリッツ様が立っていた。
彼は急かすように、けれど壊れ物を扱うような優しい力で手首を掴み、強引に立ち上がらせてきた。その手は、驚くほど熱くて、かすかに震えていた。
「モラレス嬢」
彼は冷たい視線をモラレスさんに向け、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。
「君は配膳役としてここにいるはずだ。余計なことを言う暇があるなら、仕事をしてもらえると助かる。……それとも、退場したいのか?」
モラレスさんはたいじょう、と唇を小さく動かす。そして、フリッツ様の威圧感に押されて渋々後ずさった。近くにいた淑女科の女生徒二人が素早く彼女の両腕を掴む。
「モラレス様、こちらへ……!」
「ちょっと!離してよー!まだイベント中なのに!」
モラレスさんは文句を言いながらも、強引にホールの外へ連れ出されていった。
しかし、夫人たちの不満はまだ収まらない。
「メレル子息、たとえ主催者とはいえ、このような……」
一人の夫人が口を開きかけた瞬間、フリッツ様はゆっくりと振り返り、冷酷なまでの笑みを浮かべた。
「今回の配膳の差配は、すべて主催である私の指示です。ドーミエ商店には一切の落ち度はない。むしろ、これほど見事な会場を用意してくれた彼らを品性がないと侮辱することは──主催である私、ひいてはメレル公爵家への侮辱とみなしますが、構わないですね?」
「っ……!」
会場が一瞬、凍りついた。夫人たちは互いに顔を見合わせ、明らかに不満げな表情を浮かべながらも、公爵家の名を前にしては強く出られない。扇子を握る手が白くなるほど力を込め、唇を固く結んでいる者もいる。
─助かった。
背中に冷たい汗が流れていた。足が震えている。でも、すぐに笑顔を貼り直し、夫人たちに向き直った。
「奇妙な余興をお見せしました。こちら、新しく仕入れたシャインオレンジのタルトです。お一ついかがですか?」
数秒の沈黙の後。
「ま、まあ……いただくわ」
「……とても美味しいですわね」
誰かが折れたのをきっかけに、夫人たちも渋々ながら再び談笑を始めた。張りつめていた空気が、ゆっくりと、しかし確実に元に戻っていく。
小さく息を吐き、そっとフリッツ様を見上げた。
(……あれ?)
フリッツ様が、ゆっくりと振り返る。完璧に場を収めた公爵家の次期当主。その瞳には、さっきまでの冷酷なまでの威光は消え去っていた。
「……ドーミエ嬢、大丈夫か」
名前を呼ぶ彼の声は、今にも掠れてしまいそうなほど、ひどく張り詰めていた。見極めようとしていた無表情なんてどこにもない。彼は、本気で私を心配して、怒っていたのだと、その目を見て気づいてしまう。掴まれた手首がいまだに熱い。
まだまだ、パーティーは終わらない。やることは沢山ある。でも。
今は少し、この乙女小説のようなムードに浸ることにした。




